29話 彼が失ったもの

「ふざけないで!」


 カティアがサラを突き落とした。そんなありもしない疑惑を叫んだゼノス・フォン・フレンブリードに対して。

 とにかくサラの下に駆け寄り、思ったほどの重症ではないことに安堵してからカティアは全力で反論した。


「今の魔法、『魔弾の射手ミストール・ティナ』でしょう! どういうつもりなの、サラを──味方を傷つけるなんて!」

「白々しい嘘を吐くな! お、お前がやったのだ!」


 当初の衝撃も過ぎ去ったことで、徐々に状況が把握出来てきた。

 こいつらは恐らく、カティアに冤罪を着せる気だ。

 アスターが『すぐにボロを出す』と言っていたのにいつまで経っても出さないから。強引に作り上げようとしたのだ、自分たちの評判を地に落とすための罪状を。


 ……そんなことのために、サラを傷つけたのか。


「覚悟は、出来ているんでしょうね……!」


 烈火の怒りと共に全身から魔力を立ち上らせるカティア。その迫力にゼノスが息を呑む。


「もういいわ、立場も何も関係ない。今はただ、あなたたちを絶対に──」

「だ、黙れ黙れ黙れぇッ!」


 しかし、腰が引けつつもゼノスは──こう叫んだのだった。




「お前がッ! お前さえ居なければ・・・・・・・・・こんなことを・・・・・・しなくて済んだのだ・・・・・・・・・ッ!!」




「──え」


 それは、間違いなくゼノスの失言だった。

 けれど、今までの何よりカティアの心の何処かを確実に抉った。


「今まで使えなかった魔法を使えるようになって、力を手に入れてさぞ良い気分だろうなぁ! それで方々で魔物を倒して救国の英雄気取りか!? ふざけるな、お前はその器ではない! この国の英雄はただ一人、アスター殿下だけだ!!」

「ッ、違う、殿下はあまりに独善が過ぎる! それはいつか災いを──」

「い、いつかと言うがなぁ! ならば今までその災いとやらが起こったことがあったか!?」

「──」


 それは──確かに、無い。

 貴族の至上命題は、究極すると魔物を討伐することだ。

 そして、アスターは今まで魔物の討伐を失敗したことは一度も無い。

 圧倒的とも言える魔法の才で以て、全ての戦いで苦戦すらすることなく魔物を蹂躙していた。


 内政においても、アスターは様々な決めつけで横暴を繰り返したが──それによってどこかで魔物の壊滅的な被害があったという話は今の所聞いていない。アスターに味方する多くの貴族、そこから排出される魔法使いが全てカバーしているから。


「分かるだろう、殿下に従い、殿下に任せれば全てが上手くいくのだ! それに対して無駄に楯突いているのが貴様らなんだ! 貴様らのせいで私──我々は被害を受けている! 貴様らが無駄に抵抗するせいで今サラ嬢が傷ついた!!」


 一瞬、自らだけの欲望が出掛かったところを『我々』と言い直したゼノス。だがカティアはもうそれに気を取られている余裕はなかった。

 気付いて、しまったからだ。


 立派な貴族になろうとした。

 民を脅かすものを排除し、誰かの幸せを命を賭してでも守る誇り高い人間に。

 だから、国を乱しかねないアスターの間違いを正そうとした──けれど、むしろ、本当は逆で。


「法務部とそれ以外で争いが起きるのも、貴族たちがまとまらないのも全て貴様らのせいだ! ──国を乱しているのは、貴様らの方なんだよ!!」


 それを指摘された瞬間、カティアは目の前が真っ暗になって。

 直後に駆けつけた兵士たちに対し、なんの抵抗も弁明もできずに捕まってしまったのだった。





 ──気付かなかった。いや、気付かないふりをしていたのだ。


 法務部とアスター派閥との水面下の争いがそんなに激化していたことに。その影響を受けて、父ユルゲンの顔に浮かぶ疲労が日に日に濃くなっていたことに。

 カティアとエルメスが多くの場所で魔物を討伐した──つまり他の貴族がそれだけ魔物を持て余したのは、カティアの出現と活躍によって貴族が立場を決めかね、その影響で魔物討伐に手が回りにくくなったからということに。


 そして、今。

 自分の行動が回り回って、大切な友人すらも──


「ッ」


 怖く、なった。

 自分が為そうとしていたことの影響は、自分の思った真逆のことだった。

 母のようになろうと頑張れば頑張るほど、結果は理想から遠ざかっていた。


 ……いやだ、と思う。

 認めたく無いけれど、認めざるを得ない。

 だって、その成れの果てが今の自分だ。


「……」


 辺りを見回す。

 暗い、暗い牢屋の中。王都の外れにある要塞のような監獄の中央。

 暗闇の中で頼りなく揺らめく蝋燭が、自分の命運を暗示しているように思えて──ふと考えた。

 自分が何かをなすことでこの国が乱れ、自分が直そうと思ったアスターをあのままにして、全てがうまく回るなら。

 だったら、自分が貴族として為すべきことは。


 と、そう考えた時に。



「お待たせしました、カティア様」



 銀の輝きが、牢屋の中に突如として現れ。

 その声の主──エルメスはいつもの穏やかな調子で、変わらないトーンで告げたのだった。


「公爵様の命により、助けに参りました。……早速で申し訳ございませんが、脱獄しましょうか」




 ◆




「エル……!?」


 カティアが運び込まれたという牢獄の中に侵入したエルメス。

 程なくして見つけた牢屋の中の彼女は、憔悴していながらも驚きの声を上げた。


「どっ、どうやってここに!? 外の見張りはどうしたの!?」

「牢獄への侵入自体は、少しばかり『禁じ手』を使わせていただきました。流石に何人かは倒しましたが、まだ大ごとにはなっていないかと」


 唖然とするカティア。どれだけ引き出しを隠し持っているのか、とでも言いたげだ。

 まぁ実の所、『禁じ手』と言っても大々的にバレなければ問題無いし、彼が今回使ったものは効果も至ってシンプルだ。


 だが故に、見張りの虚を突いて最小限の手間で侵入に成功した。これからの立ち回りを考えれば極力騒ぎにならないに越したことはない。

 しかし、バレるのも時間の問題だ。よって早急に脱獄すべく、エルメスは手を伸ばすが。


「……もう、いいわ」

「──カティア様?」


 彼女から返ってきたのは、不吉な予感を孕んだ否定の言葉。


「私は、ここを出るつもりはない。せっかく来てもらって悪いけれど、必要はないわ。……これ以上、罪を重ねるつもりはないの」

「いや、何を仰って──そもそも、貴女に罪など」

「私はッ!! 私のせいで、サラが大怪我をしたのよ!」


 俯いたままの激昂の言葉が、あたりに響いた。


「やったのは私じゃないわ! でもッ、あの子は巻き込まれたのよ──私の、身勝手な行動に!」

「……え」

「それだけじゃない、私が殿下を諌めようとした行動で、どれだけの人が迷惑してどれだけの悪影響があったか! 私が何もしなかった時より今のこの国はひどくなっている──だから、もういいの!」


 カティアはそこで一旦言葉を切るが、すぐにやり場のない激情を宿して──エルメスを睨んできた。


「……エル、あなたもよ。これ以上私に付き合わなくていいわ」

「これ以上、って」

「あなたは恩義で私に仕えてくれたわ。でも知ってるのよ! あなたが一番顔を輝かせるのは、喜ぶのは私の前じゃない、魔法を前にした時だって! 本当は私のことなんて、どうでもいいって思ってるんでしょう!?」

「!」

「こんなところにいる必要なんてない! 自由に外に出て、魔法でもなんでも極めたらいいじゃないのッ!!」


 言い切ってから、彼女はエルメスの方を見て一瞬後悔するような表情を見せた。

 けれど、今更訂正するわけにもいかず。またしばしの沈黙を挟んで──今度はぽつりと。


「……お母様のように、なりたかったの」


 心の底にあった原点を、告げた。


「お母様のように気高くて、誰かの幸せを守れる心を持った人に。それが貴族の責務、在るべき姿だと思って──でも違った!」

「……」

「私のやっていたことは、責務でもなんでもない! ただの、わがままだったのよ……っ」


 それきり、彼女の言葉は止んで。

 打って変わって耳に痛いほどの静寂が、牢獄の中に響き。

 ──ぽたり、と雫の落ちる音が、それを破った。


「……何よ」


 だが音の主は、カティアではなかった。


「なんで──あなたが泣いてるのよ、エル!」

「……え」


 言われて、エルメス自身ようやく気付く。自分の頬を流れるものの正体に。

 そうか。

 自分は今、悲しいと思った。彼女の慟哭を、彼女の絶望を聞いてそれに共感した。



 ──ああ、それは。

 とても・・・喜ばしいことだ・・・・・・・



「……すみません」

「何を……謝ってるのよ」


 悲しげに睨んでくる彼女に、まずは謝罪を述べる。


「貴女の言う通りだからです。僕は貴女よりも、魔法に対する執着の方が大きい──いえ、貴女だけではありません」


 そして彼は告げる。彼の中にある、大きな歪みの正体を。


「僕はあの日、フレンブリード家を追放された日から……他者に対する感情がひどく希薄になった。有り体に言うなら──魔法以外の全てのことが、どうでも良いと感じるようになってしまったんです」




 エルメスが王都で失ったもの。ローズの元でも戻らなかったもの。

 それは、心だ。


 他者に対する執着。誰かを大切に想う心。それが失われていた。

 あの日ローズに身の上を話して、抱きしめてもらって、新たな希望を示されて。

 燃えるような喜びと師に対する憧れを抱いて──まるで、それが最後の輝きだったとでも言うように。

 魔法以外のことが、急速に色褪せていったのだ。

 

「きっと、7歳の頃から追放されるまでの3年間。その間の生活で、どこかが擦り切れてしまったのでしょう」


 エルメスは、そう自身を分析する。

 確かに、あの頃はカティアの存在が救いにはなっていた。

 でも、それでも足りないほど彼はあの時期、多くの悪意に晒され続けた。父の、兄の、そして彼らに感化された多くの貴族たちの。

 それまでが幸福であった分、よりその落差は酷くて。


 自分を守るために、削ぎ落とすしかなかった。辛い思いも、悲しい思いも。そしてあればある分だけ今が辛くなる、喜びや嬉しさも。

 全てをすり減らし、魔法だけを希望の拠り所にして打ち込んだ。

 けれど努力は報われず捨てられて。その瞬間、きっと何かが擦り切れて。

 魔法に対する執着だけが、抜け殻のように残った。そうして出来上がったのが今のエルメスだ。


 師匠に対しては感謝しているし、敬意も紛れもなく存在する。

 ただ──それが義務的な、あくまで『そうすべきだからそうしている』側面が強いことも紛れもない真実だった。

 彼が恩義を大事にするのもそれの一要素である。


 ローズはそれを理解した上で、けれどエルメスがそれを良く思っていないことを感じ、エルメスの心が戻るように師としての愛情を惜しみなく注いでくれたと思う。

 けれど、それでも終ぞ戻ることはなく。


 だから、王都に戻ってきた。

 かつて失った場所でなら、失ったものを取り戻せると思ったから。


「だから──僕は想いを大事にしたい」


 だからこそ、彼は自分の中の微かな想いに従って行動する。

 王都に戻ってきたことは正解だったと思う。かつて恩のある人との再会で喜びを抱いた。その現状に悲しみを持った。

 そして……強い怒りも、王都に来てから初めて感じることができた。


「だからこそ、僕は共感したいんだ。貴女のような──美しい想いや、気高い心に」


 それが、今の彼にとって必要なもので、彼の願いだ。

 そして──その想いこそが魔法を作ると、彼は知っているから。

 だから、彼は王都にやってきたのだ。


 そのための縁が、今の彼にとって大事なものが、失われようとしているならば。

 自分はそれを手放したくないと、執着する。そうしたい。


「一つだけ訂正を。『私のことなんて、どうでもいいと思ってる』は心外だよ。僕は君がいなくなるのは、すごく、嫌だ。だから来たんだ、ここまで」

「……エル」


 いつの間にか、彼の口調も昔に戻っていた。

 けれどそこで、にわかに外が騒がしくなった。

 恐らく、侵入に気付かれたのだろう。どうやらもう時間がないらしい。


「……貴女の悩みや葛藤に、この場で答えを出すことはできません。だから一つだけ聞きます」


 気を引き締め直して、彼は問いかけた。



「貴女は、死にたいのですか?」

「っ!」



 あまりにも、根本的な質問。

 それを突きつけられた彼女は、先ほどまで以上に葛藤するように俯いて、けれど最後に。


「……いやよ」


 小さく、呟いた。


「死にたくなんて、無いに決まってるわ! やりたいことも、できてないこともいっぱいあるの! だけど……ッ!」

「その想いがあれば、今は十分ですよ」


 もう一度、彼は手を差し出す。


「まずは生きましょう。僕はかつて何もかも失ったけれど、生きていたから師匠に出会えました。それに」

「……?」

「自惚れでなければ──かつての貴女も、僕にこうしたかったのではないですか?」

「ッ!」


 その言葉に、彼女はおずおずと手を伸ばし。やがて、暖かな手が触れる。

 同時に強化汎用魔法で鉄格子の扉を切断。連れ出した彼女が、エルメスにもたれかかってくる。


「っ……その、ごめんなさい……ひどいこと、言って」

「謝罪は後で。まずはここを脱出しましょう」


 真っ赤な顔で呟いてくる彼女をしっかりと抱きとめ、出口の方向を見据える。

 騒ぎは更に広まっている。恐らく脱出時には凄絶な妨害が予想されるだろう。

 けれど、不安は欠片もない。何故なら──


「『本気でやっていい』と、公爵様からお墨付きをいただいたからね」


 今まで、人目の多いところではみだりに使うのをユルゲンから禁じられていた彼の魔法。

 彼がストックしていたもの。そして──王都に来てから新しく身につけたもの。

 その全てを存分に使えば、恐れることはない。

 そんな確信とともに、彼はカティアの手を引いて走り出した。

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