30話 本気

 ほぼ同刻、監獄施設の一室である客間にて。


「ふふ、ふはははははは!」


 銀髪の男の、高らかな笑い声が響いていた。


「ようやくだ! ようやくこのワシの栄達を邪魔する愚か者を処理できたわ!」


 男、ゼノス・フォン・フレンブリードの顔は見るのも憚られるほどの恭悦に歪み、なお足りぬとばかりに笑い声が加速する。


「カティア・フォン・トラーキア! 欠陥令嬢の分際で殿下に楯突く愚か者! あやつが無駄に抵抗し、クリスの無能も手こずったせいで随分と邪魔されてお叱りも受けたが──もうお終いだ!」


 彼女とエルメスの活躍で、直近最も不利益を被ったのがこの男だろう。

 元を辿れば彼の息子クリスが彼女を捕らえ損ねたことから全てが始まり、そこからまさかのエルメスの台頭。アスターからはカティアの件を責められ、周囲からはエルメスを追放した無能と罵られる板挟み。

 そんな状況からついに解放される。その喜びと皮算用で彼の頭の中は一杯になっていた。


「カティアを捕らえた功はこのワシのもの! 殿下の英断を誰よりも支えた忠臣として褒賞を受け、殿下が王となられた暁にあわよくば……ふふ、ふふふははは……!」


 脳内に浮かぶは薔薇色の未来だけ。得てしてそういう時このような人種は、安っぽい全能感に頭を支配されてしまうものである。


「──そうだな。しかしやはりあのカティアという女、このワシを散々苦しめてくれおって。……まだ牢屋にいるはずだな。ふん、溜飲を下げるために屈辱に歪む顔を拝むのも悪くないか」


 そして、余計なことも考えてしまうものである。


「あの女、ガキ臭いが見目が美しいことだけは認めてやっても良い。そのような女を嬲るのもまた一興! 何、カティアを捕らえた最大の功労者だ。このくらいは許されるべきだろう!」


 勝手な理論で勝手に納得し、向こうに居る者の逆鱗に触れたことも気付かぬままに、彼は扉を開けて。


「後はエルメスめが残っていたか……何、トラーキアの庇護を失ったあやつなど怖くはない! すぐに化けの皮を剥がして──」




「僕が、どうしました?」




 扉の目の前。

 穏やかな微笑み、けれど見るものが見れば分かる、先程の言葉を全て聞いていたことを確信させる感情を宿し。

 彼が、そこに立っていた。


「え、エルメスッ!? 何故ここに!」

「どうもお久しぶりです、父上」


 驚愕と共に飛び下がるゼノスに構わず彼は形式だけの挨拶を告げ。


「……父上。貴方にも、僕は恩があります」


 何も構わず一方的に言葉を続けた。


「思惑がどうあれ、貴方は僕を育ててくれた。7歳になるまではとても良く扱ってくれましたね。──でも」


 かつてパーティーでも見せた、零下の激怒をそこで表に出し。


「流石に今の言葉を聞いてしまうとね。──丁度良いので、貴方のところから突破させていただきます」

「……は」


 一方のゼノスは、エルメスの口上の間に彼の様子、そして彼が連れている少女を見て状況を把握した。

 どうやったかは不明だが、カティアを助けに侵入し牢屋から連れ出した。そして今、この建物からの脱出を図っている。


 ──正しい認識ができたのは、そこまでだった。


「ふはははははは! なるほどなるほど、美しい主従愛だ! そして──感謝するぞエルメスゥッ!」


 高笑いと共に、ゼノスは魔力を放出する。

 彼の感情も、彼が放つ魔力の底知れなさも、彼我の実力差にも一切気付かずに。


「よもや、カティアだけでなくお前までもを捕らえる功をこのワシに献上してくれるとは! ワシは本当に孝行息子を持ったものだぁ!!」


 魔力を高め、己の絶対の自信たる魔法を。クリスと同じく受け継いだ相伝の魔法を詠唱し。



「「【六つは聖弓 一つは魔弾 其の引鉄ひきがねは偽神のかいな】」!」



「……は?」


 そこで、違和感に気付いた。

 自分が高らかに唄い上げた詠唱。それが──何故今二重に聞こえた?


「おや、兄上から聞いていないのですか」


 呆けたゼノスを冷ややかな目線で見るエルメスは、そのまま右手を掲げて。


「術式再演──『魔弾の射手ミストール・ティナ』」


 顕現する。

 ゼノスのそれよりも圧倒的に多く、圧倒的に大きく──圧倒的に強い、魔弾の数々を。


「なッ──」

「では父上。……ありがとうございました」


 解き放つ。

 慌てたゼノスも一拍遅れて自分の魔弾を発射するが、一瞬の均衡すらなくエルメスのそれが全てを飲み込んで。


「ぐあああああああああああ!!!?」


 ゼノス諸共、監獄の壁を叩き壊したのだった。




 ◆




 外は案の定、異変を聞きつけた兵士たちで溢れかえっていた。


「あっちだ! 大音がしたぞ!」

「これは──まさか、壁を壊したのか!?」

「なんと強引な……!」


 轟音の元に集まった兵士たちが、すぐにエルメスたちを視認して捕らえようと包囲をかけてきた。


 倒さなければ突破は無理。そう瞬時に判断したエルメスは詠唱済みの『魔弾の射手ミストール・ティナ』を撃ち放つ。


「ぐッ!?」

「どうやら向こうは遠距離系の血統魔法の使い手だ! 結界系の血統魔法持ち、前に出ろ! 弾幕を防ぐのだ!」


 相手も流石は王都の監獄を任されるだけのことはある、瞬時にこちらの手札を看破して戦術を切り替えてきた。

 強力な壁で前面を守り、後方からの射撃戦で削る狙いだろう。シンプルだが確かにこうされれば成す術はない。


 ──エルメスの魔法が射撃だけなら、の話だが。



「【天に還り 終わりを告げよ 御心の具現に姿無き声を】」



 彼が唱えたのは、聞いたことのない詠唱。腕の中で目を見開くカティアに向けて、彼は短く声をかける。


「カティア様、しっかり掴まっていてください」

「え?」

少しばかり・・・・・急加速します・・・・・・。術式再演──『無貌の御使ルナド・サラカ』」

「──ッ!?」


 瞬間、宣言通り。

 恐ろしいほどの加速力でカティアを抱えて移動したエルメスが、盾役の魔法使いを一瞬で潜り抜けて今まさに攻撃を撃とうとしていた魔法使いの懐まで潜り込む。


「え──がッ」


 そして側頭部にハイキックを一閃。即座に意識を刈り取ると、また急加速。別の魔法使いも全く同じ方法で無力化し、それを何度も続けていく。


「な──なんだ、その魔法は!?」


無貌の御使ルナド・サラカ』。

 とある侯爵家の魔法だ。その効果は至ってシンプル、身体能力の強化のみ。

 しかし、故に強化の幅は極めて強力。加えて術式も比較的単純で、幾度か見る機会のあった彼が再現に成功した血統魔法だ。


「くッ──このままでは各個撃破で全滅だ! 皆の者、固まれ! 被害を抑えて様子を見るぞ!」


 そして、指揮官らしき人間の声が響く。

 素早い判断、彼は優秀なのだろう。多くの血統魔法の使い手と戦ってきた経験があり、その性質を見抜いて最適の対応策を取る術に長けている。

 ……だが、残念。


 彼らの戦術は所詮、血統魔法を一つしか・・・・・・・・・扱えない相手しか・・・・・・・・想定されていない・・・・・・・・



「【集うは南風ノトス 裂くは北風ボレア 果ての神風無方に至れり】

 術式再演──『天魔の四風アイオロス』」



 エルメスが、また別の血統魔法を詠唱した。


天魔の四風アイオロス』。エルドリッジ伯爵家の、暴風を引き起こす魔法。

 その強みは広い攻撃範囲、そして攻撃力では劣るものの膨大な風のエネルギー。

 そう──例えばあのように固まった陣形なんかは格好の餌だ。

 兵士たちは即座にばらばらに吹き飛ばされ、また各個撃破の戦術が再開できる。


「なぁ──!?」

「今度は風の血統魔法!? 何だ、奴は一体何をやっているんだぁ!」


 彼が何故これほど多くの血統魔法を再現できるようになったのか。

 答えは単純、見せてもらったからだ。主にトラーキア公爵家当主、ユルゲンの手引きによって。

 彼と交流のある家の魔法や、エルドリッジ伯爵家等の弱みを握って支配下に置いた家の魔法。

 それらを間近で観察し、多くのサンプルを集めたことで彼の血統魔法の再現精度は急速に上昇していた。


 そして、今見せているのがその成果。当のユルゲンによる制約から解き放たれた彼の強さ。

原初の碑文エメラルド・タブレット』を駆使し、数多の血統魔法を自在に切り替えて操る万能の魔法使いグランドマスターの姿だ。



「術式再演──『外典:炎龍の息吹ドラゴンブレス・オルタ』」

「術式再演──『救世の冥界ソテイラ・トリウィア』」

「術式再演──『外典:亀龍結界トータスシェル・オルタ』」



「すごい……」


 エルメスの腕の中で、カティアが頬を紅潮させて呟く。

 今の彼は、かつての彼が語っていた通り。

 どこまでも強く、驚くほど純粋で──憧れてしまうほどに自由な、魔法使いだった。


「な、なんなんだあいつはぁ!」

「これではまるで、かの『空の魔女』──いや、それ以上ではないか!」

「あ、悪魔! 奴は悪魔だ!!」


 既にエルメスの操る魔法の数々によって、心が折れてしまった兵士たちの叫びが木霊する。


「……悪魔ときましたか。公爵様の言う通り、魔法が全てと言っておきながら排斥しようとするんですね」


 それを聞いたエルメスがどこか酷薄な声色で呟いた、その時だった。



「何事だこれは!」



 流麗で良く通る声と、夜闇の中でもなお輝く金髪。

 どうやらアスターが駆けつけたらしい。王宮からここまでは距離があるが、カティアを見に向かっていた途中だったのだろうか。


「どうも殿下、お早いお着きで」

「エルメス……!!」


 即座にこちらを認めたアスターに声をかけるエルメス。アスターはこちらを忌々しげに見て怒りの声を漏らすと同時、烈火の魔力を立ち上らせる。

 どうやら向こうはここで始める気らしい、が。


「申し訳ございませんが、今殿下と事を構える気はありませんので」


 彼の血統魔法は強力無比。エルメスはその点に関して侮る気は微塵も無い。

 もしここで戦えば、勝敗はどうあれ長引くことは必至。その間に援軍でも駆けつけようものなら更に厄介になることは想像に難くない。

 何より現在の自分達の目的は、逃げて時間を稼ぐ事なのだから。


「は! 俺から逃げられるとでも思ったか!」

「……逆に返しますが、この状況を見てどうして捕まえられると思うんですか?」


 既に周りを囲む兵士たちは全員無力化した。アスターは当然周りの兵士たちと比べても段違いに強力な魔法使いだが、あくまで一人。血統魔法も純粋な火力型で小回りが効くほどの技術も持ってはいない。


 詰まるところ──逃げるだけなら、別段小細工など必要ないのだ。


「術式再演──『天魔の四風アイオロス』」


 まずは風の血統魔法を起動。アスターと自分達の間に竜巻を起こし、妨害と同時に砂煙で視界を遮る。


「なにっ」

「術式再演──『無貌の御使ルナド・サラカ』」


 そして身体能力を強化。後は全速力で後方に駆け出し、アスターの魔力感知の範囲外まで逃げるだけだ。


「くッ──貴様! ふざけるな! 逃げるな、戦え! この卑怯者がぁあああああああッ!!」


 まさか敵対している自分達がそんな文句を聞いてくれると思っているわけがないだろう。……いや、あの王子様なら案外思っているかもしれないが。どちらにせよ聞く理由は欠片もない。


 ともあれ、こうして。

 強引な冤罪からカティアを助け出すことに成功したエルメスは、そのままカティアと共に夜闇へと消えていったのだった。

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