28話 自分の想い
「…………え?」
カティアが捕まった。
執務室に呼び出され、ユルゲンから告げられたその簡潔な報告に、エルメスは一瞬固まった。
言葉を発したユルゲンの顔は、疲労を感じさせるものの動揺は少なくとも表面上には見られない。
ここ最近アスター派閥との対立が激しく、その対応に追われているのだろう。疲れを濃く滲ませた顔ながら、それでも落ち着いて続ける。
「曰く、『サラ・フォン・ハルトマンを魔法で攻撃し、高台から突き落として殺そうとした疑い』だそうだ」
「──そんなこと、カティア様がなさるはずがないでしょう」
「そうだね。だからこれはまず間違いなく冤罪だ。……恐らく、アスター陣営がカティアを合法的に捕らえるために演出した、ね」
「な──」
そこまで。
そこまでするのか、奴らは。
「攻撃したのもカティアじゃない。状況的に不意を突けたとしてもサラ君を傷つけられる魔法使いとなると限られる。恐らくだが、犯人はフレンブリード家のどちらか──ゼノス殿か、クリス君だろう」
「なら、魔力痕を調べれば冤罪が証明できるのでは」
「……残念ながら、それも難しい」
ユルゲンが、少しだけ苛立ちを滲ませた。
「サラ君はカティアが捕まった後すぐ、治療のためという名目で王宮に運ばれたそうだ。多分名目は嘘じゃない。何故なら──」
「治療の際に扱う魔法で、攻撃時についた魔力痕は上書きできるから」
「そう。アスター殿下は決して愚かじゃない。それくらいは見越してすぐに動ける治療士を用意しているはずだ」
「ッ──」
「……すまないね。法務の管轄であれば向こうの好きにはさせないんだが……私の力の届かないところで強引に証拠の隠滅を図ってくるとは」
そして、アスターはまた自分の声でそれを真実にするのだろう。
周りの貴族はあの時のように何も考えずアスターに同意し、カティアの名声は再度地に落ちる。
いや、それどころではなく。もう二度と反抗できないようにいっそ──ということも考えられるかもしれない。
……本当に、この国は。
「……他に、無実を証明する方法はないんですか」
「なくはないさ。幸いある程度の人目があった、地道に証言や物証を集め続ければどこかで綻びは見つかるだろう」
「なら」
「でも──それは時間がかかりすぎる。まず間違いなくそれより先に殿下はカティアを処罰──或いは、処刑するつもりだ」
「ッ! それなら時間を稼ぎます。いっそカティア様を強引に連れ出してでも──」
迷いなく提案するエルメスだったが、ユルゲンはそこで何故か黙り込み。
「……エルメス君」
ひどく真面目な顔で、問うてきた。
「君は本当に……カティアを助ける気があるのかい?」
「はい?」
当然だ、と間髪入れず答えようとするが。
「いやすまない、今のは聞き方が悪かった。……君に、カティアを助ける利点があるのか、という話だ」
「……どういう、ことでしょう」
「君がカティアに恩義を感じていることは知っている。でもね、正直それは側から見るともう十分に返し終わっていると思うよ」
「……」
「そして、これ以上進めば君は後戻りできないほどに巻き込まれる。……この王都の、闇にね」
ユルゲンがどこか遠くを──ここではない場所、今ではない時を思い出すような表情で。
「もう大方分かったと思うけど、王都はひどい場所だ」
かつて聞いたことのある言葉を、述べた。
「『魔法が全て』なんていうけど、実態はもっとひどい。多くの貴族は、今の心地良い立場を失うのを恐れているだけなんだ」
「……」
「自分たちは平民とは違う、それを最も分かりやすく説明するのが魔法だからそれに縋っているだけ。神に与えられたと信じ込んでいるものを解析も進化もさせず、定められた内側でひたすら足の引っ張り合い。さながら鳥籠の中の無間地獄だ」
これは少し格好をつけすぎたかな、と軽く苦笑して。
「──そして、『君の師匠』はそれにうんざりして王都を出ていった」
「!」
「英断だったと思うよ。正直、羨ましいとさえ思った」
やはり、ユルゲンは師匠の正体をもう確信しているのか。
「君はフレンブリード家から破門され、血統魔法も持たない。つまり王都に縛られる理由は『彼女』以上に持たないんだ。このまま留まり続けたら余計なことに巻き込まれ──きっと君の目的、『新たな魔法を創りたい』も遠ざかるんじゃ無いかい?」
「それは……」
「安心しなよ、カティアについても私がなんとかする。無罪の証明は難しいかもしれないけれど、処刑だけはなんとか回避してみせるさ。カティアもきっと、君を責めやしない」
彼の理由を一つずつ剥いで行って──そして最後に。
「……でも。それでももし、カティアを助ける理由があるのなら教えて欲しい。……悪いね、こちらとしてもこうなった以上、生半な覚悟を持った者を巻き込むわけにはいかないんだ」
期待を込めて、ユルゲンは語った。
「……」
エルメスは、彼にしては珍しくしばしの沈黙ののち。
「……確かに、王都はひどい場所です」
まず、ユルゲンの肯定から入った。
「短い間ですがよく分かりました。師匠が出ていくのも無理はないし、多分来たばかりの僕がこれを知っていたら同じことをしました。公爵様もきっと僕の何倍も酷いものを見て絶望してきたのでしょう」
「……」
「──でも、見限るのはまだ早い。今の僕は、そう感じたんです」
まずはカティア。彼女は魔法に縛られていない。血統魔法のことではなく、精神的な意味でだ。
後はサラ等その理念に逆らわずとも疑問を持つものだって確かにいる。
彼女たちがいるのならば──王都も、変わりつつあるのではないかと。
それに、思ったのだ。
「公爵様は王都を『鳥籠の中の無間地獄』と例えましたね。なら──
「!」
師匠譲りの不敵な笑み。
この王都生活の中で生まれた紛れもない本心を語ってから、彼は最後に。
「……まぁなんだかんだ言いましたが、カティア様を助ける理由でしたね」
何の気負いもない表情で、語った。
「──『僕が助けたいと思ったから』。これ以上の理由は、果たして必要でしょうか?」
「……は」
思わず、と言った調子でユルゲンは笑い声をこぼした。
「確かに、『君にとっては』この上ない理由だね。……随分と、わがままなことだ」
「でしょう? 師匠にもよく言われました、『お前ほんとに見かけによらないな』と」
「はは、確かに君見た目や物腰は無欲そうだもんね。でも、欲望のベクトルが他と違うだけ──か。思えば君は最初からそうだった。うん、だからこそ信用できる」
ユルゲンが、顔を上げる。
「分かった、君に賭けよう。君の言う通り、カティアの無実を証明するまでの時間が必要だ。正攻法を取っている時間はない、君の力で囚われているカティアを強引にでも救出してくれ」
「はい」
「それと……これは一つ、懸念事項なんだが」
首を傾げるエルメスに、神妙な面持ちで。
「話によると……カティアは捕らえられる際、驚くほど抵抗しなかったそうなんだ」
「え……?」
「無駄だと悟っていただけならそれでもいいんだが……場合によると、あの子自身の心にも何かがあったのかもしれない。ひょっとすると予想以上に手こずるかもしれないが……頼む」
最後にユルゲンはただ娘を想う父親の面持ちで、頭を下げて。
「これまでは君の力の影響を考慮してみだりに魔法は使わないよう制限していたが──それも解除しよう。『君が許す限り全ての力』を使って、なんとしてでもカティアを救い出して欲しい」
「! ……分かりました。必ずや」
こうして──最強の魔法を身につけた王都の怪物が、全能力でもってカティアの救出へと動き出したのだった。
エルメスが去った執務室の扉を、数秒見つめて。
ユルゲンは、ぽつりと呟いた。
「……眩しいなぁ」
なんの打算も、計算も含めることなく。かといって頭が回らないわけでもなく。
全ての利害を把握して尚──己の思いにだけ従って動く者。
それが、ユルゲンの見たエルメスという少年だ。
……本当に、眩しいと思う。
だってそれは、かつての自分たちにできなかったことだから。
「だから君はそれを次の世代に繋いだんだね、ローズ。……ならば僕も、その輝きに賭けてみることにするよ」
遥か昔の少年時代、後の妻シータと共に王都を駆け回った美しい友人の姿を思い浮かべてから。
ユルゲンも己のすべきことを為すべく、執務机から立ち上がったのだった。
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