25話 アスター

 エルメスとカティアの活躍は、その後も徐々に広がりを見せていった。


 貴族の中でカティアを再評価する声が高くなっているのはこれまで通りだが──同時に注目されているのは、エルメスの存在だ。

 あのパーティーでアスターが大々的に身分を明かしたのも大きかったのだろう。カティアの横でどう見ても血統魔法としか思えないほど強力な魔法を振るう従者と、かつて侯爵家を追い出された天才少年を結び付けたものは少なくなく。

 カティアを褒め称えるのと同じ、或いはそれ以上に大きく、こういう台詞が囁かれるようになっていたのだった。


「あの少年は、やはり噂に違わぬ天才だったのだ」

「その身に宿した才が大きすぎて、覚醒まで時間がかかってしまったのだろう」

「そもそもわずか10歳で家を追い出すなどやりすぎにも程がある。フレンブリード侯爵はどうやら真に才を見抜く目を持ち合わせていなかったらしい」

「元は公爵、国の創生より貢献した魔法の名家であったのに。全く落ちぶれたものだ──」




「──などと、本質を見据えぬ貴族どもはほざいているわけだが」

「で、殿下……」


 そんな噂の対象となっているフレンブリード家当主は今、息子でありエルメスの兄であるクリスと共に。

 王宮の一室、上座に腰掛けた第二王子アスターの不機嫌そうな目線に晒されていた。


「お前達は違うだろう? よもやお前達までエルメスを追い出したことは間違いだったと思っているわけではあるまい?」

「も、も、もちろんでございます殿下!」


 ゼノスが、エルメスを追い出した時よりも老け込んだ顔で平伏せんばかりの勢いとともに肯定する。


「あのエルメスめは、紛れもなく血統魔法を持たぬ出来損ない! 早々の追放を決定なさった殿下こそが正しく! カティア嬢と同じく何か怪しげな手法に手を染めているのに間違いございません!!」

「そうだな。なら──なぜここまでふざけた噂が広がっている?」

「ひッ」


 だが、冷酷な声での更なる問いに全ての言葉を封印される。


「加えてそこの、貴様の隣で縮こまっているクリスは俺がカティアを捕らえよと命じた際、そのエルメスに追い返されて無様にも逃げ帰ってきたのだろう?」

「で、殿下!? 何故それを──」

「ほう、やはりエルメスだったか。そしてお前はエルメスと知っていて俺にそれを隠したと」

「ッ!!」


 かつて愚かなプライドから虚偽の報告をしたクリスが恐怖の極まった表情で頭を伏せる。


「自らの誤ちすら認められないとは器が知れるな、クリス・フォン・フレンブリード」

「申し訳ございません! 申し訳ございません!」

「あれはエルメスのことだったのか!? ッ、この、バカ息子がぁッ!!」

「貴様もだゼノス・フォン・フレンブリード。カティアとエルメスが行っている邪法の正体を暴いてこいと命じたはずだぞ、何故何の成果も挙げられていない」

「ひ、ひぃいいいッ!!」

「ち、父上こそ!」


 よりにもよってかつて追い出したエルメスの代わりに次期当主と据えたクリスが当のエルメスに負けた。

 その事実を知ったゼノスが激昂と共にクリスの頭を殴打するが、アスターの指摘を受けて震え上がり、そこにクリスがここぞとばかりに自分を差し置いて揚げ足を取る始末。

 そんな眼前の醜い争いには欠片の興味も示さず、アスターは一人呟く。


「……ああ腹立たしい、この国にはあまりにも無能が多すぎる。どうして俺の指示を誰も満足に実行できない。どうして俺の邪魔をするものがこんなにも多い。どうして自分の方が優れていると増長する連中が後を絶たない!」


 そしてアスターは、絶対の確信を持ってその言葉を言ったのだった。


俺より優れた人間など・・・・・・・・・・いるはずが・・・・・ないだろうが・・・・・・──!!」




 ◆




 魔法国家ユースティア、魔法による封建制度を礎とした国の頂点に位置するユースティア王家。

 アスター・ヨーゼフ・フォン・ユースティアは、そんな王家の第二王子として生を受けた。


「おお、この子は天才だ!」


 アスターを抱き上げ生誕を祝い、続いて生まれた子の簡単な魔力測定。それを終えたのちの父、つまり国王の言葉は純粋な喜びに溢れていた。


「なんと膨大で鮮烈な魔力! 間違いない、この子は王家を代表する魔法使い、英雄王子となるだろう!」


 そんな国王の期待を読み取ってか、或いは周りの人間による打算か。

 アスターは王族としても過剰なほどに甘やかされる幼少期を過ごし──それに相応しく我儘な幼き暴君として成長した。

 それでも通常ならば、どこかの時点で自分より上の人間に出会い、鼻っ柱を折られることで多少なりとも矯正がなされるだろう。


 だが、アスターは紛れもなく天才だった。

 教師の教えもすぐに吸収し、記憶力も身体能力もずば抜けており、魔力も順調かつ凄まじい速度で何をせずとも成長した。

 いくら我儘放題に振る舞おうとも、それを叩ける人間が立場的にも実力的にもいなかったのだ。

 ひいては家庭教師すらわずか4歳の時に魔力の真っ向勝負で叩き潰し、それを契機に彼の増長は尚も加速していった。


 けれど、そんな彼にも初めての挫折が訪れた。


「なに? おれより魔法の才能があるやつがいるだと?」

「あ、あくまで可能性でございます! けれどその当主が随分と自慢していらっしゃる様子だったので……」


 王宮で働く人間の一人から、そんな噂を聞いて。当然彼は一笑に付した。


「そやつの名前は?」

「ええと確か、フレンブリード侯爵家の……エルメス、だったかと」


 面白い、この目で確かめてやろう。

 丁度その噂を聞いた数日後、フレンブリード侯爵がエルメスを連れて王宮にやってくると聞いたアスター。

 彼は意気揚々と、この世には上には上がいるんだぞと教えてやるべく、訪れたエルメスに気付かれないよう後ろから歩み寄り、彼を見て。





 勝てない、と思った。


 



 なんだ。

 なんだあれは。

 あんな膨大で、純粋で──美しい魔力を持つ人間がいるのか。しかも、同い年の少年で。


「ありえない。ありえるわけがない……!」


 即座に自室に戻り毛布を頭から被ったアスターは、ベッドの中で震えながら呟く。

 これまで自分こそが世界で一番の魔法使いだと思っていた彼は、まさしく世界が粉々になるかのような衝撃を味わったのだった。


 認めるわけにはいかない。認めてしまえば自分が壊れる。

 そう直感した彼は、されどもう一度確かめる勇気も持てず。

 翌日から必死になって訓練を繰り返し、周りが絶賛する速度で成長したもののあの怪物に勝るイメージはまるで湧かず。


 どれほど、どれほど頑張っても届かないように思え、やがては生まれてこの方したことのなかった努力の辛さに心が折れて。

 ついには認めざるをえないように感じた。

 あのエルメスという少年は、自分よりも才能がある魔法使いだと。

 けれど、そんなもの受け入れるわけにはいかなくて。

 だから彼は思った。


「間違いだ。何かの間違いに決まっている! このおれではなく他のやつが世界一の魔法使いだなんて──!!」




 そんな彼の願いに応えるかのように。

 7歳の時、エルメスが血統魔法を持たない──つまりこの国で言う『無適性の出来損ない』であることが判明した。




「は、はは、はははははははははは!!」


 やっぱりだ! やっぱりそうだった!

 あいつは高い魔力を持つ代わりに、血統魔法を持って生まれてこなかった。ならば魔力などなんの役にも立たない。

 つまり──あいつは魔法使いなんかじゃない。この自分が一番だ!


 そして、ようやく彼は疑いようもなく確信した。

 自分は、誰よりも勝る世界で最も優れた人間、神に真に選ばれた人間だ。

 自分は間違いなどせず、誰もが自分に傅き、自分の手でこの国を、この世界を導くべく生まれてきた存在。


 自分こそが、この世界の主役だと。


 一度壊れかけたからこそ、その思考は強固に固まった。最早誰にも変えることは叶わないほどに。




 ある日、家庭教師の一人から道徳の授業で教えられた。

 英雄とはどのような人物か。高潔さとはどのようなもので、正義の人とは何たるものなのか。


 なるほど・・・・ならば自分こそが・・・・・・・・そうであるに違いない・・・・・・・・・・


 何故なら自分はそうあるように選ばれた存在だから。

 何をせずとも、何を変える必要もなく、自分は正しいものを知り間違ったものを正し。

 悪を滅し正義を為す、高潔な、英雄だ。


 だから、カティアを婚約者としたのは自分の隣に立つに相応しい優れた公爵令嬢だからである。

 断じて、自分に敗北感を・・・・・・・味わわせたエルメス・・・・・・・・・と仲が良く・・・・・腹いせに奪ってやろう・・・・・・・・・・と思ったからではない・・・・・・・・・・


 だから、カティアとの婚約を破棄しサラを迎え入れたのはカティアの魔法に問題があったからである。

 断じて、指摘の多いカティアの・・・・・・・・・・性格が鬱陶しく・・・・・・・従順なサラの方が・・・・・・・・外見的にも性格的にも・・・・・・・・・・好みだったから・・・・・・・などという・・・・・低俗な理由ではない・・・・・・・・・


 だから、カティアを捕らえさせようとしたのは彼女が事あるごとに完璧な自分に楯突き、国を乱そうと目論んでいるからである。

 断じて、この自分に捨てられた・・・・・・・・・・にも関わらず微塵の・・・・・・・・・執着も見せない・・・・・・・ことに腹が立った・・・・・・・・からではない・・・・・・


 そう信じ込み、それを真実だと疑わずに突き進み。

 それで、今まで全てがうまくいってきた。だから何も間違いではない。

 故に、今回も。


「……思いついたぞ」

「え……?」

「な、何がでしょう、殿下」


 アスターに罰せられる恐怖から逃れるように喧嘩を続けていたフレンブリードの父子がおずおずと声をかける。


「そもそも、奴らが自由に動けているのはあの古狸──トラーキア公爵が俺たちの行動を邪魔しているからだ」

「そ、そうですね。奴らを捕らえようとしても法務大臣の権限を振りかざしてきます」

「『罪状がなければ動けない』の一点張りですな。全く腹立たしい……」

「ならば、その罪状とやらを用意してやろうではないか」


 フレンブリード父子が一瞬固まり、やがて意味を理解して問いかける。


「そ、それは……カティア嬢に冤罪を着せるということですか……?」

「冤罪ではない。そもそも奴らに罪があることは間違いないのだ」


 アスターが徐に立ち上がって力説を始める。


「だが、小賢しいことに奴らはそれを隠し通し、愚かな貴族どもはそれに騙されきっている! ならば敢えて奴らの土俵に乗ってやろうではないか! 貴族どもは愚かだが、それでもこの国を支える臣民。パーティーの件と同じだ、彼らには時に真実にたどり着かせるために虚偽、演出も必要なのだ!」

「お、おお……」

「小賢しさだけで勝った気になっている連中に見せてやるのだ。貴様らのような悪知恵ではない、真に優れた者の策略というものをな!」


 そして先ほどまでの不機嫌な顔を一転、己の思いつきに酔うように不敵な笑みを見せて。


「貴様らにも協力してもらうぞ。貴様らは真実が見えている分、他の貴族よりは幾分かマシだ。今回の失態で失った俺の信頼、見事取り戻してみせよ!」

「は、はいッ!」

「誠心誠意、務めさせていただきます!」


 エルメスとカティアは、何かしらの邪法に手を染めて力を得ている。

 だって自分より優れた・・・・・・・魔法使いなど存在せず・・・・・・・・・・そう見える人間は必ず・・・・・・・・・・致命的な欠陥を・・・・・・・抱えているに・・・・・・違いないから・・・・・・

 かつてのエルメスが、無適性だと判明したように。


 そんな誰よりも強固な思い込みと、それを盲目的に信じる者たちの手によって。

 これまでと同じように、アスターの都合が良い結末を手繰り寄せんとする動きが始まったのだった。




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