12話 昔みたいに

「……予想外のことになったなぁ」


 カティアの父親ユルゲンとの話し合いの結果、トラーキア家で働くことになったエルメス。


 あの後、詳しい条件等の細かな話し合いが行われたが──取り立てて彼の意に沿わないことは言われなかった。

 強いて挙げるならば、彼の『原初の碑文エメラルド・タブレット』の力をみだりに使用するのを禁じられたくらいだろうか。少なくとも血統魔法を大勢の前で再現するのは、貴族社会に与える影響が大きすぎる、どころかエルメスにすら危険が降りかかりかねないから今はやめたほうが良いとのこと。

 王都を良く知るユルゲンの言葉だ、従っておいた方が良いだろう。もとより彼が血統魔法を見る最大の目的は解析だし、さして問題はない。


 続いて話したのは、カティアが今日遭ったクリスからの逃走劇。後ろにアスターの命令があったことはわざわざクリスが話してくれたので、王族とは言え秩序を無視してそのような命を下したことに関してはきちんと法務大臣であるユルゲンが抗議してくれるそうだ。

 一先ずはそれで向こうの動きも収まるだろう。危険が降りかかる可能性もゼロではないが、その辺りはエルメスが護衛としての仕事を十全にこなせば良い話。


 ともあれこうして、立場は使用人とは言え名門公爵家の下につくことができた。加えて当主ユルゲンもエルメスの目的に対する可能な限りの協力を約束してくれた。

 とりあえず王都に着いたら適当な日雇いでお金を稼いで、ある程度貯まったら騎士団の平民採用枠に潜り込み──くらいのルートを考えていた彼にとっては良い方向に想定外のジャンプアップである。


 使用人兼護衛としてエルメスに与えられたのは先ほども案内された客室の一つ。ここを丸々自室として使って良いらしい。

 まさか王都での生活初日で布団で寝られる、どころか最高級の衣食住を保証してもらえるとは思わなかった。


 夜、そんな部屋のベランダで、ここまで約半日の道のりを振り返ってエルメスは呟く。


「とにかく、カティア様に感謝だ」

「──あらエル、居たの」


 すると噂をすればなんとやら、だろうか。ベランダの向こう側からカティアが歩いてきた。


「丁度いいわ。もう少し話そうと思っていたところだったし」


 彼女の装いは先ほども見た簡素なドレス。

 部屋着に近いものなのだろう、特殊な装飾はさほどないがそれでも彼女が着ると最高級品のように見えるから不思議だ。

 何せ元の素材が抜群に良い。控えめな色合いも彼女の髪や瞳の鮮やかさを引き立て、夜空に溶けるような幻想的な美しさを醸し出していた。


 しばし視線を固定しているのを不思議に思ったか、カティアが顔を傾ける。


「どうしたの、何か変なところでもあった?」

「ああいえ、むしろ逆です。……改めて、お綺麗になられたなと思いまして」

「んな」


 わかりやすく彼女の頬が朱に染まった。


「あなた、しばらく見ないうちに随分……と言おうと思ったけど、そう言えば昔から褒めるときは素直だったわね……」


 顔に手を当てて俯きながら自己完結したかと思うと、じとっと半眼を向けてくる。


「というか。ずっと聞きたかったんだけど……何、その口調」

「口調?」

「そうよ、昔と比べると随分よそよそしいじゃない。……カティ、って呼んでくれないし」

「いや、それは」


 流石にまずいだろう、と判断しての常識的な対応のつもりだったのだが。


「僕はもう平民ですし、今は貴女の使用人、従者になりましたし……流石に昔のままは体面上良くないかと」

「じゃあ二人だけの時は戻して」

「え」

「体面を気にしない場所ならいいんでしょう? 従者って言うなら主人の言うことは聞きなさいよ」


 こちらを見ないまま矢継ぎ早に要請が繰り出される。

 ……良く分からないが、断るほどのものでもないので。


「分かったよ、カティ。……これでいいかい?」

「い、いいわ」


 ぴくりと肩を軽く震わせてから、ようやくこちらを向いてくれた。

 少し緩んだ表情と、その頬に残る赤みの残滓は指摘しない方が良いだろう。


「うーん……でも慣れないな。丁寧じゃない口調で話すのは何年振りだろう」

「えっ、そうなの?」

「そうだよ。あの後はずっと僻地で師匠と二人暮らしだったからね」


 だから、昔のような口調で話すのはそれこそ別れた時以来、5年振りになるだろうか。

 確かにこれは、懐かしさがある。

 カティアが興味を持ったようで、身を乗り出して問いかけてきた。


「その師匠って、どんな人だったの?」

「んー、さっきも言った通り身分とか名前とか詳しくは話せないんだけど……」


 まあ、人となり程度なら良いだろう。


「ざっくり言うと、ダメ人間かな」

「だ、ダメ人間?」

「そう。本当に魔法以外一切興味ないって感じの人でね。基本的な生活のお世話は全部僕がやってた。3日ぐらい一切入るな、って僕を研究室から締め出して、3日後入ったら脱水症状で死にかけてたのには流石に呆れたなぁ」

「そ、それはとんでもないわね……」


 思えばあれから師のエルメスに対する溺愛と生活面での依存が加速したように思える。

 その後もいくつかローズのダメエピソードを公開し、最後に。


「でも、魔法に関しては本当にすごかった。今までも、多分これからも、僕にとって世界一の魔法使いは絶対師匠だって言えるくらい」


 穏やかに、けれど揺るぎなく彼の中の真実を語る。


「……そう」


 それを聞いたカティアは、どこか寂しそうに笑って。


「あなたは、その人に救われたのね。──私じゃなくて」

「? 師匠にも、だよ。師匠に出会う前の僕を繋ぎ止めてくれたのはカティだ」

「そうじゃないんだけど……まあ、今はそれでいいわ」


 それからぽつぽつと、いくつか懐かしい話をして。


「──そう言えば」


 ふと気になって、エルメスは問いかけた。


「カティはこの5年間、どうしてたの? アスター殿下の婚約者だから、やっぱりそれ関連で色々あったりしたのかな」

「っ!」


 瞬間、彼女の体が強張った。


「か、カティ?」

「……そうね。色々あったわ」


 今までとは違う雰囲気で、カティアは語り出す。


「ねぇエル、気づかないかしら?」

「え?」

「いくら幼馴染で使用人とは言え、同い年の殿方とこんな時間に二人になったりしないわよ。──婚約者がいるなら、ね」

「──」


 明確な予感。

 それが形を取る前に、決定的な言葉となって彼女の口から放たれた。


「そうよ。つい先月、婚約破棄されたの。……今の私は、ただの捨てられた令嬢に過ぎないのよ」




 ◆




 同刻、王宮の一室にて。


「お許しください、お許しください殿下ぁっ!」


 銀髪翠眼の青年、クリス・フォン・フレンブリードの情けない声が響いていた。


「黙れ。誰が口答えを許した?」


 それを断ち切るのは、美麗で自信に満ちた、けれど今はどこか不機嫌そうな声。


「俺はカティアを捕らえよと命じ、それを成すに十分な戦力も与えてやった」

「ひッ」

「なのになんだ? それをお前は、どこの馬の骨とも・・・・・・・・知れぬ魔法使い・・・・・・・に邪魔されて失敗した、だと?」


 声の威圧に負け、クリスは何も言えずに縮こまる。

 正しく言えば、邪魔されたのはどこの馬の骨ともしれぬ魔法使いではない。紛れもなく彼の弟だった人間だ。

 けれど、彼のなけなしのプライドがその事実を認められず。

 やむなく、更なる叱責を覚悟の上で自らの邪魔をした者の正体をぼかしたのだ。


 ……最も、仮に正直に開示していても沙汰は変わらなかっただろうし。

 加えて、隠してしまったことで後々更に酷い目に遭うことを今の彼は知らない。


「カティアは間違いなくこの国にとって害になる」


 そんな彼の小さな打算に構わず、声の主は続ける。


「奴は事あるごとに俺の覇道を阻もうとした、だから婚約を破棄した。それを諾々と受け入れていればいいものを、認められず更なる暴挙に出る始末」


 自信に満ちた──より正しく言えば、自らを疑うことをそもそも知らない者の声。


「あれを野放しにしておけば、間違いなくこの国に災いをもたらすことになる。だから捕らえる。……と言うのに頭の硬い老人どもは、未だ罪に問われてはいないから罪状を出せないと抜かした。俺の先見が分からんとは、これだからこの国は発展しないのだ」

「そ、その通りでございます殿下!」


 このプレッシャーの中の無言に耐えられなくなったクリスが叫ぶ。


「殿下こそは誠に完璧な英雄たるお方! 殿下の判断が間違いだったことは一度もございません! 地位と権力にしがみつくだけの醜い老人が殿下の道を阻むなど──」

「露骨な持ち上げはやめろ、不快だ。俺の格まで疑われる」


 だが、それも不機嫌そうに一蹴して。


「……ふん、まあいいだろう。皆が俺のように完璧に、間違うことなくできるなどと思ってはいけないな。これもきっと下の失敗を許容する王の器を神に試されているのだろう」


 平謝りするクリスを一瞥し、背を向ける。


「カティアを追うのは一旦やめだ。まずはお前の邪魔をしたという魔法使いを調べろ」

「はっ……は、はい」


 早速今しがた隠したことのツケが回ってきそうで冷や汗をかくクリスを他所に。

 声の主──アスター・ヨーゼフ・フォン・ユースティア第二王子は、悠然とした足取りでその場を去るのだった。

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