11話 トラーキア家

 その後、エルメスはレイラの案内に従って客室の一つを貸し与えられた。


 カティアは汚れてしまった身だしなみを整えたりエルメスのことを説明したりするのに少々時間がかかるらしく、その間広い客室で手持ち無沙汰になってしまった。

 けれど、丁度良いと彼は先ほどの詠唱を繰り返す。

 そして魔法が起動。翡翠の板が眼前に現れた。


 現在その文字盤の表面に書かれているのは、先刻再現したばかりの血統魔法、『魔弾の射手ミストール・ティナ』の情報だ。

 あの時は咄嗟の再現だったため時間がなかったが、今改めてそれをゆっくり見てみると──


「──やっぱり、血統魔法は綺麗だ」


 感心したように、憧れるように呟いた。

 組み上げられた緻密な術式に、何層にも重ねられた魔力回路。

 やはり血統魔法は汎用魔法と比べると構造の幅が桁違いだ。いくつもの魔法的要素が複雑に絡み合って、たった一つの素晴らしい効果に集約される。

 さながらそれは、多様な楽器が個性を発揮して奏でる大合奏オーケストラのようで。


(……こんな魔法を、僕も──)


 己の目的を改めて再確認しようとしたところで、唐突にノックの音が響いた。


「エルメス様、よろしいでしょうか?」


 扉を開けてこちらを伺ってきたのは、先ほども案内してくれたメイドのレイラだ。

 魔法を消して、大丈夫だと返答。

 するとレイラは入り口で穏やかに一礼して、こう言ったのだった。


「お待たせ致しました、カティア様、そして当主のユルゲン様が是非ともお話ししたいとのことです。応接室に案内いたしますので来て頂けますか?」




 ◆




 応接室の、重厚そうな扉をレイラが開く。

 その先、手前のソファーに座るのは簡素なワンピースに着替えたカティア。

 そして、奥のソファーに座って穏やかな、けれどどこか値踏みするような眼光でこちらを見る男性。

 丁寧にセットされた紫髪にカティアと共通する紫水晶の瞳。やや切れ長の顔立ちにフレームの細い眼鏡。

 理知的で、想像以上に若い印象を受けるが──彼がユルゲン・フォン・トラーキア。カティアの父親であり、トラーキア家の現当主だ。

 そんなユルゲンがエルメスを認め、口を開く。


「やぁ。久しぶり──と言えばいいのかな、エルメス君。大きくなったね」

「……はい。閣下は思った以上にお変わりなくて少し驚きました」


 幼少期に家同士の交流があった以上、エルメスは当然ユルゲンとも面識がある。その時からの率直なイメージを伝えるとユルゲンは苦笑を返した。

 カティアに勧められてソファーの隣に着席する。


「話は大体娘から聞いたよ。……まず、カティアの窮地を救ってくれた事に礼を言うべきだね。ありがとう」

「い、いえ! そんな!」


 立場の高い人は軽々に頭を下げてはいけない。それにも関わらず礼を言うべきところではきちんと言う。幼少期はユルゲンのそう言ったところに好感を抱いた覚えがあるし、それは今でも変わっていないらしい。


「それで、その時の魔法の腕を見込んで君を護衛として雇いたい、とカティアは言っていたけれど……そのためには、いくつか確認しないといけないね。まずは──」

「エル、悪いけれどあなたの魔法を起動してくれるかしら。今、ここで」


 ユルゲンの言葉をカティアが引き継ぐ。よく分からないが、それが必要らしい。


「……【くて世界は創造された 無謬むびゅうの真理を此処に記す

    天上天下に区別無く 其は唯一の奇跡の為に】


 先ほどの客室に引き続き、幻想の文字盤を起動した。


「綺麗だね。その魔法、銘は?」

「『原初の碑文エメラルド・タブレット』です」

「……うん、聞いたことも、見たことも無い魔法だ」


 少しばかりの驚きの表情でユルゲンが頷きつつ、質問を続けてくる。


「それは、どうやって手に入れたの?」

「ある人に教わりました」

「その人は誰? この国の人?」


 来た、と思った。


「……申し訳ございませんが、お答えできません」


 王都に行く上で、彼の師ローズと交わした約束。

 そのうちの一つが、『ローズに関わることは話さない』だった。


「……へぇ」


 返答を受け、ユルゲンの目が細まる。



「『トラーキア公爵家当主』が質問してるんだけど。それでも?」

「っ!」



 突如、ユルゲンから感じる圧力が急激に重くなった。


 ……その穏やかな物腰から忘れがちになるが、彼は紛うかたなき名門公爵家の現当主。加えて王宮では法務大臣も務めている。

 この国でその地位につくためには、高い才覚と能力、そして魔法の力が必要不可欠だ。

 そんな、実力と権力を兼ね備えた傑物の威圧プレッシャー。並の貴族子弟ならとうに口を割る、カティアですら冷や汗をかくほどの圧力を受けて、それでも彼は。


「はい。お答えできません」


 泰然と、答えを繰り返した。


「それは、私よりも地位が上の人間から口止めされてるから?」

「いえ、それほど強く口止めはされませんでした。ですが……最も尊敬する師との約束を破る弟子には、なりたくないのです」


 ローズは、血統魔法を扱うことや口ぶりからも分かる通りこの王都と深い因縁がある。

 ならばここでみだりに師のことを明かせば、自分だけでなく師にも迷惑がかかることは想像に難くない。

 そのような真似をするならば今すぐ王都を出る。そんな思いを込めてエルメスは真っ直ぐに視線を返した。


「……うん、いいね」


 そんな彼をユルゲンは感心したように見つめ、話を変える。


「じゃあ、それは一旦置いておこう。次にその魔法の詳細について。

 カティアから聞いた話によると、君はその魔法の効果によって、クリス・フォン・フレンブリードの扱う『魔弾の射手ミストール・ティナ』を使用した。その認識で良い?」

「はい」

「じゃあその魔法の効果は──『血統魔法のコピー』なのかい?」

「厳密にはコピーではありませんが……見た魔法を再現する、という意味ではそうです」

「……本当にそうなのか」


 先ほど以上にユルゲンは驚きの気配を声に混ぜる。


「その『再現』に制限なんかはあるのかい? 例えば一度の魔法につき一回だけとか、絶対数に限りがあるとか」

「? どちらも無いです。一回再現した魔法は覚えていればいつでも扱えますし、別の魔法を覚えたら使えなくなるようなこともありません」

「──!!」

「嘘、そうなの!?」


 今度はユルゲンだけでなくカティアまでも本気の驚愕を見せた。

 彼の『再現』は無条件でコピーするのではなく、言うなれば魔法の作り方そのものを覚える類のものなので、言われたような制限は当然ない。


 しかし、そこまでの反応はエルメスにとっても予想外だった。

 確かに自分はこの魔法に自信こそ持っているが、流石に血統魔法界の頂点である公爵家がそこまで驚くのは過大評価しすぎでは無いだろうか、と考える。

 実際は、彼自身血統魔法の方を過大評価している節があるので若干的が外れていたりするのだが。


「あ、でも! 当然血統魔法ほど複雑だと再現はすぐにはできません。幼い頃から見ていた『魔弾の射手ミストール・ティナ』が例外だっただけで、他の血統魔法の再現だと相応に時間がかかってしまうと思います」

「いや、それでも十分とんでもないわよ……」

「……そうだね。つまるところ彼は、魔法を再現すればするほど扱える魔法が無制限に増えていく、ということになるんだから……」

「いえ、理論上はそうですがそこまでにどれだけ時間がという話でして……」


 その後も頑張って過大評価をやめさせようとするが二人の表情は変わらず。


「……これは、下手すると貴族社会が根底からひっくり返るぞ……カティア、彼を捕まえたのは正解だよ。良くやった」

「私もここまでとは思いませんでしたわお父様……」


 最終的に、割ととんでもない評価に落ち着いてしまった気がする。




「……では、最後の質問だ。君がこれほどの魔法使いであると分かった以上慎重に聞かなければならないね」


 そして、空咳を一つ入れて居住まいを正し、ユルゲンが厳格な雰囲気を取り戻して問いかけた。



「君の目的は、なんだい?」



「目的……ですか?」

「そうだ。これほどの力を持つ君が、どうして王都に戻ってきたのか。それを知らないことには、君をこの家に置いておくことはできない」


 普段なら、ここまで踏み込んだ質問をすることはないだろう。

 だが、彼の持つ力が力だ。それに──


「君がなぜカティアを助けたのか、それも不可解だ。彼女の話では、あの時君は一切詳しい背景を知らないままカティアを助けたそうだね」

「それは……」

「貴族的な常識からすると、あまりに不自然だ。極論、君が兄君と一芝居打ってカティアを騙し、トラーキア家に取り入ろうとしている、ということも考えられる」

「!」

「お父様、それは──!」

「報酬はフレンブリード家への復帰かい? そう考えれば辻褄は合うどころかそれが最も自然だ。むしろ、その疑いがあるというだけでこちらは君をここから追い出す理由足るんだよ」


 いかなる虚偽も見逃さない。

 そう言わんばかりの眼光と言葉、そして先程以上の威圧をぶつけてくるユルゲン。


「……そうですね。ではまず、僕の目的から」


 その疑念は公爵家当主として、そして娘を心配する父親として当然だと思う。

 だからエルメスも、偽らざる己の内を話すことに決めた。


「僕の目的は、自分だけの魔法を見つける……これは少し迂遠ですね。僕は、自分で魔法を創りたい・・・・・・・んです」

「魔法を……創る?」

「はい。多くの魔法を再現し、その理念を理解し──その先に、僕だけの固有魔法オリジナルを。血統魔法と同じかそれ以上に素晴らしく、美しい魔法を自らの証として生み出したい」


 贋作者ではなく創造者に。演奏家ではなく作曲家に。それこそが彼の願いだ。


 多くの魔法を再現するのは、彼にとっては過程に過ぎない。

 それを元に魔法が生み出される過程を理解し、己の魔法を見つけ、生み出す。

 だからこそ彼、そして彼の師ローズは『原初の碑文エメラルド・タブレット』を『種』と呼ぶ。数々の魔法を肥料とし、固有魔法オリジナルの花を咲かせるための媒体なのだ。


「……途方も無い話だ。だが、君のその魔法があれば不可能ではないかもしれない」

「ありがとうございます。それで、カティア様を助けた理由ですが……」


 実のところ、これは完全に成り行きだ。

 比較的強く恩義を感じているカティアの味方をしたくなった心情が、自分の中では一番大きい。

 だが、それだけでない理由を挙げるとするならば──


「──『巻き込まれる必要なんてない』。そう仰ったんです」


 そう、あの時。

 誰がどう見ても劣勢で、間違いなく誰かの助けが欲しい状況だったのにも関わらず、彼女はエルメスを遠ざけようとした。

 その時に思ったのだ。……ああ、この人は変わっていない。かつて自分に声をかけてくれた優しい女の子のままなんだと。


「そんなお方が罪人と呼ばれるのは、きっと何かの間違いだと。そう思いたかったから助けました。僕の判断の方が間違っていたとしても、問答無用で連れ去ろうとするのはおかしいだろうと。……理由としては、弱いでしょうか?」

「弱いね。というか甘い。そのような一時の印象で行動を決定するのは短絡的と言わざるを得ないよ」


 本心からの理由だったが、ユルゲンはそれをばっさりと切って捨てる。


「……でも」


 しかし、不意にその表情を優しげなものに変えて。


「そこまでカティアを信じてくれる人がいるのは、父親としては素直に嬉しいよ。それに、自分が間違っている可能性をきちんと考えた上で行動したのならば、一概に責めようとは思わない。誰しもミスは犯すものだしね」


 そこでユルゲンも威圧を解き、最初の穏やかな雰囲気に戻る。


「さて、長々と聞いて悪かったね。それで、カティアが君を雇う件だけれど……うん、いいよ」

「!」

「むしろこちらからお願いしたい。君のような人が娘を守ってくれるのならば、こちらとしても安心だ。カティアもそれでいいかい……カティア?」

「……はっ、はい!?」


 何やら返答がおかしかったので横に目を向けると、何故か顔を真っ赤にしたカティアがいた。


「えっと、エルがそんな風に思ってくれ……ではなく! エルの雇用許可をくださりありがとうございますお父様! これでエルが四六時中私のそば……で護衛をするということでよろしいですね!」

「……うん、気持ちは分かるけれど。公爵家の娘としてはもう少し感情を隠すことも覚えようね?」


 ともあれ。

 こうしてエルメスは、トラーキア家の使用人兼カティアの護衛として王都での就職先が決定したのであった。

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