10話 5年の月日

「撒けた……んじゃないかしら」

「そうみたいですね。こちらに向かってくる魔力反応はもうありません」


 クリスを含めた追っ手が一人残らずこちらを見失ったことを、双方共に確認する。

 そうしてようやく、カティアが荒い息を吐きながらその場に座り込んだ。


「だ、大丈夫ですか?」

「……平気よ……ただちょっとだけ、息を整えさせて……」


 血統魔法の使い手は、常人に比べて身体能力も高い。

 それでもこれほどの全力疾走は15歳の少女にはきついものがあったのだろう。

 言われた通りしばらく周囲を警戒しつつ待っていると、一つ大きく息をついてカティアが起き上がり。

 そしてようやく、二人はゆっくり話をできる状況で対面した。


「……エル、なのよね。本当に」

「え、ええ」


 改めて、エルメスも真正面から落ち着いてカティアを見やる。


(……きれいだ)


 思わず心中でそうこぼしてしまうくらいには、エルメスから見てもカティアは美しく成長していた。

 逃げる際の汚れがついていてもなお輝きを失わない紫紺の髪、輝く瞳と控えめながらもしっかりと通った鼻筋に、小ぶりで形良い唇。

 総じて精巧な美貌と均整の取れた体つきも相まって、最高級の人形と見紛うほどだ。

 比べること自体失礼かもしれないが、彼の師ローズと並んでも決して見劣りしないだろう。


 そんな、今も一瞬見惚れてしまったほどの美少女となったカティアは、大きく息を吸い込むと。


「──この、お馬鹿っ!!」


 開口一番、思いっきりエルメスを叱責してきた。


「え?」

「え、じゃないわよ! 5年も音沙汰なしで何やってたの! あの日の後私がフレンブリード家に行ったらあなたはもう追放された後で、誰に聞いても行き先なんて知らないって突っぱねられて手がかりもないし!」

「……それは、縁を切られ、行く当ても頼りもなかったもので……」


 あの状況で自分を探し出すのは不可能だった、そう言ってエルメスはカティアを宥めようとするが。


「『行く当ても頼りもなかった』? ふざけないで」


 尚更彼女の逆鱗に触れてしまったらしく、カティアは更に距離を詰めて顔を近づけると。



私がいたじゃない・・・・・・・・。──どうしてあの時、私を頼ってくれなかったの!?」



 きっと一番言いたかっただろう言葉を、真っ直ぐエルメスにぶつけてきた。


「──」

「トラーキア家に助けを求めればよかったのよ。そうしたら、いくらでもやりようはあったのに! 結局あの後も行方は全然知れないし、どころか誰かに話を聞くたびに追放された貴族子弟の末路を聞かされて、私がどれだけ……っ!」


 叱責の言葉に、徐々に彼女の感情が混じり始める。


(……あ)

「死んでしまったかもって思ってどれだけ怖くなったと、ああしてれば良かったって……どれだけ……後悔、したと思っ、てるの! ……わたし……が……っ!」


 そして、言っているうちに堪えられなくなったように、ぽろりと大粒の雫がこぼれて。

 その表情を隠すように、カティアはエルメスの胸に額を預ける。


「……生きててくれて、よかった。……心配、したんだから……!」

「……はい。すみませんでした」


 もし、5年前の追放された日に戻ったとしても。

 カティアの言うように、彼女に助けを求めることはできなかっただろう。あまりに失意の底にありすぎて考える余裕もなかったし、自分を信じて励ましてくれた子にそんな情けない頼り方もしたくなかったから。


 けれど、これほど自分を心配してくれていたのなら。

 どうにかして、連絡の一つくらいはするべきだった。そう反省し、エルメスは胸元で嗚咽を漏らすカティアの肩に手を置く。


「ちゃんと会いにきてくれたから、許すわ。……あと、助けてくれて、ありがとう」


 耳を赤くしつつの、彼女の言葉が小さく響いたのだった。





「……それで、エル。今あなた、どこで何をしているの?」


 やがて、彼女の感情が落ち着いてから。

 流石に気恥ずかしかったのか、頬を赤らめてそっぽを向きつつこちらに問いかけてくるカティア。


「王都にいるってことは、それなりの生活基盤があるのよね。住んでいるところは? 生計はどうやって?」

「え? あ、えーっとですね……」


 なるほど、どうやら彼女は自分が今王都で生活していると勘違いしているらしい。

 その誤解を解くために、これまでの経緯及び今日王都についたばかりであることを簡潔に説明する。


「──えっ」


 すると彼女は、何やらこちらが想像した以上の驚きの表情を浮かべる。


「つ、つまりあなた今……王都に来たばかりで、住むところも、職業も決まってないの?」

「そうなりますね」

「何か当てがあったりとかは?」

「一応いくつか考えはありますが……確たるものは、これと言ってはないかと」


 エルメスの返答を聞いたカティアは、その表情を徐々に驚愕から──何故か期待へと変換していく。


「ああ、でもご心配なく。それなりに魔法に自信はあるので、きっと何かしらの職業にはつけると思いま──」

「エル!!」

「はい!?」


 大音声で名前を呼ばれ、反射的に大声で返事をしてしまった。

 そんな彼を他所に、カティアはガッ、とエルメスの肩を掴み、先ほど以上に顔をこちらに近づけてきて。



「じゃあ、今度こそうちに来なさい! 私があなたを雇うわ!」

「……ええ!?」



 先程とは違う理由──期待と興奮で紅潮した頬と共に、予想外の提案をされたのだった。




 ◆




 実のところ、カティアの提案自体は願ってもないものだった。

 エルメスの目的は、多くの血統魔法を目にして自分の魔法を研鑽すること。

 彼の魔法、『原初の碑文エメラルド・タブレット』が魔法を再現する魔法である以上、優れた魔法を目にすることのメリットが計り知れないことは明らかだ。

 その目的のためには、どこかの貴族……できれば上級貴族との繋がりを作るのが一番良い。


 だが、最初はエルメスも遠慮した。

 彼女が生活の目処が曖昧な自分を気遣ってこの提案をしてくれたのだと思い、そこまでの厚意を受けるわけには行かないと思ったから。

 なので生活基盤くらいは自分でなんとかすると言ったエルメスに、カティアは。


「甘いわエル、王都は怖いところなの。あなたみたいな純朴そうな子はすぐ悪い人に捕まって搾取されてしまうわよ」

「それに、あなたは幼少期に有名だった分まだ覚えている人も多い。下手に他の貴族に難癖をつけられないとも限らないわ」

「同情だけで言ってるんじゃないわ、さっきのあなたの魔法は素晴らしかった。これほどの使い手、フリーな内に囲っておきたいっていう打算もある。だから遠慮しなくていいのよ」


 等々、一応全て筋は通っているがなぜかかなりの早口でまくし立てられて。


「……あと」


 そして、最後に。


「せっかく、幼馴染と再会できたんだもの。……もっと話したいと思うのは、そんなにだめなことかしら」


 目を逸らして控えめに告げられたその言葉で、エルメスは同行を決めたのだった。




 そうして、ちょうど近くに来ていた馬車に乗って揺られることしばし。

 王都中心部にあるカティアの実家──トラーキア家に到着した。

 一応幼少期に何度か訪れたことはあるのだが、改めて見ると……


(……大きいなぁ)


 彼の実家であるフレンブリード家も名門なだけあって敷地の広さはそれなりだったのだが、やはり公爵家の一角はさらに一回りサイズ感が違う。

 加えてフレンブリード家のようなただ無駄に大きいだけではなく、その隅々まで手入れが行き届いており、何というか品のようなものが漂っている気さえしてくるのだ。


 そんな思いでトラーキア家を見ていると、門が徐に開いて中から人が飛び出してきた。


「──カティア様!」


 隣にいる少女の名を呼んで駆け寄ってくるのは、メイド服に身を包んだ二十代半ばほどの女性。


「何処に行っておられたのですか!? 帰りが遅いから心配で──って、お召し物が汚れているではないですか! 一体何が、いやその前にお怪我は、というか隣の子はどなたで!?」

「……レイラ、そんないっぺんに聞かれても困るわ。一つずつ答えるからまず落ち着いて」


 どうやらカティアの従者らしきこの女性はレイラと言うらしい。

 心配そうに体に手を当てたり恰好に驚いたりエルメスを見てさらに驚いたりと忙しい彼女をカティアは一旦両手で制する。


「帰りが遅くなったのはごめんなさい、少しトラブルに巻き込まれていたの。服が汚れたのもそれ関連で、大した怪我はないわ。あと、彼はエルメス。元フレンブリード家のエルメスよ。レイラ、あなたは昔何度か会っているはず」

「え?」


 そうだったろうか、とエルメスも記憶を掘り返す。

 ……確かに、遊びに来ていたカティアをよく迎えに来ていたメイドがいた覚えがある。あのお姉さんか。


「ああ、よくカティア様とお遊びになっていた!」


 同じタイミングでレイラも思い出したようで、ぽんと手を打つ。


「エルメス様、ということはあの、無適性でフレンブリード家を追い出されたという……生きていらしたのですね」

「!」


 その呟きに、少しエルメスの体が強張った。

『難癖をつけてくる貴族もいる』という先ほどのカティアの言葉、加えて同じ言葉の流れから兄クリスに罵倒された件。

 それらのように、また心ない言葉が飛んでくるのかとエルメスは身構える──が。


「……それはよかった……!」


 彼の予想とは裏腹に、レイラは心からの安堵で顔を輝かせた。


「いくら血統魔法を持たないと言っても家族を、それもあんな小さな子を追い出すなんてと当時は心を痛めましたが……生きておられたのなら、何よりです」


 その微笑みから、言葉に一切の裏がないことはよく分かった。


「安心なさい、エル」


 続いて穏やかに笑って、カティアが声をかける。


「使用人含めてうちの家族は、フレンブリードと違って過去の件であなたを見下したりしないわ。……ようこそ、トラーキア家へ」


 彼女の言葉に従ってよかったと。

 エルメスはそこでようやく、心から思ったのだった。

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