6話 王都帰還
「本当に、行くのか?」
エルメスがローズに弟子入りして、5年の後。
王都から遠く離れた人気のない森の奥にて、響くのは師ローズの声。
彼女の外見は、出会った頃から変わらない。その若々しい美貌も均整の取れた肉体も、共に暮らす上で一切の変化を見せていない。
そもそも、彼は師匠の年齢を知らない。大凡の当たりはついているのだが、その推理と外見があまりに一致せず彼自身未だ半信半疑なのだ。
そんな、5年経っても相変わらず謎の多い師の厳かな問いに少年は答える。
「……はい。僕は、王都に戻ります」
一方の彼、エルメスは当然ながら5年で大きく変化を見せていた。
今年で15歳。同年代の一般的な少年たちと比べれば見劣りするものの、体つきは逞しく。顔つきも優しげな面影を残しつつ、かつての気弱さを抑えた一端のものに。
そして雰囲気。こちらは逆に年齢よりも大人びた、落ち着きのあるものになっていた。
そんなエルメスは、翡翠の瞳に決意の光を宿して揺らぐことなく宣言する。
「師匠の教えを無駄にしないために。かつて失った想いを取り戻すために。そして──『僕自身の魔法』を見つけるために。僕は王都で様々な魔法を見なければならない。何より、僕がそうしたいんです」
「……そうか」
毅然とした言葉を受けたローズは、何かを考え込むように俯いて。
やがて、ふるふると体を震わせたかと思うと。
「…………やっぱり嫌だぁああああああああ!」
全力で、こちらに縋り付いてきた。
恥も外聞もなく、離さんと言わんばかりに抱きついて、震え声かつ涙目で。
忌憚なく言うと、先ほどまでの厳かな雰囲気が木っ端微塵になるほどに情けない姿だった。
「なぁエル! やっぱり考え直さないか! もうお前と離れるなんてあたしは耐えられそうにない!」
「いや、あの。……王都に戻った方が良いとそもそも提案したのは師匠ですよね?」
「そうだけどさぁ! お前は知らないかもしれないが、お前が来るまでのあたしの生活はそりゃひどいものだったんだぞ!?」
「え、ええ知ってます。何せそのひどい生活を改善させていただいたのは多分、僕なので」
彼の師、ローズは掛け値なしに素晴らしい魔法使いだ。
……いや、少し言い直そう。
だが、もうざっくり言ってしまうと、ローズはそれ以外が凄まじいまでのダメ人間だったのだ。
乱れた生活習慣や不摂生は当たり前。部屋は散らかり放題、片付けるという発想がそもそもない。
着替えや洗濯、魔法研究が捗っていると風呂すら面倒だとサボる始末だ。『魔法で汚れは綺麗にしてるからいいだろー』とごねる師を強制的に浴槽に叩き込んだことは数知れない。
この師の生態に合わせるのはどう考えても良くないと幼心ながら理解したエルメスは一念発起、これまで周囲の人間にしてもらっていた身の回りのお世話を今度は自分がローズにやるべきなのだろうと決意する。
そうして、今までやったことのなかった家事各種の努力、炊事における師の好みの把握を修行の合間に行うこと5年。
我ながら人並みにはなったんじゃないかと自負できる程度には上達し、一方の師匠は。
「あたしは、あたしはもう、お前がいないと生きていけないんだよぉ!」
この通り、無事ただのダメ人間からエルメスがいないとダメ人間に進化を果たしたのであった。
出会った頃は、本当にかっこいい人だと思ってたんだけどなぁ……とエルメスは昔を懐かしみつつ縋り付く師をなだめる。
「……あの、師匠。そこまで全力で引き止められてしまうと僕も出て行きにくいと言うか……」
「うぐっ、そう言われるのが一番辛い……!」
自分の方がわがままを言っている自覚があるのだろう。
若干抱擁を緩めて、けれどまだ名残惜しそうに至近距離で彼女は話す。
「でもなぁ……もうエルのご飯も滅多に食べられないし、エルの頭を撫でたり、ぎゅってしたり、一緒に寝たりもできなくなるのか……寂しいなぁ」
「こ、後半はそろそろ恥ずかしいのでここにいるとしても遠慮させて欲しいのですが」
幸い、そんな彼をローズは魔法以外の点でも大切にしてくれた。
ただ彼女の言葉通り想像以上に可愛がられる時があり、年上の美女の過剰なスキンシップに思春期になり始めた頃から結構な気恥ずかしさを感じてしまっていたりもした。
けれど、それらも全部含めて本当に彼女にはお世話になった。感謝してもしきれない。
「ご飯に関しては、師匠でも手軽に作れるレシピをいくつか残してあります。家事も魔法で自動化できるところはしてありますし、できる限り帰るようにはするので──」
「ああもう、なんでお前はそんな健気で可愛くていい子なんだ! いっそ小憎らしければ喜んで追い出せたのに! いやでもそんなエルはあたし見たくない! 一体どうすればいいんだ……っ!」
「師匠、一旦落ち着くのがいいと思います……」
その後もローズは色々と騒いだり引き止めたりしたが、そうこうしているうちにようやく冷静になってきたのか。
「……分かってるさ。弟子の門出だもんな……」
体を離し小さく呟いたかと思うと、真面目な──魔法使いとしての顔を見せて。
「エル、お前も分かってるとは思うが。この5年あたしがお前に教えたことは、あくまで『種』だ」
「ええ」
「そこからどんな魔法を学んで、どんな魔法の花を咲かせるのか、選択するのはお前自身。そのためにはより優れた魔法──つまり、血統魔法をたくさん目にするのが良い」
だから、王都に向かう。多くの優れた血統魔法を持つ貴族たちの近くに行くことが、彼にとっては魔法の研鑽に繋がる。
エルメスはそう、数日前に師匠自身から提案された。
「でも、血統魔法を目にするだけならば道はそれ一つじゃない。ここにいたってできることはいくらでもある」
「そう……ですね」
「それに、王都は正直言ってひどい場所だ。生まれた時から与えられたものに安住して何も自分で考えようとしない、怠惰で陰湿な連中の溜まり場。きっとお前も、見たくないものを見ることになると思う」
その上で、ローズは再度問いかける。
「それでも、お前は行くのか?」
やはり返答は、迷わなかった。
「はい、行きます。僕は王都でこそ、やりたいことがある」
あの場所には、かつて貴族として暮らしていた場所がある。ろくな思い出なんてほとんどなかったけれど、それでも少しだけ心残りはある。
かつて自分と関わった人たちが今どうしているのか、この目で確かめたい。
何よりあそこで失ってしまった、自分の魔法のために取り戻したいものだってあるのだ。
……そして、願わくば。
かつて自分がどん底でローズに救われたように、魔法で困っている人に新たな道を示したい。
それがきっとかつて憧れた、そして今も憧れる偉大な魔法使いのあり方だと思うから。
「……そうか」
返答を受け、同じように彼女は呟き。
そのままもう一度強く彼を抱きしめてから──今度は、満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ、行ってこい! 王都に行って大暴れだ! かつてお前を無能と切り捨てた連中に、自分はここまで強くなったと見返してやれ!」
「──っ、はい!」
ようやく、師匠が背中を押してくれて。
心置きなく、彼は駆け出す。向かう先は森の出口、そしてその先、かつて彼が追い出された場所へ。
「愛してるぞ、我が弟子──────!」
明るく美しい師の大声が、いつまでも森中に響いていた。
◆
そこから数日後。ちょうど、エルメスが王都に辿り着いた程の日。
王都の辺境、人気のない路地裏にて。
「はっ──はっ──」
少女の荒い息遣いが響いていた。
彼女は必死に駆けていた。何かを急ぐように……或いは、何かから逃げるように。
それを裏付けるかの如く、少女の背後から声が響いた。
「あっははははは! 無駄です、この僕からは逃げられませんよ!」
声を聞いて、少女は全く振り切れていないと知ってさらに足に力を込める。
だが、疲労困憊の体ではこれ以上の速度は出せず、そうこうしているうちに声が響く。先ほどよりも近い場所で。
「いい加減、余計な抵抗は諦めたらどうです──
「っ!」
逃げ切れないと悟り、けれど足を止めることもできず。
「どうして──」
少女──カティア・フォン・トラーキアは悲痛な表情で言葉をこぼす。
「どうしてですか、アスター殿下!」
運命の悪戯としか言いようのないタイミングで。
エルメスの間近に、かつての因縁が迫ってきているのだった。
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