4話 魔女

 追放時にエルメスに与えられたのは、今までの襤褸切れではないそれなりに真っ当な服装と多少の金貨。

 流石に追い出すとは言え、かつて家族だった人間。すぐに野垂れ死なないよう多少の手心は加えてくれたのか──


 ──と、思ったことが間違いだった。




「ひゃはははは! 今日はついてるぜ!」

「しけた仕事だと思っていたが、こんなにいいカモが手に入るなんてなぁ!」

「この服もとんでもなく上等な代物だ。まさか貴族の坊ちゃんがあんなところを出歩いているとは、捕まえてくれって言ってるようなものじゃねぇか!」


 元より、フレンブリード家にエルメスを真っ当に生かしておく気など微塵もなかったのだ。


 エルメスが放り出されたのは、王都より遠く離れた貧民街。

 そんな場所を一人歩いている、真っ当な──平民の感覚からすればとんでもなく上等な服を着て、多少の──平民にとっては目も眩むほどの大金を持った、見るからに弱々しい少年一人。

 人攫いにとっては、むしろ狙ってくれと懇願しているようにしか見えなかっただろう。


 自ら手を下さないのは、あくまで身内を殺したという醜聞を避けるため。

 だから適当な下町の人間に始末してもらうための、手心のフリをした餌を持たせたのだ。

 そして案の定──ゼノスの予想通り、エルメスはあっという間に粗野な男たちに捕まり、身ぐるみを全て剥がされ人気の無い郊外に転がされていた。


「それで、このガキはどうする? 身代金を狙うか、それとも奴隷商に売るか」

「どっちもやめとけ。たまにいるんだ、こういう貴族様の捨て子がな。当然金は出ねぇし、こんな貧弱な坊ちゃんろくに売れやしねぇよ」

「それじゃあ」

「ああ、後腐れなく殺しとけ」


 そして、あっさりと。

 世間話のような気軽さで最悪の処遇を決定し、男のうち一人が刃物を片手にこちらに近づいてくる。


「ひ──ッ」


 死にたくない。

 当然の恐怖に従い、エルメスは這ってその場を離れようとするが。


「おいおい──手間をかけさせんな、よっと!」

「あぐッ!」


 そんな無様な逃亡が許されるまでもなく、背中を踏みつけられて身動きを封じられる。

 ついでとばかりに蹴り飛ばされ、近くの壁に叩きつけられた。


「聞いたぜ坊ちゃん。お前さん、いいとこの貴族様に捨てられたんだってなぁ」


 下卑た笑みと共に、他数人を従えて近づいてくる男。


「坊ちゃんは知らないようだから教えてやるがな。俺たち底辺の人間はよぉ──貴族様が、大っ嫌いなんだよッ!」

「捨てられたとしても、今まではいい暮らししてきたんだろ?」

「だったらよ、せめて最後に俺たち哀れな平民の鬱憤晴らしに付き合ってくれよ。それが貴族の責務ってやつだろぉ?」


 そのまま代わるがわる、連続して暴行を受け。徐々に抵抗する気力も無くなっていく。



 ──僕の人生は、なんだったんだろう。



 遂には諦念に支配された脳裏に、これまでの出来事が走馬灯の如く流れた。

 輝いていた幼少期と、それが一転した少年期。いつか絶対報われると信じて続けた努力も虚しく、こんな場所で誰にも知られず命を散らす。

 それが自分の人生ならば──何もかもが無駄だった。人生にはなんの意味も無かった。

 そう結論付けざるを得ない。


(いやだ、なぁ……)


 拒否感を抱いても、最早どうすることもできず。

 抵抗が無いことに飽きた男が無造作にナイフを振りかぶる。

 虚ろな瞳で、それが自分の首筋に振り下ろされるのを──見ることは叶わなかった。




「ごばぁッ!?」


 何故なら、その直前に男の横っ面に何かしらの魔法が炸裂し。

 珍妙な悲鳴をあげて男が目の前から吹き飛んでいったからだ。


「──おい、勘弁してくれよ」


 少年のような口調をした、美しい女性の声で応えがあった。


「あたしなぁ、今日は久々に大暴れして、気分よーく家に帰ろうとしてたんだぞ?」


 驚きと共にエルメスが目を向けた先にいたのは、夕焼けを背負う美女の姿。


「その帰り道で何やってんだお前ら? 大の男が寄ってたかって幼気な少年に暴行なんざ胸糞悪いったらありゃしない。せっかくのいい気分が台無しだ」


 夕焼けを受けてなお燃え上がるように豪奢な赤の長髪。それと対照的に理知的な碧眼が、不機嫌そうな眼光を湛えて男たちを睨みつける。


「──と、ゆーわけで」


 その形良い唇から、敵意に満ちた言葉が紡がれる。


「憂さ晴らしにこれからボコるぞ、クソ野郎ども。文句は言うなよ?」




 そこから始まった戦いは、俄には信じ難い光景だった。

 露骨な挑発に逆上した男たちは、一斉にその美女に向かって襲いかかった。


「正義の味方気取りに舐めた真似してんじゃねェぞクソアマがぁッ!」

「調子に乗りやがって、俺らに楯突くとどうなるか体に教え込んでやるよ!」


 怒り、羞恥、或いは美女を前にしての欲望も混じった怒声をぶつける男たち。

 だがそんな声とは裏腹に、彼らの立ち回りは洗練されていた。

 魔法の心得があるものも数人いたようで、強化魔法を用いた素早い動きや強力な遠距離魔法も混じっていた。

 加えてこの人数差。恐らく血統魔法の使い手であっても生半な実力では成す術無くやられてしまうだろう。


 だが。


「おお、怖い怖い」


 彼女は余裕を感じさせる優雅な微笑と共に、その全てを捌いていった。

 近接で突撃する男たちはそれ以上の強化魔法と武術で指先一本も触れさせることなくいなし、遠距離魔法は周囲に光の壁を張ってそよ風ひとつも届かせず防ぎ切る。


 そして、お返しとばかりに放たれたのは今まで見た男たちの魔法が児戯に思えるほど強力な魔法の数々。

 火球、風刃、氷塊。見せつけるように多種多様な魔法を展開し、飛び回りながらそれを放つ。

 その威力、動きに圧倒される。あまりにも一方的な蹂躙劇。


「そんな……」


 最中、ふとこぼれた呟きはエルメスのものだ。

 あまりの格の違いに驚いている──のもあるが、彼が何よりも驚愕した点はそこではない。


「あの人は、一体、何の魔法を・・・・・使っているんだ・・・・・・・……!?」


 ここで、血統魔法に関する性質を一つ述べる。

 血統魔法は、原則一人に一つしか発現しない。

 故に一人の扱う魔法は基本一つの属性に偏るものなのだ。

 無論例外はある。例えば汎用魔法と呼ばれる誰でも扱える魔法ならば一人一つという縛りもない。男たちが使っていたのはそれだろうし、それを使えば彼女のように多種多様な魔法を出現させることも不可能ではない。


 しかし、そこには重大な矛盾が一つある。


「威力が、強すぎる……!」


 そう、彼女の魔法はどれも汎用魔法の範疇を遥かに逸脱している。どころか、下手な血統魔法に迫るほどの性能を発揮しているのだ。

 この光景を見て驚愕するのはエルメスだけではない。多少なりとも血統魔法を理解した貴族ならば、誰もが目を疑うだろう。


 眼前に展開されているのは、それほどの理不尽の権化。それをエルメスは眺め──だが、すぐにそんな事は気にならなくなった。

 何故なら。


「……すごい」


 見惚れていたからだ。誰よりも自在に戦場を駆け、誰よりも深く魔法を理解し、そして誰よりも自由に魔法を振るう者。

 それはまさしく、彼が憧れた偉大な魔法使い。幼き日より夢見ていた憧憬の具現が、そこに存在していたから。




「……その髪、その口調、そして何よりそのふざけた魔法、まさか……!」


 やがて男のうち一人が、何かに気付いて絶望の表情を浮かべる。


「お前ら、撤退だ! こいつは『空の魔女』ローズ、歩く災害だ! これ以上被害が出る前に──」

「もう遅いぞ、馬鹿ども」


 逃がさない。

 そう宣言するかのように、ローズと呼ばれた美女は周囲一帯を光の壁で囲い、男たちを一人残らず閉じ込める。


「お前たち、如何にも下衆な見た目の割に意外と強かったじゃないか。だからめんどくさ──礼として、あたしの魔法を見せてやるよ」


 そして左手を天に掲げ、大きく息を吸って唄い上げ。


「【天地あめつち全てを見晴るかす 瞳は泉に 頭顱とうろは贄に 我が位階こそ頂と知れ】」


 不敵な笑みと共に手を振り下ろし、高らかに宣言した。



「血統魔法──『流星の玉座フリズスキャルヴ』!」



 直後。

 天から降り注いだ、そうとしか思えない無数の光線が一面に着弾した。

 切り札と呼ぶにふさわしい、彼女の扱う魔法の中でも尚規格外の威力。一挙に砂埃が立ち上がり、その中で男たちの悲鳴が響き渡る。


 やがて悲鳴が全て止み、土埃が晴れた先には。


「殺しはしないぞ。わざわざゴミで手を汚したいとは誰も思わんだろ?」


 倒れ伏した男たちと、その中心で依然華麗に佇む美女の姿があった。


「……さて」


 それを見届けると、彼女は肩の力を抜いて。


「そこの君。これでもう大丈夫──」


 穏やかな微笑と共に駆け寄って来ようとした、が。

 その瞬間、エルメスは遠くに微かな魔力の揺らぎを感知した。


「──お姉さん! 左後ろ、狙撃!」

「ッ!?」


 直感のまま、残り僅かな気力を振り絞って叫ぶエルメス。

 その言葉が終わるか否かのタイミングで、遥か遠くの建物から走る一条の光。

 それが彼女のこめかみに直撃する──寸前。


「……やるじゃないか」


 紙一重のところで展開された光の壁に阻まれる。


「今のが当たっていれば、あたしにかすり傷くらいは負わせられたかもしれないぞ」


 返礼とばかりに彼女は光の先を指差し、直後建物に落ちる流星の光線。


「万一に備えて狙撃手を雇ってたのか。意外と用意周到じゃないか──まあ、どうでもいいけど」


 無力化を確認した後、今度こそ彼女はこちらに歩いてきて、エルメスの目の前で立ち止まる。

 ……改めて見ると、想像以上に若い。見た目だけなら二十歳前後ほどだろうか。


 微かに少女の面影を残す大きな瞳に、綺麗に通った鼻筋。王都でも滅多に見ないほどの美貌。

 完璧な黄金比を保つ肢体を包むのは黒を基調としたシックなドレス、そこから伸びる長い手足の透き通るような白さとの対比が鮮やかに夕日に照らされている。

 先の圧倒的な魔法の能力と合わせて、どこか隔絶した印象を与える外見をした彼女は、エルメスに目線を合わせてかがみ込むと。


「──君、すごいな!」


 打って変わって童女のように目を輝かせ、こちらに顔を近づけてきた。


「油断してたとは言え、あたしが気づけなかったあんな遠くの魔力に気づくなんて、どんな感知能力してるんだ!?」


 先の印象とのあまりの違い、加えて興奮に頬が紅潮し、可愛らしさも加わった美貌を間近に近づけられ。

 エルメスは緊張やら動揺やらで体の痛みや疲労も一瞬忘れてしまう。


「しかもこの年で! 本当にすごいな、あたしより才能のある人は初めて見たかもしれない」


 そんな彼をよそに、彼女はにっこりと人懐っこい微笑みを浮かべ、最後にこう告げた。


「興味が湧いたよ、可愛い魔法使いの少年。あたしはローズっていうんだが、君の名前は?」




 エルメス・フォン・フレンブリード、10歳。

 7歳の時にどん底に叩き落とされる転期を迎えた少年は、10歳のこの瞬間。

『空の魔女』ローズとの出会いで、二度目の──一度目とは真逆の転期を、迎えるのだった。

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