3話 幼馴染

 ……良いことが、無いわけではなかった。

 エルメスに同情的な使用人が、こっそりスープの中に干し肉を入れてくれたり、看守の目を盗んで物を差し入れてくれたり。

 そして何より……『彼女』が、定期的に来てくれた。


「……エル、大丈夫?」


 暗闇からひょっこりと顔を出したのは、エルメスと同い年ほどの少女。

 夜空を閉じ込めたような鮮やかな紫紺の髪に、くりくりと愛らしくも芯の強さが見える目鼻立ち。この場に似つかわしくないほどに美しく気品を感じさせるその少女が、躊躇わず汚れた独房に駆け寄ってエルメスの手を取る。


「また傷が増えてる、ゼノスおじさまとクリスさんにやられたのね。……ごめんなさい。治してあげたいけど、私の魔法はそういうのじゃないから……」

「ううん。気持ちだけでも嬉しいよ、カティ」


 彼女の名は、カティア・フォン・トラーキア。フレンブリード家以上の名門であるトラーキア公爵家の長女、つまり公爵令嬢だ。

 エルメスと同じく将来を嘱望された魔法の天才で、その共通点からエルメスとは幼い頃より親交のあった幼馴染。

 ……そして、エルメスと違って順当に、公爵家に相応しい血統魔法に開花した少女。


 けれど彼女は周りと違い、エルメスが無適性と知ってからも変わらず接してくれ、今もこうやって会いに来てくれる唯一の人だった。


「おじさまもクリスさんもひどいわ。いくら魔法が重要って言っても、家族にこんな仕打ちをするなんて……」

「……そうかもしれない。でもね」


 心からの憤りを乗せた彼女の声だったが、精神的に追い詰められた今のエルメスは素直に共感することができなかった。


「……僕は出来損ないなんだ。父上の言う通り、ご飯がもらえるだけでも充分だと思わないと。何をされても、文句なんて──!?」


 しかし彼の自虐的な言葉は、カティアの両手に頬を挟み込まれたことによって強制的に中断させられる。


「エル。私は信じてるわ」

「え?」

「こんなに魔力に恵まれてて、いつも頑張っていたあなたに。誰よりも魔法が好きなあなたに。私の魔法を誉めてくれたあなたに血統魔法が無いなんて、絶対に何かの間違いよ」


 薄闇の中で、蝋燭の光を反射して美しく輝く紫水晶の瞳。


「だから、私は信じるわ。あなたはこんなところにいる人じゃないって。絶対にいつか、すごい魔法使いになってまた私の前に立ってくれるって信じてるから」


 その言葉と瞳の輝きに当てられたように、エルメスの瞳にも微かな光が戻る。


「うん、そうだね」


 ゆっくりと手を取り返し、彼は告げる。


「父上は、血統魔法が発現したらここから出してくれるって言ってた。諦めちゃ、だめだよね」

「そう。その意気よ」

「ちょっと弱気になってたみたい。また頑張るよ。……ありがとう、カティ」


 何ヶ月ぶりかも分からない、屈託ない笑顔で礼を告げる。

 すると彼女は一瞬面食らって、すぐにぷいと顔を背けてしまった。


「わ、分かればいいのよ。私が見込んだ人がこんなところで燻ってるのは、私も我慢ならないもの。そうよ」


 その後も若干早口で何かを言いかけたが、そこで二人の耳に階段を降りる音が響く。


「いけない、見つかっちゃうわ。もう行かないと!」


 どうやら、彼女はお忍びでここに来ていたらしい。


「いーい! 絶対ここを出てまた会うのよ! 絶対の絶対、約束だからね!」


 ……そんなに大声で叫んだら結局見つかっちゃうんじゃないかなーと。

 少しお転婆な彼女の振る舞いに苦笑しつつ、エルメスも控えめに手を振るのだった。




 こうして、相も変わらずひどい生活だったけれど。

 変わらず応援してくれるカティアと、血統魔法さえ身につけば出られるという微かな希望。

 その二つを心の支えにして、エルメスは独房の中で己の魔法を探り続けた。

 辛くとも心の奥底は決して折れることなく、劣悪な環境でできることを必死に行った。

 理不尽に耐え、報われることを信じ、ひたすらに努力を重ね。


 そして、エルメスが10歳のとき。



 ──その全てが、最悪の形で壊れることになる。




 ◆




「……エル、いいかしら」


 始まりは、カティアの訪問からだった。

 ここ三年、人と会う楽しみは彼女に占められていたため、エルメスは笑顔と共に鉄格子の前に駆け寄って。

 そして気付く。彼女が今まで見たこともないほど哀しげな表情をしていることに。


「……ごめんね、エル」


 胸中を急速に占める嫌な予感。それを振り払うより前に、彼女から決定的な一言が放たれた。



「私、もうここには来れないわ」



「……どう、して」


 思考が真っ白になった。疑問を紡げたのは奇跡に近い。


「第二王子のアスター殿下。知っているかしら」


 続いてカティアから告げられたのは人名だった。

 当然知っている。時折ここにくる父ゼノスも話していた。

 この国の王子様。自分たちと同い年で、見目麗しく聡明と言われる少年。今代最強との呼び声高い血統魔法を授かった、次期国王の最有力候補だ。


 そして、エルメスもカティアも名門貴族の一員。次の一言は簡単に予想できてしまう。


「……まさか」

「ええ。婚約のお話が出たわ。私と、アスター殿下の」


 不思議なことではない。王子の婚約相手として、トラーキア公爵令嬢は申し分ないどころか最も相応しい相手と言っても良い。加えてカティアは魔法、容姿においても優れた少女、声がかかるのも当然だ。


「……その話を、受けるの?」

「受けるわ。この国の至宝たるアスター殿下を公私に渡ってお支えする役よ。公爵令嬢として光栄に思いこそすれ、断る理由はどこにもない」


 そう淡々と語るカティアの表情は読めず、エルメスは混乱していく。


「じゃあ……」

「これからは王宮に住み込んで、王妃教育を受けつつ殿下と行動を共にするわ。だから……」


 もう、ここに来ることはできない。

 それだけではない。こうなってしまった自分を今までずっと励ましてくれた女の子。紛れもなく壊れそうになっていた心を繋ぎ止めてくれた、返しきれない恩義と想いを持った子が。

 うまく言えないけれど、とても、とても遠くに行ってしまう。


「で、でも!」


 絶望の表情を見てか、カティアが慌てて言葉を付け足そうとした。


「一年──いえ、半年以内になんとか時間を作るわ! それで、どうにかしてまた──」

「悪いけれど、それは無理だね」


 しかしその瞬間、横合いから声がかかる。


「……クリスさん」

「兄上……」


 現れたエルメスの兄、クリス・フォン・フレンブリードを二人で見やる。


「クリスさん、どういうことかしら」

「カティア嬢。貴女の婚約と同時に、我らフレンブリード家もアスター殿下の元に付くことになったのです」


 クリスの声に隠しきれない愉悦が滲み、さらに声が上ずる。


「そしてこの僕が! 殿下の護衛、右腕として取り立てていただく事になった! ああ、やはり殿下は聡明だ。燻っている才能をきちんと発見する慧眼をもお持ちでいらっしゃる。これこそ王の器──」

「そんなことはどうでもいいわ! どうしてエルにまた会うのが無理かって聞いてるのよ!」


 当然の修正なのだが、語りを中断させられたクリスは不機嫌そうに唇を歪ませた。

 しかしそれも一瞬、すぐに底意地の悪い笑顔をエルメスの方に向けて。


「フレンブリード家がアスター殿下派閥に付くにあたり、殿下はこう仰った。

『この俺の配下に無能は要らぬ。無適性の人間など論外、早急に[居なかったことにしろ]』とね!」

「ッ!」


 カティアが息を呑んだ。

 それが何を指すか、エルメスも正確に理解してしまい血の気が引く。


「どういうことか分かるだろう、エルメス? 清々するよ、これでようやく君のような出来損ないと同じ場所で暮らさなくて済むんだからね!」


 軽蔑と嘲弄に染まった表情でエルメスを一瞥し、最後にクリスは手を挙げた。


「さあ、父上がお呼びだ。お前たち、エルメスを連れて行け!」


 同時に左右から屈強な騎士たちが現れ、正しく罪人のようにエルメスを連行していく。


「待って! おかしいわ!」


 カティアが叫び近づこうとするが、それも騎士に止められた。


「いくらなんでもやりすぎよ、普通は15歳まで待つはずじゃない! 待ってなさいエル、私が殿下に掛け合えば──!」

「なりませんよカティア嬢。これから貴女様は殿下のために尽くすのです。あんなくだらない男にどうして拘って」

「あなた──ッ!!」


 カティアとクリスの言い争いがひどく遠くに聞こえる。

 そのままエルメスは茫然自失のまま父の居る執務室に連れて行かれ、そこで予想通り勘当の宣告を受け。

 これまでの10年の努力全て虚しく──実家を追放され、ただのエルメスとして野に放り出されてしまうのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る