2話 最底辺の日々

 父の態度は、その日のうちに豹変した。


「貴様のような期待外れの出来損ない、本邸に置いておくことすら悍ましいわ!」

「っ!」


 エルメスが父ゼノスに首根っこを掴まれ、叩き込まれたのはフレンブリード家本邸より遠く離れた庭隅の地下。

 光源と呼べるものは小さな蝋燭のみの薄暗い部屋。

 汚れた床に倒れ込む自分と、それを冷え切った目で見下ろす父との間には分厚い鉄格子。


 そう、独房である。

 本来ならば囚人を置いておくはずの場所、それがエルメスの新たな住処だった。


「ふん。これまでこのような奴と同じ家に住み、同じ空気を吸っていたと考えただけで吐き気がする」

「ち、父上!」


 鑑定結果を告げられて以降、何処か現実感のない思いでいたエルメス。

 しかし、父の手で独房に叩き込まれてようやくショックから帰還し、現状を正しく認識し始める。

 この先、ずっとこんな場所で過ごすのか。

 その未来を想像したエルメスは激甚な拒否感を抱き、悲痛な声で父に懇願する。


「僕、もっと頑張ります! 魔法の鍛錬もこれまでの倍に増やしますし、何でも言うことを聞きます! 必ず父上の望むように偉大な魔法使いになりますから、どうか──」

「黙れ不良品ごときがッ!!」


 だが、そんな願いも不快そうな一喝で跳ね除けられる。


「『偉大な魔法使い』だと? 血統魔法を持たない身でどうやってだ」

「それは──」

「良いか、血統魔法は星神より賜りし偉大なる天稟ギフトだ。それを授からなかったということは、すなわち貴様は既に星神に見捨てられているということ。青き血を継ぎながら無適性など言語道断。貴様は神童ではない、むしろ悪魔と同義と思え!」


 知っている。

 この国の者、とりわけ貴族は魔法の出来でその地位の大半が左右されると言っても過言ではなく、低い爵位のみで生まれながら高い魔法の力で成り上がった人間の話は枚挙に暇がない。


 ……逆に、魔法に恵まれなかったために落ちぶれた人間も、同様にだ。


「まったく、魔力だけは一丁前に持ちおって。無駄な期待にぬか喜びさせられたワシの身にもなってみろ!」


 昨日まで優しかった父の豹変、生まれてから聞かされたことのなかった憎悪まじりの怒声。

 それを今日一身に受け、エルメスの心が徐々に暗い絶望に支配されていく。


「飯と寝床を用意してやるだけありがたいと思うんだな。貴様はそうやって一生、そこで蹲っているのがお似合いだ!」

「待っ──」


 最後の言葉は聞き入れられることすらなく。

 ガシャン、と過剰に大きな音を立てて鉄格子の扉が閉められる。

 そのまま立ち去るかと思われた父だったが、そこでふと振り向いて。


「ああ、そうだ。……万が一お前が血統魔法を発現するようなことがあれば、そこから出してやっても良いがな?」


 まあ無理だろうが、との呟きを最後に、今度こそ足音が遠ざかっていったのだった。




 ◆




 その日から、エルメスの生活は一変した。


 まずは食事。朝夕の2回だけ用意されるのは、カビの生えかけた硬いパンと野菜クズをそのまま煮込んだだけのスープ。

 フレンブリード家の食事からすれば、余り物で作ったとしてもこうはならない。自分を消耗させるためだけにわざわざ手間をかけられている、まるっきり囚人に対する扱いと同じだった。

 そして寝床。でこぼこで硬い床に薄い毛布が一枚だけ。最高級のベッドに慣れていたエルメスにとっては拷問に等しく、寝付けるようになるのですら数ヶ月を要した。


 独房を訪れる人間はほとんどおらず、居たとしても大半が碌な用件ではなかった。

 例えば多かったのは、父ゼノス。


「ああ腹立たしい! 今日も夜会で嫌味を言われたわ! 毎度毎度ワシは大っ恥だ! それもこれも全て、貴様の、せいだッ!」


 どうも父はエルメスの才能を方々で自慢して回っていたらしく、エルメスが無適性との噂が広まって以降はそれが格好の皮肉の対象になってしまったそうだ。


「お前と同い年のアスター殿下は王家に相応しい血統魔法に目覚め、名実ともに次代の覇者たる片鱗をお見せになっている。それに引き換えお前は何だ! 本来ならその隣にお前が立ち、フレンブリード家は栄華を取り戻すはずだったのに! なぁ、聞いているのか出来損ない!!」


 その苛立ちをゼノスはエルメスを嬲ることで発散し、多少の溜飲を下げては一言も聞かずに去っていく。親子のやりとりは、あの日以降それだけとなった。




 次いで多かったのが──エルメスの5歳上の兄、クリスだった。


「やあ愛しのエルメスよ! 今日も兄さんが可哀想な弟のために魔法の授業をしてあげよう!」


 わざとらしいほどに悲哀に満ちた声色。込められた意図が言葉通りでないことは、優越感と嘲りに歪んだ笑みを見れば明らかである。


「どうしたんだいエルメス。君が求めてやまない血統魔法を間近で見られるまたとないチャンスだよ! ──ほら、起きろよッ!」


 クリス・フォン・フレンブリード。

 侯爵家跡取りとしては申し分ない魔法の才を持ち、本来なら長男として順当にフレンブリード家を継ぐはずだった少年。

 ──そして、エルメスの存在によってその未来全てを奪われていた少年だ。


 エルメスが生まれてから7歳になるまで、クリスは父ゼノスに見向きもされなかった。

 その間に積もり積もった不満、劣等感、弟への憎しみが、エルメスが無適性と判明し次期当主として返り咲いた瞬間に噴出したのだ。


「さあさあ見せてあげよう。これが君とは違って、神に選ばれし者の力さ!」


 エルメスと違い、クリスはフレンブリード家に伝わる魔法を正しく受け継いでいた。

 それを呼び覚ます起動詠唱、次いで魔法名の宣言を高らかに彼は唄い上げる。



「【六つは聖弓 一つは魔弾 其の引鉄ひきがねは偽神のかいな】!

 血統魔法──『魔弾の射手ミストール・ティナ』!」



 瞬間、彼の背後に現れるは地下独房一帯を眩く照らし上げるほどの光弾の群れ。込められたエネルギーがどれほどのものかは、その光量で推し量れよう。

 そしてその光弾を、クリスは躊躇なく。



「僕の魔法はねぇ、こうやって使うんだよッ!!」



 エルメスに向けて発射した。


「ッ!」

「その身でよく味わうと良いよ、この僕の魔法をさぁ! そうすればショックで血統魔法に目覚めてくれるかもしれないだろう? だから避けちゃダメだよ、ちゃんと当たらないと!」


 鉄格子の隙間を潜り抜け、宣言通り一発残らずエルメスに着弾。あっさりと吹き飛び、壁に叩きつけられる。

 が、死にはしない。気絶もしない。そうなるよう、苦しむように手加減されているから。


「惨めだねぇエルメス、でもこれは当然の報いなんだよ。この僕を差し置いて、選ばれていなかった分際で調子に乗っちゃってさ。その罰を僕が代わりに執行しているだけ。君もそう思うだろう?」

「……あに……うえ……」


 朦朧とした意識でエルメスは考える。……そうなのかもしれないと。

 調子に云々はともかく、自分は確かに兄を蔑ろにしていた。

 兄が家の中で無視されていたのは知っていた。でもそれ以上に父の賞賛が喜ばしく、何より魔法に触れるのがこの上なく楽しくて、そればかりにのめり込んでしまった。

 だから、報いとしてそれを恨んだ兄に今の扱いを受けるのならば、理に適ってはいるのかもしれない。


 そう言おうとしたが……もう口が回るほどの元気が残っていなかった。

 そんなエルメスの姿を、クリスはつまらなさそうに一瞥して息を吐く。


「……ふん、まあいいさ。そのまま君はここで見ているといいよ。選ばれた僕が君の代わりにフレンブリード家の当主になって、君のなりたかった偉大な魔法使いになる様をさ! あっはははははは!」


 そうして、クリスは今までの鬱憤を晴らすようにエルメスに己の魔法を見せつけ、痛めつけて去っていく。

 クリスの暴挙を、家の人間は誰も止めない。父ゼノスが黙認どころか推奨さえしている以上、止める権利は誰にもない。


 以前とは全く違う、最底辺よりもなお悪い生活に、エルメスの精神は少しずつ磨耗していった。

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