第13話 エピローグ

 暖かいお昼の日差しのなか、焼き菓子の入ったバスケットを抱くように持ち、執務室へ急ぐ。胸一杯に息を吸い込むと、甘い香りに包まれた。

 なぜかクレープだけは、コーデリアの手作りということになってしまったが、今日はアリー特性のマドレーヌだ。


 すれ違う人に挨拶をすると、朗らかな笑顔が返ってくる。

 はじめは驚かれていたものの、最近ではお馴染みの光景と化したらしい。この時間を狙って執務室を訪れる役人がいるほどだ。

 ギルバート殿下は人が増えたことを煩わしそうにしているものの、情報が集まってくるので黙認している。


「失礼します」

 執務室に入ると、もうすでに何人かは手を止めて待ってましたとばかりに顔を輝かせていた。


 殿下は散らかった書類をガサガサっと横に寄せて、スペースを開ける。

「整理しておかないと、わからなくなっちゃいますよ」

 そう言いながらも、空いたスペースにマドレーヌを置く。アグネスがコーヒーをカップに注いでいる。それを一つ受け取り、殿下の机に置いた。


 レナルドさんが席を立って、マドレーヌとコーヒーを受け取りに来ている。


 はじめのころ、全員に配ろうとしたのだが、殿下のお気に召さなかったらしい。「なぜ、コーデリアに配らせてるんだ?」と不機嫌になったので、各自取りに来るスタイルになった。


 何が始まったのか、キョロキョロと見回している執務官が、数人いる。彼らは、ニールス領の問題が発覚した初日に王都を発って、ケントの家族を保護していた者達だ。

 昨日、王都に戻ってきたばかりで、執務室にコーデリアがいることに驚いていた。


 領主は捕らえられ、殺人の実行犯も捕らえられた。領主は実行犯が勝手にやったことだと主張し、実行犯は領主に命じられて嫌々実行したのだと訴えた。

 やっとのことで、領主が多額の報酬で依頼したのだとわかり、二人を捕らえることができたらしい。納めなかった税金は領主の懐に入っていたらしく、資産の売却などで取り戻していく。取り戻せそうもない分をどうするかで、ギルバート殿下がかなり渋い顔をしていた。


 ちなみにカルロス・フィナーは、あの日を境に訪れなくなった。橋の建設の話は本当のことで、実際に資金繰りに苦労しているらしい。シリル殺害の関与については、身に覚えはないと主張している。証拠も見つかっていないので、罪には問えないだろう。


 キョロキョロしていた執務官は、周りの様子から察したようで、列の最後尾に並んだ。


「失礼します! 殿下、例の書類持ってきました」

 すっかり顔見知りになった財務部の役人が、勢いよく入ってきた。ニールス領の正確な納税額を調べてくれている。

 財務官は殿下に書類を渡すと、列の後ろに並んだ。


「なぜ、お前まで、食べさせなきゃならない?」

 殿下が、じとっと財務官を睨み付けている。彼は慣れたもので、「御馳走になりま~す」とニコニコしたままだ。


 コーデリアは、財務官にマドレーヌを渡した。

「たくさんありますので、大丈夫ですよ」

 アリーに余分に作ってほしいとお願いしてある。

 数個残るので、その分は誰かのお代わりになるだろう。

「そういう意味じゃない」

 背後から怒気が籠った声がするが、もう慣れてしまった。

「嫉妬深いと、嫌われますよ」

 レナルドさんが、流れるようにからかうと、殿下は「嫉妬ではない」と、そっぽを向いた。


「おやつだけでも、コーデリアさんには感謝ですね。それに加えて、優しくて働き者なんですから」

 レナルドさんが褒めてくれた。ギルバート殿下は、面白くなさそうに鼻を鳴らす。


 コーデリアは、アグネスと並んでマドレーヌを頬張った。ホロホロと口のなかで甘さがほどけて、コーヒーの苦味がちょうどいい。

 アグネスには、コーデリアの補佐として近くにいてもらっている。一応、護衛もかねているようだ。

 和やかな雰囲気から、仕事を再開する気配に変わったのを感じて、皿やカップをバスケットのなかに仕舞っていく。


「それでは、片付けてきますね。ついでに、こちらの書類、届けて参ります」


「私も行く」

 ギルバート殿下が、席を立った。

「置きにいくだけですよ」

「散歩だ。座ってばかりでは、身体が鈍る」


 コーデリアが持っていたバスケットを、ギルバート殿下が奪うように持つ。アグネスが、そっと後ろに移動して、ギルバート殿下にコーデリアの隣を譲った。


「戻ってきたら、ニールス領の正しい納税書の確認を頼む」


 執務室に通うようになってから、殿下は少しづつ仕事を任せてくれた。それが嬉しくて、働けるのが楽しくて、充実した毎日を過ごせている。

 妃になることについては畏れ多くて、今は考えないようにしているが、殿下の執務室で働けるのが楽しくて、神の花サーペントプリンセスを辞退したいとは思わなくなっていた。


 廊下に出ると、殿下は手を差し出してきた。

「へ?」

「手を繋ぐくらい、いいだろう」

 そっと自分の手をのせると、ギルバート殿下の大きな手のひらで包むように握られた。

 見上げると、照れ臭そうに頬を赤らめている。


「今の仕事が片付いたら、休みを取ろう。コーデリアの服を見に行くぞ」

「服? ですか?」

「あぁ。その服も悪くないが、もう少し華やかでもいいかと思ってな。それから、今日も一緒に帰るからな」

 ギルバート殿下が忙しいときはコーデリアが手伝い、コーデリアが手間取っているときは、ギルバート殿下が手助けしてくれる。

 そして、必ず、手を繋いで一緒に帰っていた。温かく大きな手を、ぎゅっと握り直す。

 ギルバート殿下が「ふふっ」と笑った気がした。


 コーデリアの心の中には、打ち明けられなかった想いが残っている。でも、その大部分は、ギルバート殿下に塗り直されているようだ。

 コーデリアは密かに、想いすべてが殿下で塗りつぶされることを、心の奥で楽しみにしていた。

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アイリスの館にて、あなたの帰りは待ちません 翠雨 @suiu11

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