第11話 アイリスの館

「アグネス。アグネス。どうしましょう」


 朝起きて、アグネスの顔をみて、第一声。


「おはようございます。どうされました?」

 挨拶すら忘れていた。もごもごと、挨拶を返す。


「昨晩、殿下に『俺の分も取っておいてくれ』って言われたんです。お菓子のことだと思うんですけど」

 アグネスは、緑色の瞳を輝かせる。

 起きたら殿下はいなくなっていたので、仲良くなったアグネスに大急ぎで報告したのだ。


「コーディ様!! 素敵じゃないですか? 何を作りましょうか?」

 嬉しそうにはしゃぐアグネスとは反対に、コーデリアの気分は沈んでいく。

「やっぱり、作らなくちゃ、ダメでしょうか?」


 まさか、殿下もコーデリアが作っているとは思っていないだろう。まだまだ練習中のコーデリアが作るよりも、アリーかエドワードが作った方が美味しいものができると思うのだ。


「作りましょうよ!! そして、殿下を驚かせましょう」

「でも、私の作ったものより……」

「そんなことありません!! 何度か作って、自信のあるものにしましょう。アリーにも相談しないと!!」


 「廊下は走ってはいけません!」という言葉は、間に合わなかった。張り切ったアグネスは、突進するが如く、キッチンに向かっていく。コーデリアは、その間にクローゼットから取り出したワンピースに着替えた。紺色の落ち着いたものだ。


「アリーが、クレープにしましょう、ですって」

「クレープなら、まぁ」


 多少生地のできが悪くても、アリーが作ってくれたフルーツソースやクリームで誤魔化せる。


「コーディ様には、幸せになってもらいたいんですから」

 そういいながら、コーデリアの髪を結い上げていく。


「私は、どうなるか、わからないでしょ」

 「そんなことないですって」と力説しているアグネスを振り返る。

「あぁ、動かないでください」


 朝から元気そうなので、昨日の顔合わせはうまく行ったのだと思うけれど。実家への資金援助のためにお嫁に行くと言っていたから、心配していたのだ。

「アグネスったら、私の幸せより、あなたはどうなのよ?」


「コーディ様の幸せも大事ですよ。私の方は、お陰様で。貸していただいたワンピースが効果覿面てきめんで、実家への支援も決まりました。一回だけですから、その間に父を何とかしなくてはいけないんですけど」


 貸したワンピースが、コーデリアと上手くやっている証明になったらしい。アグネスは、淀みなく答える。


 実家への支援が決まったということは、アグネスの嫁入りも決まったということ。


「アグネスは、それでいいの?」

「もちろんです。コーディ様の元で働いていたいので。これからも、バリバリ働いてもいいって、許してもらえたんですよ」


 アグネスの仕事は、朝が早い。やめて欲しいと言われてもおかしくはない。しかし、王宮との繋がりに使いたいのであれば、やめられては困るわけで……。

「いわゆる、利害が一致したってことです」

 金髪を朝日に輝かせて笑うアグネスに、目を細める。


「そういう意味では、一致していますね」


 アグネスが、『それでいい』と言うのだから、見守ることにした。でも、困ったときには助けたい。


「ですよね。後は父を何とかしないと」


 コーデリアが、神の花サーペントプリンセスを辞退したがっているなど、言えなくなってしまった。アグネスはアイリスの館の使用人であるので、職を失う心配はないけれど。


 少しだけ寂しいわね。お友達として付き合ってもらえればいいのだけれど……。


 ギルバート殿下とは仲良くなれなかったが、妃になることを辞退するつもりなら、その方が都合がいい。

 他の神の花サーペントプリンセスが見つかった気配がないが、そういったこともそろそろギルバート殿下に聞かなければ。


 コーデリアが決意を固めているとアグネスは、「父は、何とかしますね」と呟いて、コーデリアの肩をポンと叩いた。

「できましたよ。朝御飯にしましょう」


 朝御飯をいただき、クレープの下ごしらえを済ませると、やることがなくなってしまった。午後になって生地を焼き、後はエドワードに夕食のデザートとして出してもらうように頼んだ。


 そのときだ。


 エントランスの扉が乱暴に開けられて、足音が雪崩れ込んできた。


「殿下!! どうされました?」

「場所を貸してくれ。コーデリアは?」

 ギルバート殿下の声が、キャディの問いを遮る。ただ事ではない気配に、顔がこわばる。


 キッチンを飛び出して、「ここです」と姿を表した。


 ギルバート殿下は、3人の男性を連れていた。一人はレナルドさんだが、残りの二人には会ったことがない。


「コーデリア、同席してくれ。君の手柄だからな」


 応接室に案内されたが、急ぎだからお茶もいらないと言う。

 ギルバート殿下は、座ると同時に話し始めた。コーデリアは、アグネスの持ってきた椅子にそっと腰をおろす。


「ケント。お前のことは調べさせてもらった。ニールス領に実家があり、両親と足の不自由な妹が暮らしているな。全てのことを正直に話すのが、お前のためだと思うがな」


 聞き覚えのある名前に、コーデリアはケントと呼ばれた男を凝視する。左頬に大きな傷のある背の高い男だ。不安そうに、その傷を触っている。


 役人になるために、一通りの地理も覚えた。出身地も東側なので、なんとなく距離感もわかる。

 ニールス領までは遠い。王領に隣接したロワール領を通り抜け、そのさきだ。どんなに急いでも4日。


「ここは、アイリスの館。私の許可がなければ、庭ですら立ち入ることはできない。つまり、盗み聞きは不可能だ。それから、今朝、ニールス領のお前の実家には、私の部下を送った。体力に自信のある者達だ。3日で到達する。今から追いかけたとしても、追い付かないだろう」


 ニールス領まで3日とは、驚異的なスピードだ。確かにギルバート殿下の部下は、優秀らしい。


 殿下は言葉を切ると、鋭い眼光でケントを見た。

「お前の家族には、危害を加えさせない。本当のことを話してくれ」


 しばらく逡巡していたケントだったが、ギルバート殿下の顔を見る。殿下が頷いたのを確認すると、ようやく決心したようだ。まっすぐにギルバート殿下を見て、口を開いた。


「私は、愛人のでっち上げを依頼されました。そんなことを依頼するからには、奥さんの他に犯人がいるのではと疑っています」


 愛人は元からいなかったのだから、見つかるはずがない。聞き込みをしている間、ギルバート殿下の部下がぴったりくっついているので、適当に愛人を仕立て上げることができなかったらしい。


 ギルバート殿下は、続けるように促す。

 ケントは、頬の傷に手を当てた。

「本当の犯人は、知りません。私が裏切ったことがばれると、ニールス領の領主様に、妹が捕らえられてしまいます」


「依頼してきたのは、ニールス領の領主だな」

「…………はい。5年前の馬車の事故で、妹は足を怪我して不自由になりました。その後、医者を紹介してもらうなど、領主様にはお世話になったのですが……、今は妹を人質にとられたも同然です」

 左頬の傷をしきりになぞる。

「その傷は、そのときのものだな。5年前だ。お前の同僚が教えてくれたよ。妹さんのことも」


 ケントはどう見ても30歳くらい。事故のときは警備部で働いていて、実家に帰ったときに起きてしまった事故らしい。


「カルロスさんは、ニールス領の領主様のところで見たことがあったんです。だから、見張られていたんじゃないかと思うんです。何故、わかったんですか? ……ばれないように言いつけは守っていたんですが」


「『捜査情報を明かすな』とかか?」


 ギルバート殿下は、不敵な笑みを浮かべてコーデリアを見た。

「カルロスが不審な行動をしていることに、コーデリアが気づいたんだ。だから、お前とカルロス、あとシリルの共通点を調べた。シリルは、ニールス領を含む東側の財務を担当していて、カルロスはニールス領とロワール領に掛かる橋の建設に一枚噛んでいるようだった。そこまで判れば、後は難しくなかったよ」


「でも妹は、妹は……。あいつは、杖なしでは歩けないんです……。あいつは、無事でしょうか?」


「お前に話を聞いてからでは間に合わないだろうと思って、朝のうちに部下を向かせている。お前が裏切ったとわかってから人や文を送っても、もう追い付けまいよ」


 ニールス領の領主が、担当財務官の殺害に絡んでいる。それがわかれば、恐ろしく単純な事件だ。

 だからこそニールス領の領主は、奥さんを犯人に仕立て上げて、自分から疑いを逸らせたかったのかもしれない。


「財務関係のトラブルですか……?」


 ポロリと漏れた呟きに、ギルバート殿下が大きく頷く。

 そうであれば、単純だが大きな問題だ。


「急いで書類を確認してもらったが、国への納税がずいぶん減っている。とんでもない飢饉でもなければ、あんなに減るわけはない。家族から、そんなこと聞いているか?」

 ケントは「いえ」と、首を振る。


 コーデリアの実家も東側だが、そんなことは少しも聞いていなかった。役人をしているコーデリアの両親のことだ。他の領の情報であっても、飢饉など起こったら、コーデリア宛の文に書かれていてもおかしくはない。


「他の領からも、そんな報告はない。おそらくだが、シリルがニールス領の不正に気づき、視察に向かった。それに気づいた領主の命で、殺されたんだろう。シリルがもう少し人付き合いがよく、ニールス領に行くと誰かに伝えてから休んでくれればよかったんだが」


 愛人とのお忍び旅行ではなく、視察のための休みだったということだ。


 ギルバート殿下は、がしがしと焦げ茶色の髪をかきむしると、どかっと背もたれに寄りかかった。


「詳しい状況は、追って連絡する。ニールス領に人手を向かわせろ。領主を逃がすなよ」

 レナルドさんがいうと、部下だと思われる男は、キビキビとした動きで館を出ていった。


「レナルド、お前はケントをかくまってやれ。必要なことは、お前に任せる」


 レナルドさんがケントさんと出ていくと、部屋のなかは二人きりになった。ギルバート殿下が自分の隣を、ぽんぽんと叩く。隣に座れということだろうか。

 ギルバート殿下の様子をうかがいながらそっと腰を下ろすと、ふわりと笑顔を見せた。


「コーデリア、今回は助かった。カルロスの行動がおかしいと気づいていても、俺への嫌がらせだろうと思い込んでいた」


 コーデリアが気づけたのも、偶々だと思う。それよりも……

「お礼には及びません。久しぶりに外との関わりが持てて、嬉しかったです」


 口に出してしまうと、閉じ込めていたものが溢れ出てしまう。

 神の花サーペントプリンセスを辞退したときのためにお菓子作りを練習していても、コーデリアの性にあっているのは、役人の仕事だった。 

 室内でやることもなく過ごすのは、もってのほか。息が詰まってしまう。


「殿下の神の花サーペントプリンセスは、まだ見つからないのですか?」

「コーデリアが、いるではないか」

「お父様の神の花サーペントプリンセスは、4人いらっしゃいましたよね?」

「もしかして、神の花サーペントプリンセスが何人もいると思っているのか?」

 その言葉に、冷や汗が伝った。

「違うのですか? 複数人から、一人、もしくは、何人か、好みの方を、お選びになるのでは御座いませんか?」


 今の国王にはお妃様はお一人だが、王太子様には4人のお妃様がいらっしゃる。


神の花サーペントプリンセスは、ただ一人だ」


 頭を固いもので殴られたくらいの衝撃だった。

 「でなければ、探すのに苦労しない」というギルバート殿下の言葉も聞こえていなかった。


 一人ということは、ずっとアイリスの館に閉じ込められて過ごすことになる。

 耐えられなかった。

 血の気が引いていく。

 一生、ここで過ごすのか。それに、行く行くは王妃だと思うと、畏れ多くて受け入れられない。


「私には、無理です」


「俺のことは嫌いか? 使用人とは仲がいいようだが。俺との仲を邪魔するような使用人なら、解雇してもいいかもしれないな」


 ブチッとなにかが切れた。

 良くしてくれた使用人を守れるのであれば、他はどうでもいい。

 アイリスの館に連れてこられてから毎日、考えないように閉じ込めて、感じないように押し込めてきたものが腹の底から次々に溢れてくる。

 不敬に問われようが、止まらなかった。


「解雇は取り消してください。職務怠慢や無断欠勤などの正当な理由がない解雇は、無効です」


 コーデリアは、すらすらと言いきった。

 役人をしていれば、数日に一回は解雇の相談がある。正当なものもあるが、なかには不当なものも混じっていた。

 雇用主との話し合いに出向き、代弁することも珍しくない。


 ギルバート殿下は目を丸くして、コーデリアを見た。その表情が、笑っているように見えて、首をかしげる。

「それは、確かに……。コーデリアは、俺のことは嫌いかい?」

「殿下のことですか? 好きも嫌いも、まだ殿下のことを知りません」


 殿下のことは優しい人だと思う。かっとなって「解雇」などと口にしたが、すぐにコーデリアの反論に耳を貸してくれた。指摘されて怒り出す人もいるだろうに。

 でも、好きかと聞かれると、そんなことはない気がする。いまだに、先輩のことを思い出してしまうことがある。


「知らない、か。これから知っていけばよい。時間はある。俺は、神の花サーペントプリンセスが、コーデリアでよかったと思っているがな」

 一度溢れ出した不満は、止まらない。

「私も、殿下のことを詳しくは存じ上げませんが、殿下も私のことを、知っておりませんよね?」


「そうか??」


 ここまできたら、言いたいことは吐き出してしまおう。腹に力をいれて、ギルバート殿下をまっすぐに見上げた。


「言わせていただきますが、この館に一日中閉じ込められていては、息が詰まって死んでしまいます」


 ギルバート殿下が、視線を彷徨わせる。


「私がやっても問題のない、仕事をください」


 長い沈黙が支配した。

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