第10話 和やかな夕食とは、ならず

「チッ!!」

 大きな舌打ちが飛び出していた。


 しまったと顔を上げれば、コーデリアが不安そうに視線を彷徨わせている。シードルを口に含んで誤魔化すが、誤魔化しきれなかったようで、コーデリアは微妙な表情で手元を見た。


 帰りがけにあったことを思い出して、腹立ちがぶり返してしまったのだ。


 今日は夕飯に間に合うと、鼻歌混じりに廊下を歩いていると、カルロスが現れた。跳ねた口ひげの下に、ニタァっと嫌な笑みを浮かべて歩み寄ってくる。

「これは、これは、ギルバート殿下ではありませんか」

「カルロスか」

 ギルバートのことを嫌っているはずなのに、何故こう毎日顔を出すのだ。じわじわと怒りが沸いてきた。

「シリルの愛人は見つかりましたか?」

 本当のことを話すのは不服だった。

「捜査機密だ」

 嫌らしい笑みを浮かべたまま、ギルバートの方へ一歩近づいた。

「ギルバート殿下の手の者が、お手伝いしているのでしょうから、見つからないなんてことはありませんよねぇ。私としては、そうですねぇ。もう、すでに見つかっていると思っていたんですけどね」

 わざとらしく言葉を切って、挑発的な目付きをする。

「ギルバート殿下の部下も、大したことはないんですねぇ」


 カルロスの物言いに、熱湯が沸き立つような腹立たしさを感じた。


 実際、ここ数日、新しい事実は見つかっていなかった。


 財務部へ同行した部下からの話では、シリルがやっていた仕事の引き継ぎに、その死を悲しんでいる間もないほどだったという。ケントが話を聞こうとしても取り付く島もない様子。ギルバートの部下が間を取り持つことで、やっと話を聞けたという状況だった。


「やはり、私が手伝いましょうか。その部下よりも早く、目的の人物を見つけてみせますよ」


 おまえなど信用できるものか。そう心の中で暴言を吐いたと同時に、舌打ちが出てしまった。

 カルロスは何とか追い返したものの、今でも腹立ちがおさまらない。


 とはいえ、コーデリアには関係のない話だ。

 謝ったらいいのかと迷っていると、料理が届いた。

「お待たせしました」

 エドワードが運んできた料理に、コーデリアの視線が釘付けになっている。

「トマトのファルシです」

 コーデリアが笑顔になった気がする。


 じっと見つめていると、エドワードと視線を合わせて微笑んだ。エドワードも、コーデリアに微笑みかけたように見えた。


 先ほどまでの腹立たしさとは違う、ねっとりとした黒い感情がうごめく。


 ギルバートとは会話も成り立っていないのに、使用人とは仲良くしているようで、それにイライラが増す。


 一度、気持ちを落ち着けるために、大きく息を吸った。


 館で一日を過ごすコーデリアが、使用人とうまくいっていることは、本来喜ばしいことだ。

 会話が成り立っていないことも、ギルバートのせいなのだ。ここ数日、カルロスに仕事の邪魔をされて帰りが遅くなり、今日、初めて一緒に食事がとれている。


 食事が一緒にできれば、話題も見つかると思っていたのだが……。


 レナルドに何を話せば言いかと聞いたところ、流行りのドレスの話や、流行りの装飾品の話、流行りのスイーツの話など、流行りでないとダメなんだとか。どれもギルバートには、難しい。


 レナルドには、女性の好きな話ではなくても、無言よりはずっと良いと言われているのだが、第一声が出てこない。


「殿下は、神の花サーペントプリンセスへは、否定的ですよね」


 コーデリアが、流れるように呟いた。

 声まできれいだ、などと思っている場合ではない。


 ギルバートが何も話さないことで、コーデリアの気分を害してしまったのだと、気づいた。


 あぁ、もう、どんな話題でもいい。話してしまえ。


「実は、だな。仕事で行き詰まっているんだ」

 コーデリアの問いかけに対して適切な答えだったとは思わないが、それでも彼女はキョトンと首を傾げた。

「俺の仕事の一つに、特別審判というものがあるのだが」

 コーデリアは、「はい」と頷いた。


 そこで、彼女が元は役人だったことを思い出す。

 グラスに注がれた赤ワインを飲みながら、ケント・ハリスンが来たときのことを話していく。


 気安く外部に漏らしていい情報ではないが、コーデリアが館から出ることはないので、話しても問題はないだろう。


 コーデリアはブドウの果汁を口にしながら、真剣な顔で聞いてくれた。

「財務部なんて、一日で聞き込みが終わるほどの人数しかいないんだ。出てくるのは、シリルが真面目だったという話ばかり。他の部署にも聞き込みをしているが、あまり交遊関係の広い男ではなかったらしくてな。今度は、知らないという返事ばかり」

 肉料理が運ばれてきている。コーデリアはそれを口に含んで租借しながら、考えてくれているようだ。少し首をかしげて斜め上を見ている動作が、無性に可愛らしかった。


 仕事の話、しかも愛人探しの話で、コーデリアとの話の内容として相応しいとは思えないが、こんな話でも、さっきまでの殺伐とした空気を解きほぐしてくれた。


「シリルが、殺される直前、十日の休みを取っていて、それがお忍びの旅行だって言い張るんだが、他に十日も休みを取っている役人は見当たらないんだ。普通十日も休んだら、目立つだろ?」


 コーデリアは神妙な面持ちで、頷いている。


「これだけ聞いて何も出てこないんだから、仕事関係に愛人はいないんじゃないか? 警備部の調査で何か見逃しているんじゃないか? って、思っているんだけどな」

 事件に関してケントは、「こちらで調査いたします」の一点張りだ。


 このまま、昨日とその前の日に遅くなったこと、さっきイライラしていたことの言い訳をしたら、頷いて聞いてくれそうな雰囲気がしていた。


「それにだな。カルロス・フィナーという役人がいてな。こいつは、国が行う事業の計画実行をしている政治部の役人だが、書類が揃っていないのにも関わらず、サインをしろと執務室に居座るんだ。それで仕事が長引いたんだが……」

 すごく嫌そうな顔で大きく頷いた。元役人のコーデリアなら、わかってくれると思っていた。この反応に、次の愚痴も滑るように飛び出した。

「今日なんて、愛人がみつからないのは、俺の部下が使えないからだなどと、侮辱してくる。捜査情報も教えてもらえず、ただ付き添っているだけの部下に、使えるも使えないもあるもんか。というか、俺の部下は優秀だ!」


 勢いに任せて、肉にフォークを突き立てる。


 ついつい、レナルドや部下たちといるときのような態度をとってしまった。気分を害したかとコーデリアを見れば、目尻を下げてふわりと笑ったのだ。


 その可愛らしさに、息が止まった。イライラしていたのも、すっかり忘れてしまう。


「殿下は、部下想いなのですね。それにしても、何故、カルロスさんは、殿下の部下をバカにするようなことを言ったのでしょうか」


「へ?」

 コーデリアの問いの意味が理解できず、変な声が上がる。


「カルロスさんは、殿下にサインをして欲しくて執務室に居座っているのですよね? それとケントさんの愛人探しとは関係がないようですが?」


 「私、何か聞き逃しましたかね?」と考え込んでいる。


 たしかに、ケントの持ってきた事件とカルロスは、何の関係もない。それとも、何か関係があるのだろうか。


「あ~っと、何でカルロスが現れたんだっけ? ・・・・あぁ、たしか、カルロスが執務室で随分粘ったあとに、ケントから話を聞いたんだ。帰ったと思ったカルロスが、廊下で盗み聞きをしていたらしくてな、乱入してきたんだ。手伝ってやろうかって、大きなお世話だ」

 そのときの腹立ちを思い出す。


「盗み聞きなんて、お行儀の悪い方ですね。でも、わざわざ首を突っ込まなくても」

「あいつは、俺の邪魔をしたいだけなんだ。俺のことが嫌いなのだろう」


 父親の腰巾着。父は、ギルバートのことを嫌っている。カルロスも同じはずだ。


「嫌いな方の顔は、見たくないものではありませんか? それが、邪魔をするためだとしても」


「では、あいつは何のために来ているんだ? 本当にサインをもらいに来ているのか? 書類は持ってこないのに」


「今の話では、まるで捜査の邪魔をしているようです」


「捜査の邪魔……」


 たしかに、カルロスが毎日のように居座るようになったのはケントが来てからだ。


 事件とカルロスに、なにか関係がある?


「たしかに、ケントはカルロスをみて、顔をひきつらせていたような気も…………」


 最後に残っていたワインを飲み干した。


「あっ、でも。聞いたことだけで、思ったことを言っただけなんで」

 立ち上がり、不安そうにするコーデリアの頭を優しく撫でた。仕事中のギルバートは、怖いと言われることもある。本気で事件のことを考えているときでも、臆することなく話してくれることが嬉しかった。

 目を丸くして頭を押さえるコーデリアに、自然と口角が上がる。


「他の情報がないからこそ、シンプルな感想だろ?」


 ギルバートでは、『カルロスからは嫌われている』という先入観から、カルロスの行動を不思議に思えなかった。


「調査はしてみてもいいんだ。ちょっと出てくる。先に湯浴みを済ませておいてくれ」


 玄関を出るときに、今日も甘い匂いがしていたことを思い出した。今日のデザートは何だったのだろうか。戻ってきたら、聞いてみたいと思う。


 王宮の裏庭を走り抜け、役人の宿舎にはいる。何度も通った廊下を早足で通り抜け、よく見知った扉を激しく叩く。


 扉を開けたレナルドは怪訝そうだったが、ギルバートを確認すると顔を曇らせた。

「はぁ。やはり、ですか。私も同行しましょうか?」


 昼間に散々、何を話せばいいのかと相談したせいか、レナルドは勘違いをしたようだ。外に出る支度をし始めたレナルドを、出し抜いたようで笑いが込み上げる。


「おっ、話が早くて助かるなぁ。そのまま、カルロスとケントに、関わりがないか調べてくれ。あと、シリルもだ。今の時間なら、宿舎の役人に聞けば少しは情報が集まるだろ。時間がない。手分けしろ」

 まだ寝るには早い時間だ。


 呆気に取られるレナルドを引きずって宿舎を巡り、部下を探しだすと、それぞれに役割を振る。

「そろそろ館に戻ってくださいね。ギル様がいると、目立って仕方ありませんから」

 ギルバートが聞き込みをすると、何事かと構える人が続出し、何でもべらべらと喋る雰囲気ではなくなってしまう。

「わかってる。あとは、頼んだ」

「報告は、明朝に」

「あぁ、何時でもいい。お前も早く行け」

 見送ろうとするレナルドを急かして、宿舎を後にした。


 アイリスの館に戻れば、コーデリアの湯浴みは済んでいたので、自分も体を流してから寝室に向かった


 立ち上がって出迎えてくれたコーデリアに「楽にすればいい」と伝えると、隣に座る。


 あれ?


 ライムグリーンのワンピースが無くなっていることに気がついた。壁に掛かっていたものだ。


 昨日まではあったのに……。

 夕飯のときに着ていたわけではない。仕舞ってしまったのか。

 似合いそうだったのに……。


 コーデリアに準備した服が、暗い色ばかりだったことを思い出す。シンプルな装いは、コーデリアの美しさを引き立たせる。だから、それで十分だと思ったのだが……。いざ毎日顔をみるようになると、着飾るコーデリアも見てみたいと思い始めていた。


 俺が買った服で、着飾らせるのも良いかもしれない。この事件が落ち着いたら、二人で出掛けるのも悪くない。


 鼻唄が飛び出そうになって慌ててコーデリアの方をみると、真剣な顔で本を読んでいた。

 「俺の分も取っておいてくれないか?」と言いながら、コーデリアの目を覗き込む。毎晩、帰ってくる度に、玄関には甘い香りが漂っている。気になっていた。


 目が合うと視線を逸らすコーデリアが可愛くて、からかいたくなってしまう。

「わかりました」

 ボソボソと答えるコーデリアも、庇護欲が掻き立てられて、抱き締めてしまいそうだ。


 しっかりしているときは凛として美しく、おどおどしているときは抱き締めたいくらいに可愛らしい。どちらのコーデリアも、ギルバートにとっては魅力的だった。


「明日は、忙しくなりそうだ。もう、休もう」

 コーデリアの本を奪って、テーブルに置く。

「風邪を引く。ベッドを使え」

「えっ、でも……」

「広いんだ。こっちとあっちで寝れば、問題ない」


 ベッドの反対側に寝転がったコーデリアが、小さく身動きすると、その振動が伝わってくる。

「あの。殿下。もし、神の花サーペントプリンセスと相性が合わなかったら、どうするんでしょうか?」

「相性??」

「はい。性格とか、合わない場合もあるんじゃないかと思いまして」

「では、確かめてみるか?」

 身体を起こし覆い被さるように動くと、コーデリアは変な声を上げてベッドから落ちてしまった。

「冗談だ」

 元の位置まで戻って、手だけ差し出す。立ち上がるのを手伝うと、コーデリアは隅の方に横になった。

「結婚式が、まだだからな」


 コーデリアに触れたくて、仕方がない。結婚式が遠すぎる。それまで耐えられるだろうか。コーデリアに背を向けて目をつぶると、何度も深呼吸を繰り返した。

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