第8話 はじめての夜
進まなかった執務を、やっとの思いで終わらせた。
昨日、
「面倒だ。役人用の宿舎なら、すぐそこなのに」
やることが一段落したら、執務官に早く帰るように勧められてしまった。帰れと言われると、反発したくなるというものだ。
「何をおっしゃいます。そのような緩んだ顔で言われても、なんの説得力はありませんよ」
レナルドは、呆れたような物言いだが、からかうような気配があって、それに腹を立てる。
「緩んでなどいるものか」
「あなた様としては、新しいおもちゃが見つかったくらいのつもりでしょうが、今まで避けてきた、恋とか愛とかそういったものにちゃんと向き合わないと、大変なことになりますよ」
コーデリアが気になって仕方がないが、それは、今まで会った女性と違いすぎて興味が湧くからだ。
恋とか愛とか、聞きたくなかった。
「しっかり向き合わないと、お父様のように・・・」
「うるさい」
ギルバートの母と父は、顔も会わせないほどの不仲。その代わりなのだろうか。妾妃を何人も囲っていて、正妃の暮らす館ではなく、妾妃に与えた屋敷に帰っているらしい。
少しでも非難を減らそうと、妾妃も
そのせいで、世間では、
「あいつのようには、ならない」
だから、今日から館で寝ることを決意しているのに。
部下の執務官とも、交流を図るには同じ時間を過ごして、色々なことを話すのがよいと思っている。
コーデリアとだって、それと同じだ。
ギルバートは少しだけ感じている違和感を、見ないようにした。
王宮の裏庭を通って、ギルバートにあてがわれたアイリスの館の前までやってきた。
護衛もかねているレナルドが、「明朝、お迎えに上がります」と頭を下げるので、そのまま館に踏み入れる。
「おかえりなさいませ」
使用人のキャディが迎えてくれた。
彼女は、ギルバートと同じ年頃の息子がいる。そのためか、ギルバートに対しても世話を焼くようなところがあった。それが鬱陶しくもあり、嬉しくもある。
玄関に入ったとたんに、甘い香りがしていることに気がついた。
夕食に、デザートがでたのだろうか?
「コーデリアは、何をしている?」
「寝室にいらっしゃいますよ」
そこで、はたと足を止める。
何を話せばいいのだ?
今まで、女性を避けてきたため、どうしていいのかわからない。政治の話や仕事の話、狩りの話や乗馬の話なんかでいいのだろうか。
キャディが口を開きそうになった。
「先に湯浴みする」
立ち止まってしまったのを誤魔化したくて、早口になる。今は、少しでも考える時間がほしい。
すぐに使えるように、お湯は沸かしてあったのだろう。浴室の準備には時間がかからなかった。
本当は、お湯の支度をしているあいだ考えられると思ったのだが、仕事のできすぎる使用人も困ったものだ。
背中を流すというキャディを断り、一人でゆったり湯船に浸かる。
はて、義妹はどんなことを話していただろうか。参考にするには幼すぎる気もするが、まともに話したことがある女性は、それくらいだ。
花の話やドレスの話、誕生日の贈り物の話に母親の話。
ギルバートは、頭を抱えた。
こんなことなら、眉目秀麗で女性にも人気があるレナルドに、アドバイスをもらっておくんだった。
今さら聞きに戻ったら、笑われるだろう。そろそろ長湯も限界だ。
火照った体をタオルで拭いて、夜着に袖を通す。
「お食事は、どうされますか?」
「食べてきた」
一緒に食べれば、そういった話もできたのかもしれない。しかし、部下の執務官に空腹を我慢させたまま仕事をさせるわけにもいかなかった。
結局いい話題が思いつく前に、寝室のドアの前についた。
キャディがノックをすると、小さく返事がある。
開かれた扉の向こうには、頭下げたコーデリアが立っていた。
一歩踏み出すと、背後で扉が閉まった。
急に、心臓がバクバクとうるさく鼓動する。
「楽にしていい」
困惑した表情を浮かべたコーデリアは、紺色のナイトドレスに身を包んでいる。結婚式もまだまだ先なので、あまり肌の見えないものにしてくれと頼んであったのだが、それでもウエストあたりのくびれが目についてしかたがない。
二人で横になっても充分余裕のあるベッドの、端に腰かける。その間もコーデリアは直立不動のまま。
いままでギルバートの近くにくる女性は、甘えた声を出し、上目使いでしなだれかかってきた。もちろん、コーデリアは、
しなだれかかってくれば受け止めて、そうするのを許さなければならないと思っている。
「好きなことをしていればいい」
声をかければ探るような視線を向けられる。気にしないようにベッドに横になる。
歩く音に続いて、ソファーの沈む音がした。
薄目を開けて見れば、何か本を読んでいるようだ。
あぁ、なんの本を読んでいるんだ!? 気になってしかたがない。
一度横になったのに、立ち上がって見に行くのか!?
心の中で悶々と考えたが、自負心が邪魔をして、見に行くことはできなかった。
・・・・・目が覚めると、部屋の中は暗かった。
横になっていたら、いつのまにか眠ってしまったようだ。
月明かりの中、コーデリアを探す。
ベッドの上にはいない。
まさか・・・・。逃げられた・・!!
眠気が吹き飛んで、勢いよく起き上がる。
「ぅん~」
コーデリアの息づかいが聞こえる。バサッと、物が落ちる音がした。
薄暗い中、コーデリアを探せば、ソファーで寝てしまっている。
丸まって眠るコーデリアに毛布をかけてやると、もぞもぞ動いて手足を伸ばしたように感じた。
「寒いのなら、布団を掛ければいいのに」
「ぅうん~」
落ちたものを拾い上げると本だった。
コーデリアのことを勝手に覗き見しているような、そんな後ろめたさに襲われて、テーブルに表紙を下にした状態でのせる。
それでも見えてしまった文字が、脳に張り付いたように消えない。
「甘いものが、好きなのか?」
だから、帰ってきたときに甘い匂いがしたのか。
毛布を引き上げて、幸せそうに眠るコーデリアを、じっと見ていた。
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