第7話 手に職をつけるには
身の周りの世話をしてくれる使用人が、廊下を行き来する音で飛び起きた。ぼんやりする頭を振って、ベッドからおりる。
昨日は空が白むくらいまで眠れなかった。
「一人でゆっくり」と言われたとおり、大きなベッドを一人でのびのびと使わせてもらったが、逆にそれが緊張を誘い、眠りにつけなかった一つの要因だ。
しかし、一番の原因は、これからの身の振り方に悩んでいたせいだ。ギルバート殿下は、噂に聞いていたよりも怖くはなく、どちらかと言えば優しい印象だった。
あの真っ黒い瞳と暗い茶色の髪は重たい印象で、それだけで威圧感がある。しかし、怖さよりも、穏やかに気遣いを見せる姿の方が、コーデリアの印象に残っていた。
悪い人ではないと思うのだが、コーデリアの心には打ち明けられなかった想いが残っている。
いっそのこと打ち明けて玉砕していた方が、切り替えられたのではないかとも思ってしまう。
もう叶わない想いだからこそ、しっかりと胸に閉まっておくつもりだ。
ギルバート殿下は優しそうではあるが、他の
閉じ込められるのも大人しくしているのも性に合わないので、用無しとなり追い出してもらった方が気が楽だ。その時には辞退を申し出るつもりだが、しかしそうなると、自宅も解約、仕事もやめさせられていて、生き倒れてしまう。
やっぱり、追い出されるのを前提に、手に職をつけるべきよね。
昨日は、この考えを思い付いたことで、やっと自分を取り戻して眠気が襲ってきた。長い時間寝たわけではないが、聞きなれない物音に、すっかり目が覚めてしまっている。
「・・・困ったわ」
昨日着ていた服は見当たらないし、勝手にクローゼットを開けていいのかわからない。
露出の少ないナイトドレスを着せてもらっているが、これで廊下に出てもいいのだろうか。
コンコン、コンコン。
「お目覚めですか」
そんなに大きな声を出したつもりはないのだけれど、聞こえていたのだろうか。独り言を聞かれた恥ずかしさで、モゴモゴしていると、遠ざかっていく足音が聞こえる。
慌てて駆け寄って扉を開けると、「あら、ごめんなさい。起こしましたか?」と、同年代の使用人が顔を曇らせた。
呟きが聞こえたわけではないらしい。確認のためのノックがちょうどのタイミングで、勝手に驚いてしまっただけのようだ。
「あの。服って、どこでしょうか?」
「こちらです」
部屋の内側にある扉を通って、コーデリア用に用意されていた部屋のクローゼットを開ける。
「こちらは事前に用意していたものですので。コーデリア様の体型に合わせたものは、これから届きます」
「ちょっと待って」
「何か不味いことでも?」と顔を曇らせる彼女は、短くした金髪が綺麗で中性的な魅力があった。
「様付けは、ちょっと……」
「王子妃様になられるお方ですので、この呼び方が適切かと」
「慣れないし、他の呼び方はできませんか?」
「・・・結婚式の後ならば、王子妃殿下とお呼びするのが適切かと思いますが、今はまだ正式な婚約もされておりませんし」
さらにとんでもない呼び方が飛び出したことで、慌てて言い直す。
「例えば、コーディとか、呼んでくれないでしょうか?」
「コーディ様ですね。それでは私のことは、アグネスとお呼びください」
彼女の許容範囲では、この呼び方が限界だったようだ。それでも少し距離が埋まったような気がして、口許がほころぶ。
クローゼットから取り出したドレスワンピースを着せてもらいながら、彼女の名前がアグネス・コリンズだと教えてもらった。昨日は呆然としていたことも気がついていて、他の使用人についても説明してくれた。
朝食を食べ終わるころ、コーデリアの荷物が届いた。昨日頼んだ、本と服だ。
ギルバート殿下からの贈り物として、服も届いた。紺や深い緑、グレーなど、暗い色ばかりだ。
きっとギルバート殿下もコーデリアを追い出すつもりなのだろう。最低限の洋服で済ませて、もっと可愛らしい
コーデリアは、決意を固めた。さっそく、届けてもらった焼き菓子のレシピをめくる。このお屋敷のキッチンなら、材料は揃いそうだし、腕のいい料理人に教えてもらうこともできそうだ。
本をめくりながら、レシピを選ぶ。
今からでも作れそうなもの。お菓子など焼いたことの無いコーデリアでも作れそうなもの。
パンプディングに狙いを定めた。
「あのぉ。アグネス。これを作ってみたいのですが」
届いた荷物の片付けも終わって、何もやることがなくなってしまったコーデリアだが、コーデリアについているアグネスも同じくだった。たまにお茶のおかわりについて聞いてくるだけで、あとは部屋の入り口近くにおいた椅子に座ってもらっていた。
実は、先ほどから、モゾモゾしているとは思っていたのだが、コーデリアに声をかけられ、飛び跳ねるように立ち上がった。
「何でしょうか?」
緑色の目を、輝かせて本を覗き込んできた。
「パンプディング、ですか。コーディ様は、のんびり過ごされるようにと言いつけられております。ご所望とあれば、私がつくって参りましょう」
いや、食べたいわけではないのよ。そんな言葉が、飛び出しそうになって、寸前で止める。
お菓子を作る練習の第一歩として作りたかったのだ。自分で作らなければ何の練習にもならないではないか。
「いえ。あの。作ってみたいんです。あの……。その……。やることもないし、暇潰しとしてどうでしょうか?」
しばらく悩んでいるようだったが、「そうですよね。暇はよくないですよね」と、自分に言い聞かせるように呟いた。
「アリーが手伝ってくれるといいんですけど」
このお屋敷の朝担当の料理人だ。料理に対する情熱は人一倍だとアグネスに教えてもらった。
キッチンに向かうと、昼食の片付けが終わって、夕飯の仕込みを始めたところだった。
アリー・バラッタとエドワード・ライト、二人の料理人がそれぞれの作業を進めていた。
「コーデリア様、どうされました?」
年上であるエドワードが畏まって声をかけてきた。アリーは、その場で小さく頭を下げる。
「コーディと呼んでくれませんか?」
「畏れ多い」とはじめは渋っていたのだが、なんとか「コーディ様」で落ち着けることができた。
「キッチンを貸してほしいのです。すみの方でいいので。これを作ってみたくて」
エドワードは、言葉をつまらせてアグネスの方を向く。
「やることがないのは、よくないことだと思います!!」
アグネスが、拳を振り上げる。少し中性的な見た目のアグネスには、とても似合っていた。
「それは、アグネスはそうでしょうけど」
アリーが腰に手を当てて、頬を膨らませる。
「なにもしていないのに、それでお給料をもらってはいけないって気になりませんか??」
だんだん、アグネスのことがわかってきた。
「コーディ様の近くで控えているのも、アグネスの立派な仕事ですよ。コーディ様まで巻き込んで……」
エドワードが額に手を当てる。
アグネスもじっとしていられない質なのだろう。コーデリアとは、気が合いそうだ。
「アグネスがじっとしていられないからって、コーディ様を巻き込んでは・・・」
このままでは、キッチンへの突撃をアグネスのせいにされてしまう。
「違うんです。私が作り方を教えてほしくて、作ってみたくてお願いしたんです」
「コーディ様が??」
アグネスの言葉を借りて、胸を張る。
「やることがないのって、よくないですよね? 仕込みのお邪魔にならないようにしますので」
エドワードが、大きく息を吐いた。
「アグネスが二人に増えたようですね……。そちら側を使ってください。アリー、コーディ様をお手伝いしてあげて」
「あの、いいんですか?? 仕込みの最中だったんじゃ?」
「一人で十分ですよ。材料は、そこら辺にあるものを使ってください。足りなければ、アリーに取りに行かせてくださいね」
そうだったわ……。私は、このお屋敷の敷地から出られないんだった。
窮屈さを思い出してしまい、息が詰まりそうになった。
「パンプディングですね。これなら、材料はありそうですね。すぐにできるので、おやつにしましょう。飲み物はコーヒーか紅茶で」
アリーの穏やかな声に引き戻される。
「お願いします」
ボールに卵を割り入れると、そこに牛乳と砂糖を加えて混ぜていく。
さすが、王族のキッチン。氷を使った氷冷庫が備えてあり、そこに牛乳が入っていた。
氷冷庫は手に入れられても、毎日氷を手に入れるのは、少しやっかいなのよ……。
「このバケットを使ってしまいましょう。今回は手でちぎります。私は、器にバターを塗っておきますね」
コーデリアはナイフだって使えるが、万が一怪我をしてはと考えて使わせてくれなかったのだろう。
「コーディ様、こうやってちぎると、バケットって思ったより固いんですね」
「本当ですね。これは、どうすれば?」
「少し、焼き目を付けましょう」
軽く焼いたあと、アリーがバターを塗ってくれた器に、恐る恐る並べていく。
「すこしくらい雑でも、美味しそうに見えますよ。」
「じゃあ、こんな感じかしら?」
「コーディ様、お上手ですね。卵を割るのも一発でしたし」
アグネスが褒めてくれた。
「私、一人暮らしなので、料理は一応。甘いものまでは作っている余裕がなくて、これが初めてなんですけど」
「コーディ様ったら、もう、一人暮らしではありませんよ」
アグネスに、そっと窘められた。
「そ、そうでした……」
でも、いつ出ていくのか、わからないのだし……。
心の中で呟く。
「では、ここに作った卵液を加えて、しばらく吸わせます」
アリーに教えてもらいながら、ゆっくり注ぐ。
「このまましばらく、卵液を吸わせましょう。コーディ様は、お部屋に戻られますか?」
「オーブンに入れるまで、やらせてください」
「では、少し待っている間に、コーディ様のお好きな食べ物を教えてください」
コーデリアが過ごしやいように工夫してくれるのは、ありがたい。王族に意見を言わないくらいの礼は弁えているが、それなりに強かである自覚はあった。
「チーズもトマトも好きです。例えば、トマトのファルシとか、キッシュなんかも。それから・・・、実は、夕飯はそこそこに、レモネードで晩酌の真似事をするのが好きだったんです」
王都に出てくる前は、両親がワインを飲むのに付き合って、他愛もない話をするのが好きだった。王都に出てきてからもその習慣は抜けず、その日にあった出来事についてや愚痴など、独り言を呟くのが日課であった。
昨日は、それどころではなかったけれど、コーデリアのストレス解消法なので、今日辺りから許してもらえないかと思っていたところだ。
「そろそろ、オーブンに入れましょうか」
アリーが温めておいてくれたオーブンへ、突っ込む。
ほとんどやってもらっている気がする。練習になっていないのではと思ってしまうが、少しづつ打ち解けてやらせてもらえることが増えればいい。
「焼き上がりましたらお持ちしますので、お部屋でお待ちください」
「コーディ様、こちらです」
アリーにもアグネスにも、部屋で待てと言われて、仕方がなく戻ることにした。
キッチンを出るときに、仕込みをしているエドワードをチラリと見ると、大量のジャガイモを切っていた。
「アグネス。アグネス。あれって、何人前でしょうか?」
「使用人の賄いも含めてですが、今日は6人前のはずです」
「このお屋敷、使用人が少なくて4人なんです」ってアグネスが言っていたはず……。コーデリアをいれて、5人。あと一人は…………。
まさか……。
「あの……、使用人は4人なんですよね」
「コーデリア様、こちらにいらっしゃったんですね」
アグネスは、口を開きかけて、その状態で小さく会釈する。廊下で声をかけてきたのは、もう一人の使用人、キャディ・ネルソンだ。コーデリアの母ほどの歳の女性で、穏やかに微笑んでいる。
「あの、コーディと呼んでくれませんか?」
「コーデリア様が、穏やかに過ごせるのでしたらそういたしますが、コーデリア様はいずれ妃になる御身。慣れていただいた方が、いいかと思いますが」
ピシャリと言い放ったキャディに、「出ていくつもりだ」などと言ったら、怒られてしまいそうだ。
「皆さんと仲良くなりたいんです」
「・・・・では、コーディ様とお呼びいたします。私のことは呼び捨てで。話し方も少しずつ、妃らしくなりたいものですね」
出ていくつもりだから、そこまで変えなくても大丈夫ですと、心の中で呟く。
「アグネス。交代しますよ」
そろそろ交代の時間だったようだ。
「あっ、でも、せっかく作ったんで、皆で食べませんか?」
たくさん作ったパンプディング、アグネスにも食べてもらいたい。
「飲み物を入れます。コーディ様は座っていてくださいね」
コーデリアの提案に、アグネスは素早く動き始めた。
「キッチンにいたんですね。コーディ様のご趣味ですか?」
裕福な家庭の婦人は、使用人に家事を任せてしまうことも多い。女性がのんびりしていることが、ステータスなんだとか。
コーデリアの実家は、両親ともに役人で、家事に関してはお手伝いさんが来てくれていたが、母は、いつも忙しそうによく働く人だった。
「え、えぇ。まぁ、そんなところです……」
キャディは、ゆっくりと頷いた。
出ていく前に手に職をつけようとしているなんて、言えない……。
エドワードだけは、仕込みをしながらだったのでキッチンで食べたようだが、他の使用人とはリビングでパンプディングを頂いた。粉砂糖をかけられたパンプディングは、見た目も華やかになり、コーヒーにも合う甘さだった。
美味しくはできたけど、それは分量を教えてくれたアリーのお陰。パンプディングを作ってみたが、楽しいというわけではなかった。
練習しているってことは、勉強しているのと同じことだから、楽しくなくて当たり前か。
そんなことを考えながら、パンプディングを次々に口に運んでいく。
皆の美味しそうな顔を見ているのは、嬉しかった。
食べ終わるころ、どうしても気になって聞いてしまった。
「あの、今日の夕飯って…………」
もしかして……。
「メニューは、エドワードに聞いた方がいいですね。聞いてきましょうか?」
アグネスが腰を上げる。
「いえ、そうではなくて、今日も私は一人で夕飯ですかね?」
その方がいいのだが。キャディが一緒に食べてくれれば、尚よいが。
「もちろん、ギルバート殿下がいらっしゃいますよ」
「も、もちろん……」
殿下がいらっしゃる方が当たり前とは、気がつかなかったわ……。
これじゃあ、晩酌どころじゃない……。
話しかけないで無言で食事をするのは不敬だと思うけれど、何を話せばいいの……?
青くなったコーデリアを心配そうにしていたアグネスだったが、キャディに帰るように言われたようだ。
挨拶をして帰っていった。
その晩、ギルバート殿下から「遅くなるから夕飯は食べていてくれ」という
エドワードの腕によりをかけた料理だったのに、口にいれて咀嚼し、飲み込むという動作を繰り返すだけで、食べたという気がしなかった。
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