第6話 転がり込んできた事件

 何かから逃げるように、森の中を彷徨っている。自分の後ろには、守らなければならない村人達。


 どこか、全員で落ち着ける場所を。


 行けども行けども森の中で、気持ちだけが焦る。


 辛そうな息づかいと己に呼び掛ける声に後ろを振りむくと、しゃがみこんでいる村人の姿があった。自分の3倍ほどの年の老夫婦。幼児を抱きかかえた母親。生まれつき病弱な少年。


「ワシらのことは置いていってください。そのかわりに、若いもんは連れていっておくれ」


 諦めがにじむ老夫婦の表情に、胸が痛くなる。


 誰も諦めたくはないのに。

 自分の無力さを呪った。


「誰も置いていかない。皆で新天地を目指すんだ」

 自分から出たはずの声が、聞いたこともない音だった。


「そう言ってもらえるだけで、ワシらは幸せだ」


 老夫婦の穏やかな口調に、言葉がつまる。


「少し休もう。大丈夫だ。もう少しで、いい場所がみつかるさ」


 倒木の上に腰を下ろして目を閉じた。


「・・・優しすぎるのだよ。わしらみたいな先の短いものは、見捨ててもらったほうが気が楽だがねぇ」

 老人の呟きとため息が聞こえる。


 一人残らず助けたいと思うことの何が悪い、と強がってみるが、村人に気遣われてしまった……。自分の無力さに、歯噛みする。


 眠ってしまったふりをしていると、ズルズル……、ズルズル……、と地面を擦る音が近づいていくる。


 村人に危険が迫っているのではないか!? 立ち上がり、目をこらして森の中を探る。


 ズルズル……、ズルズル………


 森の奥を睨み付けると、自分の腹ほどの太さがある大蛇が、まっすぐ向かってきた。


 この大きさの大蛇では、大人でも丸のみだろう。地面に落ちている枝を拾って構える。


 こちらに恐れをなして、逃げていってくれ!


 大蛇が、鎌首をもたげてまっすぐ自分を見つめてきた。


「ツイテコイ」


 人とは違う、ザラザラとした声だった。すぐに引き返していった大蛇に、藁にもすがる思いでついて行く。最後の力を振り絞って。

 何かの罠だったら、取り返しがつかない。


 歩けないものを担ぎ、村人同士で支え合いながら、大蛇の後を追う。


 急に、森が開けて、草原に出た。


 助かっ・・・

「・・・!! はっ!!!」

 掛布をはねのけて、勢いよく起き上がった。


 夢か……?? なんの、夢だ?


 夢の中の話なのに、ホッとした気持ちが、未だに残っている。こんなリアルな夢を見たのは、初めてだった。

 なぜだろうと思いながら身支度を整えると、レナルドがドアをノックする音が聞こえた。


「逃げている夢ですか?」

「あぁ、最後に大蛇が現れて、救われ・・・。大蛇…………。あぁ、そういうことか。蛇神レピオス様の夢だったんだ」

「ギル様は、神の器ですからね。そういったことも、あるかもしれません。神の花サーペントプリンセスも見つかりましたし」


 コーデリアと出会ったからだと言われれば、確かにそうかもしれない。ふと、コーデリアの細さを思い出して、自分の腕をさすった。


 それにしても、夢の中の自分は、どうしてあんなに一緒にいる人々を守ろうとしていたのだろうか。村人だと認識していたようだが、己の全てをかけて守るほど、大切だったのだろうか。


 自分とは、まったく違う男だった。


 ギルバートといえば、王家に生まれたからそれ相応に振る舞っているだけで、レピオス王国が大切で堪らないかと言われれば、そうでもない。はっきり言って、自分がいなくても、この国は回っていくのだと思っている。


「コーデリアは、今日、何をして過ごすのだ?」

「ん~。そうですね~。昨日、必要なものを注文しましたから、順次届くと思います。それの整理でしょうか」


 コーデリアの顔を思い浮かべれば気分が高揚し、鼻唄が飛び出しそうになった。


 昨日はしっかり眠れただろうか? あの館で寂しい思いはしていないだろうか? そろそろ朝食だろうか? どんな顔で笑うのだろうか?


 昨日の浮かない顔が頭をよぎる。

「逃げられたら堪らない。欲しいものは何でも与えてやれ」


 コーデリアは、笑ってくれるだろうか?





 無情にも、夕刻の鐘が鳴った。どっと疲れが押し寄せる。

 少しでも早く仕事を終わらせて、今日は館で夕飯を食べようと思っていたのに、この男は何度言えばわかるのだろうか。

「とにかく書類を用意してもらわないと、工事費用を出すことはできません」


 カルロス・フィナーは、悪びれる様子も見せずに手を揉む。一緒に口ひげがピョコピョコと揺れていて、腹立たしい。

「その辺は、ギルバート殿下のお力で、何とかしていただきたいと思っておりまして」


 いくらギルバートの愛国心が薄いといえども、何に使うかわからない予算を出すことはできない。


 聞こえるようにため息をついてみるが、まったく効果はない。


「カルロスさん。殿下は他の方との約束がありますので、日時をあたらめて下さい」


 レナルドが扉を開けて退出を促しているのに、まったくそちらを見ようとしない。廊下には、次の順番を待っている者の姿が見えた。警備部の制服を着ているようだ。しばらく待っているのだろう。壁に寄りかかって目を閉じている。


「ギルバート殿下と私の仲では、ございませんか。ここにサインをいただければ、この工事は滞りなく進みますので」


 カルロスのいう橋の工事については、部下に見に行かせているが、まだ戻っていない。場所は、王領の東側に位置する、ロワール領とニールス領の境に流れている川だが、往復にかかる時間はどんなに早くても6日。戻るのは、まだ先だ。


「カルロスさん。殿下は別の執務がございます。そちらの執務ですが、妨害するようでしたらそのように取り扱いますので・・・」


 怒気を含んだレナルドの脅しに、煩わしそうな顔をしたものの、やっと帰る気になったらしい。

「それでは、・・ギルバート殿下、検討のほど、よろしく、お願い、いたします」


 どれだけゆっくり話すんだと、喉元まで出かかったが、ここで声をかけては引き留めてしまうことになりかねない。「早く帰れ」と言いたいのを、グッと我慢する。


 カルロスが口ひげを弄りながら、ノロノロと執務室から出ていくと、大きなため息が漏れた。


「次の方、どうぞ」


 呼ばれた警備部の役人は、顔をひきつらせて入室した。


「警備部王都第七班長をしております、ケント・ハリスンと申します。この度は、殿下にご協力いただきたく、お願いに上がりました」


 ビシッと敬礼した男の左頬には、大きな傷跡が残っている。


 警備部では手に負えない事件が起こって、その解決を頼みにきたと思っていたのだが……。

 そういった事件は、特別審判事案として持ち込まれる。多くの場合、領と領を跨いだ事件だ。それ以外にも、政府の役人に関することの場合もある。

 王領の役人とて他領の役人と同じで、地方の役人だ。他領や政府機関の中では、捜査の権限がない。

 そのために特別審判が必要なのだが、主には国王の仕事。しかし、お忙しい国王の代わりに、ギルバートが行っていた。


 特別審判ではなく、ただの協力とはどういうことか。しかも、王都の警備部の中では、かなり偉い人が直々に訪れるとは。


「協力ですか?」

 レナルドも、訝しげだ。ケントは、、左頬の傷を触る。


「はい。政府高官である、シリル・ディアスさんが絞殺されました。容疑者として妻の名前が上がっています。動機は痴情のもつれだと思われますが、愛人が見つかりません。殿下には、私に王宮内での捜査許可をいただきたく、思っております」


 近所や行きつけの店などは調べたので、あとは仕事関係を調べたいと。愛人さえ見つかれば、この事件は解決を迎えるはずなので、特別審判として動く必要はないと。


「愛人が見つかっていないのに、どうして痴情のもつれだとわかったのだ?」


 ギルバートよりも10歳以上年上に見えるケントは、真面目な顔ではっきりと答えた。

「凶器から、妻が犯人であることは間違いありません。それに、シリルは不審な行動をしています」 


 窓の外から夕日が見えた。早く仕事を終わらせたいが、この状態で帰るわけにはいかない。

 ダラダラと居座ったカルロスが、口ひげを上下に揺らして嘲笑っているように感じる。


 今日は、館に帰ろうと思っていたのに。コーデリアは何をしているだろうか……。

 昨日、会話らしい会話は、ほとんどできなかった。コーデリアの心労を考えてのことだが、どうしているのか気になってしかたがない。

 女性というのは、あんなに細くて弱そうな生き物なのか。畦道を行くたくましい姿との違いに、未だに驚いている。


 ・・・とにかく、この話をまとめなければならない。


「凶器は何だったんだ?」

「捜査はこちらで行います。殿下のお手を煩わせはいたしません」


 つまり、捜査には口を出すなと。


「シリルは、どこの部署だ?」

「財務部だったそうです」


 国の税金を管理している部署に部外者が入るのは、なにかと不味いだろう。


「うちからも人員を出そう」

「お忙しい殿下のお時間はとらせません。許可さえいただければ、大丈夫です」

 左頬の傷を指でなぞりながら、難しい顔をする。


「まぁ、私の手を煩わせるわけではないしな。一人、手伝ってやれ」

 執務官の中では中堅の者が、立ち上がって答えた。


「財務部の方も、今の時間からでは迷惑だろう。明日から、こいつを連れていくように」


「これは、これは。殿下も大変ですね。私が手伝いましょうか?」


 ケントが返事をするよりも早く、扉を開けて入ってきたのは………口ひげ。扉の外で立ち聞きしていたのか。


 なぜかケントが、一気に青ざめた。


「カルロスさんは、自分の仕事があるではありませんか。特別審査には、関わることはできませんよ」


 レナルドが、カルロスの前に仁王立ちした。


「特別審査ではなくて、ただの協力だと聞こえましたよ。ケントさんが捜査できるように許可を与えるだけですよね」

 飄々とした態度に、腹が立つのを通り越して、呆れてしまった。

「警備部の捜査も、極秘のはずですが」


 早く館に帰りたいのに、長引きそうな気配にイライラしはじめる。机の上を人差し指で、トントンと叩く。

「カルロスさんは、早く書類を用意した方がいいのではありませんか? ケントさんは、明日の始業時間に、ここにきてください。それでいいですね」

 有無を言わさぬギルバートの言葉に、二人とも頷いた。


 レナルドが二人を執務室から追い出して、今日の仕事を片付けていく。カルロスにダラダラと居座られてしまったために、まだかかりそうだ。


 コーデリアは、そろそろ落ち着いただろうか。話してみたいと思っていたのに。館にいけるのは、いつになるのだろうか……。

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