第4話 逃げられたら追いたくなるもの

 朝露に濡れて、キラキラと輝いている草を踏みしめる。

 厩舎から愛馬を連れてきてブラシをかけると、黒い毛並みが朝日に照らされて、艶々と輝いている。


 どうも、俺の姫は逃げているらしい。


 ギルバートはニヤリと口角を上げた。

 利用しようと近づいてくる人はいるが、近づいてこないどころか、まさか逃げるとは想像もしていなかった。


 どんな娘なのか、早く顔を見てみたい。


 隣町まで馬を飛ばしてもらったが、今のところ見つけたとの報告はない。馬より早く、隣町に到着していることなど考えられない。

 関門で見つけた場合は、身柄を確保するようにと言いつけてあるのだ。そこにも現れないということは、関門を警戒して、まだ王都にとどまっているのだろう。


「おまえの出番は、あると思うか?」

 首の辺りをポンポンと叩きながら聞くと、フフンっと鼻息で返事をする。

「そのときは、頼んだぞ」


 執務室で仕事をしながら待っていてもいいが、逃げた娘のことが気になって落ち着かない。ギルバートも探しに行こうとしたのだが、娘を見つけたときに、居場所がわからないのは困ると言われてしまい、王宮にとどまっている。


 あぁ、今からでも探しにいって、馬上から捕まえてみたい。


「ギル様~!! 行方が掴めました!!」

 レナルドが、背の高い男と共に駆けてくるのが見えた。

「東の関門近くの宿屋に泊まっていたようです。残念ながら、役人が探しているのを察知して逃げ出したようで、入れ違いになってしまいました」

「東? か? たしか、彼女は、南区の役人だったはず……」

 東といえども王都の一部だ。何か縁があって、土地勘があったのかもしれないが。

「東でしたら、彼女の出身領のティアマト領の方向ですが、まさかそこまで逃げるつもりだったのでしょうか?」


「まぁ、さすがにそこまで行かれると、通行のチェックが徹底できない。そうなる前に見つけなければならないな」

 そう思ったら、急に気分が上がってきた。どう追い込んで、捕まえようかと考えを巡らせる。


「王都から出る前に、見つけます!」

 神の花サーペントプリンセス担当の男は、ビシッと気合いが入った敬礼をした。


 やる気があるのは結構なのだが、しっかりとした作戦を立てた方がいい。どうも、コーデリアという娘、一筋縄ではいかないようだ。だからこそ、ギルバートの興味をそそるのだが。


「彼女は、役人なのだろ? こっちの手の内はわかっていると思っていいだろう。関門は警戒されている。それならば、それ以外の場所から王都を出ようとするはずだ。地図は、あるか?」


 厩舎番に馬を頼み、執務室に戻ると、机に地図を広げる。

 すでに仕事に来ていた部下達が立ち上がって、同じように地図を眺め始めた。


「門を通らず王都から出られる場所は、どこだ?」

「関門の左右は城壁がありますが、ぐるっと王都を囲っているわけではありません。ここら辺や、ここら辺など、城壁のないところは多いですね」


 関門から離れれば、ほとんど出入りが自由らしい。部下達が自分の詳しい場所をそれぞれ指差している。


 東にいて、南に土地勘がある。とういうことは、東と南の関門の間で、王都を出やすいところ……。


「この辺で、若い娘でも、問題なく王都を出られるところは?」


 一人の部下が、ビシッと地図を示す。

「ここなら、畑が広がっていて、畦道も歩きやすいはずです。王都から離れた場所で、街道に出ることもできます」

 地図の上、王都から離れたところをなぞっていたが途中で曲がり、街道の上に移動した。


「裏をかかれたら、堪らない。他の場所も人員は残しておけよ。この辺の人数を増やして、そうだな、この辺に追い込め。私がいく。今日の執務だが……」


「こちらの方は、私共にお任せください」

 部下達が嬉しそうに見送ってくれた。


 そりゃ、俺の結婚が、国の世継ぎに関わってくるとはいえ、期待のしすぎじゃないか?


 レナルドと数人の執務官が打ち合わせを始めた。

神の花サーペントプリンセスでないのに、逃げているという可能性も否定できない。その場で確認できるように、視線を遮るものも用意しておけ。王宮管理部から、女性を出してもらおう。それに、神の花サーペントプリンセスであったのなら、こっそり連れ帰ってくるよりも、見つかったことを周知しながら戻るほうがいい。その準備も・・・」


 細かいことによく気が回るレナルドに感心しながらも、館に向かう。

 今日中に神の花サーペントプリンセスをつれてこれるかもしれないと伝えれば、使用人達には喜ばれた。逃げていることも伝えたが、「私共にお任せください」ということだった。

 ギルバートには、何が必要なのか見当もつかなかった。ましては、逃げるような娘が、どれほどの心労を抱えてつれてこられるのかも。

 とにかく、支えてやって欲しいとお願いして厩舎に向かう。


 そこには、レナルドと数人の部下が、必要なものを準備していた。これらの部下は、王宮から出るときに護衛をしたり、遠くまで調査へ行ってくれる、武にも秀でた者たちだ。


 レナルド達の支度が終わるまでの少しの間、ギルバートは愛馬に語りかけた。

「おまえの出番だな。頼んだぞ」

 鼻を鳴らして、ギルバートに顔を擦りつけてくる。


「殿下!! コーデリア・モリスの姿が確認されました。南の関門の方向へ向かっているようです」

「わかった。準備ができ次第、出発しよう。見失うなよ」


「ギル様。こちらの準備は整いました。南へ向かいましょう」


 もう少しで、正午の刻の鐘がなる。顔を見るのが待ち遠しい。




「ギル様、例の畦道に入ったようです」

 作戦通りに、畦道に誘導してくれたらしい。

 それにしても、たくましい娘だ。 


「あぁ、よくやった。私が行こう」

 馬に合図をおくり、速足になった。


「あそこです!!」

 畦道にいる娘が振り返った。慌てて背を向けて走っていく。


 本当にたくましい。


 馬を駆足にして追いかけると、娘は慌てて右に曲がる。すぐそこには街道があるが、左側はあらかじめ待機させていた役人が並んでいる。それを確認した娘が、右に曲がった。


 街道に入ってしまえば、こっちのもの。全速力で追いかければ、娘が足をもつれさせて転んだ。

「おぅ!」

 驚いて変な声を上げてしまったが、それよりも転んだ娘の方が気になった。

 ギルバートが、転ばせてしまったようなものなのだから。

「大丈夫か?」

 いつまでたっても起き上がらない娘が、だんだん心配になる。

 とにかく起き上がらせたくて、腹の下に手をいれて掬い上げるように持ち上げた。


 軽い!! しかも、細い!! 少しでも力をいれたら壊れてしまいそうではないか!


 畦道をいく娘を見たときにはたくましいと思ったが、こんなにか弱いのに、それを奮い立たせて逃げていたのかと思うと、心臓の辺りが、きゅ~っと痛くなった。


「大丈夫か? 怪我は……」

 膝を擦りむいているではないか!?


 クリッと丸い緑の瞳が、ギルバートを見上げていた。驚いているようだが、整った顔立ちなのは十分わかった。


 早く手当てを!! と思ったのだが、神の花サーペントプリンセスであることを確認する方が先らしい。


 急に不安になった。


 これで、蛇紋サーペントサインがなかったら、この娘とギルバートとは、なんの関係もないということになってしまう。


 確認しているだけの、ほんの少しの時間が、待ちきれない。

 俺と同じ蛇紋サーペントサインがあってくれ、と心の中で祈る。


 息の詰まるような気持ちで待っていると、

蛇紋サーペントサイン確認しました!! ギルバート殿下と同じ紋様です!」

 その言葉に、胸を撫で下ろす。すぐとなりに連れてこられた娘の腰に手を回して、もう逃がすものかと思う。


 この細さが……、守ってやらなければならない気がして……

 娘は、皆こうなのか?? それとも、コーデリアが特別なのか??


 女性を避けてきたギルバートには、自分の気持ちがなんなのか、よくわからなかった。


 そのまま、自分の馬に抱きかかえるようにしてのせる。思ったよりも軽くて驚いた。

 呆然とした表情は、何を考えているかわからない。


 黒っぽいスカートに白いブラウス、ダークグレーの上着。華やかな装いではなかったが、逆にギルバートの好感を上げた。

 緑色の瞳も茶色い髪も一般的な色だが、それでも目を奪われるほど、目鼻立ちが整っている。


 華やかなドレスも、きっと似合う。でも、この美しさは自分だけが知っていればいい。


 馬にのせてからも、呆然としたまま、たまに不安そうにするのが居たたまれない。それを、公衆の面前に晒してしまっている自分にも、嫌気がした。


 そっと頭ごと抱きかかえて、民衆の目から隠す。


 されるがままになっていたコーデリアが、顔を上げた。

 南の役所の近く。コーデリアにとっては、見納めの場所。


 王都の役人がまとまって立っている場所があった。コーデリアは、そこをじっと見つめたまま、馬が通りすぎるのに合わせて頭を動かしている。一人を見つめているような……。その後で、斜め上を見て瞬きを繰り返す瞳には、涙が溜まっているように見えた。


 腰に回した腕に力をいれる。やっと手に入れたのだ。俺の神の花サーペントプリンセス。もう、離したくない。


 今は不安そうにしているコーデリアの、笑顔が見てみたい。


 神の花サーペントプリンセスは、ただ一人しかいないのだから、大切にするのは当たり前。だから、囲って不自由はさせない。

 コーデリアに回した腕に、自然と力が入った。

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