第3話 逃亡の結末
鳥のさえずりと、清々しい朝日に目を覚ます。こんなときでも、いや、こんなときだから、だろうか。いつも通りの時間に目が覚めた。
宿屋の窓を開けて、清々しい空気を胸一杯に吸い込んで、
…………コーデリアは固まった。
政府機関の役人が、書類片手に道を歩いているのが見えた。朝の刻を知らせる鐘の鳴る前で、普通だったら仕事をしている時間ではない。宿屋の二階から息を潜めて見ていると、辺りを見回してなにかを探しているような仕草。高いところから覗いているコーデリアには、手に持っている書類に絵が書いてあるのが見えた。顔のようだ。
コーデリアを探しているのだろう。
昨日、南区役所から逃げたあと、家まで走った。集合住宅の階段を駆け登り、息も絶え絶えになりながら部屋に入る。膝に手を置いて呼吸を整えると、王都の役人を示す藍色のジャケットを脱いだ。引き出しの中の貴重品を、つかむように持ち出すと、振り返ることもなく部屋から出た。
家から近い南側の関門から王都を出てしまえば、しばらく追手を引き離せるだろうと考えたのだが、政府機関の役人はそんなに甘くなかった。
あと少しという場所で、エバーグリーンの上着の役人が、関門へ走っていくのを見つけた。役人に先を越されては、関門で止められてしまう。慌てて引き返すと、記憶を頼りに東の関門へ急ぐ。
どんなに急いでも、王都は10万人が暮らす都だ。東の関門へ着いた頃には、夕刻を知らせる鐘が鳴ってしまった。
今から、王都を出たとして、暗い街道をコーデリア一人でいくのは、かなり危険だ。第一、普段と変わらないように見える関門だが、政府機関の役人が来ていないとは考えられない。役人は早馬を飛ばしただろう。それに対して、コーデリアは歩き。道もうろ覚えだったので、最短で辿り着いたかもわからない。
王都で夜を過ごして、明るいうちに隣町までいったほうがいい。そう判断して、中心部から外れた安宿に一泊したのだが………、判断ミスだったかもしれない。
もう一度エバーグリーンが視界に入り、慌てて窓の後ろに身を隠す。さっきはキョロキョロするだけで通りすぎた役人だったが、捜索を続けながら戻ってきたようだ。隙間から覗いていると、隣の宿屋に入っていった。
宿屋の店主に訪ねているとしたら、コーデリアが地味で特徴のない見た目をしていたとしても、見つかってしまうかもしれない。
中身を出すことのなかった荷物をひっ掴み、部屋を飛び出すと、階段を転げるように下る。
目を丸くしている店主に、部屋の鍵を返すとお礼をいって宿屋から飛び出した。
リーズナブルだったうえに、前払いだったから助かった。
役人の入っていった建物とは反対の方向へ、何食わぬ顔で向かう。こんなときは、走った方が逆に目立つ。バクバクと心臓がうるさいが、顔を見られなければ大丈夫、と自分にいい聞かせて、通行人に溶け込むように努めた。さっと角を曲がると、少し早歩きになる。
王都から出るのであれば、土地勘のある南側がいい。関門が通れなくても、王都から出られる場所はある。南側には、畑の広がる場所があるから、その畦道をいき、王都から離れてから街道に出ればいい。
頭のなかに地図を思い描きながら、南の畑地帯に足を向ける。
本当は、名乗りでないコーデリアが悪いのだろう。探し回っている役人にも、余計な仕事をさせてしまっている。
わかっていても、怖いのだ。
今、住んでいる、集合住宅の部屋には帰れるのだろうか?
王都の中の好きな店に、買い物に行くことはできるのだろうか?
仕事は、続けられるのだろうか?
皆は普通に接してくれるだろうか?
きっと、今まで通りにはならないことがたくさんある。わからないこと、想像すらできないことも、たくさんある。
両親とも、海沿いのティアマト領の役人をしていた。仕事を通じて知り合った二人は、恋愛結婚の末、コーデリアが生まれた。両親には、とても大切に育ててもらった。役人を志したのも、両親の影響だろう。王都の役人採用試験に合格し、役人としては、これからってときだったのに。
コーデリアにとって、自分が王子様の妃になるなど、全く想像できない。
王子様の妃なんだから、あれくらい綺麗な人がなるべきだと思っている。茶髪に緑色の瞳などという一般的な色味で、地味なコーデリアなどではなく。
探している役人には申し訳ないけれど、
そんなことを考えながら目的地に向かっていると、エバーグリーンのジャケットが目に入った。四つ角から現れたようで、コーデリアの方に曲がってくる。
不味い!! 見つかる!!
不自然にならないように折り返し役人から遠ざかると、次の角で元来た道に戻るように曲がった。
このまま息を潜めて、役人が通りすぎてくれるのに賭けるか……。別の道を行くか……。
確実に行こう。
コーデリアは、大きく回り道をして、役人を目撃した道を避ける。避けたはずなのに、ここでも役人を見つけてしまった。
その役人も避けるように迂回していると、だんだんと南の関門に近づいてきてしまう。
正午の刻を告げる鐘が鳴る。
「お腹が減ったわ……。足も痛いし……」
独り言を呟くが、休んでいる場合ではないと気を引き締める。
お店に入ったら、逃げる場所がなくなってしまう。今の時間、屋台は行列ができている。同じ場所に長くとどまるのは、よいとは思えない。
………………。
だんだんと不安が大きくなってきた。
どこかの町に辿り着いたとして、身分証が無くても雇ってくれるところを探して……。税金を納めれば、身分証は新しく作れるだろうけど…………。
王都の役人をしていたコーデリアは、その辺のところは詳しい。領は、税を納めてもらわなければ、運営できない。だから、納税の意思をしめせば、身分証は作れる。しかし、そこまでが問題だった。
身分証を持たないままでは、関門を通過できないし、身分証なしで働ける働き口は限られる。
自分の生き方は、自分で決めたい……。とはいえ、思うように生きられないのなら、いっそのこと……。
コーデリアは、激しく首を振った。
もうすでに逃げてしまったのだし、どっちに転んでも最悪の結果だ。王子様は、非常に怖い方だと聞いたことがあるから、きっと許されないだろう。
そういう意味でも、自分は妃に向いていないと痛感していた。
「ここなら、王都から抜けられる」
だいぶ、関門に近い畑の畦道。役人の姿は見当たらない。この辺の畑は、王都の食卓を彩る野菜を作っている。トマトなどは背が高くなっているが、葉もの野菜などは身を隠すには適していない。
コーデリアは、慎重に確認してから畦道を小走りに進んだ。遠くまで畑が広がっていて、人がたくさん通る畦道なのだろう。良く踏み固められていて、走りやすい。道端にドングリがまとまって落ちていて、子供達の遊び場になっているのかもしれない。
そんな畦道に、人が一人もいないことを疑問に思うべきだった。
「あそこです!!」
後方、王都側からの叫び声に飛び上がる。
馬に乗って、追いかけてくる姿が!!
「ひぃ!!」
言葉にならない悲鳴を上げ、畦道を右に曲がる。この方向で街道にでるはず。
人がたくさん通る畦道は、それなりの広さもあり馬を駆けるにも問題がなかった様子。すぐ背後に蹄の音がして、竦み上がった。
あと少しで街道というところで、隣町に向かう左側の道に役人がびっしりと並んでいるのを確認する。
もう逃げられない……。
と、思いながらも、右に曲がる。
このままでは、南の関門へ行ってしまう!!
馬の荒い鼻息が、すぐ近くで聞こえ、足をもつれさせて転んだ。昨日から、かなりの距離を歩いていたので、足に限界がきていた。
「おぅ!!」という低い声と馬の嘶き、それに続いて、馬の止まる爪音、誰かが着地する音が聞こえる。周りからたくさんの人も駆け寄ってきているようだ。
もうダメだ。絶対殺される。
勢い良く地面を滑ったコーデリアは、腹這いで地面に突っ伏したまま、ピクリとも身動きしなかった。
自分の意思で逃げて、それによって殺されるのであれば、自分の意思を全うしたってことじゃないかしら。などと、詮無いことを考える。
あぁ、もう終わったわ……。もう、顔を上げる気にもなれない。
完全に自棄になるコーデリアに、「大丈夫か?」と、低い声がかけられた。
大丈夫なわけないでしょ、短い人生だったわ、と心の中でこぼしていると、お腹と地面のすきまに腕が差し込まれた。そのままグイッと引き上げられる。
驚いてじたばたすると、引き寄せられて背中があたった。
「大丈夫か? 怪我は……、してるな」
頭の中は真っ白。そのまま、なにも考えずに上を見上げると、黒い瞳と目があった。切れ長な瞳は涼しげで、コーデリアのことを優しそうに見つめていた。焦げ茶の髪は短く整えられている。
・・・・ギルバート殿下!!
成人したばかりの殿下の姿絵は、どこにでも出回っているわけではないが、コーデリアは王都の役人。すぐに殿下だとわかった。
絵では描くことができない威圧感が、ひしひしと伝わってくる。
腹に回った腕はがっしりしていて、思った以上に手が大きい。
「こちらへどうぞ」
いつのまにかコーデリアの近くには、幕が張られていた。たくさんの人が両手を高く挙げて布を引き上げているだけの簡易的な幕だ。
こんなにたくさんの人に迷惑をかけてしまったのか……。
呆然としたまま、二~三歩踏みだし、そこでスカートを捲し上げる。
「お待ちください」
幕の方が動いて、コーデリアを囲った。
「
幕が移動し、コーデリアは呆然としたまま、ギルバート殿下の隣に返された。腹に手を回されて、まるで逃げるなと言われているようだ。
……さっきまで逃げていたので、文句などいえない。
ギルバート殿下がてきぱきと指示を出す間に、コーデリアの擦りむいた膝は手当てされた。
言われるがままに、青毛の馬にのせられると、ギルバート殿下は、コーデリアを抱えるように手綱を持ち、ゆっくりと馬を歩かせる。
南の関門を通過したときには、今まで何をしていたんだと愕然としてしまった。
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