第2話 神の器
夕刻を知らせる鐘がなると、窓の外の広間から片付けを促す声が聞こえてきた。先日行われた成人の儀で大量の民衆が流れ込み、植え込みや芝生が痛んでしまったらしい。王宮を管理する部署が、空いている者を総動員して直している。
自分の姿を見に、あれだけ多くの民衆が集まるとは思ってもいなく、面食らったのを覚えている。
窓から外を見ると、今ではもとと遜色のない姿を取り戻していた。
「あれ?」
広間の整備をしていた人の中から見知った顔を見つける。
「どうされましたか?」
レナルドは、机に座ったまま、書類から顔を上げることもなく問いかけてくる。不敬な態度ではあるものの、この部屋にいる者達には、よく見慣れた光景。これくらいではギルバートが怒らないということも、よくわかっていた。
「いや、あいつ。何て名前だったかな?」
茶色く薄汚れたエプロンを持ち上げて、汗をぬぐっている。西日を受けて、短く切り揃えた金髪が輝いていた。
渋々といった様子で席を立つと、レナルドはギルバートの隣に立った。
「あぁ、アグネス・コリンズですね。ギル様が館の使用人に抜擢した王宮管理部の者ですね」
フルネームで記憶しているとは思わなかった。レナルドの言う ” 館 ” とは、成人と共に与えられた、ギルバートとその妃が住むためのお屋敷だ。その館の管理をしているはずの彼女が、なぜここにいるのだろうか。
「あれの仕事は、庭の整備ではないはずだが?」
館の使用人を選ぶ際には、非常に苦労した。ギルバートの妃は、
それに比べてアグネスは、ギルバートに全く興味を示さなかった。というか、名前を教えられているのにも関わらず、女だということに気がつかなかった。
館担当として、初日に挨拶されたときに、スカート姿であることに驚いてしまったのだ。
「ギル様が館に帰らないんで、暇なんじゃないですか?」
妃を迎え入れれば、嫌でも帰らねばならない。それまでは、今まで通り役人の寮にある、ギルバート用の部屋の方が気が楽だった。
「あぁ、それでか。まぁ、妃も見つからないしな」
やることがないなら館で休んでいればいいものを、真面目なことだ。そんな風に思いながらも、広間の向こう側、商店が集まっている大通りに視線を向ける。成人の儀の前と、なにも変わらない光景が広がっていた。
「そろそろ報告に来る頃ですね。さぁ、仕事が終わった人は、帰ってくださいね」
レナルドは室内にいる執務官を振り返り、口に出して帰ることを促したが、誰も席を立つ気配がない。仕事が忙しいということもあるだろうが、それよりも
「あぁ、帰っていいぞ。今日も、我が妃は、見つかっていないだろうしな」
もし、見つかっていれば、その時点で連絡が来るはずだ。仕事終わりにまとめて報告に来る時点で、
執務室をノックする音が聞こえた。返事をすると、書類を手に背の高い男が入ってくる。
成人の儀が行われてから、毎日同じ時間にくるので、そろそろだとは思っていたが。
「報告します! 来場者68名。
わかってるさ。
口から出そうになった言葉を、なんとか喉元に押し込める。彼らだってサボっているわけではない。
「明日から、夕刻の鐘のあとも、しばらく、窓口を開けておこうと思っているのですが」
「仕事が忙しくて、来れないという可能性もあるかと」と続けた声は、だんだんと小さくなって消え入りそうだ。
「やってもいいが、効果はないと思うぞ」
名乗り出る気があるのなら、休日や昼休みに窓口を訪れるはずだ。
「そうでしょうか……」
早く妃を見つけたいという思いが空回りしていた。もしかしたら、早く普段の業務に戻りたいだけなのかもしれない。
「名乗り出ないんだ。俺の妃になるのが嫌なのだろう」
自分への嘲笑を込めた言葉を誰かが否定する前に、レナルドが口を開く。
「ギル様、何か嫌われることでもしたんですか?」
「会ったことが、あるわけないだろ?」
王宮にいる女性は、働いているもの、異母兄妹も含めて、
王子として関わった人間のなかには、いないということ。それならば、嫌われる筋合いもないと思うのだが。
「まぁ、いい。引き続き探してくれ」
背の高い男が背中を丸めて執務室から出ていくと、一緒に働く執務官も、ポツポツと帰っていく。その後ろ姿が、何か残念そうだ。
レナルドと二人になると、ついつい、愚痴がこぼれた。
「俺は何者なんだろうな」
「我がレピオス王国の国王様の孫にあたり、神の器に選ばれた正式な後継者です」
そんな表面上の、誰でもわかることを聞いたわけではないのだが……。
わざわざ言われなくても、わかっている。わかっているからこそ、不平不満を自分のなかに押し込めて、どこからどうみても良い治世者でいようと心がけてきた。
物心ついた頃には、たいして働かない父親には冷たくされ、それとは反対に、国王である祖父には大きすぎる期待をかけられ厳しくされた。
乳母をしていたレナルドの母だけが、愛情をもって接してくれた。
「好いた女さえ妻に迎え入れられない、
「我が国の王は神を宿しますが、
レナルドの口調には、皮肉が混じっていた。
「あいつのことは、口にするな」
腹立たしさがもれるが、乳兄弟であるレナルドがそれくらいで引くわけがない。
「それよりも、あなた様に好きな女性がいるなど、初耳なのですがねぇ~」
ギルバードの呼び方にからかいが混じる。やはり、常に隣にいるレナルドは誤魔化すことができない。
「いるわけないだろ? おまえが一番、わかっているはずだが?」
ギルバートは、必要以上に女性と関わらないようにしていた。成人すれば、
父のように妾妃を囲う気にもなれない。あの父親のようにはなりたくないと思うのが最大の理由だが、何人もの女性を平等に愛せるほど、器用ではないと思っている。
そんなギルバートでも、近寄ってくる女性は後を立たない。『本人もしくは親が権力に惚れただけ』というのは明白なので、相手にしてこなかったが。
ギルバートは、小さく息を吐き出した。
権力とは、やっかいなものだ。近づいてくるのは、女性だけではない。
ギルバートの首には、鎌首をもたげた蛇の紋様がある。それは生まれたときにはくっきりと現れていて、世継ぎであることが誰の目からみても明らかだった。
そのため、物心つく頃には、気に入られようとたくさんの大人が寄ってきた。国王である祖父と乳母が守ってくれたのだが、未だに近づいてくる人間が得意ではない。
一番は、乳母のことだ。ギルバートに優しくしてくれた乳母だったが、・・・あのクソ親父!!
そこまで考えて気持ちを切り替えるため、ギルバートは意識的にため息をついた。
「あなた様は、近寄ってくる女性が苦手ですからね」
「少しくらい遊んでも、差し支えないかと思うのですがね」と続けるレナルドを、ギリッと睨む。
「苦手なものは、仕方がないだろ?」
「この分では、
「ふん! お前に心配してくれとは、頼んでないんだがな」
レナルドは、少し垂れ目がちな青い目を細めた。明るい茶色の髪は柔らかそうで、ギルバートと二人並べてどちらが王子だと問えば、全員がレナルドを選ぶのではないかと思うような容姿をしている。
この男にかかれば、女の一人や二人……、いや、何人泣かせたのかわからないくらいだろう。
「
どんな女性かは考えないようにしているのに、余計なことを……。違ったときにがっかりしては、女性にも自分にもよくないだろう。
どちらにしても、見つからなければ、しかたがない。
「淑やかな女性だから、名乗り出ないのか?」
レナルドの言うことに、反発しただけだった。ところが、レナルドは、目を丸くして身を乗り出してくる。
「名乗り出ないのは…………。そうですねぇ! あなた様にしては、冴えているではありませんか」
絶対にバカにしていると思いながらも、続きの言葉を促さずにはいられなかった。
「どういうことだ?」
「ギル様にとっては、名乗り出ないような女性の方が、いいのかもしれませんよ。各家を回って、調査してもらいましょう。窓口の者も、今日は終業時間でしょうから、明日の朝にでも提案してきますよ。ところで、今日も、館には帰らないのですか?」
「おまえといた方が、気が楽だ」
「はぁ~。
「はぁ? 言うわけないだろ??」
レナルドを見ないように顔を背けるが、じとっとした視線が追いかけてきている気がする……。
「どうですかね~」
「もう、帰るぞ!」
憮然としたままレナルドを伴って、役人用の寮へと帰っていった。
腹も減ったし、昼飯を理由に執務室から逃げるのはどうだろうか。険しい表情は崩さずに、心の中ではそんなことを考えていた。
目の前の男は、両端が跳ねた口髭をいじりながら、いつまでも話し続けている。
「・・そういったわけで、ギルバート様のお力をお借りしたいと思いまして……」
橋の建設をしている途中で、資金が足りなくなったらしい。橋の建設が、いかに必要なのかを身振り手振りを交えて熱弁していた。はじめは王太子肝いりの公共工事だったのだが、追加で資金をお願いしたら、もう出せないと突っぱねられた。
それで、泣きついたのがギルバートらしい。
それにしても、何故、カルロス・フィナーが交渉に来たのか。橋の建設は、他の者が提案したことらしい。その者の代わりにカルロスが来るとは、ギルバートに対する嫌味だろうか。カルロスは親父と親しくしていて、ギルバートのことを目の敵にしてるはずなのだ。
「前に通した見積書と、支払った費用の領収書とその一覧、追加で必要な費用の見積書を、全部まとめて持ってきたら考えよう」
どうせ持ってこられないだろうと思っていると、カルロスは早口で話し始めた。
「すでに橋の建設は始まっていまして、このままになると住民にも迷惑がかかってしまいます。工事を請け負っている、土木業者にも支払うことができません。どうか、この場で決めていただきたく、お願いいたします」
男は、勢いよく頭を下げた。口髭が、ピョコンと跳ねる。
本当に必要なのかどうかもわからないのに、「金を出せ」と言われて、「はい、そうですか」と出せるわけがない。
「資金がないのに工事を続けているのか? 今すぐに停止して、支払いは立て替えておけ。住民は、元々橋がなかったところに、橋ができなかっただけだ。たいして変わらないだろう。詳細が届き次第、検討しよう」
「ですが!! 殿下と私の仲ではございませんか。小さな頃から殿下は、それはそれは可愛らしくて、お父様である王太子様が連れていらっしゃると、よく私と遊ばれて・・・・」
あの父親が、ギルバートを伴って出掛けたとは思えない。どうせ幼少期のことなど覚えていないだろうと、話を盛っているのだろう。
どうやって、帰らせようかと考えはじめたときだった。
ガン、ガン!! ガン、ガン!!
ドアが、激しくノックされた。ごねる男を追い出すために扉を開けようとしていたレナルドが、タイミングよくドアを開ける。
「うわぁお。・・失礼します!!」
自動で開いたドアに驚きながらも、眉間にシワを寄せ、入ってきたのは、ここのところ毎日仕事終わり見ている顔。こんな昼間にやってくるとは、なにか動きがあったのだろう。
「必要書類を揃えてくるのだな。それとも、その公共事業。何か、裏でもあるのか?」
「そんなわけ、ありません!! 住民を助けたいと思ってですね……」
部屋にいる全員の視線が、早く出ていけと言っていることに、やっと気がついたのだろう。カルロスは、苦々しい表情で口髭を撫で付け、ノロノロと執務室を出ていった。
レナルドがドアの隙間から覗いて、カルロスがいなくなったことを確認すると、
「こんな時間に、慌てて来るなんて、何があったんですか?」
「報告します。一人づつ検査をしようとしていたところ、南区役所の役人が逃げ出しました。只今、捜索中です」
逃がしたことに、責任を感じているのだろう。いつもより、顔色が悪く、歯切れも悪い。背中を丸めているので、背の高い男が小さくなったように感じた。
「逃げた??」
ギルバートは、楽しそうに目を細めた。
名乗り出ないだけかと思いきや、まさか、逃げるとは。
「はい。娘の名前は、コーデリア・モリス。16歳。ティアマト領出身ですが、今は王都で暮らしています。一度の受験で役人採用試験に合格し、住民部に配属されました。同僚の協力を得て、似顔絵をつくっているところです」
報告の声は、だんだんと小さくなる。
ギルバートは、舌の先で唇をなめた。
逃げるとは、いい度胸だ。その娘の顔、早く見てみたい。
「軍部にも声をかけろ。大通りには見張りを配置し、王都から出る街道には検問をしけ!!」
「はい! 承知いたしました!」
責任を追及されると思っていた担当者は、ギルバートの指示に勢いを取り戻し、背筋を伸ばして敬礼した。
「絶対に逃すなよ! 私が、自ら迎えにいこう!」
言外に、「自分で捕まえたい」という意味が含まれていると理解したのは、レナルドだけだ。自然と口角が上がるのを隠すために俯いたレナルドだが、そのことに、ギルバートどころか誰も気がつかなかった。それだけ、誰もが、
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