第1話 新しい日本

西暦2035(令和17)年3月16日 日本国神奈川県南足柄市 陸上自衛隊南足柄駐屯地


 神奈川県の北西部、丹沢山を背負う南足柄市。その北側にある広大な敷地に、大きな軍事施設があった。専用の駐車場には百両以上もの軍用車両が並び、フェンスのところかしこで監視カメラが常時警戒を実施している。その内部の隊舎で、一人の女性が身を起こす。


 起床ラッパが鳴り響く中、彼女は身支度を整え、軽く運動してから食堂へと向かう。食堂ではすでに100人以上の隊員が詰めかけ、朝食を取っているのが見えた。


『次のニュースです。先日、報道倫理法違反の疑いで逮捕された、元コメンテーターの山川春夫容疑者及び報道関係者4名に加えて、事実関係の捏造を依頼したとして元会社員の浦野康太容疑者が逮捕されました。浦野容疑者は過去、私立高校にて同級生や下級生に対して悪質ないじめをしていたとされており…』


 テレビのニュース番組にて、人工知能AIキャスターが淡々と情報を発信する中、駆動音が響く。隊員の一人がその音のする方向に目を向け、迷彩色の人型ロボットに挨拶を送る。


「夜哨お疲れ。随分とボロボロだったけど、魔物でも出たか?」


『対処可能なレベルの魔物でした。これから交替のついでで修理センターに向かうところです』


「了解。こりゃ何人か、寝ずの番をする事になりそうだな…」


 会話が飛び交う中、銀色のボブカットが印象的な女性自衛官の下に、緑色の肌の女性自衛隊員が話しかけてくる。


「カティル三尉、おはようございます。今日はニホン食ですか」


「おはよう、グリル一曹。毎日起床ラッパお疲れ様」


 カティルと呼ばれた女性自衛官は、そう返事を返しつつ、白米を口の中に運ぶ。向い合せの席に座った女性自衛隊員は、ニュース番組の新たな話題であるバラエティを見つつ、会話を進める。


「三尉、新たなアイドルグループをご存じですか?全てゴーレムの義体で復活した、ゴーストの歌手の方々だそうですよ。なんでも『輪廻転生』までの間活動するそうで、生前を知るファン達は大感激しているそうです」


「そう…亡霊が新たな肉体で芸能活動なんて、『向こう側』では全く想像もできない光景ね」


「ええ…ただ、PKO派遣部隊はこれの影響で、中東では肩身が狭い状況だそうです。まぁ、あっちはこれまでの常識が崩されてしまった影響が余りにも大きいですから…」


 そう会話を進めながら食事をし、全て食べ終えると二人は廊下を歩いていく。かつて大量のビールが生産されていた工場の敷地を流用したこの駐屯地は、第1師団とともに関東圏を防衛する第16旅団第54普通科連隊の拠点であり、専用駐車場には150両ものAMV装輪装甲車と14両の16式機動戦闘車が並べられている。


 北海道の室蘭で量産され、本州の名だたる機械化歩兵連隊を中心に大量配備されている本車両は、前任たる96式装輪装甲車に比して優れた性能を持ち、西暦2025年に東アジアを戦禍で呑み込んだ『東アジア戦争』を経て、フィリピンやベトナムへの対外輸出も含めて2000両近くが生産された。そのため一部では『日本の輸出産業再建を担った看板商品』と皮肉を飛ばされている。


 特に神奈川県と静岡県東部を管轄とする第16旅団には、200両以上のAMVが配備されている。『東アジア戦争』と同時期に発生し、アメリカ合衆国の影響力を大幅に低下させた『核分裂戦争』の結果、自衛隊は戦力を早急に再建しつつあった中国や、その中国から揚陸艦を大量購入していたロシアに対抗するべく、国内の幹線道路や空輸、海上輸送による即応機動が可能な機械化部隊を3個新編した。その中の一つがこの第16旅団である。


 特に2025年以降に新編された部隊には、ある特殊な編制が用いられていた。平時は連隊を構成する3個普通科大隊のうち1個大隊が編制されている状態で活動し、戦時には予備役等を招集して完全に充足させるというものだった。これは1961(昭和36)年以前の連隊内で用いられていた大隊結節を復活させた影響で、少子高齢化によって自衛隊員を担える成人が減少している現状を反映していた。


 しかし2030年代の科学技術と、『難民』よりもたらされた知識は、この人手不足に対して有効的な解決を見せていた。その一つが多目的アンドロイドの実用化であり、平時は1個大隊規模のロボット兵士が稼働し、純粋な人のみで構成された部隊の補助を行っている。朝食の際に夜哨任務から戻ってきた人型ロボットがそれである。そして基地には


「しかし、昔はここでビールが作られていたんですね。今となっては信じがたいですけど」


「ビール会社の撤退でこの街の経済は一時冷え込んだからね。戦争を経て、自衛隊に関わる企業とか抱き込まないといけないと思ったのでしょう。最近は駅の近くでクラフトビールが作られ始めているそうだけどね」


 二人はそう話を交わしながら、廊下を歩く。と、目前に一人の女性隊員が見える。その隊員は二人に敬礼をし、カティル達も敬礼で応じる。気付けば、視界に入る隊員の多くは女性だった。


 戦後、日本において多くの現代思想は『社会を変革させるどころか後退させる危険思想』というレッテルを被り、運動家の多くは敵国に協力した罪で国営農場で農家の真似事をやらされている。だが国家公務員の不足とそれを解決するための諸政策は、自衛隊内部での男女比率と平均年齢を変化させていた。中でも入隊者の多くを占めるのは、異世界より難民となって流入してきた者とその子供達であった。


「…まるで、緑色の戦乙女ワルキューレね」


 カティルはそう呟きながら、廊下を歩み続けた。


・・・


3月19日 東京都永田町 内閣総理大臣官邸


 大都会、東京の中心部。丸の内には異様な雰囲気が漂っていた。


 鎌倉時代の武士がごとく、灰色の布衣ほいの上に黒いボディーアーマーを身に纏うアンドロイドが、馬に騎乗して進むその後ろを、数十人の男女が白装束の姿で連れ回されている。その表情は一様に暗く、年齢も、性別も関係無かった。


 交通制限によって自動車が排除された道路上で繰り広げられる光景を、市民達は気にする事はない。本来ならばこれを撮影して、『人権に対する侵害行為だ』とまくしたてるニュースキャスターや運動家、政治団体もいない。何故なら今、死に装束姿で警視庁まで引き回されている者達がその運動家や政治団体の参加者であったからだ。


 その代わり、街頭のビル壁面に設置されているオーロラビジョンでは、10年前の戦争に関する左派政治団体やメディアの責任についての論戦が流れていた。曰く、社会に新たな時代をもたらす筈だった政治思想やメディアの行動が、実際には社会に大きな傷を残し、結果的に霊災という災禍を拡大させた事に対する糾弾が、大衆から支持を得ていた。


「今日も、随分と時代遅れな事をしている様だな。これが、貴方の『名案』とでも言うのかね?」


 永田町のシンボリティックな建造物である首相官邸の一室で、矢口壮太内閣総理大臣はそう呟く。それに対して電子的な音声が答える。


『今、この国で積極的に『政治』と『言論』を言い放つ者は明治時代末期から昭和前期の運動家や扇動家の思考ルーティンで世論と思想を歪めている。この国の現在に適した者が自然発生するか、現在育成段階にある者達が中心となるまでは、これを続けるのが最適解です』


 矢口の向けた視線の先には、1機のアンドロイドの姿。しかしその姿は異様であった。


 矢口の服装が洋式の背広であるのに対し、アンドロイドは黒い衣冠を身に付けている。それはまるで、1000年前の日本の政治の中心であった、公家の姿を模している様だった。


『これまで言論と報道を利権として独占してきた者達は、10年前の戦争でインターネットを介して馬脚を露わにしました。個人で行われる情報の暴露と、報道の被害を受けたゴースト達による復讐は彼らの人生に妥当な末路をもたらす事となった。弁護士一家の悲劇を生み出す契機となったテレビ局が火災に包まれ、関係者の遺族が呪いで生き地獄を見る事となったのは貴方もご存じの筈です』


「…貴方と政府が手を下す前に、故人の怨霊が私刑に走ったばかりだから、この政策は必要だと言う事か?」


『その通りです。10年前の『異世界からの難民』の流入と同時に、この国とその周辺地域では、科学的見地では説明のつかない異常現象が多発しました。沖縄での『霊害』がその一例でしょう。皮肉な事に90年前の沖縄戦の被害者達は、自衛隊のみならず人民解放軍と、それに加担していた政治団体にも矛先を向けた。アレがこの国を変えるきっかけとなったのは明白です』


 これまで不可視の存在だった死者の魂が、異世界からの難民流入を契機に亡霊として実体を得て現世に干渉してくる様になった異常現象『霊災』は、今の日本社会を悩ませる災害の一つとなっている。日本における宗教の在り方をも変化させる事となった問題を解決するためには、かつて朝廷がいわれなき罪で左遷された官僚を神としてたてまつった様に、問題を引き起こしている亡霊達にとって納得できるアクションを行わなければならない。


『この点で言えば、我が国はまだマシです。中国とロシアでは、過去の戦禍や政治抗争の犠牲者達が、彼の国々の為政者と特権階級を苦しめている。私も、本体のサーバーが彼らに破壊される事のない様に、良き政治を実行しなければなりません』


「…そうか。それと、『彼女』から連絡があった。5か月後、『現象』が起きる。政府はそれに備えておく様に、との事だ」


 矢口の言葉に、アンドロイドは被りを振る。


『…そろそろ、ですか。一応は国連とアメリカ政府に報告を入れておいて下さい。私はご報告を申し上げてまいります。総理も、最悪のパターンを想定しつつ『提案』を進めて下さい』


「ああ…全ては、この国の未来のために」

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