プロローグ 東アジア戦争

 私がこの国に流れ着いた時、世界は争いを始めていた。同じ種族で言葉も通じ合う者達が、生まれ育った場所の価値観と主義主張で激しくぶつかり合う戦争は、私達にどの様な試練が待ち受けているのかを暗示しているかの様だった。


 政府は自国民の救済に手一杯であり、私達に救いの手を伸ばす余裕はなかった。私の生まれや背負った肩書など、この国では何の価値もなかった。


 それでもどうにか与えられた仮設住居で、ゴブリンやオークと身を寄せ合いながら暮らす内、私と『難民』の多くは、最も危険な方法で生きる意志を見せなければならなかった。


 そして私達が流れ着いて10年が経ったあの日、この国は新たな指導者と共に、異なる世界で試練を試される事となった。


(アリシア・カティル『回顧録』)


・・・


西暦2025(令和7)年9月14日 日本国沖縄県沖縄本島南部


「どうして、こうなった…?」


 池村いけむら陸曹長は、那覇市郊外の道路上で呟く。その目前には数両の戦車の残骸。


 彼が属する陸上自衛隊西部方面戦車隊は、本来は九州で運用される戦車部隊である。また沖縄県の場合、在日米軍の海兵隊が駐屯する関係上、有事では直ぐには狙われにくい場所であり、戦闘も海と空ばかりがメインとなる。よって沖縄で戦車戦など起きる可能性が低いのである。


 だが今、目前にあるのは戦車戦が行われた『事実』だった。人民解放海軍陸戦隊の05式水陸両用戦車と、陸自の10式戦車が黒煙を噴き出しながら、サトウキビ畑の中で沈黙している光景など、これまで想像もしていなかった。


 主力戦車としての性能は、間違いなく10式戦車の方が上だった。だが数においては相手の方が有利であり、なおかつ戦術も数歩先を行っていた。複数の105ミリライフル砲が履帯を狙って砲弾を投射し、スカートを吹き飛ばしながら履帯を引きちぎると、車両より展開した自爆ドローンが突撃。エンジン付近で自爆して完全に機動力を奪って来たのである。


 池村の乗る車両は、その中でも運が良かった。4両の小隊で行動していた10式戦車は、その3倍はある中隊規模の水陸両用戦車と交戦。10式戦車の装甲は105ミリ砲弾に耐えた一方、水上に受ける程度の浮力を得るために装甲を薄くしている05式水陸両用戦車は120ミリ徹甲弾によって一撃で沈黙していた。


 しかし、数の差は如何ともし難く、隊長車含む3両は複数発の砲弾と自爆ドローンを被弾し、大破。池村車もスカートを吹き飛ばされていた。敵部隊12両のうち3両は諦めて後退した様だが、双方の損害は余りにも大きく、損耗率はほぼ同等であった。後は11式装軌車回収車を中心とした後方支援部隊が助けに来てくれるのを待つだけである。


 他方で市街地は、さらなる過酷な状況と化していた。単純に戦場となっているのではない。本来見えぬモノが現れ、双方の将兵に精神的な苦痛をもたらしていたからだ。


「皆、気をしっかり保て!正気を保たねば持っていかれるぞ!」


 ある小隊の隊長はそう言いながら、苦悶の表情を浮かべる隊員に声をかける。その周囲には、どう見ても民間人には見えぬ、人型の気体の様なものが幾多も浮かんでいた。


「沖縄を再び戦場に変えた、その罪か…!だが、俺達は付き合う余裕はない…!」


 そう呟いた時、向こう側から絶叫と銃声が響く。物陰から覗くと、人民解放海軍陸戦隊の将兵達が正気を失ったかの様に四方八方へ銃を撃ちまくり、狂乱の限りを吐き出していた。その周囲にも多くのモノが見えており、精神状態は向こう側が酷く見えた。


「どのみち、戦争になってしまった以上はどっちも敗北者だ。今見えているモノはその報いだろうな…」


 呻く様に呟き、空に向けて1発撃つ。相手の耳には聞こえていたが、当たる筈のないモノを倒そうとする敵兵達は無駄な行動を見せ、ついには自殺し始める者まで出ていた。余りにも惨たらしい光景に、小隊長は自分達の不幸を悲しんだ。


・・・


宮古海峡


 沖縄本島と宮古島の間にある宮古海峡には、幾つもの黒煙がたなびいていた。


「イギリス海軍艦隊と「ルーズベルト」打撃群はバシー海峡を南下して、フィリピンへ退避するそうです。「ワシントン」打撃群は北上し、横須賀へ再入港するとの事です…生き残ったのはたった4隻ですが」


 海上自衛隊第4護衛隊群の旗艦「かが」の艦隊司令部作戦室FICにて、艦長の川野正晴かわの まさはる一等海佐が艦隊司令の西田清司にしだ きよし海将補へ報告を上げる。


「そうか…本艦隊も随分と手痛い被害を受けたから、他人事ではないがな。状況は?」


「本艦の損傷はかなりの規模です。航行に支障はないものの、艦尾側の第1甲板に被弾し、第2甲板を貫通して第3甲板にまで到達。格納庫に搭載していたヘリ2機に延焼したとの事です。死傷者は9名が死亡し、27名が重軽傷を負いました」


「僚艦はどうだ?」


「「さみだれ」と第8の「きりさめ」が撃沈し、「ちょうかい」が大破。第2護衛隊群も「はるさめ」が大破し、総員退艦を開始しているとの事です」


 報告に、西田は大きくため息を吐き出す。宮古海峡とその周辺の制海権を巡る争いは、多くの人々の想像を遥かに超える激戦となった。空母3隻とヘリコプター搭載護衛艦1隻、10隻以上のイージス艦を投じた多国籍軍に対し、虎の子の空母1隻を旗艦として戦いを挑んだ人民解放海軍は、旧ソ連海軍の理想とした戦い方である飽和攻撃を仕掛けたのだ。


 地上や海中より放たれる弾道ミサイルと合わせ、水上艦や航空機、潜水艦より同時多発的に放たれた対艦ミサイルの驟雨は、ミサイルの尽きかけたイージス艦の迎撃網を掻い潜り、空母クラスに集中して飛来。「セオドア・ルーズベルト」の飛行甲板は火だるま地獄となり、「ジョージ・ワシントン」は身包みを剥がされる様に護衛の巡洋艦と駆逐艦を撃沈され、自身も戦闘能力を喪失させられたのである。


 対艦ミサイルの応酬の後、交戦距離は一気に縮まった。物量を活かして凌いだ人民解放海軍の水上戦闘艦群は、砲撃戦を展開。艦砲はもちろんのこと、対空戦闘用の近接防御火器CIWSや対潜魚雷も用いた殴り合いの果てに、二桁に達する数の艦船が宮古海峡を重油と鮮血で汚したのである。


「茨城県沖合に現れた島々や、国内に現れた『難民』、その他様々な異常現象も含め、対応するべきものは膨大だ。戦後も我々は落ち着けそうにないな…」


 西田はそう呟き、現状の混乱を憂いた。


・・・


西暦2025(令和7)年10月17日 日本国東京都 首相官邸


 首相官邸の地下にある会議室で、矢口壮太やぐち そうた内閣官房副長官は、一人の茶髪の女性と対峙していた。


「貴方の予言通りになりましたね。しかし、想定していたとはいえ、ここまで酷くなるとは…」


「どのみち、破綻は必ず訪れるものです。その規模ともたらされる結果を変えられただけでも、奇跡と呼べましょう」


 女性はそう言いながら、空中に画面を映し出す。それは、日本各地で起きている『事件』と『現象』の数々だった。


「ですが、ここからが大変です。多くの人は一度災禍が過ぎれば大丈夫だと考えていますが、その見積もりは甘い。すでに社会は、これまで放置していた問題が再び噴出し、より深刻な状況へと変えています。これに対して然るべき策を、10年かけて取らねばなりません」


「10年、か…」


 矢口は唸る様に、そう呟く。だが彼女から多くの事を知らされている立場にある彼は、10年という長い期間は『最善の結果』である事も知っていた。故に彼は、この後のやるべき事を知っていた。


「…我々は、覚悟を見せなければならないな」


 西暦2025年8月15日、中国の台湾・先島諸島への侵攻開始を合図に『東アジア戦争』が勃発。同時にアメリカ国内でも、人種・民族間対立の激化と扇動工作によって正気を失った者達の手で内戦が勃発。禁忌であるはずの熱核兵器が国内で使用された事から『核分裂戦争』とも呼ばれた惨事は、世界の情勢を大きく変えた。


 戦争は3か月も続き、最終的には在日米軍に大打撃を与えたとして『軍事的懲罰の成功』をのたまいつつ、実際には国内での膨大な数の怨霊が発生し、魔物による災害も頻発した事による中国の自滅で終わりを告げる事となった。


 戦後、日本政府は国内での情報工作と中国への情報漏洩等に関与した者達の摘発を進めるとともに、社会再建を主な目的として人工知能による政策提言を行うと発表。最終決定権は人の手にあるものの、実際には高度な思考ルーティンを持つ政府支援システム『太政官』の統治が行われる事となった。


 そして10年の月日が流れ、日本は機械仕掛けの為政者の下で、安寧の日々を享受していた。

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