『自分』
「依鶴!」
今日も占い師の仕事中、トーマが仕事場に来てくれた。
「これ、弁当な」
「最近ずっとですね。……ありがとうございます」
「もう敬語いらねんじゃねーの?全部知ったわけだし、しかもお前のが年上だろ?」
「はい……あ、うん」
あの、全ての秘密を話した日以来、トーマは私のことを依鶴と呼ぶようになった。
威鶴と同じ、依鶴。
でも扱いは今まで通り。
どうやら威鶴と依鶴で切り離して考えることにしたらしい。
それは今まで通り。
「それにしても……威鶴が中にいるとヘタなことできねーな」
「はい?」
「いや、こっちの話……はぁ」
全てを話したあの日から、トーマとは少し距離が出来た。
それは、嫌われたとか、そういうのではなくて……威鶴に怒られたらしい。
『わかったら依鶴に近づくな。汚れが移るし俺が不愉快だ』
『おま……あーもーなんでよりによって威鶴と同じ体なんだ。つーかつまりお前今までずっと女の体だったわけか?』
『それ以上妄想したら殺すぞ』
『……』
あの時の会話はよく覚えてる。
威鶴も、そこまでしなくてもいいのに。
ちょっと残念とか思ってないし。
全然、これっぽっちも思ってないし。
もうすぐ12時、お昼休みの時間。
トーマは最近この時間を見計らって、お昼を持ってきてくれる。
しかも、自分の分まで。
「食おうぜ」
「うん」
いつも食事するために行く部屋へ行こうとすると――少し遠くから電子音が聞こえた。
ぴたり、足を止める私。
「どうした?」
「……カメラ。今カメラの音がした」
「どの辺だ?」
振り向けば、誰もいない。
でも確かに、微かに聞こえた。
周りのざわつきのせいで、細かいところまではわからない。
近くの足音なんて何百人と聞こえる。
でも、ショッピングモール内でカメラの電子音は、普通はあり得ない。
「……考えすぎかな。威鶴じゃないからこういうのは判断できない」
「何が?」
「盗撮とかかもしれない。でも誰にカメラを向けていたのかまでは特定できないから、私にはどうにもしようがない」
そういう感覚を鍛えていたわけじゃないし。
「何かあったらまたその時に考えるし、今はお昼にしましょう」
――ぷつ
途切れた意識、ハッと気付いた時には、午後二時。
隣ではトーマがしゃべっていた。
「――だから俺は酒なんかよりも果汁100%派だ。飲んでもカルーアミルク、奴はうまい。お前と同じで牛乳だって好きだし、アイス食うなら牧場のミルクかバニラ――」
「甘党……?」
「……は?だから違――戻った、か?」
「……うん」
どうやら、また『依鶴』になっていたらしい。
「一体何の話をしてたの?」
トーマは、お酒が飲めないの?
果汁100%って……かわいいと思ってしまった。
「知らない間に二十歳超えてたから、酒の話とかしてた」
「そうか、私たちが作られたのが18歳頃だったから……」
本来の『依鶴』の精神は、まだ18歳のままなのかもしれない。
若いわ……。
トーマには、こうして本来の『依鶴』と私と威鶴の仲介役をしてもらっている。
何も知らない『依鶴』、私と威鶴は『依鶴』とは直接話が出来ないから、『依鶴』にとってはわけもわからずいきなり未来へタイムスリップ状態。
説明する人もいないのは、パニックになるのは当たり前。
だから、トーマにお願いして、私たちの仲介役をしてもらうことにした。
「お客様は?」
「あー、ぽつりぽつり来てた。その『依鶴』も占い師してた頃があったんだろ?いつも通りやってた」
「それならよかった」
トーマが怖くて客が来ないんじゃないかと……いやいや違くて、ちゃんと占い出来てるか心配だった。
まるで母親のような気分。
自分の知らないところで起きていることが少し怖い。
「じゃ、戻ったとこだし、俺は帰る」
「あ、ありがとう。お弁当」
「おー。っつってもお前食ってないだろ?」
「うん、残念」
ポツリ、呟いた言葉。
お弁当は、『依鶴』が味わって食べた、らしい。
私はいつの間にかお腹いっぱいで損した気分。
「夜、飯作りに行く」
「……え?」
それは、あの全てを打ち明けた日以来の訪問。
「帰り、また迎えに来る」
そう言って、トーマは帰って行った。
少し、得した気分……。
単純だなぁ、私。
こんなに単純だなんて、知らなかった。
トーマと関わると、私の知らなかった私が発見されていく。
――夜、トーマが迎えに来て、トーマと一緒に帰宅。
すると、トーマが夕飯の準備をしている間にメールが来た。
「トーマ」
「なんだー?」
「メール、レインから」
確認すると、私の方には来ていない。
机の上に置いてあるトーマのケータイに、『受信 レイン』と書いてある。
「たぶん叶香さんのことじゃない?」
「威鶴には来てねーのか?」
「来てない」
依頼して二週間と少し、雷知が何かを掴んでくれたのかもしれない。
「メール開いてくれ」
「いいの?」
「音読」
「わかった」
受信メールを開くと、直前までお姉さんとメールしていたらしい。
受信履歴がお姉さん一色。
まぁ、レインと威鶴はあまりメールしないからね。
「『柴崎依鶴を連れて23時BOMB集合、遅刻厳禁!依頼の件を話す』」
「おーよ」
「返信どうする?」
「りょーかいの二文字で」
『了解』そう打ち、送信した。
「依鶴、砂糖どこだ?」
「赤色の『塩』が、砂糖」
「……なんで塩の入れもんの中に砂糖入れてんだ?」
そう言ってトーマは蓋が赤色の容器に入っている白い粉を少し手に取り舐め、『甘い』なんて言う。
「入れる時、間違えて……」
「お前大雑把だったのか」
「自分だけわかってればいいと思ったんです!」
もう、恥ずかしい。
いいじゃない、塩も砂糖も白いから、見た目なんて違和感ないし……私と威鶴しか使わないと思ってたから。
「せめて表示を砂糖にしてやれ」
「塩は小さいのがあるから、別に砂糖二つでもいいし……」
「俺が困るだろ」
『俺が困る』
それを言われてしまうと、なんだかくすぐったい気持ちになる。
また来る気でいるのかな……とか、考えちゃう。
夕食を食べ、向かい合って座った席で、少しのんびりする。
BOMBに行くにはまだ時間が早いし、トーマが帰る理由もなくなった。
意味もなくテレビを付け、バラエティー番組を見る。
面白いとは思わない。
でも、なんだか二人きりだと急に意識し始めた自分が恥ずかしくて、テレビを見てしまう。
「……」
「……」
お互いに無言。
話すべきことは話したから、何を話していいのかわからない。
こういう時に、人と関わってこなかった昔の自分が少し憎い。
と言っても、目も合わせてもらえなかったのは『依鶴』の方だけど。
こういうのが『コミュニケーション』てものなのかな?
目とか耳とか、こんな能力はいらないから、コミュニケーション能力が欲しかった。
トーマの方が気になって、視線だけをトーマに向けてみる。
――と。
視線が、交わってしまった。
数秒、思考停止。
トーマが、みてる。
私を、みてる。
私が見る前から……見て、た?
とたんに恥ずかしくなって視線を下げる。
心臓が、暴れ出す。
トーマは心臓に悪い。
さすがに怖いとかは思わないけれど、あんな、よくわからないけれど、真剣な視線を向けられていると……恥ずかしくなる、よくわからないけれど。
なんで見ていたの?
テレビを見ていればいいじゃないの?
それは自分にも言えることだけれど。
いつから見てたの?
ずっと見てたの?
私、変な顔とかしてなかった?
行動とか、普通、だった?
まず普通の行動がわからない。
普通がわからない。
――スッ、動く気配。
気配が近付き……私の隣に、座った。
――ちかい!!
どどどどうしたのトーマ!?
いきなり、隣、座ってくる、なんて。
ぽん、と頭に乗ったものに、「ひゃっ」と変な声を出して反応してしまった。
隣を見ると、優しく微笑んだトーマと、私の頭に伸びる手。
手、乗せられてる。
状況が理解できないのは、コミュニケーション能力が欠けてるから?
いやいや、こんな状況誰にもわからない、はず。
今度はトーマの顔が近付いてくる。
――え、え、え!?
脳内が大パニックの中、耳に近付いた顔が。
ふぅ、と息を吹きかけてきて、背中に走る甘い痺れ、くすぐったさ。
耳を押さえてトーマに向く。
「な、な、なにするんですか!?」
「いや、どこまで我慢するのかと思って」
「我慢??」
「目合ったのに反らすし、それから頑なにこっち見ようとしないから」
つまり。
遊ばれてた、ってことでいいのだろうか?
いやいや、悪質すぎる、この遊びは心臓に悪い、ぜひやめてほしい。
「もう目反らすのやめますから、こういうことしないで」
「早速反らしてる奴が何言ってんだ?」
「いちいち合わせなきゃいけない理由もないので」
「じゃーまたするしかないよな?」
そう言って首筋に指を這わすトーマから、再び甘い痺れを受ける。
「やぁっ……」
そう拒否を示すと、ピタリとその指を止めたトーマ。
やめてくれた?
と、視線をトーマに向けると、今度はトーマが目を反らした。
「……やべぇ」
「何が?」
「あー、くそっあーくっ……あーもー」
よくわからないけれど、今度は突然唸りだしたトーマ。
「やべぇ、止まらなくなる」
「まさかこの変な遊びにハマったなんてこと……」
「遊びじゃねーよ、くそっ」
なぜか苦しそう?
いや、何かと戦っている。
すごく必死に見える。
私は何かしただろうか?
いや、何もしていない。
「なんでうなってるの?」
そうトーマに聞けば。
「お前がイイ声出しやがるから……くそっ」
いい声……なんて出した覚えはない。
たださっきちょっぴり、悲鳴混じりのような、高い声を出したことは認める。
……この、平均よりも少し低めの声のどこからあんな声が出て来たのかは不明。
今まで出したこともなかったその声は、なぜだか非常にトーマを苦しめたらしい。
――後にそれを『甘い声』だと知るのは、そう遠くはない未来だったりする。
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