崩壊
──崩れるのは、一瞬だった──
「現実から、逃げた……?」
トーマがそう聞き返して来た。
まだ足りない。
説明が足りない。
それが何を指しているのか、その意味を伝えなければ。
それが崩壊の始まりで、それまでの生活の終わりだと……。
「柴崎依鶴の人格は3つに分割されました。そのうちのもとの人格は眠りにつき、ここ数年は姿を現さなかったんです。私と威鶴の存在も認識していませんし、逆に私たちも気付かなかった」
ぷつ……気付けば時間が飛んでいる。
自分の知らない過去が存在する。
私は『依鶴』の鏡の姿。
偽物で本物で、同じだけど別々な人格。
私は『依鶴』だから、『私』という人格自体には、名前すらない。
『私』は『依鶴』のニセモノ。
「『私』と『威鶴』が気付かないうちに出ていた人格こそ、『柴崎依鶴』の主人格、つまり本物」
「ホンモノ……?」
「トーマさん、あなたは眠りについている本物の『依鶴』を引き出す『鍵』です。依頼の帰りにいきなり変わった人格も、本物の方でしょう」
怖い。
けれどこれは、『依鶴』の為。
可能性があるなら、私と威鶴はもとに戻らなければいけない。
「……続きを話しますと、姉の衝撃で誕生した男の人格『威鶴』は家をとび出し、レインに拾われました」
トーマがふと、何かに気付いたように私を見る。
「同じ……か?」
「そう、トーマさんと、同じ状況。だから威鶴は、トーマさんを拾った、とも言えます」
あぁ、話さなければいけない事が、山ほどある。
「拾われたのは18の頃、そして20でトーマさんを拾い、関わっているうちに……きっと信頼みたいなものが生まれて、それに反応したのか、本物が目を覚まし始めた」
過去の話はこれでおしまい。
あとは……。
「ごめんなさい」
「……いきなりなんだよ?」
私はトーマにちゃんと向き合い、今までずっと黙っていたことを、打ち明けた。
「威鶴が初めてあなたに会った時、トラウマであるあなたの過去を、見てしまっていたんです──」
ずっとずっと、言えなかった。
言わなければいけなかった。
でも言えなかった。
過去のトラウマというもの。
知られたくないに決まっているものを、私が……威鶴が、見てしまった。
ずっとずっと、知っていた。
見てしまった事を、後悔した。
でも……あれを見なければ、トーマを拾うこともなかった。
悔やんでいる、でも、見て良かったとも、正直思っている。
トーマが、明らかに動揺したのが分かった。
ごめんね、トーマ。
ずっとずっと、隠し続けてきていて。
ギュッと、トーマが強く拳を握りしめて、俯いたのが見える。
ごめんなさい。
「映像だけじゃ伝わらねぇこともあんだろ」
低い声で、そう聞こえて来た。
「……え?」
「だから……いくら過去を見たからっつっても、俺のその時の気持ちまではわからねぇだろ?」
「あ、はい」
「だから」
ため息。
怒っているようには見えない顔で、私をしっかりと見つめて、言ってくれた。
「俺はそれだけじゃ、伝え足りてない。だから今度は、俺の罪を聞いてほしい」
そう言ってトーマは、怒ることもなく、悲しむわけでもなく、ただ、ほんの少しの笑みを向けて、私と向き合った。
「聞いてくれるか?」
「聞かせて、ください」
静かに、その過去を打ち明けてくれた。
俺にはかーちゃんがいて。
とーちゃんがいて。
ねーちゃんがいて。
妹がいて。
そして、俺を慕ってくれていた『白蛇』の仲間がいた。
俺と叶香はヤンチャで、性格も似ている。
ねーちゃんはそんな俺たちをまとめる、典型的な姉貴で。
父親は俺に関心がなく、母親は子供思い。
そんな両親に嫌気が差した反抗期。
俺は白蛇を従えて、毎日喧嘩三昧だった。
父親は呆れて怒りもしない。
母親は心配はしているらしいけど、怖がりで、俺が脅せばすぐ思い通りの反応をくれる。
叱ってくれるのは決まってねーちゃんと叶香で、でも叶香の場合は喧嘩に発展することも多かった。
喧嘩をしていることは知っていても、どこまで残酷にしているのかまではわからなかったんだろう。
何人病院送りにしたか、数えるのも面倒だ。
ただ、あの時は毎日がイライラしていて、ケンカで発散して、女遊びもしていた。
でもそれを家族に知られることはやっぱり隠したいことで、俺はいつしか年上はみんなねーちゃんと呼ぶようになっていた。
年下はじょーちゃん、でも子供扱いみたいで嫌だと言われるから、年下はやめた。
そんな適当な関係が二年くらい続いた。
ついに親が学校に呼ばれたらしく、俺に関心のなかった父親が俺に説教を……いや、ただ怒りをぶつけて来た。
「お前はそろそろそのダラシナイ生活をやめろ。まだ続けるなら出ていけ。目障りだ」
父親との久しぶりの会話で、そんな言葉をぶつけられた。
もう、親としての無償の愛も何もない。
俺に対しては煩わしさしか感じていない。
その言葉を聞いて、俺は叫んだ。
『こんなとこ出て行ってやる』『シネクソジジイ』『テメーなんて親とすら思わねーよ』
言い連ねた言葉の数々、椅子や机をめちゃくちゃにひっくり返し、皿を割り、棚の上の小物も鉢植えも何もかも力の限り地面にたたきつけ、それでも怒りは収まらなかった。
俺を抑えようと、なだめようとするねーちゃん。
後ろから羽交い絞めして抑えつけようとする叶香。
怯える母親。
その表情に何も感情を映さない、父親。
その顔がまた、気に障る。
まるで仮面だ。
今思うと、俺はずっとずっと子供だった。
怒りを抑えきれず、叶香も突き飛ばし、何も持たずに寒空の下、俺は家を飛び出した。
それ以来、あの家には帰っていない。
白蛇の倉庫に行ってもイライラは収まらず、仲間に酷いことを言い、その居場所からも逃げた。
残ったものは、この身と、無駄に強い力と、ポケットに入れたままでいたケータイ。
母親とねーちゃんからの着信が、バカみたいに連なっていた。
俺はその電源を消し、道端に座り込み、これから先をどう生きるか、考えることにした。
――そして
『こんな所で、なにしてるんだ?』
『……』
『未来、変えたくないか?』
『未来を変えたければ、この手を掴め』
躊躇いつつも、しっかりと
──その手を握りしめた。
それが威鶴との出会い。
新しい人生の始まり。
あれ以来、女遊びはすっぱりやめ、無駄な喧嘩もしなくなった。
冷静になったら、ヒドイことをしたと、罪悪感もわき出て来た。
家の家具を半分くらい破壊したんじゃないだろうか?
相当な被害にしてきたし、修理代とかもろもろ、金かかるだろうな……。
いくらなんでも、度が過ぎていた。
あの時、俺は確かに、『家族の崩壊』を感じた。
そう思ったからこそ、あの両親のいる家に帰りたくはなかったし、定期的に連絡を求めるねーちゃんには、返事をしていた。
BOMBでの初報酬、俺は喫茶店にねーちゃんを呼び出し、化粧室に席を立ったのを見計らい、自分の必要分以外をすべてねーちゃんの財布につっこんだ。
レジでそれに気付いたらしいけど、俺は知らない振りをすることで、無理やり金を押しつけた。
今でもそれは続けているし、ねーちゃんももう、何も言わない。
優しいねーちゃんだから、きっと家にちゃんと入れてくれている。
信頼できる、姉弟だから。
定期的にねーちゃんに会っているうちに、仕事の話もした。
ねーちゃんに紹介カードを渡したはずなのに、なぜだか叶香が依頼をしに来るようになった。
そして威鶴に言い寄るように……。
そうして『今』が完成された。
トーマの過去を聞いて、正直、辛かっただろうけど、羨ましいという気持ちもわいた。
両親には……恵まれなかったのかもしれない。
でもそれは、私も同じ。
と言うより……親の顔や性格すら、覚えていない。
姉は……私の記憶をもう失くしているし。
私の周りでは、私が一番、崩壊していた。
「トーマさん、トーマさんに、まだ言わなければいけないことがあります」
「……まだあるのか?」
私の気持ち、でも、私ではない人の気持ち。
「威鶴は、トーマさんの逃げ場として、あなたをBOMBとして拾ったんです」
これは、伝えるべきことだと思うから。
「……逃げ場?」
「壊れたものは、直そうと思えば直ります。だから時間を置いて、ちゃんと気持ちが整理出来れば、トーマさんだって家に帰れるようになると思ったから」
それを思ったのは、私じゃない。
私ではない、もうひとつの人格。
「威鶴は、トーマさんなら必ず家に帰れるようになると、信じていますよ」
拾った時からずっと、威鶴はトーマを信じて、まるで友達のように、時には父親のように、見守っていた。
トーマは強気で、遅刻魔で、効率悪くて、危なっかしくて。
それでも背を預けて、信じて来た。
その信頼はこの三年でとてもとても、かたくなっていた。
「近いうちに、トーマさんは帰れます」
「……」
「そう、占いに出ていましたから」
そう言って、私も笑う。
トーマの泣きそうな表情を見て。
泣きそうだけど、嬉しそうな、表情を見て……。
そしてニヤリ、いつも威鶴に見せる笑みで聞いた。
「それは、誰を占ったんだ?」
「竹原遥香さんです」
「俺のねーちゃんじゃねーかよ」
ぶはっと、大きく笑うトーマ。
いつかと同じ会話。
でも、あの頃とは確実に変わっている関係。
あの頃はまだ、お互いに何も知らなかったし、こうして話すこともなかった。
それでもやっぱり変わらないことは、トーマには笑っていてほしいということ。
幸せでいてほしい、ということ。
それからなんでもない雑談をして、私たちはいつの間にか睡魔に襲われ、眠りについていた。
もっと詳しく調べることにしよう――。
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