記憶
「私には、『子供の頃から遊んでた占い』しか残っていなかった」
その言葉に被るように、ピピピと鳴る体温計。
「ここまで」
姉が帰って来た所から先は、話さずに済んだ。
ただでさえ隠す場所を言いかえているのに、これ以上は……威鶴誕生秘話なんて話せない。
体温計を取り出し、数字を見る。
『38.3℃』
少し下がったみたいだ。
その数字を透眞にも見せ、しまう。
「そん顔、しないで」
透眞の顔は、ひどく辛そうで、苦しそうで、私の痛みを私以上に感じているみたいで……。
「辛くも苦しくもなかった。ただただ『無』でした。何も感じていません」
そうは言ったものの、私は気付いていた。
ううん、気付かされた。
私の中では、本心では、『姉』が全てだったことに。
だから『依鶴』は鏡の向こうで、眠りについてしまった。
『依鶴』が心を閉ざしたことにより『柴崎依鶴』という1つの体の中、対となる鏡の裏で誕生した、私と威鶴。
本人は一切自覚なく、私たちと本来の『依鶴』を作り出した。
しかし何かが原因で、『依鶴』は目を覚ましかけている。
長かった眠りから、覚めようとしている。
心を開き始めた。
それが嬉しい反面、怖い。
今度は、私たちが必要なくなる。
「お前は……」
「え?」
トーマがポツリと言った言葉は、空気に溶け込むような声音で。
「誰もいない、っつーのは、いらないわけじゃないんだな?」
「透眞、さん?」
ざわつく胸、どこからか湧き出して来るような、緊張。
決意のような、強い瞳を向けてくる、竹原透眞という男。
彼はふっと笑い、優しい言葉を私にくれた。
「俺はお前を独りにしない」
一粒
滴が頬を伝い
落ちた
あぁ
そうか
待ってたんだ、私
その言葉をくれる人を
私を受け入れてくれる人を
私はずっと、待っていた。
「依鶴さん……?」
透眞が心配の声を出す。
当たり前だ、誰だっていきなり目の前で泣かれれば焦りもするだろう。
「すみません、気にしないでください」
「い、いや、ムリだろ。俺なにか気にするような事言ったか?」
そんな、いつものトーマらしくない透眞が見れて、少し笑う。
「え、おい?」
「嬉し涙ですから、気にしないでください」
そう言って、彼の手を握る。
ぎゅっと力を込めれば、そこに確かに存在するぬくもり。
安心する。
人肌って、触れるだけで、安心するんだ。
本当は全てを伝えてしまいたい。
透眞なら、全部受け入れてくれるから。
でもまだ今は、依鶴とトーマの距離は、まだまだ遠いから。
「ありがとうございます」
まだ話せない事も多いけど、いつかは話したいと思う。
それから用事が済んだ透眞に帰っていいよと言い、玄関まで見送った。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫ですよ」
「そんなんで夕飯食えんのか?」
「あー、威鶴くんが来てくれるらしいので」
あはは、苦笑い。
威鶴がなんだか家族みたいになってる。
「それなら大丈夫か」
透眞がそう言った言葉に、私は正直驚いた。
何の根拠もない。
だって彼の前で威鶴が料理や、誰かの面倒を見ることなんて、したことがないはずだから。
「威鶴くんには、任せられるんですか?」
「アイツは誰よりも器用だし、料理くらい目つむってでも出来そうだからな」
さすがにそれはムリだと思う。
「それに、常に冷静で適切な判断が出来る。アイツなら安心して任せられる」
そう言ったトーマの瞳に、嘘は見られない。
確実に出来上がっている信頼関係に、なんだかくすぐったくなった。
「じゃーな、大事にしろよ」
「ありがとうございました」
透眞が扉を閉める直前、一瞬ふり返って、爆弾投下。
「また、な」
パタン、閉まる扉。
「え?」
『また』
それは、未来でも会える時に使う言葉。
次がある。
確かに透眞が会いに来ようとすれば、会える。
でも、私からは会いに行けない。
依鶴としては、透眞の情報は一切ない。
会いに、来てくれるのかな?
かすかな期待が悩を占める。
と、その時。
『乙女してないでベッドに戻れ』
威鶴からお叱りを受けた。
私と威鶴はコンタクトが取れる。
恥ずかしいことに、表に現れてる人格の思考がお互い筒抜け。
だから、こうして口出しすることは普段はしない。
威鶴がどんなにヒドく敵に爆弾を仕掛けようが、私がどう占いでお客様を引き込もうが、お互いノータッチ。
それどころか、中で眠っている事も少なくない。
だから私も威鶴も『中』に居る時は休んでいるから精神は疲れないし、肉体が疲労を感じない限りは眠らなくても大抵は大丈夫。
言ってしまえば、目が休まるくらいの睡眠さえあればそれでいい。
今回は風邪という天敵だから、肉体も十分に休めなければいけないけれど。
ベッドに潜り、目を窓の外へと向ける。
『依鶴』……元の人格の『依鶴』とは、コンタクトは取れない。
それどころか、私たちを認識すらしていないだろう。
だから怖い。
知らないうちに、眠っているうちに、消されてしまいそうで。
私は、眠るのが、怖いから。
眠る時は大抵、威鶴を頼ってしまう。
「男スイッチ、on」
ポツリと呟かれた言葉を合図に、俺が表に現れる。
驚いた、としか言いようがない。
依鶴がトーマに毒されてる。
やめろ、確かにアイツは信頼出来るし、アイツしか今の俺にはいないが……まあ、レインもいることはいるが。
アイツは言ってしまえば乱暴で大雑把で俺様要素まで入ってる。
絶対に面倒なことになる。
それより、手握るって。
手握るってどういうことだよ?
俺がアイツと手握ったも同然なんだぞ?
それを考えると……あぁ、次会いたくないな。
トーマが女の扱いする所まで見てしまった。
あんなトーマは正直、見たくなかった。
なんだよアイツ、アイツの中に心配って感情があったのか?
なんだよあの甘い雰囲気は。
けしからん。
ダメだ、依鶴を見ているとまるで父親のような感情が沸き上がる。
それに目をつむったらさすがに俺でも何も出来ない。
バカだ、トーマは。
ただ、思っていた以上に信頼関係が築かれていたのは、素直に嬉しいと思う。
そういえば、『ネーチャン』とは呼ばれなかったな、と思い出す。
トーマは大抵、女に対しては『ネーチャン』か『ジョーチャン』と呼んでいる。
レインにもそうだ。
でも依鶴さんと呼んでいた。
名乗ったからか?
それとも、俺と名前が同じだったからか。
そういった部分でも、依鶴に対しては他の女とは別に見ていたような気がした。
恋愛沙汰は勘弁してほしい。
なんて思っても、きっと俺にはどうにも出来ないだろう。
目を瞑り、睡眠を意識する。
はやく寝て治してしまおう。
プツンと意識が途切れたのは、そう考えてから遠くはなかったと思う。
次に目が覚めた時、メールが一通届いていた。
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