第三章

傷跡

――痛い




いたい




イタイ




苦しい




アツイ




クルシイ




タスケテ




ツメタイ




イタイヨ




――俺が?




――あたしが?




チガウ




『   』






スッと手を伸ばして握る拳は、宙を掴む。




目を開けば、見慣れた天井。


暑くて、熱くて、ひどく寒い。




息がしにくい、苦しい。




頭が、喉が、肩が、背が、腹が、足が


キシキシと痛む。




それでも、あの夢の方が何倍もイタイ。


あの時の方が、何倍も――。




「嫌な感覚がする」




ポツリ、独白をこぼす。



ベッタリとまとわりつく、汗。


あの夢を見ていたのなら、仕方ないことだろう。






だが、この圧迫されるような喉の痛みに、鼻づまりにより乱れる息。


頭がズキズキと、痛む。




「やらかした」




どうやら、風邪のひき始め、らしい。


困った、熱い、結構熱が出ている。


体温計を探す為に重たい体を起こすが、グラリと視界が揺れる。




頭も重く、とにかく、アツイ。




重い体を引きずり体温計を取りに行くが、思うように体が動かない。


ユラリユラリと不安定な足取り。


ようやく薬箱の中にある体温計を取り出し、壁にもたれて座り、体温計を脇に当てる。




瞼までもが重いとはどういうことだ?


さっき起きたばかりなのに。




だるい、重い、痛い──意識が遠のく直前に、ピピピと鳴る機械音。


体温計の数字を見ると




『37.5℃』




思っていたより低いのは、寝起きだからだろうか。


熱になるエネルギーすら摂取していない。




飯を食って薬を飲んで、行けそうなら病院へ行こう。


――飯を食べる前に、病院に行けばよかったのかもしれない、と後悔した頃には遅く、二度目に測れば、『39.0℃』というバカみたいに高い数字。


俺の平熱は35.5℃だ。




さっきよりダルさが増し、面白いくらいに動けない。


歩いて休み、歩いて休み、猫背で寝転がる。




ダメだ、これじゃ一人で何もできない。


だからといって家族には頼れない。




一つため息をつくと同時に浮かぶのは、なぜかトーマ。


でも、アイツくらいだろう、今の俺が頼れるような奴は。




ただ、家を知られることが少し問題だ。


BOMBの規則がどーたらこーたら。


あぁ、思考まで面倒になってきている。


考え事をすることが、そもそも辛い。




もう、どうでもいいから召喚してしまおうか、トーマを。






いや、でもまて、俺はあくまで戸籍上が『女』なわけで、体のつくりはあくまでも『女』なわけで、そのあくまでも『女』の部屋に戸籍上『男』のトーマを招くなんて、でもトーマは俺のことを『男』だと思っているわけで、それに威鶴として会うとすると規則が――あぁ、もう面倒だ。


この時、俺は完全に思考を放棄した。


ケータイを取り出し、メール画面を開き、そのまま一文を打ち、トーマにメールを送ってしまった。




『助けろ』




そこで意識はプツリ、途切れた。






次に目が覚めた時、俺はまずさっきよりも体が軽いことに気がついた。


依鶴の鞄から取り出したケータイを床でうつぶせになって操作していた記憶まではある。


それがなぜか今は、ベッドに横になっている。


どういうことだろう?




ふと、足音が聞こえた。


俺は無意識に警戒する。




まだ少し体はだるいが、動けないわけじゃない。




コンコン、叩かれるノック音。




「入るぞ」




聞こえた声に目を見開く。


――ウソだろ。




ガチャリ、開かれた扉から現れたのは、皿と飲み物を乗せたお盆を持ったトーマ。


サングラスはかけていない、トーマ。




「起きたか。体調どうだ?いづるさん」




――いづる、『さん』?




俺は理解に苦しむ。


どういうことだ?


なにが起きてる?




とりあえずトーマがなぜここにいるかはなんとなく予想できる。


メールの送信位置から場所を割り出しでもしたんだろう。


一応BOMBの端くれだ。




それよりも気になるのは、『イヅルサン』


トーマは威鶴に対してそうは呼ばない。


しかも、こんなに心配を含んだ目で。




「どうかしたか?」


「あ、いや、えっと……」


「俺は竹原透眞ですよ。占い師の依鶴さん、だよな?」




遅れてやってきた理解に、俺は中へと呼びかける。





offだ!


今すぐ男スイッチをoffしろ!!


はやく!!




「依鶴さん?」




バッと布団を顔面までかぶせ、急いで切り替える。


理由は不明だがトーマが俺のことを依鶴だと思っている。



それならまずは依鶴になることが第一だ!



冷静になれ、冷静に、冷静に――。






男スイッチ、off。






目元まで布団を下げ、彼を視界に入れる。




「まだ辛いか?」


「あ、いえ、あの、違くて、大丈夫です……」




焦りのあまり、おどおどとした口調になってしまう。




「あの、なぜ私のこと?」




送信者は威鶴のはず。


それを彼はなぜ、初対面の『依鶴』として、私を認識しているのか?




「あー、占い師の依鶴さんのことは、ねーちゃんから聞いてて知ってたんだ。バイト仲間の威鶴からも身内だみたいなこと聞いてたし」


「あ、はい」




知ってる。


言ってた。


それは遠くはない記憶の中で、威鶴が話していた。




「それで、今日急にその威鶴から『助けろ』ってメールが入ってて、まぁ、いろいろあってここの住所知って」


「はい」


「乗り込んだら、威鶴そっくりのお前が倒れてて」




ここまではわかる。


でも威鶴が倒れてると思ったはず。




なのに、なぜ依鶴だと認識している理由を、私は――。




「少し揺らしたらお前、目覚ましただろ?」






そこには、記憶にはない出来事が、存在していた――。






「『どなたですか、苦しい、助けて』っつってたから、とりあえず名乗って、そしたら」






――あの子が姿を現した。






「『柴崎依鶴です』っつってたから、ピンと来てな」






サァっと血の気が引く感覚。


それでも体はアツイかサムイかわからない。




「すみません、ちょっと、忘れていたみたいで」


「いやいい。それだけ話してすぐにまた寝ちまったから、ベッドに運んだり医者呼んだりして――あ、心配しなくてもどこも見てねーし触ったりとかもしてねーから。運んだ以外は」




いづる、確かに依鶴だ。


あの子も私も、おんなじ『依鶴』。




「あの、いろいろと、ありがとうございました……」


「あぁ、別に。そうだ、威鶴は?男の方……ってあれ、アイツの本名俺知らねんだけどわかるか?」


「あー、あぁ、はい、彼は、ですね……」




さて、どうしようか。


ここから先は考えていない。




「彼はそのー……実家じゃないでしょうか?」




――もう少しマシな理由は思いつかなかったのか、私。




「実家だぁ?」




トーマの目が据わる。


正直怖い。




「身内を俺に押しつけて、実家?」


「その、えっと、わ、私が、私がそっちを優先してって言ったので、それで……」


「アイツ昼間何かしてんのかよ?」




どんどん突っ込んでくるトーマに、理由を考えるのも一苦労だ。


えぇと、病人より優先するような用事とか、仕事……でも仕事は夜だから――そうだ。



「あの、最近いろいろと忙しかったみたいで、すごく疲れていた、みたいで、睡眠をとれって、私が無理やり言ったんです!ははは……」




そして私は苦笑い。


苦しい、苦しいよ、言いわけ考えるの。




「そうか」




ふっと、いきなりトーマは微笑んだ。


それは威鶴には見せたことがない顔で。




「……そう、なんです」




思わず視線を反らして、布団に顔を埋める。


なんだか少し、アツイ。




雰囲気が少し――甘い。

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