第32話
私は今、すでに残骸と化した
手には変わらず鉄球の柄を握ってはいるが、鉄球本体はそばでゴロンと転がって。いつも通りの色合いに戻っていた。
時刻は二時三時を回った頃だろうか。気温はやはり、かなり暑い。
「はぁ……」、なんか疲れた。
額の汗を拭って、私はため息を零す。
「ふぅ、やったねシルヴィ。お疲れ様……」
いけしゃあしゃあと涼しげな雰囲気で近づいて、爽やかに微笑んでくるシオンに。私は眉間にシワを思いっきり寄せて、睨んでみた。
「うっ、その。ごめん……あの、巨人を倒す為とは言え、君には随分と酷いことを言った。謝ります……」
シオンは、深く、深く、頭を下げる。
巨人の沈黙で、完璧に倒した事が分かった途端。私は力が抜けるのと同時に、激しく沸騰していた怒りもまた、何処かへ行ってしまった。
何をやっているのだろうと我に返って、私は膝を抱えてうずくまる。
「あぁ〜、その……」
シオンは困った様な表情で、顔を指でポリポリと掻く。その仕草も、やはり前世の夫の仕草と重なった。
「ねぇ、あんたは私の事を愛してたの?」
ポツリと、私は彼に投げかける。
「……う、う〜ん」
「はっ、やっぱりね……そうだろうね。最後にあんな事を私に言うんだものね……」
少しの静寂が、私たち二人を包む。
しばらくして、何かを考えていたらしいシオンが口を動かす。
「あれは……その。あの時に、気付いたんだ。気付いてしまったと言った方がいいかな……
ーー頭ではあんな事を言うべきではないと分かりつつも、つい、言葉として出てしまって。僕自身も、それにはすごく……ビックリした」
「はっ、何よソレ……」
「言い訳はしない……」
「愛してなかったんでしょ。それで良いわよ……」
「最初は……最初の頃は間違いなく、君を愛していたよ」
「何を今更。もう良いから消えてよ……私の前から」
肩をすぼめ、シオンは自嘲気味に笑ってその場から立ち去ろうとする。
「ねぇ、もう一つ聞いていい?」
「ん、なんだい? 答えられる事なら……」
「子供たちはどうしてた?」
「あぁ……そうか、ふふ。彼らはもちろん、元気にしてたよ。僕が死ぬまでの記憶しかないけどね」
「そう……」
それだけ聞ければ十分かもしれない。
「でも……」、シオンはふと思い出した様に、天を仰ぎ見た。
「でも……?」
「うん。僕が君に言ってしまった言葉で、色々な後悔を覚えてね。それから、ひどく落ち込んで……死ぬまでの五年くらいを、そのまま過ごしていたんだ。
ーー子供たちはきっと。君と死に別れた寂しさから、僕の元気がなくなったと思っていただろうな。心配をかけてしまった……」
後悔ってなんだ、後悔って……と、思いながらも怒る気力は湧いてこない。
結局、自分の話をしているのである。この男は。
「あんたって……いや、いいわ。さっさと行って……顔も見たくないわ」
「うん……そうだね。あぁ、僕から最後にいいかい?」
「……何よ」
シオンは一拍ためて、そして息を短く吸い込む。
「君は、この世界に生まれ変わって良かったと思っているかい?」
「サイアクよ。決まってるじゃない。あんたにまた会っちゃったんだから……」
即答する。
「はは……そうか。そうだね、僕はね……」
シオンは苦笑い混じりに、遠くを見つめる様に話す。
「僕は……感謝している。神様なのか、なんなのか分からないけど。もう一回、やり直せる機会をくれて、本当に感謝しているんだ」
もう一回やり直せる機会……って、こいつぅぅ。
「そう、良かったわね。今度は私みたいな鉄球女じゃない奴でも見つければ? 私には関係ないけど……」
「あ、いや……ははっ」
シオンは困り顔は崩さずに、後頭部を掻く。
「ん? 何よ……その笑い」
「ああ、いや。僕は誰とも結婚する気はないよ……」
その言葉にどんな意味があるのか。何を言っているのかが、瞬時に飲み込めない。
「はっ?」、と思わず口から出る。
もしかしたらこの時の私は、必要以上に顎がしゃくれていたかも。
「うん、この前話した僕の望みにも関係あるんだけどね……」
あぁ、そういえば修道院でそんな話をしたかもしれない。
「僕の望みは、公国の人間の為に生きて、そして死ぬ事なんだ」
私はただ黙って、シオンの言葉の続きを待った。
「僕は今度こそ……人のために生きて、人を守って、そして死にたいんだ」
キモ、って思ったよね。
「キモッ……」
言葉に出していた。
「はは、手厳しいね」
私はツンと唇をたてて、そっぽをむく。
こいつはどんなメンタルで、あの時の私にあんな言葉を吐いたその口で、その白々しい言葉を私の前に並べるのか。
理解に苦しむ。
「いいんじゃない。みんなの為に生きて、みんなの為に死ぬんでしょ。大層ご立派で、公国を束ねる公子殿下に相応しいと思いますわよ……」
シオンの視線が私に向いているのを、肌で感じたが。私は、彼と目を合わせる事をしなかった。
「君を……最後の最後まで愛さなかった。その報いを、僕は受けるチャンスを得たんだ。だから……」
妙なタメを作るもんだから、反射でシオンの方を見てしまう。
シオンはいかにも真剣な目つきで、私を見ていた。
何よ、報いを受けるチャンスって。
「僕は人のために、民のために、苦しんで苦しんで、それから死ぬよ。だから、君に殺されるのもいいんだけど、それだと僕には赦しの様になってしまうかもしれない」
正直、何を言いたいのかがよく分からない。もしかしたら、シオンの方も自分が何を言いたいかなんて、上手くまとまっていないのかもしれない。
ただ、私にだけは何かが伝わって欲しいと。それだけで今、彼は私にしゃべっている。
それだけはなんとなく、分かってしまった。
「人のために生きるから、赦せってこと?」
「いや、赦さなくていい。それだけの事を言ったしね。僕は罰として、せいぜい苦しんで、苦しみ抜いて人々のために死んだ方が、君的にも気持ちが晴れるんじゃないかな、って……」
以前に、罰を受けたがっていた人物を思い出す。
私は再び、そっぽを向いて。
「もう、どうでもいい……あんたの言葉が嘘じゃないんなら、ゼッタイに公国の人達のために長生きしなさいよ。私は……別に、どうでもいい」
「シルヴィ……」
空気の動きで、シオンが頭を下げるのが分かった。
そして。
「よしっ、それじゃあっ。王国と公国のみんなはまだ戦っているかもしれないから、急いで戻ろう! ねっ!」
ズッコケ……は、しなかったけど。ことごとく、私の神経を逆撫でするのが上手いのよね、この男は。
「あんたと一緒には行かないからっ。あんたはあっち側に行きなさいよ。私はこっちの方から空を移動して行くから」
「あはは、そうだねそうしよう!」
さっきまでの神妙な表情は何処へやら。イケメンらしい眩しい笑顔で、私に親指を立てて反応する。
はぁ……サイアクだ。
私の前世は、もう誰に返せと言ったらいいのか分からなくなってしまった。
いや、この二度目の人生には、初めから前世なんていうものは関係ないし。記憶があろうがなかろうが、元からそんなものはどうでもいいのかもしれない。
囚われていたのは私だけで……
引っ張られていたのは私だけで……
疲れた体に鞭を入れ、私は立つ。
ネーナや、キャロライン。ゴメス爺や。元老院のおじいちゃんたちや、王国の人々の顔が次々と浮かび上がってくる。
私は前を向いた。
「はぁ……鉄球王女の出動ね」
一陣の風が吹く。
それは私の自慢の金髪を、ふわりと逆立てた。それが私を、キュートに演出してると嬉しいな。
太陽の光は燦々と、地上に濃い影を落とすが。
私の白い肌には優しくして欲しいな。
なんて……ね。
私は気合を入れて自慢の鉄球を、青い青い蒼天の大空へと。
高く、高く。
放り投げた。
どうやら私は、二度目の人生でようやくアイとはナニかを考え出す。
ようやく。
愛とか、
その一歩目を今、歩き出した。
とりあえず最初の目標は、
いい人を見つけよう。
それであいつに、幸せな自分と、ピンと立てた中指を見せつけてやるのだ。
えへへ……いいね、それ。
「よぉぉしっ、元気出てきたぁっーーーーーっ!」
蒼天に、鉄球王女の声がこだまする。
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