第22話



「シルヴィニア様、そのお気持ちだけで十分です」

 ランプの灯りが、キャロライン先生の微笑みを照らす。


 夜だからだろうか。それとも、二人だけだからだろうか。いつもの冷たい表情はそこにはなく、優しい先生がそこには居た。


「いいですか、シルヴィニア様。あなたは王国になくてはならない、とても重要なお方なのです。

 ーー確かに案としては。あなた様にあの王国の至宝。『太陽と朝露のサンズ・オブ・栄光極めしモーニンググローリー鉄の宝玉・モーニングスター』、を装備していただき、戦列に参加させることによって。王国の威光を示すフラッグシップとして、広く民衆に知らしめ、また戦意を向上させるという案も……確かに、出ていました」


 あの鉄球の名前……そうそう。そんな感じで長かったのを、今思い出す。朝っぽいなと記憶していたのは間違いではなかった。そして悲しいことに、すでにもう復唱する事は出来ないだろう。(誰だ、そんな長い名前つけたヤツは……っ)

 

 鉄球の名前については置いておくとしても。驚きなのは、私を戦場に出すという案が出ていた事だった。


「え、先生……それじゃあ」

「その案は、私が却下いたしました」

 そう言うと先生は、向かいに座る私の手の上に自分の手を重ね。


「あなた様は、前国王と、亡くなった王妃様が残された最後の希望なのです」

「キャロライン……先生」

「私は、前国王もその王妃様も、とても……とても敬愛しております。たかだか平民出の私を取り立てていただいた御恩に、全霊をもって報いたいのです。

 ーーだから、どうか、シルヴィニア様は毎日を健やかに過ごされ、リンスカーン王国に根ざす我々を、あまねく照らす太陽神の様な。そんな存在になって欲しいのです。だから、お願いいたします。どうか、戦うなどと言う選択を取らないで下さい。

 ーーあなた様が戦う場所は、この王国なのですから……」


 それだけを言うと先生は、ぎゅっと私の手を強く握る。

 ここまで二人きりで話した事も初めてなら、ここまで先生が自分の感情的なものを露わにするのも初めてだ。

 キャロライン先生の黒い瞳は、少し潤んだ様に、静かにランプの光を反射している。

 でも、私は。私には……


「先生……私は。小さい頃からずっと、先生をずっと、姉の様に思っています」

 それは本当だ。前世でも私の上には、姉の存在がいつもあった。

 だから、厳しい事を言いつつも、私を見ていてくれる先生は。やはり姉の様な存在と感じてしまう。それゆえの苦手意識でもあるのだが。


「でも……でも、先生っ。私はっ、リンスカーン王国、第一王位継承者の、シルヴィニア・エル・リンスカーンは……やっぱり、戦わなくていけないのです。

 ーーみんなに、みんなを守れる王女でありたいのです。みんながいない王国で、私ひとりでなんていたくないっ! のです……」


 二度目の人生なのだ。私みたいな人間を受け入れてくれた人達が、私を残していなくなってしまうのなら。

 まさしく、今の私の人生など意味がない。二度目の意味がないのだ。多分……

 いや、正直わからない。

 この国のみんなが好きだから。それがなくなるなら私も死にたいと。そう、思っているのかもしれない。甘えだろうか。

 それとも、シオンひとりじゃ無理だと思ってるって事っ!? えっ、いや、そんな……


「先生、私は私が出来る最大限を……」


 分からない。

 違うっ。なんで、私はこんなに戦いたがっているのだろう?


「したいんです……みんな、を……守れる人に……」


 違うっ。戦いたがってなんかいないっ! よく分からない。分からないけど……

 分からないけど、

 そう思えるのだ。


 いや、そうあって欲しい、ただの願望かもしれない。役にたてる数少ない事だからかもしれない。

 ダメだ、ほんとによく分からない…… 

 

「私は……私には、戦わないといけない王女の責任があるんですっ」

「シルヴィニア様、あなたは……いや、ダメですっ! ダメです、王女がそんなっ」

「先生っ!」


 もう自分でも、どんな理屈をひねればいいのか分からないし。それが正しい事かも分からない。

 なんでか分からないけど、戦わないといけない気がしているというのを。感情で押し出すほかに、思いつかなくなっていた。


「お願いっ。お願いです先生……戦いたいわけじゃないのっ。でもきっと、私はみんなを守る為にここにいるのっ! ネーナや先生や、国のみんなを守る為に、私はいるんですっ!」

 言い切るしかなかった。


「そんな……いや、シルヴィニア様」

「シオンひとりではきっと……今回の作戦は、失敗します」

 もう、むちゃくちゃ言ってやれっ。私の中でも理屈がハチャメチャだ。

 なんでここまで!? って、自分でも思うもんっ。

 感情が溢れて、思考がうまくまとまらない。


「シルヴィ……あなたは」

 黒魔獣襲撃の際に呼んでくれた私の愛称を、先生は呆然とした顔で呟いた。

「先生。私を行かせて下さい。姉のように慕うあなたに認められたなら、私はきっとなんでも出来る気がするんです」

 ここで先生は、ポツリ、ポツリと涙を流す。

 頬を叩かれて以来、二度目である。


 また、先生を泣かせてしまった。ごめんなさい……先生。

 結構、引くに引けない感じで突っ走ってしまったが。キャロライン先生は、ただ涙を流して押し黙っている。


「ごめんなさい先生。不出来な私を、ここまで見ていてくださって……」

 も〜う、よく分からんっ。とりあえず、この場は退席しようと席を立つ。

 が、そしたら先生は私の腕を掴んだ。


「私も……あなたをずっと。ずっと……妹の様に思っていました」

 ぐわぁっ! 今その言葉は、私の心の奥底にグサリと刺さる。

 なんでか目頭に熱いものが込み上がって、私は急いで上を向く。


「……分かりました。そこまで言うのなら、私も覚悟を決めます。我が国の至宝をもって、あなたはあなたの道を進んで下さい。シルヴィニア様……」

「えっ……それじゃあ」

「はい。もう私も、あれこれとは言いません。すでにあなたは、国を背負う器へと成長なされました。私は……私はそれを、心より嬉しく思いますっ、うっ、うぅ……」


 せきを切ったように、先生の頬には、大粒の涙が伝って落ちる。

 なんだかよく分からないけど、それを見て私も泣いてしまった。

 二人で肩を寄せ合い、お互いの身体へと頭を預けて。

 私たちは泣く。 


 もっと早く。先生とこんな話ができたら良かったな。

 いや、これから先も長いはずだ。だから、きっと……


 一通り落ち着いた頃に。

「ふぅ……すみませんシルヴィニア様。お見苦しいところをお見せしました」

「そんな、先生。それにシルヴィでいいよ。そっちのが私はいいな」

「ふふ……そうね。それはまた今度、ね」

 私の涙の跡を優しく親指で拭って。キャロラインは、その少しはれぼったいけれども、綺麗な笑顔を見せてくれる。 

 私も負けずに、エヘヘと笑う。


「今日はもう遅いですから。ご自身のお部屋に、お戻り下さいシルヴィニア様。誰かお付きの者を……」

「いえ、大丈夫ですよ先生。えへへ、ちゃんと一人で戻れますから……」

 なんとも感動的な、良い夜だった。(多分)

 キャロラインは少し軽めに息を吸って、そして吐く。

 そして……


「オホン。ゴメス様……ゴメス様は?」

「ふぉ、ふぉ。ええ、ええ、ここにいますとも……」


 そう声がしたのは、私のすぐ後ろ。

 ランプの灯りが届かぬ闇から、私の背中越しに、ヌメッと突然顔を出すゴメス爺や。

 、だっ!


「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁっーーーーっ!?」


 夜のリンスカーン王国に、そして王宮に。

 王女たる私の。

 シルヴィニア・エル・リンスカーンの。その、驚愕に満ち満ちた絶叫がこだまする。

 この時の恐怖といったら、マジで、心臓が口から飛び出すかと本気で思ったよね。


 あとで知るのだけど。

 どうやら爺やは、特殊な訓練を受けた特別な執事らしく。執事長と兼任して、隠密行動に特化した元老院直属の何か(聞いたけど、覚えられなかった)の部隊に所属しているらしいのだ。

 執事の仕事のほかに。メインは情報収集や、私みたいな要人の護衛を、密かに命じられているのだとかなんとか。


 時期を見て、その素性を私に明かす予定だったみたいだけど。今夜を機に前倒ししたと。

 そういう流れみたい。

 キャロラインは「そこまでビックリされるとは思いませんでした。むしろ、ゴメス様の裏の仕事のことなど、薄々気付いているものと思っていました」、なんて言うの。(いや、分かるかいっ!)


「ふぉふぉふぉ、姫様の夜の寝顔は、年々王妃様に似てくるので。この爺やは、いつもいつも、幸せな気分で仕事ができておりますじゃ。ふぉふぉふぉ」

 おい、やめろジジイ。


 私はめっちゃ怒って。流石に、その夜の護衛だなんて事は、すぐに辞めさせたよね。

 はぁ……

 ……

 …

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