第20話
黒い鎧の巨人が出現して、今日で五日目。
天気はあいにくの雨模様で、王国に迫る恐怖を、そのまま代弁するかの様に重苦しい湿気が王宮内に充満している。
便宜上『
黒い光の中で、昼夜問わず、直立不動でそこに存在している。
ただのこけおどしかと願わずにはいられないが、夜になると頭部を覆う黒い兜の隙間から、
伊達や酔狂で現れたと考える訳にはいかないよね。やっぱり。
立っている場所については、出現から翌日には判明。選ばれた斥候の兵士が勅命とはいえ、自身の命を顧みず持ち帰った情報である。
黒騎士や黒魔獣との会敵も十分予測できた為に、まさしく命懸けであった事だろう。
がしかし、その斥候は一度も敵とは遭遇せずに、目的を果たして無事に公国へと帰ってきたという話だ。
帰ってきた本人が一番、拍子抜けな気分を味わったかもしれない。
でもそれがまた、不吉だった。
黒鉄の巨人の出現以降、黒騎士だったり黒魔獣、黒魔鳥の襲撃が、パタリと止んでしまったのだ。
公国側の情報によると、ここ一ヶ月間で、五日間も襲撃や侵攻がなかった事はないらしい。
嵐の前の静けさ。
やはり、そんな気配を感じずにはいられない。だから、余計に国民の間に広がる不安も、国の上層部に広がる不安も、日を追う毎に募っていくのだ。
振り払っても免れない今の湿気の様に、ジワリ、ジワリ、と人々の心の隙間に浸しみ込んでいく。
それは私にしても同じで、単純に怖かった。
得体の知れない巨大な人型のナニカに、四六時中見張られているのだから。たまったものじゃない。
とは言いつつも。私は今、お茶を飲んでいる。午後三時のお茶タイム中なのであった。
自身で育てた特製のハーブティに、イチジクのタルトを合わせている。
晴れていればテラス席や、中庭の離宮などで一時の憩いを取るのだが。雨が降っているので、寝室隣の応接間を使っていた。
丸テーブルを挟んで向かいには、ネーナが座り。同じく、私特製のハーブティに、ちびちびと口をつける。
「はぁ〜、ほんとヤになっちゃうよね〜。アレ……」
肩肘をついて行儀悪く、私は窓から見える
「そうだよねぇ。やっぱりみんな、とても不安がってるもんねぇ……って、テイッ」
ネーナは同意を示しつつも、テーブルについた私の肘を
うぅ、最近ネーナも、行儀に関してどんどんあたりがキツくなってるぅ。
コホンと小さく咳払いをして、居住まいを正す私。
「そういえば、今日って。シオンが
「うん、確か。そう聞いてるよぉ。この休憩が終わったら、シルヴィをキャロライン先生の所に連れて行って、私も色々と準備しなくちゃ」
ネーナはティーカップを両手で包み、まだ残るお茶の温かみを記憶させる様に、薫り立つ湯気に鼻先をくっつけた。
「そろそろ軍を率いてって、話かな」
「う〜ん、私たちメイドの中でも、そうじゃないかってみんな言ってるなぁ。じゃないと、もしかしたら暴動とかも起こるかもしれないし……」
「えっ、マジ!?」
「マジマジ。そのくらいみんな、やっぱり殺気だってはいるよね」
「うぅ〜〜ん、そうか。そうだよね〜、う〜ん……」、どうしようもないものなぁ、この状況は。
だけど、暴動なんて物騒な言葉まで出ているとは驚きだった。
いつ攻めて来るか分からない恐怖。黒い光のせいで、何処にも逃げられない。そんな状況に、今まで、うっすらと心の奥底に燻っていた不安な気持ちに、火が着いたのだ。
どうにかこうにか、力を合わせて生き抜いてきたが。やはり、黒い光の分断によって先細る資源に、黒騎士などの襲来、見えない出口。
表面上は取り繕えていても、一向に解決に向かわないのだから、そもそもいつ民衆が爆発してもおかしくなかった。
十五年も保ったのが、逆に奇跡のように思えてきてしまう。
「うぅぅ……私はどうしたら」
窓の外を見ながら、テーブルに頭を突っ伏し。私は項垂れる。
「シルヴィ……」
ネーナはそんな私にそっと、手を置いてくれたが。その手は微かに震えている様な、自信なさげな様な、そんなニュアンスを含んでいるようにも感じられた。
ネーナだって、もちろん不安で不安でしょうがないのだ。
私は窓から見える、遠くの巨人に視線を移す。土地の分断に、人々の繋がりすら分裂しそうな今。
この国に必要なのは、みんなをまとめられる資質を持つ者である。
だが、そんな人物はいるのだろうか……
正直、私ではダメなのは知っている。
いつも怒られている私に、王女の責は荷が重い。
……
…
リンスカーン王国の謁見の間は現在。少し特殊な配置になっている。
玉座や、それが載る壇上やら、構造的なものは一般的な謁見の間と変わらないらしいのだが。
我が国は現在、王が不在な為(私は便宜上のトップではあるが、即位はしていない)、玉座には誰も座っていないし。シンメトリーに配置されるはずの側近や侍従の席は、片側だけ長テーブルが置かれて。その反対側に立ち見席が設けられ、会議室も兼ねられる。そんな、若干合理性を優先した形になっているのだ。
私はというと、玉座から一段下の壇上に立っている。そのまた一段下の、私の後方にはネーナが。
元老院のおじいちゃんや、政治に関わる者は長テーブルの方へと座り。机には、何やら羊皮紙の資料の束が、所狭しと並べられていた。
立ち見のほうは、貴族の人たちが並んで。その後ろに、衛兵や侍従が控える。
来客用のスペースは、長テーブルと立ち見席の間に敷かれた赤絨毯の上で。ちょうど玉座との対面関係になるのだが。対面するべき王はいない。
そこに到着した、パブロリーニョ公国の一団。筆頭にシオンを据えて、一個小隊くらいの人数だろうか。
全員が剣を帯び、鎧を着用した姿で、赤い絨毯の上でゆっくりと膝をついて、
「失礼致します、リンスカーン王国の皆様方。パブロリーニョ公国、第一師団団長、ファルシオン・ヴァン・パブロリーニョでございます。我が父、パブロリーニョ公爵陛下より命を受け、この場に馳せ参じました」
シオンが膝をついたままお辞儀をすると、残りの騎士たちも同じく頭を下げる。
その、一糸乱れない様を見ても、かなり訓練された様子が窺えた。
「ファルシオン様。ようこそおいで下さいました。それでは一旦、楽になさって下さい」
キャロライン先生はそう言って深くお辞儀をすると、パンパン、と手を鳴らす。
その音が聞こえ終わるか終わらないかという所で、衛兵数人が、シオン達の座る椅子を持ってきたのだ。
そこにシオン達は座り。いよいよ、今日ここに集まった本題へと入っていく。
議題はやはり、
元老院のおじいちゃん達と、シオンと、以下騎士の人達の話ぶりから推測しても、戦いに赴く流れは既定路線の様に会話は進んでいる。
動かない巨人を刺激するのはどうかという、消極策はあるにはあるが。王国と公国には、選べる選択肢は少ないのだ。このまま何も動かない事で、どんな利得があるのか、明確に示せる者はいない。
私はふと目のあったシオンに、軽く手を振る。すると、シオンも少し口角をあげて応えてくれた。
イケメンが眩しいな、おい。
流石の私も、こんな状況では眠くはならない。けれども、会話に入る余地はなさそうなので。静かに議論を見守る他はなかった。
全軍上げての総攻撃。
この会談前に、先生に言われた事を思い出す。
『シルヴィニア様は、壇上に居て頂くだけで結構ですので、王女らしく毅然とお願い致します』
『ねぇ、先生。シオン達公国の人達も含めて、みんなで戦うって事に、なるのでしょうか?』
『……ええ。そうなる様に段取りは進んでおります。一部の貴族様たちは、もう少し慎重にとの意見もございますが。概ね、決定事項となるでしょう』
『そう、ですか……あの』
『はい、どうしましたシルヴィニア様』
『わ、私もっ! 私も、鉄球で戦いに参加してはっ』
『ダメですっ!』
ピシャリと、私の提案は先生に否定されてしまった。はっきりと。
王女にもしもの事があれば王国はどうなるのか。殿方が戦う事に命を賭けるのなら、私は王女殿下をお守りする事に命を捧げます。
そう、毅然と凛々しく先生は言い切った。その瞳には何の迷いもなく、それを見て私は、ただただ綺麗だなと思ってしまう。
そこから、何も言い返せなかった。
ただ、ただね先生……
私は。
シルヴィニア・エル・リンスカーンは。
誰もいなくなった王国で、ひとり生き永らえようなんて。
全然、思えないよ。
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