第17話
時間はあっという間に過ぎ去って。それぞれが帰る段になる。
私は、隣で頬を膨らませるネーナに、シオンに対して変な事をしないかの監視をずっと受けていた。
うぅ、しょうがないけど……自慢のハーブティの説明は、あんまり出来なかったな。
修道院の出口付近に、シオンの迎いの馬車が到着。
私とネーナは、帰城用の服装に着替えて。みんなで門前まで来ていた。
「うぅ、いたぁ……」、今更ながら黒騎士から逃げ回っていた時の擦り傷や、打撲が痛み出す(ネーナによって簡易的だが、手当はされている。ここでは薬草には事欠かないので、治りも早いはずだけど)。
なんだろう、黒騎士以外はすごく良い時間を過ごしただけに、その時間が終わる寂しさでぶり返したかな。
「シルヴィ、大丈夫……?」
「うん、ネーナ。大丈夫よ、ほらっ」
ぐるっと腕を回転して見せた。
「とは言っても無理はお控え下さい、シルヴィニア様」
シオンは、王国の衛兵や公国の兵士の手前、杓子定規な振る舞いに戻っている。まぁ、いちいち言うまい。
「うん、ありがとうシオン」
口角を上げ、親指を立てて応える。私は基本、王宮外では普通にしてしまう。そのせいで、王宮内でも癖として出ちゃうんだけどね。
シオンは私を見て小さく微笑む。その表情はどこか穏やかに見えるので、やれやれ、とかのマイナスな感情は無い。と思う。
「それでは、王女殿下。私はこれで失礼致します。どうかお変わりなく、お元気で……」
兵士が、公国の紋章の入った馬車の扉を開く。
「うん。シオンも元気で」
「ファルシオン公子殿下。この度は、シルヴィニア様をお救い下さって、誠にありがとうございました。王国の国民を代表いたしまして、この場で重ねてお礼のほど申し上げます」
ネーナは両手を腹部に添えて、深く、深くお辞儀をする。
「ネーナさん、頭を上げて下さい。もとはといえば、こちらの過失です。それよりも、王女殿下の侍女として、これからもシルヴィニア様をよろしくお願いいたします」
シオンはそれだけ言うと、馬車のタラップに足を掛けた。
ネーナは無言のまま、私のすぐ後ろまで下がって。公国側の人間には見えない角度で、二本の指で私の脇腹を二回、三回、と突いてくる。
分かってるってぇ〜、最後ぐらいちゃんとしろって事でしょう、ネーナ。
「オホン……では、ファル……(いかん、シオンのミドルネームが思い出せないっ!)、いえ。パブロリーニョ公国の皆様。今宵、違った……本日? う〜ん、(急に改まるのはムズイ)えぇ……
ーーとにかく、みなさん素敵な殿方ですね! 私が保証しますっ!」
サイアク〜! 手はブイサインを突き出しているが、耳は熱いです。
後ろのネーナは小声で「うそぉ……」、と言っているのが聞こえる。手を額に当てて、おじいちゃん達みたいに、天を仰いでいるかもしれない。
その様子に、シオンはおろか、兵士のみなさんまで笑ってしまっている。
は、恥ずかしいぃぃ……
と、ここで。シオンは急に神妙な顔つきになって言った。
「シルヴィニア様。もしかしたら近々、何か不吉な事が起こるやもしれません。正直、確証はないのですが。何かしらの胸騒ぎはずっと感じていまして。杞憂であればいいのですが。どうか、頭の片隅にでも……」
「えっ、不吉な事……?」
「ええ、目立った前兆とかがある訳ではないですし、思い過ごしだとは感じますが、念のため。後で、報告書をまとめて、王国にお送りいたします。それでは、また……」
シオンはタラップを上り、にこやかな表情に戻っている。
「バイバイ、シオン」
私は手を振る。ネーナは、強く、脇腹に指を突き立てる。
あは、は、バイバイはダメかなぁ……
ネーナがどんどん先生に寄っていってる気がするな、最近。
シオン達、公国の人間を見送った後。司教様に挨拶をしてから、私たちも馬車に乗り込む。
「ふぅ〜、色々あったからハーブ達の面倒あまり見れなかったなぁ」
嘆息気味に、私は呟く。
「今日はしょうがないよ、シルヴィ。無事なだけで、ほんとに良かった」
何故だか、私よりもネーナの方が疲れている様に見える。
ゴト、ゴト、ゴト。
馬車の車輪がたまに石つぶてを弾く。
もう少しで、夕暮れ時になる頃合いだろうか。まだまだ、気持ちのいい青空は続いている。
窓際の手すりに頬杖を突いて、私は流れる景色をそれとなく眺めた。
最後のシオンの言葉が気にかかる。
不吉。
実は私にも少し、感じている事があった。正直、些細な事すぎて、誰にも言っていない。
なんとなく。なんとなくではあるが、寝室から見える黒い光の壁が、いつの頃から日に日に濃くなっている様な気がするのだ。
黒から、もっと濃い黒へと。
しかし、誰もその事を指摘する者はいなく。気のせいか、見間違い、あるいは見当違いだと思って、自分一人の胸のうちにしまっていたのだった。
それがシオンの言葉で、自然と思い浮かんでしまう。
「なんだろう……やだなぁ」
「ん? シルヴィ、何か言った?」
「あ、いやいや。なんでもない、なんでもない。えへへ……」
気のせいであって欲しい。
これ以上、大変な事に見舞われれば。王国はどうなってしまうか。
背筋が一瞬、ブルっとなる。ダメダメ、考えない様にしよう。
再度、窓から空へと視線を移す。
流れる雲はどこまで流れるのだろうか。あの黒い光の先からも、変わらず大地に影を落として、悠々と流れていくのだろうか。
分からない。
問題は依然と山積している。
黒い敵達に、国の存続。それには、私の婚約も含まれるだろう。
そして、記憶を持って生まれ変わった意味とか。王女としての責任とか。
所詮、前世はただの庶民。その私には、抱えきれない問題ばかりな気がする。
しかし、王国のみんなはイキイキとしていて、その人達に触れ合うだけで。私にも、その生きる活力みたいなものが入ってくるのだ。
前世の記憶がなければ。
もっと、今を楽しめたのだろうか。それとも、もっと苦しかったかな。
分からない。
私は……いったい、どうしたいんだろう。
「どうしちゃったのシルヴィ。黙り込んじゃって。傷口がまた痛み出したの?」
心配そうな瞳で、ネーナが問いかけてくる。純然に私を慮っての事だろう。
うぅ、親友のその小さな体を抱きしめたい。
「ううん、違うの。なんか、いい空だなぁって思って……」
「いい空?」
ネーナも私側の窓から空を覗く。
「あ、そうだねぇ。ほんと、お天気いいから洗濯物が捗りそうで嬉しいなぁ」
今日中には、泥だらけになった作業着を洗いたいのだろう。王女そば付き侍女の鏡だね、ネーナはほんと。
「えいっ」
親友の小さな体に抱きついてみた。
「わっ、な〜に、シルヴィ」
「えへへ、シオンにできなかったくすぐりを、さっ!」
「えっ!? ちょっ……やめっ」
くすぐりを敢行してすぐに、「わ〜っ」なんて言って少し暴れたネーナの手や足が、私の傷口へヒットする。
「あだっ〜、ううぅ……」
「あ、ごめんシルヴィ。痛かった〜? ごめ〜ん、大丈夫〜?」
自業自得だ。
その後には、また二人で見合って、ふふふと笑う。
なんだかんだで今は楽しい。
こんな時間がずっと続けばいいのに。
それだけは、偽らざる私の本音だ。
「あ、でもシルヴィ〜。帰ったら、キャロライン様からの長〜いお説教は、覚悟しておいてね」
「う、やっぱり? 考えないようにしてたのに〜」
「ダメだよ〜。私はちゃんと全てを報告する義務があるんだからねっ。それで、私も怒られるの。一緒にね」
友人のそのウィンクは、実に可愛いらしく。私も真似して応えてみる。
それからまた、二人して笑った。
……
…
▪️▪️
そこには蠢く影があった。
ギチギチと音を立てて、不気味な音を奏でている。
そこにはおよそ、生ある者の気配などなかった。
あるのは、無機質に蠢く、異形の何か。だけである。
そして、それらは一つ一つで黒い鉄をまとっていた。
またギチギチと音がする。
鉄と鉄とがぶつかる音なのだが、それだけではない。
無数の黒い鉄をまとった何か、は。織り重なるように絶えず、自らの身体と他の黒い異形とでこすり合わせていた。
まるで、一つにくっつこうとしているかの様である。
ギチ、ギチ、ギチ。
不気味なその音は、王国にも、公国にも届きはしない。
そして、密度を増していくそれらに、黒い光の、ただでさえ黒い色は。
その濃さをゆっくりと、だが確実に、深めていく。
その濃淡の変化は、多くの人間には知覚すらできない。
分断されたこの地域を、救う為に選ばれた人間以外には、その変化には気付く事ができないのだ。
否、救う為の能力を持っている人物が、変化を感じとれる能力も同時に保有すると言った方が正しいだろう。
深い、深い、その黒色は。
もうじき深淵を思わせる程の濃さになっていく。
終わりは近い。
▪️▪️
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