第16話
人を好きになる感覚なんて、とうの昔の事のはずなのに。
私の胸は、その心拍数を早め。あからさまに顔が紅潮しているのを感じる。
これが若い身体の、持て余す
「リビドーっどぅはっ!?」
脳裏によぎった単語に、恥ずかしさのあまり吹いてしまった。
「ん? どうしたんだいシルヴィ?」
不思議そうな顔で覗き込むシオン。
「いや、ごめんっ。なんでもない、なんでもないのっ。えへへ……」
リビドーってなんだ、リビドーって。
照れ笑いで誤魔化すが、明らかにこれでは変な女と映るだろう。
「んー、そうかい? それならいいんだけど……」
シオンの端正な顔はすぐさま笑みを消して、何かを考える様に視線を宙に投げ。修道院の広間の、二人だけの空間に、少しの沈黙が訪れる。
私はじっと彼を見てしまう。
その顔は、憂いを帯びている様でもあり。また儚げそうでもあり。どこか遠くを見ている様な、不思議な表情だった。
が、あれ……?
私は先ほどまでの胸の高鳴りが、もう治まっている事に気付く。
いつも通りの自分がそこに居て、観察するようにシオンを見ているのだ。
なんだろう。
「ん〜、まいっか。そういえばシオンは、どうして私との婚約権利を放棄したの?」
……
…
言葉にしてみて、なんという事をいきなり聞いてんだ、私はっ! と内心でツッコミを入れる。
もしかしたら今は自分の失言に、手をバタバタと泳がして、変な動きになっているかもしれない。いや、確実になっているだろう。
耳が熱い。
シオンも鳩が豆
「え? あぁ……あはは。そうか、そうだよね。まさか、面と向かって聞かれるとは思わなかった。しかし、それを聞くという事は、やはりなんとなく疑問に思うところがあったと言う事だね。そうか……」
上品に座っていたシオンは、さらに背筋をピンと伸ばして。私へと向き直った。
疑問? え、疑問? なんだっけ?
先生から口頭で説明を受けて、あれ……で、なんだっけ。特に疑問なんてなかった気がしてきた。
これはまた、恥ずかしいやつじゃなかろうか。
「あっ、い、いえシオン。そのっ……」
宙にバタつかせた両手は、さらに激しく宙を波打つ。
「いや、いいんだ。手紙一つでは、女王殿下への義理を欠いているのではと、気になってもいたんだ。それに……」
一呼吸の間をとって、こちらを見る。
「なんだろう。君には建前抜きで話した方がいい気がする」
「え、そ、そうかな……」
建前ってなんだろう。
「うん、そうだな。確かに僕は公国の軍事的な要職についている。兵士たちの訓練や軍隊の総指揮まで幅広く、ね」
言われて思い出したが、先生がそんな様な事を言っていた気がしてくる。
流して聞いてたからだな、きっと。
「正直、公国内でも、剣技において僕の右に出る者はいない」
おお、すごい。言い切ってる。
「まぁ、それでね……王国と公国との暗黙の条約とか。シルヴィも分かっていると思うけど、現実的にもあまり浮かれられる状況に無いのはもちろん。食料の自給率だったり、断るだけの材料は、探せばキリがないくらいなんだけど。
ーーその……本当にこれは、個人的な事になってしまうんだけど。実は、あまり婚約とかに、ね」
前半はマジであまり頭に入ってこなかったが。最後の方は、なんとなくで続きを察せられてしまった。
「気乗りがしない……そうでしょ、シオン?」
彼はふっと顔を上げて、私の目を見る。
「シルヴィ……」
「あはは、実を言うとね。私も少し……いや、かなり。婚約とかには、さ。なんだろうね、ほんと。気乗りがしないシオンの気持ちは、私はなんだかよく分かるの」
前世の記憶を持ったまま、異世界に生まれ変わってしまったので、こちらの文化にはまだ心が馴染めない。とは、言えないよね。
「……君も、なんとなく気乗りしない、と?」
「うん、そうだね〜。ほんと、なんとなくだけどね」
私は軽くウィンク。とりあえず、なんとなくという事にした。
お互いに見つめあって、また瞬き程度の沈黙が流れた。
「ふぅ、今後を思えば、確かにいつかは取らなきゃいけない選択なのは分かっているんだけどね。どうも僕自身……少なくとも、今は違うなって感じてて。それに、僕の望む事は一つしかないんだ」
「ううん、いいんじゃないシオン。逆に私は、色々と現実的な問題を並べられて、断られるよりも。
ーー今のシオンみたいに、気持ちの問題で。って方が、しっくりくるな。やっぱり本人の気持ちが一番大事じゃない?」
人差し指を立てて、私は口角を上げてみる。
その様子を見てシオンは、ふふっと笑う。
「君は、なんというかすごいね。王国の人々に人気があるのも頷けるよ。あぁでも、なんだか……」
あ、いや。とシオンは咳払いして、袖口を正した。
続く言葉をすぐ訂正した彼に少し首を傾げるが、まぁいいやと私は言葉を重ねる。
「あっ、ねぇねぇ。というかシオンの望むことってなんなの? さっきちょろっと言ってたでしょ」
「ん、あぁ……それは。うーん、それを言うのはちょっと恥ずかしいな。はは……」
「え、なんでよ〜。教えてよ〜」
私はソファから立ち上がり、ズズいとシオンににじり寄る。
「なんか隠されると〜、すごい気になるんだけど〜」
「え、ちょっと、シルヴィ」
この時の私は、意地悪な目をしていたかもしれない。へっへっへと、おちょける様に段々と近づいていく。
たじろぐシオンはソファの背もたれに体重を預ける、が。座っているのだから、当然逃げ場などない。
「な、何っ……!?」
まぁ、会ったばかりで、この感じのおふざけは普通しないよね。なんだろう、ノリってヤツだろうか。
こうなったら、シオンをくすぐりにいこう。そんな事を思い「うりゃっ!」、なんて掛け声ともに飛び付こうとした、その瞬間。
広間のドアが開く。
「お待たせ致しまし、た……」
私とシオンの立ち位置を確認して、お茶を運んできたネーナはその場で固まる。
「え、シルヴィ。い、いったい何を……ファルシオン様に」
ネーナの持つトレンチ上のティーポッドとカップが、カチカチと音を鳴らす。
「え、何って。くすぐり、かな……」
「くすぐり……なん、で?」
「え〜。『ノリ』、かな。えへへ……」
ネーナは俯きがちに、ソファ前のテーブルへとトレンチをそっと置く。
そして近づき、シオンに伸びそうな私の腕を、ぎゅっとつねるのだ。
「あでででっ! ネーナ!? えっ、ネーナ!」
ネーナを二度見する私に、彼女は静かに微笑み、ゆっくりと口を開く。
「命を助けて頂いた殿方に王女殿下はいったい何をなさろうとしているのでしょう、とてもとても不躾にございますよシル・ヴィ・ニア・さ・まぁ……」
顔を私の顔に寄せて、一息にそう言い切るネーナ。うそ、やだっ! 逆光になっててコワイ。
「ネーナさん、コワイわ。とっても……」、少しかわい子ぶりっこもプラスしてみる。
「シルヴィのバカァ!」
私はソファに正座をさせられ、色々と溜まっていたらしいネーナのお説教を喰らう。
うぅ、結局私はどこでも怒られるのね。ーー反省。
シオンはそれを見て、くつくつと肩を震わせ笑っていた(おいっ)。
……
…
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます