第13話


「おーい、ダメだよぉ。柵こえちゃー」

 ザッザッザ、と畑の畝間うねまを通り、私は外壁の柵へ登る少女へと足早に近づいた。


「あー、シルヴィ様ぁ。あのね、あのねぇ……」

 少女は柵の一番上で、オロオロとした様子で私を見る。

「どうしたの? 何かあったのぉ?」

 落ちない様に、少女の背中に手を当てて。その瞳を見つめ返す。


「あのね、あのねぇ。ボ、ボウシがぁ……」

 少女は、柵越え禁止など分かっているという雰囲気の困り顔をしながら。向こう側へと視線を投げた。

 見えるのは、うっそうと茂る森の入り口と、今いる外壁との間の草原。その真ん中らへんに、麦わら帽子が落ちている。


 あぁ、なるほど。

 かぶっていた麦わらが、風に飛ばされ柵を越えてしまったのだろう。

「あ、じゃあ私が取ってくるよぉ。危ないから降りようね、ね?」

「だいじょーぶ。王女様に、めいわく、なっちゃう……」

「んー? うふふ、そんなの気にしないでぇ。私は大丈……あっ!」


 少女は何を思ったか、柵の向こう側へと降りてしまった。

 ザン、と下生えの短い雑草を踏み鳴らし。

「ごめんなさぁい、じぶんにできることは。やらなくちゃ、なの」


「ちょっ、危ないからっ。まっ……」

 私も足をかけて柵を登ろうとした。が、農作業用の長靴は、靴裏に泥がいっぱい付着している為に、うまく噛み合わず滑って後ろにひっくり返る。

「あでっーー!」

 うぅぅ、私の間抜け。あの時の運動神経はどこ行った。


「て、ててっ……」

 と、そんな事をやっている間に。少女は麦わらの方へ、走っていく。

 しかし、そんな時に限って風の意地悪なのか、帽子をさらに吹き飛ばす。

 森の方へ、ふわり、ふわりと。


「あ、ねぇっ……ちょっと待って!」

 なんだ? なんか嫌な予感がどんどん増えていくような……


 少女が近づくと、意思でもあるかの様に、また風に飛ばされる帽子。

 森へ。光の届かない真っ暗な森の入り口付近へ、少女と帽子は近づいて行っている。


 私は気を取り直し、少女を追うために立ち上がって柵へと手を伸ばす。

 そこで、はたと視界がを捉える。

「えっ!?」

 そんなっ、まさかっ……!?


 暗い暗い森の、その林縁りんえんに蠢く影が一つ。

 ひたり、ひたり、と歩き出てくる様子が遠目でも分かる。

 黒騎士だっ!


 毎度毎度、どこで仕入れるのかは不明だが、その手には鈍く光る剣と盾を装備し。

 やおら猫背で、赤く発光する二対の目玉。

 幽鬼の様な佇まいの黒い騎士は、ゆっくりと、だが確実に。


「ダメっ! 戻ってっ! お願い、戻ってっ!」

 何故いるのかとか、そんな事は今は問題ではない。私は、大きく声を張り上げ少女に叫ぶ。

 が、少女は目の前の麦わらを追うのに必死で、私の声には応えない。

 まずいっ、このままじゃっ!


 そう思った瞬間に、私は柵を一足に飛び越えていた。片手を支点に、蹴り上げた両足を畳んで、アーチを描き軽やかに。

 ザッと着地し、雑草を踏みつけた瞬間に、全力で少女のもとへと走る。


「こっちにっ! こっちにぃっ!」

 一歩。二歩目。で、作業用のエプロンが振り上がる太ももの邪魔をする。

「っ、ぇぇえいっ!」

 破る勢いで剥ぎ取り、すぐさま横に投げ捨て。

 駆ける。


 ようやく麦わら帽子を掴むことの出来た少女は、それを高く振りあげ。私へ振りかえり、最高の笑顔を贈ってくれるのだが(りんごの少女と同じく、子供達の笑顔はとことん輝いて見える)。黒騎士の接近にはまるっきり気付いていない。

 黒い影は少女の背後より、剣を振りあげ。その凶刃を……


「うわぁぁぁあっ!」

 もはや飛び込む様に、私は少女に接触する。

 ガッ。

 振り下ろされたその刃は、くうを斬って、飛び付いた私の真横を通り過ぎ地面へ斬りつける音がした。

 間一髪。私は少女を助ける事が出来た様だ。


「ぐぅぅぅっ、ぅぅぅっーーカハッ」

 少女を抱えたまま、私の身体は慣性に従い地面を二度三度跳ねて、ゴロゴロと回転していく。

 背中の衝撃に、息が、トぶっ……

 腕の中の少女に、なるべく衝撃がいかなければいいが。

 

「だ、大丈夫……かなぁ?」

 不時着を背中で決めて、勢いが止まったところで。少女へと言葉をかける。

「お、王女さまぁ……?」

 声の感じを聞く分には、大丈夫そうかな。良かった。


「さ、立って。逃げ、るよ……」

 全身が痛むが体を起こす。

 黒騎士が、黒魔獣よりも動きが早くなくて助かった。「王女さまぁ、王女さまぁ」、と状況は分からないなりに、何かを察して半泣きの少女の手を握る。

 逃げなくては。


 黒騎士は地面から剣を引き抜き、離れた私達をその赤い瞳でぬらりと捉え。

 ひたり、ひたりと、無気力に歩く。そして、こちらに向かって急に、走り出すのだ。

「きゃぁぁぁぁっーーーっ!」

 少女はここで、事態の悪さを認識したのだろう。瞬間で、全身を強張らせ叫ぶ。


「くっ、ごめんね。怖くないからね、絶対にあなたは私が守るから。おいで……」

「……ひっく、王女、さまぁ……ひっく」

 手を引いて逃げる。

 あの麦わら帽子は、さっきの飛びつきでこの子の手には握られていない。ごめんね、後で必ずっ。


 黒騎士は、ガシャガシャとうるさい音を鳴らして追ってくる。決して速くはないが、こちらは五歳前後の少女を連れているのだ。

 不利であるのは火を見るよりも明らかだろう。


「おいで……」

 抱いて走った方が、まだマシか?

 ぎゅっと抱っこに移行する。

 外壁から真っ直ぐに飛び付いたので、逃げる方向は森が近い。なんとか外壁内へと戻って、助けを呼びたいのだけど。

 外壁を背にしているのは、黒騎士も同じだ。ならば、ひとまず森へ!

 

 森に入り、木々の合間を縫って大きく迂回すれば、黒騎士を撒きつつ戻れるんじゃないか。

 そんな考えが湧いている。


 鉄球を持ってない分、心細いし、かなり怖い。けどっ!

 この子を抱えている重みは、しっかりと私を精神的に繋ぎ止めてくれていた。

 守らなくてはいけない柔らかい感触が、前世の記憶の昔も昔。母であった時の感情を揺さぶっている。

 

「なにくそぉぉぉぉおっ!」

 確実に王女としては失格だろう言葉を吐いて、私は森に入った。


 うぅぅ、マズったな。

 森に入ってまず思った事は。

 相手への障害物は多いが、それが同時に私への障害ともなってくる事だ。いや、冷静に考えれば、すごく当たり前の事なのだが……


「うわぁ、ぺっぺっ」

 途中、枝の葉が口に入る。少女はしっかりと私にしがみつき、ブルブルと震える振動が腕に伝わってきた。

 私は再度、しっかりと震える子の身体を抱き止める。


「ギシャァァァァッ」

 後方で変な音が鳴ったと思った瞬間。

 嫌な気配を背後に感じて、私は前方へと転げた。絵的には転がったに近いだろう。

 いつの間に距離を詰めたのか。黒騎士の放った横薙ぎの剣閃は、またもや空を斬って近くの木へと、その刃を押し当てる。

 急に速度を上げて走ることもできるってこと!?


 なんとか腕の中の少女に被害が及ばないよう、肩や背中を地面に打ち付けクッションの役割を果たすが。

 痛いよぉ……でも、泣き言は後だ。


 今ので距離は詰まった。

 幹に食い込んだ剣を引き抜き、振り上げる黒騎士。十分に、剣の間合いに私は捉えられている。


 ふりおろされる、つるぎ。

 が、目の良い私は、その攻撃をギリギリで横に躱わし。その反動でもって、少女を持ったまま起き上がっての逃走を……お、重いぃ。けど頑張るぅぅ。


 ドスッ、と土を抉り、それらが宙を舞う。

 距離を取らなくては。そう思った矢先、である。

 黒騎士は持っている盾を突き出し、私へと当てたのだ。


「うっ!?」

 背後からの盾の圧に息が止まる。が、それよりもまずいのは、再びバランスを崩して前方へと突っ伏した事だ。

 盾ってそういう使い方もあるのか……

 少女を庇い、肩から落ちる。

 

 赤い目だけを覗かせて、黒騎士は私たちを見下ろす。

 そして、剣を高々と振り上げる。

 うぅぅ、芸がないヤツね。なんて、内心で毒づくが、もう無理かもしんない。

 せめて、この子だけは……


「う、行って。お願、い……遠くへ、走って」

 腕だけで少女を押し出すが、泣きじゃくって頭をブンブンと振る彼女は、私の手を握って離さない。

「お、ねが、い……逃げ、て」

 

 黒騎士の振り上げた鈍色のソレが、三度みたび、振り下ろされる。


 あぁ、私の人生短かったな。いや、長かったのかな。でも、どっちでもいいか。どうせ、二度目だし。別に、やり残した事なんて、多分ないし。ないよね? 思い出せないもんね。うん、まぁいいんだけど……

 この子を救えなかったのが。

 ほんと、心残り。

 だな。


 ガキィィィン!


 鉄と鉄とがぶつかる音。


 あぁ……

 なんて事だろう。


 ピンチの時に現れる白馬の王子様って、ほんとにいるんだぁ、って。思ったし。

 やり残したことなんて何も無い、って言っちゃってごめんなさい。ネーナやキャロライン先生や、その他大勢の顔が今更浮かぶ。

 私は諦めようとしていた。色々を……

 

 そんな自分自身に、腹がたった。

 この感情は、前世の夫アイツを思い出す度に抱くソレとまったく同じで。私は、自分で自分の頭をポカッと殴るのだ。

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