3章 青天白日
第11話
3章 青天白日
黒魔獣の襲撃から、今日でちょうど一週間が経過した。十五歳と七日目の私は、よく晴れた朝の光を、寝室のテラスから浴びる。
木の皮で編んだウィッカーチェアに座り、茶色の木目が綺麗なカフェテーブルに頬杖をついて、真っ青な空を眺めているのだ。
遠く、遠くに、王国を分断している黒い光が、どうしても視界の端に入って景観を汚すが、極力気にしない。
「はふぅぅ……」
王宮の二階から覗く景色に、心を洗われながらも。私はため息を静かに零す。
そして、左の頬に手を当てて、さすった……
▪️回想▪️
バチィィィン。
はたかれた、と認識するまでに少しの時間を要する。
「……え?」
「貴方はっ、貴方という人はっ!」
鉄球を振るうのを止めた後。放心状態でペタンと座る私に、キャロライン先生が駆け寄ってくるので。立ち上がってすぐの、平手打ちだった。
先生は泣いている。
なぜだろう。
「結果が全てではないのですっ。貴方が傷つく可能性が、少しでもあれば。それを避ける選択をしなければいけない、義務がっ! 私にはあるのですっ」
私の肩を掴んだ先生の両手は、段々と下にズレていき。先生は縋り付く様に、地面に膝をつき。
押し殺した声で、背中を小刻みに揺らす。
先生の背中が少し小さく見えたのは、これが初めてだ。
「あ……う、ぁ……」
言葉が出てこなかった。
ぽつり。ぽつり。
雨が降る。
その雨は、数秒のうちに大粒の雨となってしまい。私と先生と、その場にいる全ての人を、大きく濡らす。
誰も、何も言わなかった。
はたかれた左頬は、ジンジンと。少しの熱を持って、私に何かを伝えようとしてくれていたが。すぐに雨水に冷やされ、どっかへ行ってしまう。
その代わり、降りしきる雨音がイヤに耳にうるさい。
私は、リンスカーン王国の王女である。
だが、その中身は普通の、何処にでも居る様な、フツーの女でもある。
普通に生きて死んだはずの。フツーの女。
『あぁ……いや、それはいいかな』
私は何かを見落としていたのかもしれない。
でも、それがなんなのか、全然分からないのだ。
記憶を引き継いで生まれ変わるなんて。
なんて……
なんて、不条理なんだろう。
雨は大雨に。そして短時間で、小さな小さな川をいくつも作り。王国の土を泥に変え流してしまうこの大雨は。
ドレスについた泥じみも、私の前世の記憶の何もかも、とか。
別に、洗い流してなどくれなかった。
▪️▪️
コンコンと、寝室の扉がノックされる。
「失礼致します、シルヴィニア様……」
ネーナが私の着替えの為に、寝室に入ってきたのだ。
「あ、おはようネーナ」
「おはよう、シルヴィ。あれ、今日は早起きなんだね」
「うん……まぁ、ね」
テラスの、私が腰掛ける椅子付近まで、ネーナは近づく。
「あ、そっか。今日だっけ? キャロライン様の謹慎が解けるのは……」
「……うん、そうだね」
私はネーナに向けていた視線を、再び真っ青な空へと移す。
キャロライン・ベーチタクル王宮第一執務室室長は、私へのビンタと。黒魔獣の襲撃の際に、その場の貴族を危機に晒したという罪で、謹慎刑に罰せられた。
正しく言うと、自らが進んで罪を告発し、自ら進んで罰を受けた、かな。
先生はもっと重い罰を望んだが。それは元老院のおじいちゃん達が却下した。
今の国難にあって、先生ほどの才能をみすみす潰すことは難しく。また、私へのビンタについても、その場にいた衛兵たちは、何一つ覚えていないと口を揃えた事もある。
そして、あの場に居た貴族の人達も、不平を言う者は全く出ていない。
まぁ、私がネーナに手伝ってもらって、みんなにそうする様にお願いして回ったのだけどね。
王族に対するビンタなど、通常であれば即刻死刑である。貴族を危険に晒す行為も同様だ。
しかし、王国が分断された混乱の最中、前国王が不敬罪など、あらゆる罪の緩和や条文からの削除を敢行した為。今は無いに等しい。
自ら告発し、罰を進んで受けようとする先生には、元老院のおじいちゃん達も頭を悩ませた事だろう。
結果的には、誰も死んでいないし。誰も何も言わなければ、罪の立証すらできないのだから。
これら罰則の削除、減刑は。
未曾有の大災害から、国力の低下につながる要素を排除する為の、緊急的な措置だと聞いている。
さすが賢王と謳われた、私の父だ。
逆に犯罪率も激減するし、今のところ我が国で餓死者は出ていない。
「さ、シルヴィ。支度しちゃおうか」
「……うん。分かった」
黒魔獣のせいで滅茶苦茶にされた王宮内や、外苑部分のいくつかの建物は。応急措置が進んで、生活するのにほぼ支障はない。
相変わらず。黒魔獣が何処から降って来たのか、とか。正体だとか。色々と問題は山積していて、難しい状況なのに変わりはなかった。
今回の件で分かった事と言えば、先生の頑なさ。それと、先生のチョップは私へのスキンシップだと思われているらしい。と、いう事くらいだろうか。
ビンタが駄目なら、チョップはどうなのか。っていう議論が、王宮内で巻き起こったらしいけど。誰かが、あれはスキンシップだって言ったのが、妙な支持を得てそうなったらしい。
スキンシップって……まぁ、いいけどさ。
あっ! あと。
黒魔獣を私が倒せる。っていうのも分かったのよね。
私にも出来る事がまた増えた様で、そこは単純に嬉しいのだった。王女が鉄球持って、敵をすり潰す是非はともかくとして。
「はいっと、完了しましたよ、王女殿下様〜」
「ありがと、ネーナ。今日もバッチリね、さっすが〜」
「えっへっへ〜」
ネーナの仕立てが終わり、これから朝食である。
その後には、謹慎が解かれた先生に会うつもりだ。
……
…
王宮内の第三分室(簡易裁判用の部屋)に、私、元老院のおじいちゃん五人、ゴメス爺や、他多数の貴族と衛兵が数人。
みなに取り囲まれる様にして、真ん中にいるのがキャロライン先生である。
「オホン。では、キャロライン・ベーチタクル。定められた刑期を終え、ここに謹慎を解くものとする。異論はないか?」
おじいちゃんの一人が、いかにも厳粛風な声色で先生に投げかける。
「はい……私わたくし、キャロライン・ベーチタクルは……」
先生は俯き、少しの間をとった。手には木製の
「いえ、私はっーー」
「異論はないかっ?」
何か言おうとしたキャロライン先生に、おじいちゃんは強めのアクセントで言葉を被せる。
先生は、自身への罰が軽すぎる事を言い出そうとしたのかもしれない。
だが、今更それをまぜっかえされても、誰も喜ばないのだ。
「っ……は、はい。異論は……ございません」
しゅんとした表情で、先生は言葉を飲み込む。いつにもなく潮らしいその顔に、先生の新たな一面を見た。
カワイイじゃん。
普段通りなら一糸の乱れなく、纏まっている後髪は所々ほつれ。服装もあの日のままなのが、早く着替えさせてあげたい気持ちを、かなり、増幅させるが。
「よろしい。では、王女殿下からの
ーーオホン。では、シルヴィニア王女殿下……」
おじいちゃんが恭しく、私に向かってお辞儀をする。
えっ!?
「えっ!?」、言葉に出してしまった。何をするって……?
ん? って顔で、おじいちゃんは瞳をカッと開けて、長い眉毛の隙間から私を凝視する。
「え、えと……何をするって言いました?」
しょうがないので、ちゃんと聞くことにした。なんだっけ? なんかそんな段取りなんて、聞かされてたっけ?
「え……むむ、む。ゴメス、どうゆう事だ、これは?」
「あっ、やや……そういえば。あぁ〜しまった。申し訳ございません、元老院の皆々様。えぁ……そのぉ」
急に話を振られる爺やは、あちゃ〜みたいな表情で瞬間で慌て出す。
「やや、これは、その。あぁ〜しまったぁ。これはぁ……そのぉ」
「良い、ゴメス。手短に言うのだ」
「は、はい。えぇ〜なんと言いましょうか。その、姫様にはそう言えば何も教えてませんで。そのぉ〜、儀式的なアレとか、コレとかぁ。そうでした、そうでした。そのぉ……」
ここで爺やは、やや間を取って。
「それらを教えるはずの先生が、この通り。捕まっておりましたゆえ〜」
手の平をキャロライン先生に向け、爺やは首をすぼめた。
歳のわりにまんまるお目々が、くりっと開かれる。
元老院のおじいちゃん達五人は額に手を当て、一斉に天井を仰いだ。
数人いる衛兵達は、この微妙な空気に耐えきれず。そっぽを向いて、笑いを必死に堪える。
貴族達は苦笑い。
私はポカーン。
後から先生に聞いた話によると。
王族の承認行為には、特別な順序と儀式、仕草があるとの事で。物事によって、全て異なるらしい。
いっぺんに多くは覚えられないだろうと思って(それはそれでヒドいっ)、その時が来たら順次教えようと思っていたとの事だった。
「まさか、私が捕まる事でその機会を与えて、またそれを逃すなんて。かなり皮肉が効いていますね」。なんて言って、先生は寂しそうに笑った。
あ、そうそう。この件で、爺やはかなりこってりしっかり、おじいちゃん達に怒られたらしい。
なんの為の執事長という肩書きかぁっ! ってさ。
それでもケロってしてる所を見ると、爺やはキャロライン先生の為に、あえてピエロを演じてくれたのかもって、そう思える。
考えすぎかなぁ……
……
…
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