第10話


 追われる私に、追う獣。

「きゃぁぁぁぁぁぁぁっーー!」

 大広間の開け放たれた扉を抜けて、直角に右へと走る。

 背中越しに黒魔獣の圧を感じた。と、その瞬間。


 ドガッシャー


 盛大に扉ごと突き破った音が聞こえる。

 そりゃあ、あの巨体には人間が通る為の出入り口など小さいだろうねっ。こわーーっ!

 感じる圧が弱まった気がしたので振り返った。黒魔獣は突き当たりの壁に激突、見事に突っ伏して動かない。

 なわけ、無かったぁぁぁっ。


 咆哮一発、即座に起き上がり。

 私目掛けて、すぐさま走り出す。

「いやぁぁぁぁぁぁっ!!」

 またもや全力疾走。


 人間用の生活空間である王宮は、黒魔獣には障害物だらけだろう。

 背後からは、巨大な気配に追われる感覚と、あらゆる何かが破壊されていく音とが入り混じって、私の全速力に拍車をかける。


 ど、どうしようーー!

 みんなから引き剥がせた事は大変喜ばしいが、この後の自分自身がどうするかなんて、全く考えていないのだ。

「息っ、息もっーーーっ!」、大変苦しい。

 

 王宮内を、右、左、右へと曲がって曲がって。その度に背後から聞こえる、黒魔獣が壁にぶつかり破壊する音。そして、すぐさま追いかけてくる、音、音、音。

「いやぁぁぁぁぁっ!」


 前方に見えるは、王宮内のとある十字廊下だ。

 右はキッチンへ続く連絡通路。左は、メイド達の宿舎へ繋がる廊下で、まっすぐ行けば王宮の玄関口だ。そこの広い階段を下りれば外苑に出る。

 迷っている暇は無い。階段があるからという理由で、まっすぐを選択した。


 それは結果的に良い判断だった、と言っていいだろう。

 何故ならば。逃げる私の目の端に、左の通路から来ていたネーナと、彼女が引き連れた衛兵数人が見えたからだ。


 左にもし曲がっていたら、彼女、彼らとの、出会い頭の接触事故が起こっていたかもしれないし。それでなくとも、ネーナや彼らを、黒魔獣の危険に晒していたかもしれない。

 ほんの一瞬ではあるが、ネーナの唖然とした顔が目に焼き付いている。

 驚くよね、そりゃあ。


「くぅ、あぁぁぁぁっ」

 肺が今にもはち切れそうなこの感覚は、前世の陸上競技を思い出す。そう言えば私は十代の頃は、陸上部に所属してたなぁ……って、違う違うっ!

 衛兵を見ていて気付いた。やはり、外に向かったのは正解だ。

 多くの衛兵の詰所まで、コイツをなんとか誘導できれば。数の有利で、なんとかなるかもしれない。

 それに衛兵の詰所の近くには、そう。鉄球だ。


 


 なんだか急に生きる希望が湧いて来た。

「よっしゃぁぁぁぁっ!」

 気力も少し回復し、速度が上がる。

 玄関口前の吹き抜けに到着。

 大きな赤い絨毯が敷かれた、大階段が眼前に現れた。


 私は走りながら、大階段の手すり部分へとジャンプ。

 一回やってみたいと常々思っていたが。まさか、こんな状況でチャンスがやってくるとはね。

 ははは……


 私はまるで、滑り台でも滑る様に、座ったまま大階段を下っていく。

 続く黒魔獣は階段に差し掛かるなり、跳んだ。

「跳んだぁぁぁぁっ!?」


 黒い巨体の獣は、宙を泳ぐ。

 そして、吹き抜けに吊るされた、豪奢なシャンデリアへと見事に激突。

「うっそぉぉっ!?」

 仰ぎ見る様に、空中のソレを見ている私。大階段の滑り台を滑り終えて、勢い殺さず、またまた全力で駆けた。

 外へ。


 黒魔獣はシャンデリアと共に、階段下へと落っこちる。

 凄まじい音が鳴り響く中、私はギリギリでその惨事から抜け出すことに成功。だが、振り向きもせずに走った。

 このくらいで黒魔獣がめげるはずがない。


「がぁぁぁあ“あ“あ“っ!」

 咆哮が聞こえる。やっぱり、まだ元気だった。地面を踏み鳴らし、追いかけっこを再び開始した様だ。

 相当、恨みを買ってしまったかもしれない。


 外苑には、衛兵達が続々と集結していっている様子が見えた。そして、私の後ろの黒魔獣を見るに、事の緊急性に騒然となって慌てふためく。


 はっ、はっ、はっ、はっ。

 私は走る。

 衛兵達も今は慌ててはいるが、じきに統率を取り戻し。きっと黒魔獣を取り囲んでくれるはず。


 はっ、はっ、はっ、はっ。

 まだ走る。

 鉄球を手に入れれば、衛兵たちのアシストに、少しは役立てるかもしれない。

 

 ダッ、ダッ、ダッ、ダッ。

 重い足音が、後ろにどんどん迫ってきている。

 はっ、はっ、はっ、はっ。

 がんばれ私っ! 倉庫までもう少し……


「ぐがぁぁあああ“あ“あ“っ」

 咆哮が私の後頭部へと、風圧となってぶつかった。流した汗が、瞬間で冷え込んでしまう。

 倉庫まで、十数メートル。

 早くっ。早くっ。


 ダッ、という音が後方から聞こえた。

 それと同時に、私は見てはいけない事実を目の当たりにする。

 倉庫の扉に、ぐるぐると鎖が巻かれているのだ。


「マジっ! (先生だ、先生に違いないっ、もうセンセーーっ)」

 その瞬間、私は一気に力が抜けて、ステーンっ! と転ぶ。

 夜空を見上げるのと同時に、私のすぐ上を、噛みつきに飛び込んでいたらしい黒魔獣が、ものすごい速さで通りすぎた。


 私が急にコケるものだから、対象を見失って、大きな黒い獣は前方の倉庫へと、まっすぐ突っ込んでしまう。

 急死に一生とは、この事だろうか。


 黒魔獣は倉庫を破壊し、それでも止まらない勢いに、ゴロゴロと転がって十メートルほどを、途中の建物や地面を破壊し離れていく。

 

 私は上体を起こして、「えっ!?」って感じでそれを見ている。先生が言う、鳩が豆鉄球てっきゅう喰らった様な表情になっていたかもしれない。

 だって、破壊された倉庫の瓦礫の下に、私の鉄球がチラと見えるんだもの。

 ……

 …

 

 黒魔獣は、勢いがなくなったところで、身をよじり。猫みたいな柔軟さで、すぐに体勢を立て直す。

 鼻で匂いを嗅ぎ分ける様な仕草で、キョロキョロと辺りを探っている。

 きっと、私を探しているのだろう。


「私は、ここよ……」

 私は黒魔獣に声をかける。瓦礫と化した建物の、そのてっぺんに登って、見下ろす形で、だ。

 手にはジャラっと鳴る鎖に、持ち手の柄、そして。

 それらから繋がる大きな鉄の球体に、尖った突起トゲトゲが敷き詰められた塊を。そう、鉄球を持っている。


 黒魔獣は私の姿を認めると、大きく咆哮した。

「何よ、怒ってるの? そんなの……」

 長い柄に力が入る。

「王宮をあんなにめちゃくちゃにされた、私の方が怒ってるんだからね」

 多くの衛兵が、遠くから私の名を呼び、黒魔獣を包囲する様に集まって来ていた。


「怒ってるんだからねっ!」

 私と黒魔獣は、ほぼ同時に動いた。

 振り上げた鎖に呼応するように、空高く舞い上がった鉄球。

 飛び掛かる黒い獣。


 ズンッーー


 黒魔獣の脳天へ、鉄球がめり込んだ。

 私のリーチの方が、圧倒的に長い。

 空中でその一撃を受けた黒魔獣は、そのまま地面へと叩きつけられる。


 予定では、取り囲んだ衛兵たちと連携をしようと思っていたのだが。鉄球を手にした途端、安心感から逆に今までのコイツの仕打ちに、かなり腹が立ってしまって、衛兵達の事がすっぽりと抜けてしまった。

 私は、明らかに怒っている。

 そして私の攻撃は、やはり、黒魔獣相手でも十分に通用するらしかった。


「あんた達、ほんと、な・に・も・の・な・の・よぉっ!」

 正体不明な事実にも腹が立って、衝動が止まらない。

 これも若い肉体に、心が引っ張られているのだろうか。


 一回、二回、三回。

 乱打、とでも言うのかな。いや、もはや乱舞と名付けよう。

 私は自身に芽生えた、この黒い衝動を、黒く大きいこの獣にぶちまける。

 死人は出ていない筈だが、限りなく危なかったと言えるだろう。


「二度と、私達の国に来るんじゃ……ないわよっ!」

 何回目か数えられない程に、鉄球を振るい。黒魔獣目掛けて撃ち下ろす。

 すり潰し、目標が動かなくなってもまだ、私はソレを狙って撃ち続けた。夜空に響く、とても痛そうな破壊の音だった。


 そして、集まった衛兵たちに止められるまで。

 私は鉄球を振るったのだ。

 

 ガキーーン……

 ガキーン……

 ガキー……

 

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