第9話


 思いっきり開け放った扉の先の光景は。

 それこそ、グルグル考えていた事柄などより、思いっきり、はるかに切羽詰まったモノであった。

 阿鼻叫喚の様相に、逃げ惑う貴族達。

 血だらけの貴族のおじ様がそこに居たのなら、どんなに良かっただろう。


 天井にはポッカリと大きな穴が穿たれ、断たれた石材のはりが剥き出しになっている。

 破片はそこら中に落ちて散らばり、並べられていた丸テーブルに当たって、テーブル自体もひっくり返っているのが視認できた。


 その、破片やテーブルが散乱している真ん中。王宮の屋根から天井を突き破り、大広間の中央へと落ちたに。パニックを起こした人々は、恐怖から壁際に追い詰められている。


「ぐるぅがぁぁあお“お“お“っーーっ」

 腹の底に響く雄叫びをあげる、黒魔獣。


 そう、天井を突き破り落下してきたのは、状況を見るに黒魔獣なのだろう。

 虎みたいな背格好で、虎の何倍も大きい黒い獣。やはり二つの目玉の部分は赤く発光しており、全身には黒い鎧なのか、プレートなのかを身にまとい。明らかな敵意を四方へと撒き散らす、私たち王国の敵。


「そんな、なんで……」

 この現状に一瞬で汗が噴き上がる。想定していなかった事態に、私は自然と言葉を発してしまう。


 一日に二度の襲撃など、今日が

 そして、城門前に次いで、王宮のド真ん中に出現するなんて事も、ここ十五年ではじめての出来事である。

 この事実は、王国にとって大変重い。


「シルヴィニア様ーーーっ!」

 壁際に追い込まれている一人が声をあげる。キャロライン先生だ。

 先生、逃れてなかったんだ……


 見ると、壁際には大分と人が残っている様だが。運良く、黒魔獣が落ちてきた時に扉付近に居た者は逃げる事ができたのだろう。王族専用のお手洗い場への扉とは真逆に、出入り口用の扉はある。


 数としては半数近くは逃れたのだろうか。で、あれば衛兵が駆け付けるのも時間の問題かもしれない。

 いや、そのちょっとの時間でも、黒魔獣はここに居る人々を惨殺せしめる。虎の何倍もある巨体なのだ。怖い……


「シルヴィニア様ーーーっ、お逃げ下さいっ!」

 先生の声に黒魔獣は反応し、そちらにヒタヒタと振り向いてしまう。ぐるると唸る大きな口からは、だらしなくよだれが床に落ちる。

 キャロライン先生が居る壁際の一群が、黒魔獣の動きにどよめく。当たり前だろう、その敵意が自分達へと向いているのだ。


「シルヴィニア様っーーー! お逃げ下さーーーーいっ」

 先生はさらに声を張り上げる様に、って……まさか、先生っ! 自分を囮にっ! 

 隣の貴族が先生の口を塞ぐのが見えた。

 

 それでも黒魔獣は声のした方へと、ひた、ひた、っと静かに移動していく。獲物を定め、ゆっくりと間合いを詰めるかの様に。巨体ながら静かに、静かに、キャロライン先生達の方向へと向かっていく。


「ど、どうしたら……」

 私の足は震え。指先は冷たくなっていくのを感じた。

 怖い。

 黒魔獣を見たのは、遠目で何度か。間近で見ると、これほどの迫力を伴うものなのかと、遅まきに私は実感する。

 黒騎士などよりもはるかに、根源的な恐怖を刺激するその姿形フォルムは、ゆっくりと、だが確実にキャロライン先生達へと近づいていく。


 先生が……先生が、殺される。


 黒魔獣一匹に、小隊の二個三個が壊滅させられたいう話を思い出す。

 私が鉄球ですり潰した事があるのは、黒騎士数体である。そしてその鉄球も、今は手元にあるわけではない。


 すると。

「きえぇぇぇぇっ!」

 変な雄叫びをあげて、一人の貴族が黒魔獣の前に踊り出る。侯爵家の、あの胸にバラを一輪差した男の子だ。

 儀式用のサーベルを抜き放ち、勇敢にも黒い獣の前へと立ち塞がった。


 足はガクガクと、遠目で見ても分かる程震えて、サーベルが小刻みに揺れまくっている。

 怖い、怖いよね。でも、後ろの人達を守ろうとして前に出た君の勇気はすごい。すごいよ。


 侯爵家の子息の行動に胸を打たれる。が、相手が悪い。黒魔獣は、軍の中隊以上を率いて討伐する事とされている。

 人間一人の力では、到底太刀打ちできる訳がないのだ。


 まずい、まずい、まずい、まずいっ! でも、私に何ができるのっ? 分からない、分からない。このままじゃ、衛兵も間に合わないかもしれない。

 私……私は……


 震える手、震える足は、私も同じだった。

 するとそこで。


「逃げてぇぇっ! シルヴィニア様っ! 貴方を失っては、我が王国は立ち行かないのですっ! 逃げてっ、逃げてシルヴィーーっ!」

 抑えられていた口を強引に振り解き、キャロライン先生は大声を張った。

 自らが狙われようと、周りの貴族たちが狙われようと、委細構わず。私に逃げろと、訴えかけるのだ。


「先生……」

 正直、身体は逃げたがっているのを感じている。しかし、王女という言葉も同時にのしかかる。

 重く、重く。


 リンゴを手渡し、眩しく笑う少女が脳裏をよぎる。『王女様、カッコよかった』、と言ってくれた少女が。

 専門的に武術を習っている訳でもないのに、サーベルの模擬刀で立ち塞がった侯爵家。私の事を第一に、自らの命すら厭わない聡明な教育係も。

 そんな彼らに、私は……

 背を向けて、逃げられるだろうか。


「う、わぁぁぁっーー!」

 私は手近に転がる石材の破片を拾って、走り出していた。黒く、大きく、そして凶悪な獣へと。

 一心に叫んで駆けていた。

 なんでだろう。自分でもよく、分かっていない。ただ、あの少女の顔とか、先生に怒られた事とか、爺や、ネーナ、その他多くのみんなの顔がいっぺんに浮かんで。そしたらもう、身体は動いてたの。


 不思議と、足と手の震えは感じなくなり。悲鳴混じりの騒々しい音たちは、どこか遠くへ追いやられていく様な。不思議な感覚。

 これって、走馬灯?


 ふふ、あの鉄球より、石材の方が重いなんてマジで笑える……


 私の叫び声に、黒魔獣は一瞬で振り向き。三人分ぐらいひと飲みに出来そうほど大きい口を、さらに大きく開けて吠えた。

 怖い、怖い、怖い。けど、足は動くっ!


 石材の破片は、か弱い乙女でも持てる大きさだ。当然、武器にできる長さではない。

 だから、私は投げた。

 

 黒魔獣は微動だにせず、その投げられた破片は無視。もちろん、纏っている黒いプレートに弾かれて、破片はあらぬ方向へと飛んでいく。

 そりゃそうだ。


 赤く不気味に光る目玉は、どうやら私を映しているらしい。

「がぁぁぁっ」

 咆哮と共に黒魔獣は、左前足でひっかき攻撃を私に繰り出した。きっと、もっとサイズが小さければ猫みたいでカワイかっただろうな。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 キャロライン先生は、この世の終わりみたいな絶叫をあげる。誰の声だか分かるくらいに、大きく、そして悲壮感に満ちた声だ。


「きゃぁぁぁぁぁっ」

 私も負けずに叫んで、黒魔獣のひっかき攻撃を、前方に転がる事で避けた。


 え、避けれた!?


 すかさず魔獣の攻撃は続く。空からぶった左前足をもう一度引いて、もう一度ひっかき攻撃。

「いやぁぁぁぁぁ」

 私はゴロゴロと横に転がって、ソレをギリギリで躱わしつつ。転がる反動を使って、上体を起こす。


 また、左前足での攻撃に。今度は跳んで避ける。

 ドレスの端は間に合わず、黒魔獣の攻撃でビリビリに破られた。

「ぎゃぁぁぁっ!」、なんて声を出して。もはや私は王女ではないかもしれない。ってぐらいには、はしたない。


 黒魔獣は左利きのようで、自身よりかもかなり小さい獲物。それも、ちょろちょろと動き回る獲物に対処する方法は心得ていなかったのか。右前足を支点に、左前足だけの攻撃に終始している。

 なんとか避けてはいるが、流石に一発でもあの爪を喰らえば、私の身体は途端に粉微塵だろう。 

 猫に弄ばれるネズミを思い出す。

 が、しかし。


「ぎゃぁぁ」、とか。「いやぁぁ」、とか。飛んだり跳ねたり、転がったりで、首の皮一枚繋がっている状態の私は。


 うう、今までそんなに感じた事なかったけど。私って、目もいいんだなぁ。意外と動きがよく見えるぅぅ。怖いけどぉぉ。それから、ほんと私って運動神経すごくないぃぃ?


 顔すらも見た事ないけど……私を産んでくれたお母さん。私をこんなに丈夫に産んでくれて、ありがとうぅぅ。

 なんて考えていた。

 そして、散々転げ回った成果だろうか。黒魔獣は埒があかないと、ひと呼吸の間で後方へと素早く飛び退き。低く低く、四つん這いに構える。

 ほんとにおっきい猫みたい。じゃなくて……その格好って、まさか。


 肩で息をする私の息遣いだけが聞こえる大広間。

「ぐるるるるぅ……」

 ピタと、多分魔獣と目が合う。

「さ、サイアク……」


「がぁああ“あ“あ“っーーー」

 黒魔獣は私に狙いを定め、その巨体で一足に駆けた。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁっ」

 その巨体のあまりの迫力から、私は堪らず後ろへグルンと反転し、ボロボロのドレススカートを両手でたくしあげて、全速力で逃げた。


 ちょうど転がったりなんだりで、出入り口の扉に近かったのはラッキーだ。

 そして、巨大な獣を相手にどうやら私は。みんなから引き剥がすのに、成功したらしい。


 

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