「歸藩」

 齊王冏に対する批判の声が上がる中で、齊王が曹攄に問うたのが「天子爲賊臣所逼、莫有能奮。吾率四海義兵興復王室、今入輔朝廷、匡振時艱、或有勸吾還國、於卿意如何」という言である。「或」と言っているが、「還國」を勧める声を無視し得なくなった故の問いであろう。

 なお、齊王に諫言を呈した者達の中では、孫惠が「功遂身退、…(略)…垂拱青徐之域、高枕營丘之藩」と、「功遂げて身退き」、「青徐」に「垂拱」し、「營丘」に「高枕」すべしとしており、「垂拱」・「高枕」は共に安穏と過ごす事、「青徐」は広義の齊國、「營丘」は臨淄の古名であるから、齊へと還る事を説いている。齊王の念頭には彼の言があったと思われる。


 その齊王冏の問いに対して応えたのが、以下の曹攄の言である。


 蕩平國賊、匡復帝祚、古今人臣之功未有如大王之盛也。


 ここで先ず、曹攄は「古今の人臣之功、未だ大王之盛の如くに有らず」と、齊王の功績、「四海の義兵を率いて王室を興復」した功が、古今比類無いと讃えている。しかし、彼は単に齊王に迎合するつもりはなく、それが「然るに」として、以下の言に繋がる。


 道罔隆而不殺、物無盛而不衰、非唯人事、抑亦天理。


 意訳すれば、物事は極まる事がなければ、損なわれない、逆に言えば、窮まれば失われる、それは「天理」であり、「人事」、人の行事だけで決まるものではないと云う。言わば必然であるとし、その「道隆」・「物盛」の極みに在るのが齊王冏の現在であると云っている。

 孫惠も「今明公忘亢極之悔、忽窮高之凶、棄五嶽之安、居累卵之危、外以權勢受疑、內以百揆損神」と、「明公」、齊王冏が「亢極」・「窮高」、安危の境に在るを悟らず、「疑」を受け、「神」を損なっているとする。故に、曹攄が齊王の為すべき事として挙げたのが、以下の言となる。


 居高慮危、在盈思沖、精選百官、存公屏欲、舉賢進善、務得其才、然後脂車秣馬、高揖歸藩、則上下同慶、攄等幸甚。


 「高(たかみ)に居りては危をおもんばかり、盈(みちたりる)に在りては沖(むなしき)を思ひ、百官を精選し、公をたもちて欲をしりぞけ、賢を舉げて善を進め、其の才を得るに務めて、然る後に車にあぶらさして馬にまぐさかい、高揖して歸藩す」る、先々を見通して、然るべき後任を抜擢して、自らは「歸藩」すべき、それが我等の願うところだと云う。


 これは結局、孫惠等と同じく「還國」・「歸藩」を勧める事に他ならず、故に、やはり、齊王に納れられていない。その点では、曹攄の発言も他の諫言者達と同様である。

 しかし、曹攄の発言は、齊王の問いによって為されており、その点が他者とは異なる。つまり、齊王冏が、敢えて曹攄に問うた事には、他と異なる意義、齊王の意図があった筈である。

 齊王冏が言わば「還國」の可否を曹攄に問うたのは、その識見を尊重していた、心情的にたのむところがあった故と思われる。齊王は「從容」と曹攄に問うたとあり、「從容」はゆったりとした様、くつろいだ様であるから、彼は少なくともこの問いに関しては曹攄に気を許していた、望む応えを得られると思っていたのだろう。しかし、曹攄の応えは齊王の意に適っていない。

 齊王冏が求めた答えは「還國」を否定する言、このまま輔政を行うべし、というものであり、そうした意見は齊王に依附する者達、例えば、「五公」などに問えば、容易に返ってきた事だろう。

 だが、その問いを敢えて曹攄に為したのは、阿諛でない、ある程度中立的な立場からの応えを齊王が欲し、且つ、曹攄ならば「歸藩」でない応えを得られると期待したからと思われる。


 では、何故「曹攄」であったのか。曹攄が格別、齊王の輔政に熱心でなかった事は、その応えからも推測できる。であれば、齊王の判断の理由は、曹攄のそれまでの言動とは無関係である。となれば、曹攄個人ではなく、その家系に理由が求められるのではないか。

 曹攄の家系は魏の宗室であり、曾祖父曹休は文帝の死後、曹眞・司馬懿等と共に輔政に当たり、祖父曹肇も曹宇・曹爽等と共に明帝に後事を託される筈であった。

 しかし、明帝は死の直前、その意を変え(させられ)、司馬懿・曹爽がそれに与る事になる。つまり、曹攄の家系は輔政の地位に就いた事がある家系であり、自らの意思ではないとは言え、その地位から退いた家系でもある。

 そして、曹休の志半ばとも言える死、曹肇の不本意な退隠が、窮極的には司馬氏の専権、禪譲へと至った事を思えば、輔政を退き、他者に委ねる事を危惧すべき家系とも言える。

 齊王冏は「還國」を求められる自らを、「歸第」させられた曹肇に重ね、自らが退いた後に「曹爽」が政を謬り、「司馬懿」が台頭する事を危惧したのではないか。そして、それに対する共感を曹攄に求めた。

 だが、実際に齊王冏について、他者が想起していたのはむしろ彼こそが「曹爽」であり、それと同じ末路をたどる事を憂えたからこその曹攄の言であった。

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