余話 「晉書限斷」

 元康六・七年と賈謐、そして、陳壽にもやや係わりがある議論が賈謐傳に見える。議論自体は曹攄とは係わりが無いが、その内容は曹氏(魏)にも係わりがあるので、やや詳しく見てみたい。それは以下の如き議論である。


 先是、朝廷議立晉書限斷、中書監荀勖謂宜以魏正始起年、著作郎王瓚欲引嘉平已下朝臣盡入晉史、于時依違未有所決。惠帝立、更使議之。謐上議、請從泰始爲斷。於是事下三府、司徒王戎・司空張華・領軍將軍王衍・侍中樂廣・黃門侍郎嵇紹・國子博士謝衡皆從謐議。騎都尉濟北侯荀畯・侍中荀藩・黃門侍郎華混以爲宜用正始開元。博士荀熙・刁協謂宜嘉平起年。謐重執奏戎・華之議、事遂施行。(賈謐傳)


 一言で言えば、「晉」の始まりを何処に置くかという議論である。無論、公式には魏の咸熙二年、改元して晉の泰始元年(265)十二月丙寅(十七日)の武帝(司馬炎)即位であるが、当然ながら司馬炎自身がそれ以前から存命である様に、実質的に広義の「晉」と言えるものは、これ以前から存在している。

 また、泰始元年で限れば、これ以前に死去している司馬懿・司馬師・司馬昭といった司馬炎の父祖は「晉」に含まれない事になる。従って、王朝としての「晉」とは別に、「晉」の起源を何処に置くのか、言い換えれば、『魏書』と『晉書』の境界(「限斷」)を何時にするのかという議論である。

 当初、中書監荀勖は魏の正始(240~249)を起年とするよう主張し、著作郎王瓚は嘉平(249~254)以降の朝臣は「晉史」(『晉書』)に入れるべきとしている。「正始」は、正確には前年の景初三年(239)を含むが、魏明帝(曹叡)崩後に司馬懿が曹爽とともに輔政を行った期間であり、「嘉平」はその曹爽を打倒して、司馬懿が単独で政権を握って以降である。

 どちらも、司馬懿の「輔政」に起点を置いているが、曹爽の存在をどう見做すかに違いがある。或いは、荀勖が「正始」を主張するのは、彼自身が同年間に曹爽の大將軍掾であった事と関係があるかもしれない。この議論は、武帝の在世中には決着を見ず、惠帝即位後に賈謐が「泰始」を「斷」とすべしと上議し、再論される事になる。


 この議論に加わった人物の肩書をみると、領軍將軍王衍・侍中樂廣・黃門侍郎嵇紹は正確な時期は不明だが、元康年間の地位である。張華が司空と為ったのが元康六年正月、王戎が司徒と為ったのが元康七年九月であるので、議論が行われたのは王戎が司徒と為った元康七年(297)以降である。

 ここに名が見える人物のうち、王戎・張華・王衍・樂廣・嵇紹については既に名を挙げており、親疎はあるが王衍を筆頭に曹攄とは間接的ながら係わりを持つ事になる。荀藩・華混・刁協についても、多少は触れる事になり、その意味では曹攄とも無縁ではない面々である。


 さて、彼等の議について見れば、王戎・張華・王衍・樂廣・嵇紹・謝衡は「謐議」、つまり泰始に、荀畯・荀藩・華混は正始に、荀熙・刁協は嘉平に起年(開元)を置くよう主張している。荀畯は荀勖の孫、荀藩は子であるので、祖・父の論に同調した事になる。結論としては多数に従ったというわけでもないだろうが、最も地位の高い王戎・張華が同調し、発案者である賈謐の議である泰始が採用されている。

 泰始以前に「晉」(司馬氏)と係わった人物をどうするかという問題はあるものの、名義も一致し、最も判り易い結論である。ただ、多少穿った見方をすれば、正始や嘉平を起点とすると、司馬氏の奪権過程や、賈謐の祖父賈充の旧悪とも言える高貴鄉公殺害に言及する必要があり、それを避けたとも言える。尤も、それらについて不都合がない様に記述するのも史書の筆法ではある。


 ところで、この議論には陳壽は加わっていない。元康七年に死去しているなら、当然であるのだが、『華陽國志』の云う如くまだ存命であるならば、『三國志』の撰者として既に知られているであろう陳壽が加わっていないのは多少奇妙である。

 太子中庶子でその任にない、旧蜀の出身で晉史に係わるに相応しくない、といった理由も考えられるが、議論には陳壽を評価していたという張華も加わっている。間接的であっても、何らかの言及があってもよい様に思える。

 例えば、二十四友の「首」とされる潘岳の傳には「謐晉書限斷、亦岳之辭也。」と、賈謐の議が実質的には潘岳の手に成る事が記されており、『太平御覽』に引く王隱『晉書』に「陸士衡、以文學、爲秘書監虞濬所請、爲著作郎議晉書限斷。」と、賈謐の議とは別に陸機(士衡)が「晉書限斷」に係わっていた事が知れる。

 この点を考えても、陳壽の卒年はやはり元康七年が正しいだろう。


 さて、上の結論である泰始で「限斷」するというのは、王朝の区切りで断代するものであり、一定の合理性はある。ただ、当然ながら、歴史は単純に割り切れるものではなく、過渡期とも言うべき名義と実態が異なる時期は存在する。その点では正始・嘉平という論にも正当性は存在する。

 上記以外にも、最後の反司馬氏の動乱となった諸葛誕が鎮圧され、初めて司馬昭を「晉公」に封ずるという議の出た甘露三年(258)や、再度の、しかも二度に亘る「晉公」の議と、その間の高貴鄉公曹髦の死があった甘露五年、改元して景元元年(260)なども魏・晉の画期と言えるだろう。特に後者は次代の皇帝曹奐(元帝)の即位に曹氏(魏)の意向が反映されていないという点で、実質的に魏の終焉と言えるのではないか。

 ともあれ、「晉」の公式の見解としては泰始を「限斷」とする事が結論とされたが、唐代に編纂された現行の『晉書』は帝紀の第一に司馬懿の宣帝紀が置かれる様に、正始以前も含めた司馬懿以降を晉史として扱っている。


 ついでながら、『三國志』では漢と魏の「限斷」をどの様に扱っているであろうか。『三國志』は陳壽個人の撰になるので、上記のような議論は為されず、内容から窺う他ない。無論、公式には「晉書限斷」と同じく、曹丕が即位した漢の延康元年、改元して魏の黃初元年(220)十月庚午(二十八日)となる筈である。

 「魏」と言うより、「三國時代」の始まりは『三國志演義』の影響で、「黄巾の乱」より始まるという印象があるかに思える。だが、『三國志』において「黄巾の乱」は「張角傳」とでも呼ぶべきものが無い様に、飽く迄も前史としての扱いしか受けていない。「張角傳」が無いのは『後漢書』も同様だが、皇甫嵩朱儁列傳にその鎮圧過程が詳述されており、これが「黄巾の乱」史となっている。

 では、何が画期とされているかといえば、まずは所謂「董卓之亂」であろう。『三國志』武帝紀には「靈帝崩」後の「京都大亂」を記した後、曹操が十二月に己吾で起兵した事を記して「是歲中平六年也」(189)としている。

 これは武帝紀において、年紀が明確に記された初の事例で、以後は基本的に年・月毎に帝紀の体裁をとって記されている。なお、「黄巾の乱」については「光和末、黃巾起。」とあり、列傳と同種の記述であり、前史としての扱いである事が判る。

 また、董卓については巻六に専傳が、后妃傳に次ぐ列傳の筆頭として有り、魏史、正確には「三國」史であろうが、その一部として扱われている。この巻六は魏史としては、曹操に対抗した一種の「叛臣傳」とでも言うべきものになっている。

 何れにしてもこれが一つの画期であり、中平六年は先に触れた様に四つの年号を持つ年で、靈帝の死により、漢(東漢)が終焉に向かい始めた年であるが、それを以て、魏の始まりとはし難い。


 これに次ぐ画期と言えるのが建安元年(196)であり、九月の許に獻帝を迎えた時点である。陳壽はこれまで「太祖」と記していた曹操について、これ以降は「公」と記し、建安二十一年(216)五月に曹操が「魏王」となるまで通している。これはこの時、曹操が司空、「公」と為ったからであるが、その事に一つの画期があると見做したからでもあるだろう。

 この他、建安十三年(208)の丞相就任と「赤壁の戦い」の敗北、建安十八年(213)の「魏公」や、上記の「魏王」なども「魏」や「三國」の画期と言えるが、窮極的には建安元年こそが「魏」の始まりである言える。偶然ながら、元康六年(296)は建安元年から丁度百年を超えた年であり、曹氏に属する曹攄にとっても、一つの節目となる年である。


 なお、先主(劉備)傳における年紀は、劉備が曹操の上表によって鎮東將軍・宜城亭侯とされた部分の「是歲建安元年也」が最初である。この年に劉備の画期があったと陳壽が見做したとも言えるが、実のところ先主傳の前半には年紀が少なく、「傳」であれば当然なのだが、帝紀の体裁を為していない。先主傳で毎年の年紀が記されるのは、劉備が益州の主となった建安十九年(214)以降である。

 ついでに言えば、孫堅傳では孫堅が、「陽明皇帝」を称した「會稽妖賊許昌」を討った部分に、「是歲熹平元年也」(172)とあり、ついで、中平元年(184)が見える。孫策傳では「興平元年、從袁術。」(194)とあり、裴注の『江表傳』に「策渡江攻繇牛渚營、盡得邸閣糧穀・戰具、是歲興平二年也。」(195)とある。帝紀の体裁をとっていないのは先主傳前半と同様だが、独自の「限斷」となっている。なお、孫權傳(吳主傳)は簡略であるが、概ね帝紀の体裁をとっている。これ等は陳壽が依拠した原史料、吳の史官の視点が影響しているのだろう。


 以上の議論、特に魏に関するものは当時の公的なものではない事から、どれほどの影響があるかは不明だが、曹攄を含む当時の人々が自身の属するものの起源についてどう捉えていたかを知る一端である。人々の思考の背景として触れておく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る