洛陽にて②

 いま少し、洛陽に於ける曹攄の交遊関係から、曹攄が元康初年に洛陽に在った傍証を探してみたい。


 先ず、「贈韓德真詩」という詩がある。「韓德真」とは、魏の司徒であった韓暨の曾孫韓壽である。『三國志』裴注では韓壽の字は「德貞」とあるが、『晉書』(賈充傳附)では「德真」とあり、どちらか、「贈韓德真詩」に従えば前者が誤りという事になる。

 この韓壽は「官至散騎常侍・河南尹。元康初卒、贈驃騎將軍。」とあり、「元康初」に「河南尹」で死去している。また、『三國志』韓暨傳の裴注に引く『晉諸公贊』では「惠帝踐阼、爲散騎常侍、遷守河南尹。病卒、贈驃騎將軍。」と、時期は明記されないが、やはり、惠帝即位後に河南尹(「守河南尹」)と為り、卒したとある。

 彼は賈充傳に附されて傳が有る様に、賈充の婿、その女である惠帝皇后賈氏の妹(賈午)を妻としている。後に見る様に、賈皇后(賈后)は永康元年(300)四月の政変で殺されているが、その際、「趙粲・賈午・韓壽・董猛等皆伏誅。」と、賈后と共に韓壽も殺されたとの記述が惠賈皇后傳に見える。しかし、同年時点での河南尹は、少なくとも前年末から同年正月の時点までは他者(樂廣)であり、その後に韓壽が河南尹と為っているとは考え難い。

 また、『晉書』・『晉諸公贊』共に韓壽には「贈驃騎將軍」と、贈位が見えるが、政変の打倒対象である賈后の黨與として殺された人物に追贈、それも最高位の將軍号である驃騎將軍が贈られるとは考え難い。

 従って、これはそれ以前、賈后專制下での措置であり、『晉諸公贊』で「元康初」以降の事績が不明であり、「病卒」と明記されている事から見ても、「元康初」に死去したと見るべきである。惠賈皇后傳の記述は誤記、或いは「韓壽」の後に「子(或いは弟)某」といった語が脱落しているのであろう。

 韓壽が元康初に卒しているならば、曹攄が「贈韓德真詩」を為したのもそれ以前となり、これも臨淄と河南郡(洛陽)との間で贈答された、或いは臨淄以前という可能性もあるが、「元康初」に洛陽で、つまり同時期に曹攄は洛陽に在ったとするのが妥当である。

 なお、先にも触れたが、韓壽の妻賈氏の父である賈充と曹氏、更にその父である賈逵と曹休の間には因縁とも言うべき関係があるが、後に詳しく見たい。


 韓壽の他に曹攄と詩の遣り取りがあった人物として、「贈王弘遠詩」がある王弘遠がいる。「弘遠」は韓壽の「德真」と同じく字であり、「平吳」の立役者の一人である王濬の孫、王粹であろう。

 王粹について王濬傳の附傳では「太康十年、武帝詔粹尚潁川公主、仕至魏郡太守。」とあるのみで字は不明であるが、忠義傳(嵇紹)に附された嵇含傳に「時弘農王粹以貴公子尚主、館宇甚盛、圖莊周于室、廣集朝士、使含爲之讚。含援筆爲弔文、文不加點。」とあり、「其序曰」として、「帝婿王弘遠華池豐屋、廣延賢彥。」と見える。

 この序から「弘農王粹」の字が「弘遠」と知れ、王濬は「弘農湖人」、つまり、その孫の王粹も「弘農」人であり、「尚潁川公主」であれば、当然、「帝婿」である。従って、嵇含傳に見える「弘農王粹」と王濬の孫は同一人物であり、曹攄の詩に見える「王弘遠」も同一人と見るのが妥当だろう。

 この王粹に武帝の女であろう潁川公主が太康十年(289)に嫁しているのだから、その「甚だ盛」だと云う館は洛陽に在り、嵇含の逸話も太康十年以降、乃ち「元康初」頃の事であったと見られる。

 これだけで曹攄が「贈王弘遠詩」を為したのが「元康初」であるとは断定できないが、確実に王粹が洛陽に在ったのは同時期であり、その頃に交流があったと見做すのが妥当と考える。この王粹と曹攄は、後に互いに敵対する陣営に身を置く事となる。


 この他、時期は特定できないが、詩文から曹攄との交遊が推測できる人物として「趙景猷」がいる。この趙景猷について、曹攄は他に比べ十一章及び九章という長篇の「答趙景猷詩」を残しているが、該当者は不明である。強いて憶測すれば、文苑傳に「趙至字景真」という人物がおり、字の類似からすれば近親者かとも思われる。

 この趙至は「代郡人」とあるが「寓居洛陽」とされ、「太康中」に「時年三十七」で死去している。趙至が元康初まで存命であれば、四十代から五十代、例えば、趙景猷がその弟や從弟などであれば、元康初に洛陽で曹攄と交遊があっても不審ではない。

 他にも当該期前後に趙氏は、石崇と共に「四出」した趙俊・趙歡など、何人か確認できるが、傳がある人物はおらず、記述は断片的である。何れにしても不明とする他はない。なお、趙俊については後に触れる。


 直接の関係は確認できないが、石崇や歐陽建と詩文の贈答がある棗腆や曹嘉なども含め、曹攄は元康年間(291~299)に、洛陽に於いて広範に文人との交流を持っていたと考えられる。但し、詩文の贈答がどの程度の交友関係を示すのかは不明である。

 なお、曹嘉は『詩品』にも列されている魏の楚王彪(白馬王彪)の子であり、曹攄とは同族であり、「詩遺崇」の中で、嘗て石崇と「同位」にあったと述べており、彼と石崇の交流はその時期に生じていたと思われる。

 曹攄の「良友」である歐陽建も元康六年(296)以前、乃ち「元康初」頃に尚書郎であった筈であり、曹攄との交友も、両者が「同位」(尚書郎)にあったこの時期に生じたとも推定できる。


 この「元康初」、元康年間前半に「尚書」を管領していたのは、(守)尚書令下邳王晃(元康元年~六年)と尚書右僕射(領吏部)王戎(元康元年~七年)である。曹攄は尚書郎である期間には何の逸話も残しておらず、彼等と曹攄の間に何らかの係わりがあったかは不明である。但し、王戎はかつて曹攄を「器」と見做した王衍の從兄であるから、王戎は曹攄の存在を知っていたであろう。王戎が「領」する吏部は人事を掌るので、曹攄のこの前後の遷官には多少なりとも、彼の影響があったかも知れない。


 ところで、石崇の傳は『晉書』卷三十三に父である石苞に附されて有るが、この卷三十三は后妃傳に次ぎ、『晉書』列傳の筆頭であり、そこに立傳された石苞は晉「佐命功臣」の一人である。

 一方、彼と交流がある曹攄や曹嘉は前王朝である魏の皇族(宗室)の子孫である。しかも、曹嘉は太尉王淩によって、反司馬懿の旗頭として担がれるも、発覚して自殺させられた楚王彪の子である。石崇と曹攄・曹嘉に直接の行き掛かりがあるわけではないが、「魏」を護持するはずであった者の子孫と、「晉」を「たす」けた者の子孫との、立場を異にするものの交流は奇妙とも言える。

 ただ、石苞は晉に於いて大司馬・都督揚州諸軍事として対吳の前線を担っていたが、泰始四年(268)頃に吳への通敵の疑いによって官を免じられている。これは魏代の王淩・毌丘儉及び文欽・諸葛誕に続く四度目の反司馬氏の動乱とも成り得る事件だったが、石苞が恭順を示した事で、乱とならず、石苞も後に赦され、司徒と為っている。

 この一件は晉に於ける最大の軍事的実力者となった石苞を警戒する故に起こった事件であろう。揚州は敵國である吳に接し、「去雒陽千三百里」という遠隔であるから、都から一々統制する事は困難であり、その都督には時に專行する事もできる権限を与えておく必要がある。しかし、それは自立・叛逆の温床とも成り、王淩等の先例もある事から、石苞への警戒が猜疑へと進んだと考えられる。

 この警戒は石苞の死後、その子等にも向けられたと思われ、石崇の兄石統は扶風王駿にさからったとして弾劾され、その宥免後には、石崇が闕に詣でて謝恩しなかった事が弾劾されている。

 これは石崇自身の上表によって解決したが、執拗な弾劾は、石崇等の行為にも問題があったにせよ、石苞への警戒が繰り返されたとも言える。石崇としては、朝臣達による石氏排除の意図を感じ、疎外感の様な思いを抱いたと想像される。


 こうした経験が、立場や結果は異なるとは言え、同じ反司馬氏の犠牲者と言える曹嘉や、輔政から排除された家系の曹攄との交流に影響を与えたのではないか。石苞の「大司馬・都督揚州諸軍事」は曹攄の曾祖曹休が死去時にあった地位であり、上記の王淩等は何れも揚州の都督であり、刺史の文欽を含め、全員が揚州の関係者である。こうした揚州を介した縁が曹攄と石崇の交流に影響を与えたとも思われる。

 なお、王粹の祖父である王濬は「平吳」に於いて益州より出撃し、江水を下って長駆、吳都建業を降すという大功を立てるが、主將であった王渾等によって抑制され、「功重報輕」であったと云う。

 理由・経緯は異なるが、大功を立てながら、疎外されるという点では石苞に通ずる。王粹が「館宇甚盛」とした事や、後に触れるが石崇の「財產豐積、室宇宏麗。」とされる豪奢な生活は、疎外感に対する反動、鬱屈した感情の捌け口でもあったのだろう。

 こうした贅を凝らす風潮は石崇・王粹だけのものではないが、曹攄がそれに対してどう感じていたかは不明である。ただ、記録上では、彼に対してそうした謗りがない事を考えれば、少なくともそれに同調する事はない、過度な贅沢からは距離を置いていたのではないか。それでも石崇や王粹との交流を持ったのは、彼等の心情に協調し得るものがあったから、であったと想像したい。

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