序④ 曹攄の名・字

 曹攄の名「攄」は「のぶ、しく」の意であり、「舒」・「布」に通じる。「攄懷」・「攄意」と言えば心の裡を述べる事、「攄志」は志を述べる事である。なお、曹攄には「述志」という賦があり、「述」は「のぶ」であるから「攄志」と同義である。

 この義からすれば、魏晉革命によって宗室の地位から外れ、逆に外(司馬氏)を憚る事無く、志を「のぶ」る事が出来る様になった時期の命名と想像され、その生年が魏晉革命の泰始元年(265)前後という推定を補強する。

 尤も、逆に、憚りある故に、願望を込めて名付けたとも考えられる。


 この名に対して、あざなは「顏遠」であるが、典拠となる古典籍が見出せず、関連が知り難い。推測すれば、「攄」は内(心)を述べ、知らしめる事であるのに対し、「顏」(外)を「遠」くまで広げ、知らしめるという事であろうか。


 この様に曹攄の名と字は関連が直截ではない。この傾向は彼の家系に共通するようで、曹休の字は文烈、曹肇は長思、曹毗が輔佐である。曹纂の字は『曹肇別傳』(『太平御覧』)に依れば德思であると云う。

 この内、関連が解り易いのは、曹毗であり、「毗」に「たすく」の義があり、同義である「輔」・「佐」を重ねている。

 曹休は「すぐれてよきいさを(勲)」の意である「休烈」の「休」を、同じ「よし、うつくし」の義がある「文」に置き換えたものである。

 曹肇は「肇」に「はじめ」・「はかる」の義があるので、始まりに対する先・末を「長く思ふ」となると思われる。

 曹纂は兄の「思」を受けていると思われるが、「德」を「つぐ、うけつぐ」という事であろうか。


 こうしたあざなの付け方は、同時代の譙國曹氏の傾向とはやや異なる。魏・晉代で字が判明する曹氏の族員は二十名いるが、その約半数の九名は「子」某という字である。また、曹操の子に何れも早世した「子」某という六名がいるが、これもおそらく字であり、早世した故に官途に就いていない、従って名を名乗る機会がなく、字のみが伝わったのだろう。

 ともあれ、曹氏の多くは「子」某という字を付けており、この例に含まれないのは曹操(孟德)・曹叡(元仲)・曹芳(蘭卿)・曹髦(彥士)・曹奐(景明)・曹爽(昭伯)・曹志(允恭)・曹沖(倉舒)・曹宇(彭祖)・曹彪(朱虎)・曹冏(元首)だが、曹操・曹爽は「子」を長子を意味する「孟」・「伯」に置き換えただけであろう。

 従って、当時の曹氏の字の趨勢は名と関連する文字に「子」を付けるというものであったと思われる。この事が直ちに何事かに影響するというものではないが、曹休の家系の精神的傾向が窺える。


 曹攄等にとってあざなとは、名を連想させ、他者との識別がつけばいいという消極的なものではなく、いま少し積極的な、自己の志望を示す、当に「のぶ」る思いを込めたものであったかに思われる。曹攄については、自らを知らしめる、他者との係わりを峻拒しないといった思いが想像される。


 なお、亳州の曹氏宗族墓群から出土した磚に「吳郡太守曹鼎字景節」とあり、曹休の祖父は「吳郡太守」であったので、この「曹鼎」は曹休の祖父、曹攄の五世祖の可能性がある。

 「鼎」と「節」は他にも例(米芾『畫史』莊鼎字節之)があり、通じるが、連関は直截ではない。曹鼎が曹休の祖父であれば、字の付け方に関する傾向は曹鼎以来であると言えるかもしれない。

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