第5話 飛龍の気遣い!

 この日は朝から忙しかった。


 龍望ロンワン皇帝によって、美玉メイユー妃候補の後宮追放が決行されてからすでに七日が過ぎていた。実は、彼女が雷鳴宮を去る間際、管理棟付近で小火ぼや騒ぎがあった。そのどさくさ紛れで、現在は使われていない、菱形が並ぶ印のついたびだらけの鍵が管理棟から盗まれたらしい。飛龍フェイロンいわく、管理はしていたもののどこで使われる鍵かもわかっていない代物らしく今のところ被害はでていないそうだ。



 早朝、すっかり人気ひとけのなくなった雷鳴宮に呼び出されたのは飛龍と灯翠ヒスイ。呼び出したのはほかでもない龍望皇帝。その彼は今、白地にふち取りがほどこされたきつねの仮面を被っている。


(以前とは色違いの仮面。ひょっとして仮面集めが趣味だったりする変わり者なのか?)


「趣味ではないぞ灯翠」


「おー。皇帝ともなると人の心が読めるようになるのか?」


「違う。顔に書いてある」

「はっ……!」


 急に空を眺め、顔ごと視線をらすと、下手な口笛を吹いて見せた。


「今日はいい天気になりそうですね〜」


 あきれる龍望皇帝。


「無知とは実に恐ろしい。今回は特別に仮面の秘密を教えてやろう。あの仮面は指紋を識別し犯人を特定することができる便利なモノなのだ。それと余の正体を隠す意味合いも含めてちょうどよかったので被っていたまでだ」


 仮面の目の部分に貼ってある紫色の薄膜フィルムを通して物を見ると指紋が浮かび上がって見えるらしい。(現代のALSライトのようなもの)龍望皇帝が話を続ける。


「実のところ、あのときは指紋がたくさんついていて判別不能だったのだがな!」


「陛下はそんな状況下でも顔色ひとつ変えず、を自供にまで追い詰めました。それは鋭い観察眼があってこその成せる技です」


 飛龍がめると、腕を組み満足げにうなずいて見せた。


「なぁーんだ。結局は、はったりだったんだ。おどろいて損した~」


 頭の後ろで腕を組む灯翠の態度を見て、今にも殴りかかろうとする龍望皇帝。慌てて止めに入る飛龍だった。



 ――この男の気苦労は、今後も絶えることがないのである――。




◇◇◇ 



 

 ひとつ咳ばらいをした後、首を大きく回し龍望皇帝が話を再開する。


「万が一にも他人に見られるとまずいのでこの姿で話をする。よいな」


「御意!」

「へい」


(水色の仮面にもなにか秘密があったりして……)


 ふたりの返事を確認すると、ようやく本題に移った。


「本日よりお主たちがここ雷鳴宮に住むのだ!」


「御意!」

「えっ!?」


 ふたりの返事が割れる。高貴な家柄いえがらでもなく、豪商ごうしょうの両親を持つわけでもないため灯翠は世話係をやとっていない。ゆえに宮級の住まいは広すぎて管理などできないと考えたからだった。それに、低級の妃候補には小さいながらも個室の部屋が与えられており、灯翠はそれで十分満足していたからでもあった。


「まさかとは思うが、の提案を断る気か? お主の腕が切り取られずにこうして繋がっているのはだれのおかげだったか忘れたとは言わせんぞ」


 冷徹な声へと変わり、その場の空気が一気いっきに凍りつく。ただしそれも、マゾ気質に目覚めてしまった彼女には逆効果だった。


(そうそう、このゾクゾク感がたまらなくいい)


「わたしは嫌とは言っていないぞ。ただ驚いただけだ。どうせまた面倒なことにでも巻き込む魂胆こんたんなんだろう」


「ほほう。さっしがよくて助かる。ただ魂胆などと言われるのは心外だ。余は単に以前の貸しを返してもらおうと思っただけだ」


 龍望皇帝の声色が普通に戻ると、彼女の気分テンションも戻る。


(どうして戻っちゃうんだよ~)


「実は、この雷鳴宮に幽鬼ゆうきがでるとの噂話が広がり、どの妃候補たちもここに移り住みたがらなくなってしまったのだ。幼少のころから余の面倒をよく見てくれた孔秀英コウシュインの恩に報いるためにも、孔家の娘をここに迎え入れようと考えていたのだが……」


「陛下、孔鈴麗コウリンリー様は万能型のとても優秀な妃候補ですが、人一倍怖がり屋だったように思います」


「そうなのか? では、妃たちが安心して住める環境を整えてやるのも余の仕事だな。頼んだぞ!」


「あの〜 わたしもその妃候補のひとりのか弱き乙女おとめなんですけど……」


「お主は違うだろう。以前、幽鬼なんているわけないと豪語ごうごしていたのを覚えておるぞ」


 それは雷鳴宮で賊を捜索した後、4人が集まって捜索結果を報告し合い、共有しているときのこと。(第3話参照)


「ふたりとも幽鬼の存在を否定する者同士だ。お互いが協力し、雷鳴宮の幽鬼を成敗せよ。よいな」


「御意!」

「へいへい」


(ここで嫌だとは言えない……)


「ひとつ教えてくれ灯翠。どうしてお主は皇帝である余に対して、そうも無礼な態度がとれるのだ?」


「さぁ? 田舎者ですので礼儀を知らぬだけかと……」


 龍望皇帝が飛龍をにらみつけた。


 妃候補の教育係も兼任する飛龍は急に空を眺め、顔ごと視線を逸らすと、口笛を吹いて見せた。


「今日はいい天気になりそうですね〜」


「笑えんぞ飛龍!」


 飛龍の失態だった。


「そうだ、雷鳴宮のとなりにある冷厳れいげん宮もまた昔から幽鬼の噂話があったな。ついでに解決しておけ」


 眉をいちどだけ大きく上げ、その場を去る龍望皇帝。その姿を見送ってからこんどは灯翠が飛龍を睨む。


「わたしの真似などするからだぞ」


「わたしとしたことが……面目ない」


 肩を落としその場にしゃがみ込んでしまった。


「そこまで反省しなくても……ところで飛龍様、幽鬼なんて存在しないものをどうやって成敗するんだ?」


「それはな……食堂で朝餉あさげを食べながら話そう」


 急に立ち上がり不敵な笑みを見せたのだった。




◇◇◇


 


「足が痛い~ もう歩けな~い」


 泣き言を言う灯翠。後宮外廷にある食堂の椅子に座ると、足を棒のように伸ばし、だされた水を一気に飲み干した。


 すでに昼餉ひるげの時間である。



 ――朝餉あさげの場での飛龍の話をまとめるとこうだ。幽鬼の存在のあるなしに関しては人それぞれ見解も違うが、噂話には必ずというものがある。食堂で聞き耳を立て、その噂話をだれから聞いたのかをたずね、後はそれを繰り返す。さすれば、おのずと出どころにたどり着ける。その出どころを知ることが真実にたどり着く一番の近道なのだ。というものだった――。



 効率を考え二手に分かれそれぞれの噂話をさかのぼる。じゃんけんに勝った飛龍が雷鳴宮の噂話を担当し、負けた灯翠が冷厳宮の噂話を担当することになった。


 灯翠のほうは古い噂話だったため自ら話を振って噂の出どころを探ることに。このときの彼女は、まだことの難しさにまったく気づいていなかった。気楽に噂話を遡る。そして、3人目にその問題にぶつかったのだった。


 それは、噂話が古いがゆえに起こる問題。


 彼女が噂話をだれから聞いたのかを尋ねたところ、「忘れた」の一言が返ってきたのだ。そうなると最初からやり直しになる。結局、20回以上も最初からやり直し、後宮中をけずり回る羽目となった。灯翠が泣き言を言うのも当然といえば当然のことだった。



 そんな灯翠の苦労をおもんぱかってか、昼餉ひるげは飛龍のおごりとなった。貧乏根性丸出しとなった灯翠はここぞとばかりにたくさんの注文をした。



「いくら注文してもかまわんが、本当にそんなにたくさん食べられるのか?」


「大丈夫、大丈夫」


(2日分は食い溜めできる)


 妃候補たちは基本後宮内廷で暮らす。上級妃候補ともなれば食べたいものを尚食しょうしょく(調理を担当する女官六局のひとつ)に依頼することもできるが、灯翠のような下級妃候補ではその好みは選べない。与えられたものを食べるだけの日々だった。以前は田舎暮らしで貧しい生活を送っていた彼女。ここぞとばかりに注文し、字が読めるようになってよかったと初めて感じた瞬間でもあった。



 飛龍が『雷鳴宮の噂話』についての話を始める。



「雷鳴宮の元主、風花フォンファ賢妃が全身血だらけで現れ、『殺す!』となんどもつぶやきながら近づいてくるそうだ。美玉妃候補は毎晩現れる風花賢妃の幽鬼に悩まされ、ついには気が狂い、後宮から出て行く羽目になった。全員がまったく同じ内容の噂話をしていた」


(だいぶ美玉の肩を持った噂話のように感じるが……)


「灯翠、この噂話の出どころはいったいだれだと思う?」


 注文した食事が続々とたくに並びだすと、甘いものに目がない灯翠はまっ先にを手に取り、味わうように少しづつかじった。


「う~ん。ヒントをくれ!」


「お主も会ったことがある者だぞ」


「後宮内でわたしが会った人といえば……ひょっとして曹夜警宦官か!」


「はずれだ! 信者庫送りとなった曹は現在、肥溜こえだおけの掃除を担当させられておるそうだ」


「げっ!」


 灯翠の正面に置かれたの皿が飛龍に奪われた。


(わたしの蟹が~)


「正解は、美玉の侍女頭だった瑞瑞ルイルイ。おそらくは美玉に指示されたのだろう」


「でもさ~ 後宮追放を隠すためにそこまでするか~ 普通?」


「それは的を得ていないぞ灯翠。嘘をつくのに慣れていた美玉の流した噂話だ。後半部分はうまく名誉回復に使っているが、本当の目的は前半部分にある。ようするに、雷鳴宮に人を近づけたくなかったのだ」


 灯翠は干し柿を食べ終え、若干じゃっかんげたに手をつける。


「後宮から去るっていうのに、どうしてそんな面倒なことをする必要があるんだ?」


「おそらくは、後宮追放のさいに雷鳴宮から持ち去ることのできなかった、他人には絶対に見られてはいけないを残しておるのだろう」 


「でも、雷鳴宮の中はわたしたちがくまなく捜査をしてるじゃないか」


「寝室以外はなっ」


「あっ!」

 

 今度は、茄子なすが入った小鉢を奪われた。


(わたしの茄子が~ このままではどんどん食事が減ってしまう~)



 灯翠が『冷厳宮の噂話』についての話を始める。



「今度はわたしの番。冷厳宮の幽鬼話は、その姿を見た者が神隠しにうという内容だったぞ。昔から冷厳宮は罪を犯した上級妃を閉じ込めるための牢獄で、ひと月もすれば皆、姿を消していたらしい」


「それでその噂話の出どころはだれだった?」


(キタ~ 昼餉回収の好機チャンス~)


「だれだと思う?」


「先々代の皇帝、龍輝ロンフゥイ皇帝に仕えていた宦官長で名はたしか明景ミンジン


「ひょっとして知ってた?」


「ああ。ただお主のおかげで裏が取れた。決して無駄ではなかったのだから、そんなぶすくれた顔するなっ」


(そうじゃない。それでは昼餉が回収できないんだよっ!)


「忠義に厚い明景殿のことだ。冷厳宮の噂話の出どころは龍輝皇帝と考えるのが妥当だろう」


 最後に桃饅頭ももまんじゅうがふたりの前に運ばれてきた。

 今日イチ目を輝かせる灯翠だった。


「お主は甘いものには目がないようだな。わたしの分もやろう」


「本当か!? 本当にいいのか!?」



 飛龍が頷くのを確認してから、灯翠が桃饅頭を両手に持ち頬張る。



 肩肘をつき、微笑ましい表情でそれを眺める飛龍。実は彼、正解できぬ灯翠に対して意地悪をしていたわけではなかった。


 柿と蟹。

 焼き魚と漬物。


 これらは食べ合わせが悪いと後宮内で言われている組み合わせだったのだ。そのため、蟹シュウマイと茄子の漬物をあえて食べさせなかったのだ。


 すべては灯翠の体調を気遣ってのこと――残念なのは、そんな気遣いが彼女にはまったく伝わっていなかったということだ。

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