第6話 からくり錠

 冷厳宮の幽鬼は、その姿を見た者が神隠しにうという内容の噂話だった。そして、その噂話を流した張本人が先々代の皇帝、龍輝ロンフゥイであることを灯翠ヒスイの足が証明した。


 昼餉ひるげを済ませたふたりは冷厳れいげん宮に向かった。


「どうしてこっちを優先するんだ?」


 飛龍フェイロンの推測が正しければ、すでに雷鳴らいめい宮の幽鬼問題は九分九厘くぶくりん解決したといっても過言ではない。後は雷鳴宮の寝室を調べて、美玉の隠したかったを見つければ解決となる。なのにどうして冷厳宮に向かっているんだ、と思っての発言だった。


「雷鳴宮のほうはいつでも捜査できる。なにせわたしたちが住むことになったのだからなっ」


「なるほど、たしかに!」


「それにこちらは明るいうちに解決しておきたい」


「えっ! そんなに早く解決できるのか?」


「……噂話にある幽鬼にさえ会わなければだがな。そもそもわたしが解決を急ぐ理由はお主にあるのだぞ」


「わたし?」


 きょとんとした表情を見せる。


「明日から1週間は舞踊の練習になる。そうなれば、居残りやら筋肉痛やらで身動きがとれなくなるだろう」


「失礼な……わたしだってちゃんと上達してるんだぞっ」


(隻眼でも遠近感がつかめるようになってきたんだ)


「それは見物だな!」


 急に頭をでられ驚いた彼女は、飛龍の手の届かぬところまでそそくさと移動するのだった。ただの通行人がなにごとかと彼女に視線を送る。


(人前で恥ずかしいだろっ)


 前髪を整え、呼吸を整える。


「ところで、噂話の出どころをさかのぼっているときに疑問に思ったんだけど、神隠しってなんなんだ?」


龍輝ロンフゥイ皇帝の時代に流行った言葉だからお主が知らぬのも無理はないな。元々はこの大陸のはるか東にある海に囲まれた小国に伝わる言葉で、子供の行方が急にわからなくなったときに使う例えなのだそうだ」


「ふ~ん。でも、上級妃は子供じゃないぞ」


「それはあくまで例えであってだな……」



 ふたりはそんな会話を続けながら冷厳宮を目指したのだった。




◇◇◇




 冷厳宮の門が見えてくる。


 だれも住んでいない宮とあってか全体的に汚い印象を受ける。辺りには所々雑草も生えている。手入れが行き届いていないことは一目瞭然だった。そんなさびれたたたずまいの門に異彩を放つものがひとつだけあった。赤錆あかさびだらけの極太のくさりからめられた門に、光り輝く鉄製の錠前。


 駆け寄るふたり。


「この錠前、鍵穴が見あたらないぞ!」

「どうしてびてないんだ?」


 ふたりの関心ごとは違っていた。


 鏡面仕上げが施された珍しい形のその錠前は、ゆいいつ正面にだけ3本の縦溝が彫られている。そして飛龍が言ったように上下前後左右どこにも鍵穴らしき穴が見あたらないのだった。雨風にさらされ続けてなお錆がない理由に関しては謎である。


「これは……です」


 錠前を手にした灯翠が、敬語でつぶやく。

 そして重く冷たい顔へと変化していった。


「どうしたというのだ。いつにも増して暗い顔になっておるぞ」


「そうですか? ただ、父のことを思い出していただけです。この錠前はわたしの父が作った錠前です」



 急にうずいた左目を押さえる。



「この錠前に見覚えがあるということは、いつものように解錠できるのだな」


「それは……わかりません……」


 今までの灯翠ならば目を輝かせて錠前に駆け寄ってもおかしくないない状況――なのにこの反応はいったい?


「この錠前に鍵はありません。というか必要ないんです」


 そう言って、中央にある3本の縦溝の真ん中、その側面にほんのわずかにある凸部を爪先で押す。すると「カチッ」という音が鳴った。


「これで1手順終了です」


 音が鳴るのを確認した後、迷うことなく錠前をひっくり返し下部を上面に向けた。


「ん? さっきまではこんな穴は開いてなかったぞ」


「はい。2手順目はこの穴の奥にある突起を押します」



 灯翠は片膝を立てしゃがみ込むと、スカートの裾をまくる。そして、太股ふとももに結び付けていた二つ折りの布をほどく。地面に広げられたその布には、色々な形の解錠道具が綺麗に並べられ収納されていたのだった。



「商売道具ですのであまりじろじろと見ないでください」


「そ、そうではない……」


 飛龍は視線を逸らし口籠くちごもる。普段からあまり動揺を見せない飛龍の態度を見て、灯翠もようやく気づいた。捲りあげられた裾からは肉づきのよい太股が、その付け根部分まで露わになっていた。目の前の錠前に集中するあまり彼女は気づかなかったのだ。


 顔ばかりか耳までも真っ赤に染めた灯翠は、慌ててスカートの裾を正した。その後、なにごともなかったかのように布から細長い針金を取りだすと、錠前の穴に差し込む。再び「カチッ」という音が鳴った。


「この穴は本来水抜き用に開けられる穴なのですが、この錠前では仕掛けのひとつとして利用されています」


 外で使われることを前提にした金属製の錠前には下部に水抜き用の穴を開け、雨対策をとる。(南京錠の鍵穴近くにある穴と同様)灯翠は慎重に錠前の腹部分ををつまみ横移動スライドさせる――すると、等間隔に並んだ3個の歯車があらわとなった。


「問題なのは次の三手順目です。左の歯車が偽物フェイクであることまではわかっているのですが……」


 額に溜まった汗を袖でぬぐう。


「なにを悩む、お主らしくもない。いつものように思うがままにやってみればよいではないか?」


「……ここからは手順を間違うと仕掛けられたわなが発動します」


「な、なんと!? これは単なる錠前ではないというのだな」


 身を乗り出し驚く飛龍。


「はい。本来、錠前のは、鍵としてのの高さを意味します。それだけ複雑に作れると言えば分かってもらえるでしょうか。しかし、これは違います。鍵を解錠しようとする者に対し危害を加えることにこの厚みが使われているのです」


 錠前の中核部をじっと観察する灯翠。


「どうしてそんな物騒な仕掛けを?」


「さあ。それはわたしにもわかりません。ただ、父はなぜか鍵師をうらんでいたように思います」


 そう言って、真ん中の歯車を左回りに1回転させた。「カチッ」という音とともに左の歯車が高速で回転し抜け落ちる――灯翠は咄嗟とっさに顔を横にずらした。



 なにも起きてはいない。



「どうやら解錠の手順を間違えたようです。本来なら抜け落ちた歯車の下から毒針が飛んでくる仕掛けだったのですが、なぜか発動しなかったようです」


「なにをサラッと言っておる。一歩間違えれば命がなかったかもしれんだろうに」


「その点は問題ありません。経験していますので……」


 この一言で飛龍の抱く疑問が晴れた。


 いつにも増して暗い顔をしていたこと、急に押さえた左目、普段と違うしゃべり方、解錠できるかわからないと答えたにもかかわらず、こうして罠にもしっかり順応できていた。


「気にさわるようなら答えなくてもよい。以前お主が言っていた、幼少のころ事故で左目を失ったというのは錠前の解錠に失敗してのことなのか?」


「飛龍様は本当によく頭が回りますね。正確にはこれと同じ型のからくり錠を玩具オモチャがわりにして遊んでいるときに起きた事故ですよ。運悪く毒針が左目に刺さってしまいました」


「あのめ!」


 怒りを露わにする飛龍。


「あの~ 以前訂正し損ねたのですが、わたしは辺境の他で祖父とふたりで暮らす田舎者。父はわたしが事故にあったその日に家をでて行ってしまい、それっきり帰ってきていません。飛龍様と初めて会ったあのとき2階から顔をだしていた者は祖父の取引相手であって父ではありません」


「な……なんと!? どうしてそんな重要なことを最初に言わなかったのだ!」


「聞く耳を持っていただけないことには、こちらとしてはどうしようもありませんでしたので……」



 頭の回転は早いが、たまに肝心なところで勘違いをして失敗してしまうのがこの男の悪い癖。



 灯翠のが錠前にゆいいつ残された右側の歯車を回すと、「ガチッ」という鈍い音と共に『からくり錠』は解錠されたのだった。

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