第4話 龍望皇帝

 美玉メイユー妃候補と夜警宦官の結託けったくによって、盗人の濡れ衣を着せられてしまった灯翠ヒスイ。未だ無言をつらぬく上官の飛龍フェイロンたんに巻きえを食らっただけのワン夜警宦官――果たして3人の運命は?



 自身の思い通りにことが進み満足げな表情を浮かべる美玉。侍女頭の瑞瑞ルイルイに尚書(刑部)へ行きぞくの侵入を報告するよう指示をだした。


「待ってください。美玉様!」


 ここまで無言を貫き通していた飛龍がついに口を開いた。


「わたしに灯翠を説得させてください」


「よい判断ですよ飛龍上官。その説得認めましょう」


 飛龍は一礼し灯翠のそばまで近づく。その後、彼女の肩に腕を置き、美玉に背を向けるような形で話しかけたのだった。


「まずいことになってしまったな」

「わたしはあんなものってないぞ」


勿論もちろんわかっている。説得と言ったのはお主と話をするための口実にすぎない。だが、これだけは覚えておけ。後宮は虚偽きょぎすら真実となってしまう恐ろしいところなのだ」


 小声で話を進めるふたり。


「そんなのどう考えてもおかしいだろう!」

「ではこの場をどう切り抜ける?」

「それは……今、考えているところだっ」

「わたしが時間を稼ぐ。その間になにか突破口を見つけるのだ。よいな」


 飛龍は答えを聞くことなく、その場で反転しひざまずいた。


「説得はできませんでした。力及ばず申し訳ありません」


「いいえ。心を痛める必要などありませんことよ飛龍上官。そうだわ! わたくしからもひとつ提案があります」


 不敵な笑みを浮かべ、羽扇うせんあおぎながらその提案を伝える。

 

「賊に成り下がった無礼な女など見捨てて、今後はわたくしだけに忠義を尽くしなさい。そうすればあなただけは救って差し上げますわ」


「おい! 卑怯だぞ」


 前にでようとする灯翠を制する飛龍。


「残念ですが美玉様に仕えるつもりはありません。わたしと灯翠は一蓮托生いちれんたくしょうの関係ですので!」


 迷いのないまなこで答えたのだった。


「……そうですか。せっかく与えた好機チャンスをみすみす逃し、わたくしの顔に泥を塗るなんて本当に信じられないですわ。いいでしょう、わたくしを怒らせたことを後悔させて差し上げます。尚書にそなたたちの処分をゆだねようと考えていましたが気が変わりました。窃盗の実行犯であるこの女の腕を即刻そっこく切り落とし、痛みに苦しみもがく姿を堪能した後、共謀きょうぼう罪で3人とも尚書へと連行するといたしましょう」


 羽扇の先が灯翠に向けられると、曹が帯刀たいとうする刀を抜いた。


 侍女たちが総出で灯翠を押さえる。


「わたしは盗みなどやってないし、嘘もついてない。信じてもらえるまでなんどだって言ってやる。嘘つきはあいつだ!」


 無理やり床に伏せさせられながらも必死に抵抗する。しかし、数の暴力にはかなわなかった。


「悪く思うな小娘」


 耳元で曹が呟く。そして、刀が振り上げられた。


 そんな状況下でも灯翠は決して曹から視線をらさなかった――今にも刀が振り下ろされようとしたその瞬間だった。いつのまにか曹の横に移動していた望夜警宦官が、刀をにぎる曹の手元をつかみ、男の動きを制すると、足を払ったのだった。



 曹は空中でを描くように一回転し、その場に倒れ込んだ。


 全員がこの一連の動きに見惚みほれ、望から視線を逸らすことができなくなっていた。



「茶番は終いだ!」



 仮面の下からはっせられたそれは、とても低く冷徹れいてつな声だった。


上長じょうちょう(目上)に対してなんたる無礼! だれでもかまいません。その者をとらえなさい」



 慌てふためく美玉の言葉に従う者はだれひとりいなかった。その理由わけは――。



 美玉を完全に無視する形で、望が飛龍に向かって話し始める。


「妃候補の教育がなってないぞ飛龍!」


「すみません。美玉様は勉強会にはいっさい参加されておりません。いつも適当な理由をつけては、サボっておいででした」


「うむ。たしか美玉は、欧家のひとり娘だったな。甘やかされて育った結果がこれなら、もうここに置く必要もあるまい」


(ひょっとして……こいつ飛龍より偉いのか?) 


「それに比べ灯翠はよい。他人を思いやる心を持っている。ただし、それだけではこの後宮で生き残ることはできぬと思え。今回は貸しとする」


「はっ!」


 完全に無視された美玉は、顔を真っ赤にして扶手椅ふしゅいから立ち上がると、羽扇を扶手に叩きつけようとする。一瞬、躊躇ためらったようにも見えた行動だったが、結局、羽扇は床に叩きつけられ壊れてしまった。


 承認欲求の強い彼女は無視され続けることがたまらなく腹立たしかったのだ。


(なんだ? 今、違和感を覚えたような……)



「このわたくしを無視するなんていい度胸です!」



「度胸という点においてはお主も同じだぞ。なにせ、の声を聞いてもなにも感じぬのだからなっ」


 そう言って、望夜警宦官は仮面を外したのだった――頭巾でまとめられた長い銀髪に、色白の整った顔。柳の葉のような細く美しい眉、澄んだ青い瞳。長い手足。そして、なによりも圧倒的な存在感を周囲に放っていた。


「そ、そんな……」



 膝からくずれ落ちる美玉。侍女たちはすでにその冷徹な声で望夜警宦官の正体に気づいていた。だからこそ美玉の命令に従うことができなかったのだ。



 一同がひざまずく。


 灯翠にとっては初めてその姿を見る新皇帝。それでもその圧倒的な存在感が本能を刺激し、気づけば周囲と同じ行動をとっていた。


「美玉。荷物をまとめ、世話係りとともにここから去れ!」


「…………陛下…………。少々やり過ぎた感はありましたが、わたくしは純金のくしを盗んだ犯人に罰を与えようとしただけです。その行為自体は間違えていないはずです……どうかご慈悲じひを……」



「ではひとつ確認したい。その櫛はお主がいつも寝室の枕元に置き大切にしていたと瑞瑞が言っていた。それは本当か?」



「はい。間違いありません」

「それは今晩もか?」


「当然です。後宮に行くことが決まった日に父からいただいた貢物プレゼントで、わたくしにとってはとても大切な思い出の櫛でもあります」



「そうか。ではその大切な櫛を灯翠がどうやって盗めたというのだろうな?」



「えっ……寝室に入っていない……?」


 美玉が床に倒されたままの曹を見る。男は目を大きく見開きハッとした表情を見せた。


「賊の捜索で雷鳴宮内を隅々まで調べた我々だが、お主の尊厳を尊重した飛龍が、寝室だけはその対象から外していたのだ。疑うなら賊の捜索を灯翠とともにした曹にくがよい」


「そうなのか?」


「はっ……はい。まっ……間違いありません」


 美玉の問いかけに、男が動揺を隠せぬまま答える。今夜の騒動を冷静に俯瞰ふかんする龍望皇帝の驚くべく観察眼だった。


「となるとだ。だれかが灯翠のそでに櫛を入れたことになる。そしてそれがだれなのかは、この仮面が教えてくれる」


 龍望皇帝はそう言って、狐の仮面に蝋燭ろうそくの明かりを近づけ純金の櫛を眺めたのだった。


「この仮面の目は決して飾りではないのだ。特殊な加工が施された薄膜フィルムが貼られていて、光越しに覗くと指紋が浮かび上がって見えるのだ。指先の紋様は人それぞれ異なり、生涯その形は変わらないのだそうだ。どれどれ……今白状するなら命までは取らぬぞ……」



「ヒィー。すみませんでした。わたしが美玉様に命じられ仕方なくやりました。事前に櫛は渡されていて、賊の捜索中にこっそり小娘の裾の中に入れました。どうかご慈悲じひを……」



 倒れていた曹が慌ててその場で土下座し懇願こんがんする。


「陛下、だまされてはいけません。曹の言っていることは全部嘘で……」


「見苦しいぞ美玉。実のところお主にめられたと言う妃候補たちはほかにも数名おるのだ。だからこそ、こうして余が夜警宦官に成りすまし調査を続けていたのだ」


 美玉は項垂うなだれ動かなくなった。


「本日をもって美玉は後宮から追放とする。荷物をまとめ即刻ここから出て行け。曹はむち打ち30回の刑の後、辛者庫しんじゃこ送りとする」


「御意!」



 飛龍が曹を拘束し、尚書に連行する。


 

 龍望は項垂れる美玉に近づき、そっと顔を耳元へと寄せささやいた。


「追放だけで済まされると思うな。今後、真央しんおう国は、欧家との商取引を全面的に禁止する。実家に戻ってもお主の居場所はもうないだろう」



 弱った美玉になおも追い打ちを与える龍望の冷徹な態度を目の当たりにした灯翠は、背筋にゾクゾクッとするものを感じなぜか興奮していた。それがマゾ気質の感情であることを、このときの彼女はまだ知らないのだった。



(な、なんだんだこの不思議な感情は……)

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