第37話 フィリップス長官の決断

ー イギリス東洋艦隊 旗艦 戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』長官室 ー


日本がマレーシア攻略作戦に向けて準備が進める中、シンガポール英海軍基地では、イギリス東洋艦隊の動きが慌ただしくなっていた。


イギリス情報部の報せで、日本陸軍がマレーシアへ攻めてくるだけでなく日本海軍が輸送船団の護衛も兼ねて参戦するとの事だ。

イギリス海軍・軍令部次長の経歴もある、イギリス東洋艦隊司令長官『親指トム』ことサー・トーマス・スペンサー・フィリップス大将は、『プリンス・オブ・ウェールズ』の長官室で考え込んでいた・・・・。

(相手も我々と同じ、最新鋭の戦艦と聞いている。普通ならば、相手にとって不足無しと考えるが、戦艦の数では厳しいな・・・。)

フィリップス長官が不安になるのも、仕方なかった。

イギリス東洋艦隊の旗艦である『プリンス・オブ・ウェールズ』の主砲は35.6cmで、巡洋戦艦『レパルス』の主砲は38.1cmとはいえ真珠湾の基地施設への砲撃に参加した3隻を相手には、やや不利だった。

更に、空母の戦力面でも微妙な形だった。

イギリス側はイラストリアス級装甲空母の『ヴィクトリアス』、『インドミタブル』、『ハーミズ』の3隻にしかいない。

アメリカからイギリスに売却されている急造空母を加えても、万全とは言えなかった。

正直、何らかの対策を取らないと厳しいと考えられた。


また、フィリップス長官が不安だったのが、日本艦隊の司令官が遠藤だからだ。

実は、フィリップス長官は遠藤がイギリスに短期間で留学していた時に、数回、面識があった。

イギリス海軍のノウハウを学ぶだけでなく、これまでの固定概念を覆す考えを語るなど若いのに大した青年だと遠藤を高く評価していた。

今回、アメリカとの初戦である真珠湾奇襲攻撃でも航空機動艦隊の一つを率いていたのが遠藤だった事からも、フィリップス長官の不安は拭いきれないのだった。

「まさか、敵同士で再会する事になるとは・・・・。それでも、私は全力で戦わなければならない・・・・。」

フィリップス長官は、呟いた。


そして、フィリップス長官はある『決断』をするのだった・・・・。


ー 1942年8月8日 マレー半島コタバル沖 ー


遠藤の暗殺未遂事件や強硬派と親独派に対する楔の打ち込みなど慌ただしい日々であったが、いよいよマレーシアの攻略作戦が発動した。


そして早朝のコタバル沖には、『土佐』が2隻の駆逐艦に護衛されながら近付きつつあった。

戦艦『土佐』の狙いは、山下率いる陸軍の上陸を援護する為の艦砲射撃をする為だった。

艦砲射撃後は、本作戦に参戦している空母から攻撃隊が発艦して上空からの援護をする手筈になっていた。

そんな中、『土佐』の防空指揮所では遠藤、鼓舞、草鹿がいた。

「さて、いよいよ作戦が始まるけど、『鬼が出るか蛇が出るか』だな・・・・。」

そんな遠藤の言葉に鼓舞と草鹿はキョトンとしていたが、すぐに答えた。

「今作戦も大変ですが、それよりも山本長官の方で起きた『騒動』の方が、大変でしたよ・・・・。」

「その結果、宇垣さんが改装された『伊勢』と『日向』で編成された第二戦隊の司令官として前線に参加していますからね。」


鼓舞と草鹿が疲れ切ったような表情で話していた『騒動』は、本作戦の一ヶ月前に起きた出来事だった。

山本の参謀長を務めていた宇垣が、山本に配属先を変えて欲しいと申請した。

彼が希望した配属先が、改装を終えた戦艦『伊勢』と『日向』で編成された第二戦隊の司令官だった。

第二戦隊は今回のマレーシア攻略作戦に参戦するのが決定していたが、今作戦ではイギリス東洋艦隊との艦隊戦が発生する可能性が高かった。

そのため、生粋の鉄砲屋だった宇垣は、第二戦隊の司令官として今作戦に参戦したいと山本に申請した。 

とはいえ、宇垣がいなくなった後の参謀長を誰が務めるかになった時に、宇垣が自分の後釜に推薦したのが山口だった。

宇垣と山口は海軍兵学校の同期でもあり、宇垣は『未来の連合艦隊司令長官』と言われる山口を評価していて、山口ならば大丈夫と推薦した。


だが、この話を聞いた山口が激怒して宇垣の元に怒鳴り込んできた。

山口からしたら、まだ前線で戦いたいと考えていたから、いきなり山本の参謀長として陸上勤務をさせられるということに激怒したのだった。

二人とも大喧嘩一歩手前だったが、周りにいた士官たちが慌てて止めるなどの騒ぎになってしまった。

これには、山本も頭を悩ます事態になり、急遽、遠藤も呼ばれて話し合いの場が設けられた。

話し合いの結果、今回は臨時措置として今作戦で山口は参謀長代理を務めて、今作戦の終了後に宇垣が参謀長に戻るという形で決着した。


ちなみに、この騒動は一週間くらい続き、山本や遠藤だけでなく鼓舞と草鹿も巻き込まれて、宇垣と山口を説得するのに苦労したのだった・・・・。


ー マレー半島コタバル沖 イギリス軍視点 ー


1942年8月8日早朝、コタバル沖辺りにいるイギリス軍は、戸惑っていた。

既に上層部から、日本陸軍がコタバル沖から上陸を目論んでいるのを聞かされていたが、正直、半信半疑だった。


やがて、見張り員からの報告で半信半疑が全て吹き飛んだ。

「敵艦が接近っ!何なんだ・・・、あの巨大艦はっ!?」

報告を受けた将兵達が、そちらに視線を向けて絶句した。

夜が明ける中、見えたのは見た事が無い巨大な戦艦が2隻の駆逐艦に護衛されながら現れたのだから、無理もなかった・・・。

そんなイギリス軍の将兵たちを気にすることなく、戦艦の主砲全てがコタバル沖にいるイギリス軍の陣地に向けられた時、自分達に降り懸かる惨状を理解した事でイギリス軍の将兵たちは一斉に持ち場から逃げ出した・・・。


一方、戦艦『土佐』の防空指揮所にいる遠藤の元には、乗組員達からの報告が相次いだ。

「『土佐』、コタバル沖にでの艦砲射撃準備、完了しましたっ!!」

「シンゴラには『長門』と『陸奥』が、そしてパタニにも『伊勢』と『日向』が配置して各自、艦砲射撃準備完了との連絡が来ましたっ!!」

今回、『長門』と『陸奥』はシンゴラに対して、『伊勢』と『日向』はパタニに対して陸軍の上陸支援に参加していたのだ。

勿論、各自、駆逐艦4隻が護衛に付いていた。

結果、コタバル沖だけでなくシンゴラとパタニにいたイギリス軍・英印軍・オーストラリア軍・義勇軍もまた、戦闘前なのに阿鼻叫喚の地獄絵図みたいなパニック状態になりながら、持ち場を放棄して次々と逃げ出した。


やがて、靖田艦長から、

「艦砲射撃、いつでも出来ますっ!!」

彼の言葉を聞いて、遠藤は全艦に命じた。

「全艦、各敵陣地への艦砲射撃、開始っ!!」

その瞬間、『土佐』からは41cm砲が、『長門』と『陸奥』からも41cm砲が、『伊勢』と『日向』からは36cm砲が、一斉に敵陣地に向けて火を噴いた。

加えて、6隻の主砲から放たれた主砲弾は通常の砲弾ではなく、焼夷弾だった。

開戦前から研究や開発を極秘裏に進める中で、今回の実戦に初めて投入された。

結果、数回に渡る砲撃により通常の砲弾と違う形で次々と焼夷弾が着弾して、敵陣地は簡単に瓦解していくのだった・・・・。


戦後、この場面に遭遇して生還した元イギリス軍人達は、周囲の人々に語り続けた。

「あの艦砲射撃は、天からの雷かと本気で思ってしまったよ・・・・。我ながら、良く生き延びたなと本気で思った・・・・。」

そう語る彼等の表情には、もう二度とあんな思いはしたくないという疲れ切った感じであった・・・・。


それだけ、日本の戦艦隊による艦砲射撃がイギリス軍将兵たちに与えた心理的効果は、絶大だった・・・・。


ー イギリス東洋艦隊・旗艦 戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』 艦橋内 ー


フィリップス長官の元に、コタバル沖にいたイギリス陸軍から緊急伝が届いた。

「巨大戦艦による艦砲射撃で、コタバル沖のイギリス陸軍の陣地は瓦解したとの事ですっ!!」

誰もが予想していたから、大きな動揺はしなかった。


しかし、続く報告にはフィリップス長官達も愕然とした。

「シンゴラ及びパタニにも、2隻ずつの戦艦による艦砲射撃を受けたとの事。何れも、識別表には無い戦艦だそうですっ!!」

4隻の未確認の戦艦の登場は、予想外だった。

ざわつく幕僚たちや乗組員達にフィリップス長官は、

「落ち着きたまえ。冷静に対応して行こう。通信兵は、続報が有るか確認に行ってくれ。」

フィリップス長官の言葉を受けた通信兵が無線室に戻った中、フィリップス長官に声を掛けたのは、イギリス東洋艦隊参謀長のパリッサー少将だった。

「長官、4隻の戦艦は新造艦でしょうか?」

フィリップス長官は、少し考えてから答えた。

「答えは、ノーだな。本国の情報部によると、日本はアメリカとの開戦前から所有していた戦艦4隻をドック入りさせていたそうだ。多分、近代化の大改装をする為に。」

「それでは、シンゴラ及びパタニに現れた4隻の戦艦は?」

パリッサーの問いにフィリップス長官は、

「恐らく、改装されたナガトタイプとイセタイプだろうな・・・。」と答えた。


ちなみに、真珠湾に現れた日本海軍の3隻の新型戦艦については、その後の調査で1隻は新型戦艦の『土佐』だったが、残りの2隻が改装された『長門』と『陸奥』であることがアメリカとイギリスの情報部によって判明している。

正直、新型戦艦『土佐』、改装された長門型戦艦2隻と伊勢型戦艦2隻を合わせたら、合計5隻相手は厳しかった・・・・。

しかし、フィリップス長官はむしろ落ち着いていた。

日本がマレーシア及びシンガポール侵攻計画を進めていた辺りから、フィリップス長官はイギリス海軍軍令部にある申請をしていた。

その申請内容は、正直、無茶苦茶な内容だった。

フィリップス長官が申請したのは、艦隊の増援を要請したのだ。

増援要請した艦船は、ロイアル・サブリン級戦艦を4隻、ネルソン級戦艦の『ネルソン』と『ロドネイ』だけでなく最新鋭のキング・ジョージ五世級の『デューク・オブ・ヨーク』と『アンソン』の8隻だった。

老朽艦のロイアル・サブリン級だけでなく最新鋭のキング・ジョージ五世級も要請してきたことから軍令部は猛反対したが、軍人としてだけでなく軍政家としても優れているフィリップス長官の考えと決意があった事から、その報せを聞いたチャーチル首相が渋る軍令部に発破を掛けた事でアメリカで急造された空母なども含めて8隻の戦艦、急造空母2隻、巡洋艦4隻、駆逐艦10隻を急遽、派遣させたのだ。


そして、増援艦隊が東洋艦隊と合流したら初戦のアメリカ太平洋艦隊に勝るとも劣らぬ艦隊規模になる。

しかし、従来の知識が今の日本艦隊には通じないのも、フィリップス長官からすれば百も承知だった。

それでも、打てる手を全て出してでも、挑まなければならない。

今のフィリップス長官は、正に『背水の陣』の構えでもあった・・・・。


ー 戦艦『土佐』艦橋内 ー


一方、艦砲射撃により敵陣地が壊滅したことから、山下が率いる陸軍が三箇所から上陸を開始していた。


もちろん、敵の反撃に備えて『大鳳』、『白鳳』、『舞鶴』、『紅鶴』からは陸軍を支援する航空隊が発艦していた。

ただ、『翔鶴』と『瑞鶴』の2隻は改装に遅れが生じてしまい、今作戦は不参加となっていた。

また、『大鳳』、『白鳳』の第七航空戦隊の司令官は臨時で原が務めている。


現段階では侵攻作戦は順調だったが、脅威となるイギリス東洋艦隊の所在が未だに摑めない状況だった。

そんな遠藤たちの元に、イギリス東洋艦隊の情報が届いた。

それは、マレー半島周囲の全海域に展開していた潜水艦部隊の1隻からの連絡だった。

潜水艦『伊65』がマレーに向かっているイギリス東洋艦隊を発見したのだが、問題は艦隊規模だった・・・。

報告によると、発見されたイギリス東洋艦隊東洋艦隊は、戦艦9隻、巡洋戦艦1隻、空母5隻、巡洋艦12隻、駆逐艦22隻で編成されているという内容だった。


すぐに、上陸中の陸軍と戦艦『土佐』に緊急伝で報告された。

戦艦『土佐』の艦橋内で緊急伝を受けた遠藤は、考えていた。

(予想以上に艦隊が増えているが、何故だ・・・・?)

そして、東洋艦隊の指揮官がフィリップス長官である事から、遠藤は気付いた。

短期留学でイギリスに滞在した時、遠藤はフィリップス長官と何度か面識があり、彼は頭でっかちではなく、いざという時は大胆に行動する人である事を思い出した。

(そういう事か、あの人らしい・・・・。)


フィリップス長官の狙いに気付いた遠藤は佐野に言った。

「佐野っ!今すぐ宇垣さんと松田さんに連絡しろ。イギリス東洋艦隊との戦闘に備えて合流しろとなっ!!」

戸惑う佐野に遠藤は続けて、

「それと山下さんにも、連絡をしてくれ。急いでくれっ!!」

佐野はすぐに通信室に向かった。


(まさか、『親指トム』と一戦を交える事になるとは・・・。だが、こちらも負けるつもりは無いっ!!)

遠藤は、イギリス東洋艦隊がいるであろう方角に顔を向けながら、心の中で決意していた・・・・。



____________________


遂に始まったマレーシア及びシンガポールへの侵攻作戦。


それに対して、フィリップス長官は本国からの増援で戦力を増やしたイギリス東洋艦隊で阻止を目論んでいます。


この戦い、どんな展開になるのか・・・・。

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