第30話 帝都爆撃隊と選ばれた指揮官達
【帝都東京への爆撃を行い、アメリカの士気を高める】
このロー大佐が提示した起死回生の反撃策はキング長官を動かし、陸軍航空のアーノルド司令長官も賛成して、すぐにルーズベルト大統領に進言した。
勿論、ルーズベルト大統領も今回の作戦に大賛成だった。
早速、陸海軍双方で準備が進められた。
陸軍では、帝都爆撃用の双発爆撃機として何種類かが候補に上がり、最終的に選ばれた機体は『ノース・アメリカンB-25ミッチェル』だった。
ただ、B-25でも航続距離の関係があった為、対策として機体にあった銃器が撤去されたり、機内に燃料タンクの増設が行われた。
また、選ばれたパイロット達はヨークタウン級空母の飛行甲板と同じ枠で描かれた枠内から機体の発艦訓練を連日行った。
なお、B-25爆撃隊の指揮隊長は、初のアメリカ横断飛行を成し遂げた、ジミー・H・ドーリットル中佐が抜擢された。
そして、海軍ではB-25を16機搭載するヨークタウン級3番艦の空母『ホーネット』と巡洋艦2隻・駆逐艦4隻・給油艦3隻で編成された第18任務部隊(日本本土空襲任務)と、第18任務部隊を護衛するヨークタウン級の1番艦の空母『ヨークタウン』と巡洋艦2隻・駆逐艦4隻・給油艦3隻で編成された第16任務部隊(護衛任務)で構成された二つの艦隊が編成された。
そして、二つの艦隊に抜擢されたのは、二人の提督だった。
第18任務部隊の指揮官に抜擢されたのは、レイモンド・A・スプルーアンス少将。
第16任務部隊の指揮官に抜擢されたのは、フランク・J・フレッチャー少将である。
真珠湾近海での戦いで戦死したハルゼーは、スプルーアンス少将の上官でもあった。
彼にとってはハルゼーの仇討ちも兼ねて今回の作戦に挑もうとしていた。
こうして、訓練や準備が進みクレーンで16機のB-25を空母『ホーネット』に搭載して、1942年3月下旬にサンフランシスコを出航して、欺瞞情報や欺瞞ルートで日本の帝都東京を目指した。
そんな中、『ホーネット』の艦橋内でスプルーアンスは今年明けに再会した、元太平洋艦隊司令長官だったキンメルとの話を思い出すのだった・・・。
ドーリットル隊と共に帝都東京を目指す中、スプルーアンスは2ヶ月前に再会したキンメルとの会話を思い出した・・・。
今から約2ヶ月前・・・、1942年2月頃、ロー大佐が反攻計画の準備を進めている中、スプルーアンスはキンメルと会っていた。
そして、二人の他にキンメルの後任となったアメリカ太平洋艦隊司令長官チェスター・W・ニミッツ・シニア大将もいた。
少し疲労感があるが、何かを悟った感じのキンメルにスプルーアンスが挨拶をした。
「お久しぶりです、キンメル少将。一時は入院したと聞きましたが・・・。」
ハワイから本土に戻されたキンメルとショートは、今回の責任を取らされて少将に降格の上に閑職に異動となった。
ただ、ルーズベルト太平洋や陸海軍上層部は国民世論を気にしてか二人は予備役入りにはしなかった。
だけど、精神的な疲れもあって、キンメルは一時、入院していた。
そんなスプルーアンスの気遣いにキンメルは、
「ありがとう、レイ。少なくとも日常の仕事や生活に支障は無いよ。そして、ニミッツ君、貧乏くじを引かせてしまったが太平洋艦隊の事を頼むよ。」
「ベストを尽くします・・・・。」
キンメルの言葉にニミッツは、そう答えるしかなかった・・・・。
今回、ニミッツとスプルーアンスがキンメルに会いに来たのは、対日戦のアドバイスを聞きたかったのもあるが、キンメル自身が二人に伝えたい事があったから面会を希望したのだった。
そして、キンメルはニミッツとスプルーアンスに言った。
「今回の戦いは、日本相手ではなくヤスオ・エンドウ一人に挑む様に心懸けてくれ。」
キンメルとショートは自分たちの処分後に色んな伝手を通して遠藤の存在を知っていた。
二人は、キンメルの言葉に戸惑った。
「何故ですか?貴方を敗北に追い込んだエンドウに関しては、ある程度の情報を得ていますが・・・。」
ニミッツの言葉にキンメルは首を左右に軽く振りながら言った。
「彼は、君達が尊敬するアドミラル・トーゴーの生まれ変わりと言っても良いくらい、軍人としてだけでなく軍政家として優れている・・・。彼を若輩者と侮る事は、アメリカ合衆国の没落に繋がってしまう事を肝に銘じてくれ。」
そう言い終えたキンメルの言葉に、若い頃、東郷平八郎に会って彼を尊敬していたニミッツとスプルーアンスは、反論する事すら出来なかった・・・。
(キンメル少将の言う通り、今回の作戦は油断せずに全力で挑まないと・・・・。)
スプルーアンスは、内心、最後の最後まで油断が出来ない事を確信していた・・・。
ー 1942年4月 駿河湾 ー
ドーリットル隊が日本の帝都東京を目指している頃。
日本の駿河湾では、一つの艦隊が訓練も兼ねて航行していた。
呉と長崎で竣工し第七航空戦隊の配属になった大鳳型空母『大鳳』と『白鳳』を中心として、第一巡洋戦隊の『鳥海』と『摩耶』。
第一防空戦隊の『阿賀野』と『能代』。
第四駆逐隊の『野分』、『嵐』、『萩風』、『舞風』、『秋雲』。
そして、給油艦2隻が随行する中で試験航行が行われていた。
空母『大鳳』の艦橋内では、乗組員達が各作業に対応していた。
勿論、『大鳳』を空母に改装した当事者である遠藤の他に樋端もいた。
なお、鼓舞と草鹿は今回も書類関係処理のために不在だった。
この際、遠藤は鼓舞と草鹿から恨み節を言われたが、遠藤はスルーした。
「テスト航行は、順調だな。」
遠藤は隣にいる『大鳳』艦長に抜擢された長谷川大佐に声を掛けた。
「はい、速力は最大で34.5ノットでした。やはり、『土佐』、『長門』、『陸奥』と同様に最新の動力機関にしたお陰ですね。」
実際、『大鳳』と『白鳳』だけでなく、『土佐』、『長門』、『陸奥』も最新鋭の動力機関にした事で『土佐』は34ノット、『長門』と『陸奥』は29.5ノットの速力が出せる様になって、文字通り『高速戦艦』になった。
他にも、準大和型空母は新しい装備が施されていた。
対空高角砲は、速射率の高い65口径九八式・長10cm連装高角砲を採用。
更には、アイランド型艦橋に本格的に取り付けられた2基の21号改対空電探(レーダー)がある。
以前に開発された21号電探は不具合などで性能の不安定があったけど、更なる研究及び改良で21号改対空電探が完成して取り付けられていた。
他にも、対空兵装には25mm三連装機銃の他に、試作だが12cm30連装対空噴進砲改が装備されている。
対空噴進砲は、いわゆるロケットランチャーだが、初期タイプは幾つかの問題があって研究&改良したのが、今回の対空噴進砲改であり対空機銃に匹敵する弾幕が展開出来る様になった。
勿論、真珠湾の戦いで得た『戦訓』を参考に改修した部分も大鳳型空母には取り込まれていた。
やがて、21号改対空電探に反応があって電探担当員から連絡があった。
「左舷後方から、複数の機影が現れましたっ!!」
「来たか・・・・。」
もう一つの主役に、遠藤たちは視線を向けた。
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遂に反撃に向けて動き出したアメリカ太平洋艦隊。
一方、史実では『大和』と『武蔵』として誕生していた船体をベースに建造された2隻の大鳳型空母によるテスト航行。
大日本帝国海軍は如何に対応するのか・・・・。
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