第10話

 沈黙、コーヒーの香り、新聞が揺れる音。私に突き刺さる視線。背中にやるせなさがのしかかる。

「私は、その教団の信徒の一人でした」

 記者が目を見開くのがわかった。壊滅した組織の生き残りに遭遇するなど、記者であるなら僥倖外ならない。

 私はもうどうでもよかった。誰かの好奇心の餌食にされてしまうのも、私の終わりとしては良いのかもしれない。もう、どうでもいい。

「不当延命されていたお方が失踪なさり、私は何も知らずに、その方を探すための旅に出ました。教団の人には止められました。無駄だと。そういうことだったんですね」

 私の探していた方は、もうとうの昔に死んでいた。死んでいるだろうという予測はしていたのに、嫌な形でその事実を知ることになってしまった。いずれ知ることとはいえ、別な知り方をしたかった。……そう願うのは、欲張りだろうか。

 ……そもそも、私は信じたくなかったのだ。キミカさまが死んだなどと。だから、少女にさえ、「探し続けて」と言わせてしまった。どこにもいないとわかっているのに。

 記者は呆然としていた。自分の中の好奇と戦い、戸惑っているようだった。恰好の獲物がいるというのに、えもいわれぬ何かに阻まれているかのように。

 マスターが、そっと私にハンカチを差し出した。それはほんのりと綺麗な黄色がかかっていて、私はひまわりを思い出した。ひまわりは赤みが強い色もあれば、こうした淡い色のものもある。そのどれもがあの方に似合うから、ひまわりのようだ、と私は形容した。

 受け取ったハンカチを私は祈りを込めるように胸に抱きしめた。きっと、涙を拭ってほしいという優しさから差し出されたものだ。けれど、私の涙でこの色を汚すことはできなかった。

 いっそ、愚かと笑ってくれたなら、私もこんなに泣かずに済んだだろうに。

「あの……」

 控えめに記者が声をかけてきた。私はそちらを振り向き、瞬きで応じる。

 不謹慎かなぁ、という風にごもごもとやった後、記者は意を決して私に問いかけた。

「教団にいた頃のこと、お聞きしても?」

「もちろん」

 是非もなかった。

 もう私一人で抱えるには重すぎたのだ。キミカさまとの思い出、教団での生活、最後に見たのは笑顔だったのかどうかさえ、曖昧になっていたとしても、私にとっては何ものにも変えがたい思い出だ。

 最期まで、抱えて逝きたい。けれど、この世にその痕跡が一つもなくなるのは惜しいことだ。それなら、誰かの享楽でもいい、一欠片を残したい、そう思った。

 私ももう、残す側なのだ。


 教団に入ったのは、幼い頃、入院したときに隣にいたキミカさまに焦がれたからだ。あれが友愛だったか親愛だったかは知らないが、私が抱いていたのは確かに愛情だった。

 キミカさまは愛情深いお方だった。それは偶像として奉られてもおかしくないほどに。少なくとも、私はそれくらいお慕いしていた。

 教団の幹部になって、キミカさまの周辺のお世話……主に、花瓶の差し替えを行うにあたって、キミカさまとお話しする瞬間が得られることが至高の喜びだった。

 私はキミカさまのために生きているのだと確信していた。この方のお傍でお仕えするために生まれてきたのだとすら思えた。

 それはキミカさまを失った今も、変わっていない。だから、私は命尽きるその日まで、キミカさまを探し続けるだろう。

 私の中のキミカさまの笑みは絶えず、瞼を閉じればありありと思い描くことができる。

 私はとても、幸せだ。


 話しているのを、記者は茶々を入れることもなく、じっくりと聞いていた。マスターはそんな記者を珍獣でも見る目で見ていた。

「……記者さん?」

 あまりにも呆けているものだから、私も心配になり、目の前でひらひらと手を振る。記者はようやく眼鏡の奥の瞳をぱちくりとした。

「し、失礼しました。お話を聞いていたら、とても神聖なものを見ている気分になって」

「それは確かに」

 マスターも記者に同意するが、私は訳がわからなかった。私の語りはそんなに素晴らしいものでもなければ、物珍しいものでもないはずだ。こういう宗教の盲信者なんて、世の中を探せばごまんといるだろう。

 それを伝えると、マスターは柔らかい声でいいえ、と告げた。

「自分を盲信者だと気づいている人物は少ないものです。そして、こんなにも長く、同じ人を慕い、その人のために時間を割き、心を割く。なかなかできることではありません」

 記者も朗らかに紡いだ。

「あなたはあなただけにしかできない生き方をしてきたんですね」

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