第11話

 私はきょとんとした。

 私にしか、できない生き方。

 私は私の人生を悔いたり、不幸だと思ったことはない。私は充分すぎるほどに幸せだし、キミカさまを思うだけで幸せは得られた。

 けれどそれが自分にしかできないと思ったことはない。教団の人々は皆そうだと思っていたし、キミカさまのおかげで一時でも幸せを得られた者は少なくないはずだ。

「それは、そうかもしれませんが」

 記者は持て余したように録音機を弄る。記録をとるのに使おうと思っていたが、私の話に使うのは無粋だと判断したらしい。別に、私は晒されてもいい、くらいの気持ちで話したのだが。

 記者は眼鏡をかちゃりとかけ直して告げた。

「他の誰も、あなたのようにその人を探すために旅に出たわけじゃないでしょう? 仮にいたとしても、こんな何十年も探すなんて……」

「気狂いだと思いますか?」

「ええ、でも人のことは言えません。新聞記者も気狂いですから」

 気狂いだというのなら、何故録音機を使わないのだろう。何十年も前の記事を掘り返しても意味がないからだろうか。

「コーヒーのおかわりはいかがですか? サービスです」

「あ、じゃあ、僕にも頂戴よ、マスター」

「……あなたの分はびた一文まけませんからね」

「きーびしー」

 私はおかわりをもらうことにした。私に声をかけてきたときからわかっていたが、この記者はここの常連客らしい。

 常連とマスターの他愛ないやりとりに、笑みが零れた。気づけば、カップも空になっていたのだ。ここのコーヒーは格別に美味かった。

 マスターが記者を示して、呆れ交じりに語る。

「この人はそうですね、好奇心は猫をも殺す、という言葉に逆らいながら生きているのです」

 聞いたことのある成句だ。好奇心を抱いた猫。猫というほど愛くるしくもないが、好奇心の塊は、一目見たときから感じ取れた。でなければ、常連でもない客に、いきなり声をかけたりはしないだろう。

 弄び飽きたのか、録音機を仕舞い、記者はぴん、と人差し指を立てた。

「全ては出会いだよ、マスター。マスターも一時限りの出会いを目撃したいから、喫茶店なんてやってるんだろう?」

「否定はしません」

 全ては出会い。その言葉は私の心に響いた。

 旅に出なければ、私は彼女に出会えなかった。彼女に出会っていなかったら、孤独に、ぼろぼろになって、泥を啜り、血を吐きながらでもキミカさまを探し続けただろう。こんな穏やかな空間で、コーヒーを堪能することはなかったはずだ。

 そもそも、キミカさまに出会っていなければ、私の人生は彩りなく終わっていただろう。神を信じない家の庭で、冷たくなって埋められるのだ。

 家を捨てたことを悔いることもできないのは、やはり不孝者なのかもしれないけれど、やはり、それでもかまわない、と私は思ってしまうのだ。

 これでよかった。キミカさまを探してよかった。キミカさまに私の人生を費やしてよかった。優しい人たちに出会えてよかった。

「っと、そろそろ場所変えないと嗅ぎ付けられるな」

「あなたは毎回毎回何から逃げてるんですか……」

 マスターの呆れ声に「内緒!」と笑った顔は爽やかだった。冴えない感じは拭いきれていなかったが、綺麗で、無垢で、無邪気な笑い方をする人だ。先程の猫という例えがぴったり当てはまるほどの。

 会計にコインと紙幣をいくつかざっくり置いた記者が、私に振り返る。

「そういえば、あなたが慕っている方ってどんな人? 噂程度に珍しい容姿としか聞いていないんだけど、できれば答えが知りたいな」

 それを聞かれて、私は随分と久しぶりにあの方の容姿を口にした。

「灰色の髪で、ひまわりのような……教団では黄金と言われていた、そんな目をした、女性とも男性とも区別がつかないお方ですよ」

「え?」

「え」

 何かおかしなことを言っただろうか。記者は目を見開き、マスターも皿を拭いていた手を止めるくらいに驚いている。

 恐る恐るといった様子で、記者が私に尋ねる。

「その人って、髪は顎くらいで、ちょっと内側に巻くような癖がついていたりしない?」

「え、そうですが……」

「嘘でしょ……」

 話が読めない。

 何故遠い街の新聞記者が、キミカさまの特徴を知っているのだろう?

 落ち着いて聞いてね、と記者は座り直した。

「僕、その人に毎朝会ってる」

 私は息を飲んだ。

 嘘とは思えなかった。金色の目の人なんて、そうそういない。けれど、キミカさまは、体が弱くて、不当延命によって生きるのがやっとで、何十年も、経ってしまっている。

 どう考えたって、生きているわけがない、と少女も言っていた。それは、どんなに足掻いても認めざるを得ない事実だったはずだ。

 会わせてほしい、と思わず口にしようとしたのを、私は止められた。記者の言葉の方が早かったのだ。

「あのね、他人の空似かもしれないんだ。だって、その人、生きてりゃあなたより年を食ってるはずだろ? 僕には二十か三十にしか見えないんだ」

「会いたい」

 希望を否定されて尚、私はそう言葉を紡いだ。心の底からの望みだ。教団を出、街を飛び出したときから、その望みを忘れたことは片時もない。キミカさまの笑顔を夢に見るほどに、私はキミカさまのことを求め続けたのだ。

「会いたいです、会いたい……」

 そのためだけに、今まで生きてきたといっても過言ではないくらいなのだ。

 どうか、一度だけでも、幻でも。

 他人の空似でも、奇跡でも、なんでもいいから。

 すがる私の目に、苦々しい顔をして、記者は場所を教えてくれた。

「十四番ストリート。そこに毎日早朝、新聞をもらいに来る。人違いでも文句は言わないでおくれよ」

「ありがとう」

 私はくしゃり、と先程借りた淡い色のハンカチを握りしめた。

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