第9話
私は世界をさまよった。キミカさまを探して。
最初から、私の人生はキミカさまに捧げるためにあった。もしかしたら、私がキミカさまを探そうとするその前から、いや、教団に入ろうとする更にその前から、そうだったのかもしれない。
誰にどう言われようと、私は私の人生を悔いることはない。悔いてしまえば、今までキミカさまのために歩いたことが無駄になってしまう。何より、キミカさまという存在を否定することになる。キミカさまを崇拝する者として、決してそれはしたくなかった。
とはいえ、私も年を取った。キミカさまを探して、足を棒にすることは簡単だが、たまには休息も必要だ。……そういう心の余裕が持てる程度には、私は落ち着いていた。
少女といた頃は、落ち着いているように見せて、いち早くキミカさまに会いたい、と焦燥に駈られていた。幼い女の子と歩幅を合わせて歩けなかった。彼女が私に合わせてくれていたのだ。
私は雰囲気のある喫茶店に入った。老舗という感じだ。置かれているもの一つ一つに年季と品を感じた。けれど、新聞が置かれていたりする辺り、きちんと情報共有の場として機能しているようだ。
からん、と鳴ったベルは女の子の声のように可憐に転がった。
「……初めてのお客さまですね。いらっしゃいませ」
「コーヒーはありますか?」
「はい。他にも軽食等ございますが」
「コーヒーを一杯」
「かしこまりました。気が向くようでしたら、メニューをご覧になってお待ちください」
マスターが穏やかな物腰で言い、奥に戻っていく。私は示されたメニュー表を手に取り、見るともなしに見た。頭に文字の羅列は入ってこない。
まだ、焦燥は燻っているのだ。いくら見ないふりをしても、私はキミカさまのことしか考えられない。これでも自分を律せるようになった。
喫茶店に立ち寄るのは久しぶりだ。旅を共にしていた彼女が、黙ってはいるものの、お腹を鳴らしているものだから、こういったお店に入ることはあった。今思うと、彼女がいなければ、私は今頃もっとぼろぼろになっていたのかもしれない。キミカさまのためなら、飢えも旅の疲れも気にしなかっただろうから。
盲目的だった。今だって、キミカさまのことを考えていないときの方が少ないけれど。
彼女と少年は上手くいっただろうか。彼の両親が彼女を認めてくれればいいな。人生の半分以上を今のところ私との旅で占められている彼女が、今度は人生の半分以上を本物の家族と過ごせるなら、それ以上のことはないだろう。
コーヒーの独特の苦みを帯びた芳ばしい匂いを嗅ぎながら、私はそんなことを考えた。キミカさま以外のことも、考えられるようになった。
誰かの幸せを願うのは、とても尊い時間だ。彼女と旅ができてよかった。キミカさまが見つかっても見つからなくても、彼女と出会えたことは幸せだった。だから、旅に出てよかった。
そう思っていると、コーヒーが差し出された。
「お待たせ致しました」
「ありがとうございま」
がたーん!!
狂ったように扉の鈴がりんりんと鳴く中、入ってきたのは丸眼鏡とカメラが特徴的な癖毛の人物だ。冷めた眼差しで見つめるマスターにすがりつく。
「匿って!!」
「ここは都合のいい隠れ家ではございません」
冷たく返すマスター。慣れているようなやりとりだ。日常茶飯事なのだろうか。
「静かにするから!!」
「既に大声なのですが……お客さまに迷惑をかけないでくださいよ」
「ありがとう!!」
マスターは人差し指を口に当てる。この人は本当に隠れる気があるのだろうか、と見ていると、その人はとてとてと歩いてきて、私の隣に座った。私は少し驚きながら、こちらに目配せをしてきた相手に会釈する。
「常連さんじゃないね。どこから来たんですか?」
目が合うなり質問が飛んできて、私は戸惑った。
まあ、この街の人間でないのは確かなのだが、初対面で随分ぐいぐいくるな。しかも匿ってと言っていたのにこんなに堂々と会話していいのだろうか。
「ええと……長いこと旅をしているので、生まれたのは……」
出身地を言うと、丸眼鏡の向こうの目が零れんばかりに見開かれた。
「それって、何十年か前、集団殺人事件があったところじゃないですか!」
「え」
「店では静かに」
「あ、はい」
マスターには逆らえないのか、声をひそめる。新聞記者だと名乗った丸眼鏡の人物に、私は事の仔細を聞いた。
何十年。それくらい、私が街を出てから経っている。思わぬ故郷の便りに、私は興味を持たざるを得なかった。
何より、「集団殺人」という物騒な言葉が気になった。あそこには珍しい容姿の人物を奉る変わった宗教があるだけで、治安はよかったはずだ。
「それがですね」
あまりいい話ではないからか、記者は囁くような声で続ける。
「あの街にいたなら、教団のことはご存知ですよね? あの街を牛耳っていたという……」
「牛耳っていたわけではないですが……」
やはり、街から街を渡ってきた噂話というのは得てして脚色されるものらしい。わりときっぱり返した私に記者は驚くが、私は話の続きを促した。
「殺害されたのは、全員、教団の者だったそうです。なんでも、少し前に行方不明になっていた人を不当延命していたとか、特定の人物を神の子に仇なす者として殺したとか、黒い噂がわんさと出てきましてね。まあ、火のないところに煙は立たないというか、叩けば叩くほど埃が出るというか」
不当延命、特定の人物の殺害。聞き覚えはあった。心当たりもあった。キミカさまが楽しそうに髪を結っていた女の子の友達。彼は誤ってキミカさまの指を切ってしまったと言われていた。が、その直後に事故で亡くなった。いくらなんでも不自然だと私でも思ったのだが、そのすぐ後にキミカさまがいなくなられて、私はそれどころではなくなってしまった。
不当延命、という言葉にあの人の言葉を思い出す。
「キミカさまはお亡くなりになられたのです」
妙に断定的だったその意味が、今ならわかった。
キミカさまはもう、己の寿命を超えてらしたのだ。医術によって生かされていただけ。それが病院から抜け出したなら、数刻と保たずに死ぬのは明白なことだった。
「あ、あの、大丈夫、ですか……?」
記者が私の顔を覗き込んでくる。慎重に、腫れ物に触るように言葉を選ぶ。
「ショックですよね、地元の人が死んだなんて……軽率でした。ごめんなさい」
「いえ……いいえ」
私が涙を流すのは、そういう理由ではない。私という個人の非力さに、無知に嘆いていたのだ。
幹部だったのに、お傍にいたのに、私は何一つとして知らなかった。肝心なときにお傍にもいられず、お守りすることができなかった。
「私は、何をしていたのだろう……」
嘆きは沈鬱な雰囲気になった喫茶店の床に落ちた。
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