第8話

「キミカさまはひまわりのような方でした」

 敬語は相変わらず、抜けない。

「金色の目を持っていて、それを珍しがられ、奉られていましたが、あの方はお体が弱く、ずっと病院で生活していました。

 けれど、あの方が病院の庭を歩くとき、窓から射し込む光に包まれたとき、日だまりの中にいるあの方は、ひまわりのように輝いていました。あの方はある人にとっては神様だったのかもしれません。けれど、私にとっては確かにそこに煌めく、命ある人間でした」

 私が彼女に……朱色の上着の袖丈が合うようになった少女にこれを語って聞かせるのは何度目だろう。そして、あと何回、聞かせられるのだろう。

 この子と出会ってから、何年も何年も何年も、ずっとキミカさまを探し続けた。彼女は私がキミカさまをひまわりと形容するたびに、神妙な面持ちでひまわり色のストールを握る。今だってそうだ。無意識のうちに癖になっているのかもしれない。

 何年探しただろう。年は確実に重ねているのに、心はあの頃のままだから、私だけ取り残されている気がする。少女はこんなに大人になったのに。

 初めて、この話をしたとき、彼女は逡巡していた。ひまわり色のストールはキミカさまを思って選ばれたものだ、と賢いこの子は気づいていた。だから捨てたい、という思いと、持っていたい、という思いの狭間で迷ったのだという。私は捨ててもいいよ、と言ったのだが、彼女は手放すことなく、大人になった。

 大人になった少女は、キミカさまを探しに来た街で、同い年くらいの少年と恋をした。お互い、一目惚れだったという。ロマンチックな話だ。

 それなら、もう付き合ってくれなくていいよ、と手を放そうとした私の手を少女は掴んだ。あのときみたいに。手放せば飛んでいってしまう風船を、掴まえるみたいに。

 そうして、あのときと同じように、あなたの探している人の話をして、と言ったのだ。もう何回何十回と話している内容だ。聞いていて飽きないのだろうか。話す私は飽きないが。

 キミカさまとの思い出は、一度だって霞んだこともくすんだこともない。色褪せない写真を瞬きごとに撮っていた。

「あのさ」

 少女は普段の勝ち気さが失せ、表情の大幅を躊躇いと気まずさに割いていた。

「もう、やめたら? 旅するの」

「……」

「だって、どう考えたって」

「……」

「その人、もう……」

 私たちは互いの目を見ていられなかった。私は皺の増えた自分の手を眺める。乾燥して、がさがさで、とても綺麗とは言えない。心と違って、体は確実に老いていた。

 少女が言わんとするところを私はわかっている。私がわかっていることをわかった上で、少女は深呼吸を一つ、事実を告げた。

「その人もう、死んでるじゃない」

 私にそんなことを言えるのは、世界中探しても、唯一彼女だけだろう。

 いつの間にか、哀れになっていたのは、私だった。

 探し人が見つからず、何十年と経ってしまった。どう考えても、私より十数年長く生きているキミカさまが生きているはずがなかった。

 元々、お体も弱かったのだ。もしかしたら、あの街を出たあのときから、私は無駄足を踏んでいたのかもしれない。

 あの人の言っていた通り、お亡くなりになられたのだ。

「あなたって、他人のためにばかり感情を使うのね」

「え……?」

「その……キミカさまにもう会えないから、泣いているんでしょう?」

 それはその通りだった。頬を伝う熱は悔恨ではなく、キミカさまを失った喪失からのものだった。

「私、あなたを泣かせたかったわけじゃないわ……」

「うん、君は優しいもんね」

「あなたね……」

 はあ、と少女は溜め息を吐いた。

「一つ、提案があるの」


 少女が衣服を脱ぎ捨てるのには、天晴れなほど躊躇いがなかった。こういうところはあの頃から変わっていない。

 けれど、すぐに別な服を着た。黒いドレス。喪服だ。

 喪服には不似合いなひまわり色の明るいストールをつけて、彼女は私の手を引いた。

 一つの門出と二つのお別れだった。

 誰もいない空き地で、もう着ない服を、少女は雑多に地面に放った。土煙が微かに立つ。

 少女は小さなバッグから、マッチ箱を取り出して、マッチを側面に擦りつけた。

 ぼっとすぐに灯った炎は凶暴な赤い色をしていた。

 それを少女は地面の服に放った。それは一種の火葬だった。葬儀というものを知らない私は、炎の色の中にひまわりのような朗らかな色を見つけて、胸が痛んだ。

 ひまわりのストールは、少女の首に巻かれたままだ。彼女とは約束をした。

「万が一によ? その人が子孫を残しているかもしれない。血が繋がっていなくても、ものすごくそっくりな人が生まれてくるかもしれない。……そうしたら、このストールをその人に譲るわ。受け取れなかった、キミカさまに渡すみたいに」

 だから、あなたは旅をやめないで、と先とは矛盾したことを少女は言った。

「あなたには生きててほしいの。うんとうんと長生きして、わたしの子どもが生まれたら、自慢してやるんだから」

 それは死なないでほしいということだった。立ち止まらないでほしいということだった。私からキミカさまを奪ったら、何も残らないから。

 もしかしたら、私を黙って送り出したあの人も、同じことを察していたのかもしれない。聡明な人だったから。

 服を灰になるまで燃やして、簡素な葬式は終わった。

「お別れね」

「……うん」

 これには、もう一つ、意味があった。少女とのお別れだ。

 一番最初に買った服を燃やして、少女と私の縁をなかったことにする。……なかったことになど、少しもならないのだが。

「私は死ぬまで、キミカさまを探し続けるよ」

「最初から、そのつもりだったんでしょう。……ごめんなさい、最後まで付き合わなくて」

 少女は申し訳なさそうにしていたけれど、私は。

「そのストールを燃やさないでいてくれてありがとう」

 とだけ告げて、その場を後にした。

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