第6話

 浴室を借りたが、女の子はやり方がわからない、というので頭を抱えた。確かにストリートで生まれ育ったのなら、お風呂に入るという概念はないだろう。それでも異臭がしなかったのは、雨の日に水浴びをしていたらしい。

 裸になる、という行為には躊躇も羞恥もないものだから、何故かと問えば、服を脱いでいるだけでお金をくれる人がいたという。色々な意味でがばがばなストリートだな、と思った。

 この子には、それなりの倫理観と常識、それから年頃の女の子らしいお洒落を教えた方がいあだろう……なんて思うのは、お節介だろうか。キミカさまがそうしていたからつい、私もそういう考えを持ってしまう。

 キミカさまは女の子でも男の子でも、まず隣の子どもの髪は鋤いていた。男の子は寝癖を整えるだけだったが、女の子は髪を編んであげていた。髪の短い子でも器用に編み込んでいて、すごい人だな、と私は感嘆していた。

 キミカさまは情報の移り変わりに非常に興味を持つお方で、新聞の他にも、俗人が読むような雑誌も読んでいた。それで、お洒落などに精通していたのだろう。

 私は浴室でこの子の栗毛を泡立てていた。残念ながら私はそういう方面に疎いので、使っているシャンプーがいいとか悪いとかはわからない。人肌より少し温かいお湯で、優しく痛まないように、髪を洗う。それくらいしかできない。これも、キミカさまの世話係の一人からの受け売りだが。

「お湯と水なんて何が違うんだろうって思ってたけど、気持ちいい」

 初めて知った小さな幸せに顔を綻ばせる女の子を私は鏡越しに見た。まだ腫れの引いていない頬が痛々しい。どんな仕打ちを受けてきたのか、聞きたくもない。

 同時に、この子は立派だと感嘆する。私が想像もしたくないような状況で、こんなに幼いのに、逞しく生きていたのである。

「ねえ」

「ん?」

 女の子が私を見上げる。碧い目が、緑と青の狭間を彷徨いながら、私に問いかける。

「なんであなたはわたしを助けるの?」

「助けているのかな。君が私と一緒に旅がしたいと言ったんだよ」

 女の子は顔を俯ける。鏡に映った女の子の目は不安げにゆらゆらと揺れている。

「逃げないで。わたしは聞いてるの。あなたがいいひとか悪いひとか」

「いい人?」

 そう、と女の子は目を瞑った。泡を流すよ、と声をかける。水と白いふわふわがさらさら女の子の肌を伝い落ちていく。

 一通り流し終えると、女の子はぱちりと目を開け、再び私を見た。

「聞きたいことが、たくさんあるの。あなたはわたしが女だったからわたしを助けたの? わたしが子どもだったから助けたの? わたしじゃなくても助けたの? ぶつかったから助けたの? わたしは、わたしは……」

 目を伝ったのは、先程のお湯の残りだろうか。まあそこは問い詰めるようなところじゃない。というか、今、問い詰められているのは私である。

 女の子は要するに、私がどういう目的で彼女の願いを聞いたのか知りたいのだろう。財布を盗まれなければどうでもよかった、とか、下心があった、とか、善人か偽善者か、とか。答え方によって、私はどうとでも映る。

 私はあまり嘘が得意ではなかった。自分で自分に嘘を吐くのは殊更下手くそだ。もし得意だったなら、私はキミカさまなどお慕いせず、今頃実家で家族と仲良く生活していただろう。この子とも出会わなかった。

 そんなもの、私ではなかった。

「君を助けたのは、偶然だよ。子どもだから助けたというわけじゃない。でも君のことを哀れだと思ったのは確かだ。きっと、老人だろうと大人だろうと、ストリートの人間の身の上話を聞かされたら、私は簡単に絆されただろう」

「……そう」

「でも、だからこそ、ぶつかってきたのが君でよかったと思うんだ」

「え」

 女の子が俯きかけた顔を上げる。その目には期待と不安が入り交じった光が宿っていた。私の言葉一つで絶望するし、希望を見出だすだろう。

 私はどちらに導けるかわからなかった。思いのままを告げる。

「君みたいに聡明で優しくて、無垢な心を持った子が旅の供なら、一人で進まなきゃならないと思っていた気持ちが、少し楽になる」

 そう、私は家も捨て、家族も捨て、一人であの方を探し出すつもりでいた。

 本当に、この出会いは偶然で、私のやっていることは偽善なのかもしれないけれど。

 本当はひとりぼっちになりたくなかった。

「……わかった」

 女の子は神妙な面持ちで頷く。

「改めて、これからよろしく」

 にこりと彼女が笑うのはとても可愛かった。

 キミカさま、私はもう随分とあなたの笑顔を見ていません。

 教団を出て、望む生活を手に入れたあなたは、笑っていますか?

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