【完結】ロザリオと桃の缶詰(作品230625)

菊池昭仁

ロザリオと桃の缶詰

第1話 教誨師

 細い針のように雨が降っていた。

 ただでさえ陰気な刑務所の中で、#教誨師__きょうかいし__#の牧師、大湊は憂鬱だった。


 目の前の29才の死刑囚は、夫婦と小学生の子供たち2人を惨殺後、冷蔵庫を開けてアイスを食べながら死体をスマホで撮影していたという。

 そんな人間に何を改心させろと言うのだろう?


 その男はしきりに貧乏ゆすりをしていた。

 私はまず、天気の話をすることにした。


 「外は雨が降っています。雨は嫌ですね?

 でも、そのイヤな雨がないと・・・」


 その若者は私の話をすぐに途中で遮った。


 「牧師さん、これから死刑になるボクに、お説教しても無駄ですよ。

 雨はイヤだけど、雨がないと大地は潤わないとでも言いたいんですか?」

 「人間は死の、死のその瞬間まで悔い改めることが出来るのです。

 さあ、あなたが犯した罪の許しを神に祈りましょう、私と共に」


 その死刑囚は私に顔を近づけ、唾を吐いた。

 私は何も言わず、ハンカチでそれを拭った。


 「何のために?」

 「神様はすべての人間に対して平等に愛を与えて下さるのです。

 たとえ死刑囚のあなたでも、犯した罪を懺悔しなければならないのです、人間として」

 「死んだらそれで終わりですよ。この世から消えてなくなるだけ、泡のようにね?」

 「終わりではありません。死後、人は神によって裁かれるのです」

 「許したり裁いたり、どっちなんですか? 神様って?」

 「神様は我々の創造主です、父上なのです」

 「創造主? 父上? ただ男と女がセックスして子供が出来るだけですよね?

 そしてボクは親から虐待され、学校でも職場でも虐められて大人になりました。

 悪魔の大人にね。ふふっつ。

 死んだら体が焼かれて灰になるのに、どうやって裁くんですか? 

 死んだらそれで終わりですよ。

 早くボクを死刑にして下さいよ、なるべく痛くないように。

 麻酔とかしてくれないんですかねえ?」

 「肉体は滅んでも魂は残るのです」

 「魂? 何ですかそれ? 牧師さんは魂って見たことあんですか? 写メとか撮りました? 

 撮ったなら見せて下さいよ」

 「魂は目には見えません。でも確実に存在するのです。

 そして魂は永遠に不滅なのです」

 「見えない? 見えない物を信じろと?」

 「魂は死後、肉体から離れ・・・」

 「牧師さんさあ、見たことないんだろう? 見たの? 魂?

 見たなら信じるよ、そして死後の裁判も実際に見たことあるならアンタの話、信じてあげるよ。

 俺は見た物しか信じない。自分で見た物しか信じない」


 突然死刑囚の口調が変わった。

 おそらく、別の人格が現れたのだろう、顔の表情も変わっていた。


 

 私は激しい敗北感と無力感を携え、刑務所を後にした。

 傘を差しながら、歩道の水溜まりを気にして歩いた。

 3日前に買ったばかりの靴を履いて来るべきではなかったと、私は後悔した。


 (あの時私は、彼をどうやって諭すべきだったのだろう?)


 そもそも私は人に説教出来る人間ではない。

 私自身、常に迷い、苦悩を抱えて生きていたからだ。


 神学校を出て牧師になって10年、何も変わらない毎日。

 そんな私を信者さんたちは「牧師先生」と慕ってくれる。

 プロテスタントでは信者同志を家族として接するので「田中兄弟」「伊藤兄弟」と、名前に兄弟と付けて呼び合う。人は皆、神の子供だからだ。


 収入の1割を教会に寄進し、幸福を願う。

 そしてその一部を私は受け取り、生かされていた。

 もちろん贅沢は望まないし、物欲もない。



 「牧師先生は清らかなお方ですね?」



 牧師になるには仏教のような厳しい難行苦行を強制されることはない。

 神道もあまり知られてはいないが、それ以上の苦行を自らに課している神官も存在する。

 つまり肉体に苦痛を与えることで、眠っていた神通力の覚醒を求めるのだ。


 それに比べて牧師には自分の肉体を痛めつけることはないが、厳しい戒律を守り、聖書を読み解き、信者をイエスに導く義務がある。

 牧師としての信者獲得と精神的な重圧は、並大抵の物ではなかった。




 教会に戻った私はひとり、礼拝堂で祈りを捧げ、瞑想した。

 十字架に架刑されたキリストの前で私は跪き、懺悔した。



 「主よ、私は牧師でありながら、あの若者をあなたの元へ導くことが出来ませんでした。

 私に彼を救い、あなたの元へ導く力をお与え下さい」


 もちろんイエスからの返事はなかった。

 私は執務室へ戻った。



 私には物欲はなかったが、男性としての性欲はあった。

 32才の私がそれを欲することは自然なのかもしれない。

 今日のようなストレスを受けるとそれは尚、助長された。

 神にお仕えする牧師の私が、女を求めることへの罪悪が私を苦しめた。

 それが聖職者である私にとって、いかに重罪であるか分かっている。

 だが、それに打ち勝つことが私には出来なかった。


 聖職者が色恋に溺れるなど、絶対にあってはならない。

 だが、やってしまう。

 今日もまた、出会い系のアプリには、色々な女性たちがアップされていた。

 長い黒髪の少し憂いのある女、新垣結衣のような爽やかな女性、金髪の巻き毛のギャルなど様々な女性が私にアプローチして来る。

 そんな中でひと際目を惹いたのが「桃子」という女の子だった。

 LINEで何度かの遣り取りをして、私と桃子は会うことになった。



 私は桃子という不思議な女子高生に、次第に翻弄されて行くことになるのだった。


 自分が牧師であることも忘れて。


第2話 汝 邪淫するなかれ

 上野の西郷さんの銅像の前で、私は桃子を待っていた。

 平日の夕方、4時30分。すでに待ち合わせの時間を30分も過ぎていた。


 (からかわれたのだろうか?)


 私がそこを離れようとした時、声を掛けられた。



 「大湊さん、ですよね? 桃子です」


 小首を傾げて腰を引いて微笑む桃子は、女子高の制服を着ていた。

 プロフィールにあったように本当に高校生なのだろうか? それともコスプレ?

 

 「もしかして、あなたが桃子さん?」

 「30分で諦めたかあー? 意外と気短さんなんだね?

 大湊さんのこと、ずっとあそこから観察してたんだよ。どんな人かなあって。

 中にはね、写真と全然違う人もいるんだよ。

 ジャニーズみたいだと思って行ったら、ハゲでデブ眼鏡のオジサンだったりすることもあるんだからあ、あはははは。

 大湊さんってイケメンさんだね? 

 年上だけど、私のメッチャ好みのタイプ。やだ、もうパンツが濡れて来ちゃった! あはははは」


 すると桃子は私の腕を取り、さっさと歩き始めた。

 やわらかいマシュマロのような胸が腕に当たる。

 それは少し計算されたようにも感じた。


 桃子は写真よりもカワイイ娘だった。

 身長は小柄で、セミロングの栗色の巻き毛をしていた。

 瞳はカラコンを入れているのか、少しブルーに見えた。

 桃子は歩きながら、出会い系の自分の「システム」について話し始めた。


 「桃子の『ピーチクラブ』に入るには入会金1万円なの。

 ピーチクラブってね、つまり桃子のファンクラブっていうことだよ。

 まずはそこに入会してもらいます。

 料金は1時間1万円。ホテル代はもちろん大湊さん持ち、食事代もそうだよ。

 それでどうする? エッチする? それともゴハンが先?

 モモちゃんね、今日は焼肉の気分なんだ。

 それからお金は前金でお願いします。もしバックレたらダメだかんね、モモちゃんには青龍会の権藤さんがバックに付いているからそんなことしたらお仕置きされちゃうぞ! ボコボコにされちゃうから気を付けてね。

 でもちゃんと払ってくれれば大丈夫だから安心して。

 ピーチクラブは明朗会計だから。あはははは」

 「えっ、お金取るの?」

 「あのねー、今どきタダマンなんて出来るわけないっしょ?

 だってモモちゃん、モノホンのJKなんだよー、涎出ちゃうでしょう?

 こんなにカワイイモモちゃんとヤレるんだよ、安いもんでしょ?

 それでどうすんの? ホテル? それとも焼肉?」

 「じゃあ、焼肉で」

 「オッケー! じゃあそこの『金剛園』にしよう!」


 そう言うと、桃子は私の手を引いて店の中に入って行った。



 「大湊さんは何を飲みますかー?」

 「私はウーロン茶を」

 「ビールじゃないの? 焼肉にはビールっしょ!

 真面目かっ! あはははは。マジウケるんですけどー!

 すみませーん! ウーロン茶と生ビール、大ジョッキで!」


 すると桃子は学生カバンからすぐにタバコを取り出して火を点けた。


 「大湊さん、タバコは?」

 「私は吸わないんだよ」

 

 飲み物が運ばれて来た。

 高校生の制服を着た桃子にはウーロン茶を、そして大ジョッキのビールが私の前に置かれた。


 すると桃子はすぐにそれを交換すると、小さな両手でジョッキを持ってゴクゴクと喉を鳴らしてビールを飲んだ。


 「ぷはー、ああウマーイ! 学校帰りのビールはたまんねえなあー! 大湊さんも飲む?」


 桃子は私にジョッキを差し出した。


 「君、本当に高校生なの?」

 「モモちゃんね、1浪だから今、19才。

 学生証、出そうか? だからビールをかっ喰らっても大丈夫なの。

 お酒とタバコは18からでしょう? モモちゃんは19才だもんねー、だから平気平気!

 大湊さんってイケメンなのに言うことホント、オッサンだよねー? ウケるー、あはははは」

 「モモちゃん、お酒とタバコは20才からだよ」

 「えっ、そうなの? うちの高校、バカ高校だから、みんな中学から、早いやつは小学校からやってるよ。

 お〇んこだってみんなやりまくりジョニーだし。あはははは」


 そのぞんざいな口ぶりとは真逆に、彼女はNiziUや欅坂、AKBよりも素敵なカワイイ女の子だった。

 雑誌の専属モデルのような娘だった。

 うれしそうに微笑むその姿は、まるでルーベンスの描く天使のようだった。



 「さあ食べようよ! モモちゃんジャンジャン焼いてあげる!」

 「ありがとう」

 「おじさーん! ビールお替りー! あはははは」





 食事を終えて店を出ると、私と桃子は上野のラブホ街へ歩き始めた。

 


 「いっぱい食べたねー、じゃあいっちょやるかー! エッチするぞー! あはははは」

 「モモちゃん、ちょっと声が大きいよ」

 「なんで? エッチなんかみんなやってんじゃん!

 それとも大湊さんって、彼女いないの? もしかして童貞君だったりして? あはははは」

 「いないよ、彼女は。

 だからこうしてモモちゃんを誘ったんじゃないか」

 「えっー! マジマンジ? それってマジなの?

 そんなにイケメンなのにー? ウケるー、あはははは」

 「だってそれでは浮気になってしまうじゃないか?」

 「バッカじゃないの? 2股3股なんかあったりまえしょ!

 モモちゃんだって、13人の使徒がいるのにー! あはははは」

 「じゅ、13人⁉︎」

 「そだよー、だってモモちゃんモテるんだもん。

 勝手に好きになられちゃうの、あはははは」


 桃子はよく笑う女の子だった。


 


 ホテルの前に来ると、

 

 「うん、かわいいカンジ。

 大湊さん、ここでいいよね?」


 そう言ってどんどん桃子は中に入っていった。

 手慣れたように部屋を選ぶとフロントで、


 「すみませーん、202号室で。

 あっ、私、高校生じゃないですよー、これ、コスプレなのー、彼のリクエスト。

 彼ね、変態君なの。あはははは」


 中年のフロントの女性が桃子と私をジロリと見た。


 「休憩は2時間になっています。

 零時を過ぎると宿泊料金になりますから注意して下さいね?」

 「はーい。行こう、ダーリン! 今日はいっぱいがんばってね? あはははは」



 ラブホテルにはいろんな工夫がされていた。

 お客同志が鉢合わせすることがないように、昇りと下りのエレベーターが別々になっていた。

 セックスをして来たカップルとこれからそれを行うカップルが、同じエレベーターに乗り合わせるのも気まずいからだ。



 その部屋は天蓋付きのベッドが置いてあり、しっかりと洗濯されたリネンの匂いがした。



 「お風呂にお湯入れて来るね?」


 短いタータンチェックのスカートからは水色のパンツが見え隠れしていた。



 「お風呂の準備オッケー! 時間はどうする? 2時間? それとも朝まで? あははははは」

 「じゃあ2時間で」

 「2時間ね? それでは2万円とピーチクラブの入会金1万円、それからさっきの焼肉デートの1時間で1万円ね? 合わせて4万円と消費税の10%がついて44,000円になります! あはははは」

 

 私は財布から50,000円を桃子に渡した。

  

 「ありがとうー。モモちゃんしあわせー!

 今日は特別にお口でごっくんしてあげるからね?

 おつりは6,000円ね? えーとえーと、1,000円、2,000円、3,000円・・・」

 「おつりはいらないよ」

 「エーッ! めっちゃうれしいんですけどー!

 じゃあ中出ししてもいいよ、モモちゃん、ピル飲んでるから大丈夫!

 大湊さんって社長さんとかなの?」

 「牧師なんだよ」

 「そうだったんだー、ボクサーだったの? 大湊さんて?

 どうりでスリムだと思った。

 じゃああっちの方もタフなんだ、楽しみ楽しみーっつ。

 どうしよう、モモちゃん、気絶しちゃったら。

 お〇んこ壊れちゃうかもー! あはははは」

 「ボクサーじゃなくて、牧師、教会の」

 「ああ、キリスト教の人? なーんだ、大湊さんて神父さんだったんだー?

 神父さんって儲かるんだね? あはははは」

 「私は神父ではないんだよ、プロテスタントでは牧師というんだ」

 「そんなのどっちでもいいじゃん、チ○ポでもボクサーでもさ、早くやろう、ああ、ほら、そんなこといってるからあと1時間45分になっちゃったじゃない。

 延長は30分5,000円と消費税は別だかんね?」


 私が服を脱ごうとした時だった。

 神の声が聞こえた。



      「汝、邪淫するなかれ」



 私は服を脱ぐのを止めた。


第3話 皆に先んじようとする者は 皆の下僕になるがよい

 「こんにちわー、すごーい。

 はじめて入った!

 教会ってこんなカンジなんだね? ドラマとおんなじだあ! あはははは」


 両手を広げ、礼拝堂を走り回る桃子。

 それはまるで天使のようだった。



 「よくここがわかったね?

 お茶を淹れてあげよう。食堂へどうぞ」


 私は紅茶の支度をし、先日、信者さんからいただいたチョコチップクッキーがあるのを思い出し、それを添えた。



 「いただきまーす!

 おいしい! 美味しい紅茶だね? とてもいい香りがする」

 「アールグレイという紅茶だよ。いい香りがするだろう?」

 「うん、初めて飲んだ」

 「それは良かった」

 「ねえ、牧師さん。この間の続きをしに来たんだけど」

 「ありがとう。でもここは教会だからね、神様に叱られてしまう」

 「神様っているの?」

 「もちろんいっらっしゃるよ」

 「どこに?」


 すると桃子は私にキスをした。


 「愛し合っちゃ駄目なの? エッチしなければ赤ちゃんはできないじゃん。

 人類滅亡だよ、地球が滅んでゾウさんやウサギさんやライオンさんだらけになって、草や木でボウボウになって砂漠が広がっちゃうんだよ。

 神様はそんな世界を望んでいるの? だったらどうして男と女がいるのよ? おかしいじゃない」


 桃子の瞳は吸い込まれそうなくらいにあどけなく澄んでいた。


 「子供を作るためのSEXは認められているが、快楽だけの行為は神様は望まれてはいないんだよ」

 「そんなのヘンだよ。だって男と女は裸で愛し合うように出来てるじゃない?

 あそことあそこがくっつくようになってるでしょ?

 牧師さんだって、この前はそのつもりだったじゃない」


 私は返答に窮してしまった。

 性欲の処理に出掛けたのは偽らざる気持ちだった。


 「じゃあ、性欲がある時は自分でオナニーしろっていうワケ?

 その方がよっぽどみじめでいやらしいと思うけどなあ。

 私はしないよ、する必要がないから。

 だって私には・・・」


 桃子はいつの間にか自分のことを「モモちゃん」とは言わず、「私」と言うようになっていた。


 「13人の使徒がいるんだよね?」

 「そうだよ、ヱヴァンゲリヲンみたいな元気溌剌な使徒がね?」


 私はクスっと笑ってしまった。

 それはキリストの13人の弟子たちを想起したからだ。

 桃子の使徒の中にはユダも含まれているのだろうか?


 「じゃあ食事に行こう、何が食べたい?」

 「お寿司」

 「どんな?」

 「回転寿司でいいよ、プリンもあるし」

 「プリンが好きなのか?」

 「大好き!」

 「たくさん食べていいからね」

 「ありがとう、牧師さん!」


 私は桃子と回転寿司の店に出掛けた。



第4話 主に感謝し 誉め讃えよ

「まずはプリン、プリンっと」


 桃子はプリンの乗った皿を、回転レーンから引き寄せた。


 「牧師さんも食べる? プリン?」

 「じゃあ私もひとつ、もらおうかな?

 でもモモちゃんはデザートが先なの?」


 プリンの乗った皿を桃子は慎重に取り上げると、静かに私の前にそれを置いた。


 「そうだよ。だって美味しい物は先に食べた方がいいでしょ?

 後で食べようとしたら突然、火星人が攻めて来たらどうすんのよ。

 折角のプリンが食べられなくなるかもしれないんだよ。

 そんなのイヤでしょ?」


 私は楽しくなった。


 「そうだね、好きな物や好きなことはすぐにやらないとね?」

 「そうだよ牧師さん、人生はあっという間なんだから。あはははは」


 桃子の言う通りだと思った。

 人生はアッと言う間もなく過ぎて行く。

 だがそれは、過ぎて初めて知ることだ。

 19才の少女がいう話ではないとは思うが・・・。



 「うーん、やっぱりプリンはガラス容器じゃないとねー。

 プラスチックだとプラスチックの軽さとニオイがイヤなんだ。

 それにプリンに欠かせないのがこのカラメルソース。

 このちょっと苦くて、あと0.5秒煮詰めたら焦げちゃうぞーっていう緊張感がたまらない!

 では火星人が来ないうちに早く食べなきゃ」


 彼女はプリンに両手を合わせ、「いただきます」を言って美味しそうにプリンを食べ始めた。

 

 「うっわー、ほっぺが落ちちゃいそー1]

 「モモちゃんは本当にプリンが好きなんだね?」

 「私ね、プリンを作るのも好きなんだよ。

 私の作るプリンは弟や妹たちにも大人気でね? ひとつひとつ作るのは面倒だから、ステンレスボウルで作るの。

 それをまた大きなお皿に載せて、その上からカラメルソースを掛けて4等分して食べるんだ。

 仲良くね?」

 「モモちゃんと弟さんと妹さん?」

 「それとおばあちゃんの分で4等分だよ」


 (桃子には両親がいない?)


 「モモちゃん、お父さんとお母さんの分は?」

 「死んじゃった。3年前にふたりとも」


 予想はしていたが、私は言葉を失った。

 もしかするとこの娘は19才でありながら、たったひとりで家族を養っているというのか?

 その時、背後から桃子に声を掛ける男がいた。

 

 「よう、モモ。真っ昼間から寿司屋でプリンとは随分と豪勢じゃねえか?」

 「あっ、権藤さん。若頭もお寿司を食べに来たんですかー?」

 「回転寿司は手っ取り早ええからな。

 モモ、ここでその若頭っていうの止めろ。人聞きが悪いからな?

 俺はこれでも「善良な市民」なんだぜ。税金もちゃんと払っているんだからよ。

 俺は待つのがイヤだから、目の前にもう並んでいるヤツでいいんだよ。

 その点、ここはいい。

 もう目の前に食いモンが流れて来んだからな?

 やれ、あれが旨いだのこれが不味いだのなんて言ってる連中みたいなこだわりは、俺にはねえしな?

 メシが食える、それだけで最高じゃねえか? そうだろう? モモ」

 「うん、私もそう思うよ権藤さん。

 本当だよね? 食べられるだけでしあわせだもんね?」

 「モモ、何かあったらいつでも俺に言え。

 俺はお前の守護神だからな?」


 その権藤という男は、薄茶色のサングラスから私を一瞥すると、向こう側の隅のカウンターに子分らしき2人と座った。

 


 「あの人が青龍会の権藤さん。

 私にすごくやさしいんだよー、私にはね。あはははは」

 「モモちゃんもあんな強い人がいれば安心だね?」

 「うん。あー、美味しかったー!

 ではお寿司、お寿司っと」

 「モモちゃん、よかったら私のプリンもどうぞ」

 「えっー、いいの! 実は狙ってたんだ。牧師さんプリン食べないから。では遠慮なく。

 ありがとう、牧師さん大好き! あはははは」


 桃子はうれしそうに笑った。 



 「モモちゃんはいつもよく笑うね?」

 「そうだよ、笑ってると楽しいでしょう?

 みんな間違ってるんだよ、楽しいから笑うんじゃなくて、笑うから楽しくなるのに。

 それに笑ってないと、泣きたくなる時もあるでしょう? だから私、馬鹿みたいにいつも笑っているの。あははは   あはははは」


 (泣きたくなる? この子も必死なんだ、生きるために)



 「さてと。じゃあねえー、まずはマグロでしょ、それからイカに卵焼きっと」


 桃子は100円の皿ばかりを選んで食べていた。


 「モモちゃん、もっと高いお寿司を食べてもいいんだよ。

 ウニとかイクラとか? ここは私が払うんだから」

 「ダメだよ。ここは私が払うよ。

 牧師さんから預かった3万円で」

 「いいんだよ、だってデートしてくれたら1時間1万円なんだろう?

 それが約束じゃないか?」

 「だったら私としてくれる? セックス?」

 「モモちゃん、声が大きいよ」

 「そうか? あはははは」


 その笑顔はとても美しい笑顔だった。

 私は神に祈りを捧げ、寿司皿を取った。


 今日の回転寿司は今まで食べたどの回転寿司よりも最高の味がした。


 私は桃子によって心が洗われる思いがした。



第5話 神々と隣人を愛せよ

 回転寿司を食べ終えた桃子は手を合わせた。


 「ごちそうさまでした。あー、美味しかったー。

 どうするこれから? ホテル、行っちゃう?」

 「いや、今日はこれで十分だよ。モモちゃんと一緒に食事が出来ただけで楽しかった」

 「なーんだ、つまんないのー。

 今日は生理前でやる気満々だったのにー」

 「ごめんね」

 「牧師さん、そこ謝るところじゃないよ。あはははは。

 じゃあ私、家にお寿司をおみやげにしてもらうね。

 自分ばっかり美味しい物食べちゃ悪いから。

 あっ、心配しないで、家族へのおみやげは自分で払うから」

 

 すると桃子はレーンに流れている寿司をパックに詰め始めた。

 しかも100円皿ばかりを選んで。

 


 「喜ぶだろうなあ、婆ちゃんとあの子たち」

 「モモちゃんは家族想いなんだね?」

 「そうかなあ? 普通じゃない? 働ける者が家族を支えるのは当たり前だよ。

 どこのお家もそうでしょう?

 パパやママが一生懸命働いて子供を育ててる。

 私の家にはお父さんもお母さんもいないから私が働いて家族を養う、当然だよ、牧師さん。 

 私が働かないと家族が死んじゃうし、学校にだって行かせてあげられなくなっちゃうもん。

 妹は高校2年生で学年トップなんだよ。凄いでしょ?

 私と違って頭いいんだよ、いつも勉強ばっかりしてる。

 将来、弁護士になりたいんだってさ。

 弁護士になるって大学に行かなきゃダメなんでしょ?

 だからもっと働いて、あの子を大学に入れてあげたいの。

 弁護士になる夢を叶えてあげたい。

 弟は中学3年生でサッカーが上手なんだ。

 これがまたお金が掛かるんだよねー。

 やれ合宿だの遠征費だのとか。

 それにスパイクやユニフォームもだよ。

 婆ちゃんの年金を宛てにしちゃかわいそうだしね? あはははは」

 「区役所とかには相談はしたの?」

 「したよ、でもなんだか面倒なことばっかり言うからさ、相談しても無駄。

 「親戚は? 伯父さん伯母さんはいないの?」とか言われて?

 ウザいでしょ? そんなのばっかり。

 頼れる人がいないから相談に来てるのにね?

 それなら自分でなんとかしないとって思った」

 「ご両親は?」

 「何で死んだかって? お父さんはね、自動車を作ってたんだ。

 「やっちゃえ」のコマーシャルの会社で。

 過労死って言うの? 心筋梗塞で死んじゃった。

 お母さんはお父さんの後を追って自殺。

 愛していたんだろうね? お父さんの事。

 私も大好きだった。

 お父さんもお母さんも・・・」

 「ごめんね、思い出させてしまって」

 「ううん、平気」



 会計の時、私がおみやげの分も払おうとすると、

 

 「いいよ牧師さん、預かったお金で払うから。

 すみません、私が払います。いくらですか?」

 「2,389円になります」

 

 桃子は自分のシェリーメイの財布から、おつりが出ないようにと慎重に小銭を数えた。


 「はい、丁度いただきました。ありがとうございます」


 店員は微笑んで私たちを見送った。

 仲の良い兄妹だと思ったのかもしれない。




 店を出ると、桃子が私に言った。


 「牧師さん、私の家に来ない?」

 「どうして?」

 「狭い都営住宅なんだけどさー、あの子たちを安心させてあげたいんだよね。

 私がヘンな仕事で稼いでると気にしているからさあ。

 だから、牧師さんが私の婚約者になって欲しいんだ。でも迷惑だよね? ごめん、ヘンな事言っちゃって」


 私は桃子の家族がどんな生活をしているのか興味があった。

 

 「いいよ、私で良ければ。

 でも嘘はダメだよ。付き合っている牧師さんだって紹介してくれないかな?」

 「ありがとう牧師さん!

 でもいいじゃん、どうせ私たち結婚するんだからさ。あはははは」




 そこは築40年以上の都営住宅で、ポストは錆付き、壊れた自転車が放置されているようなところだった。

 5階建ての3階の隅が桃子の家で、西日しか入らない部屋だった。



 「ただいまー! お寿司買って来たよー!」

 「おかえりー」


 勉強をしているのか、奥の部屋から女の子の声が聞こえた。



 「あれ、婆ちゃんは?」

 「23号棟の小野寺さんに行ったよ」

 「そう、じゃあ直人と婆ちゃんの分だけ残して食べていいよ」

 「モモ姉ちゃんは?」


 すると妹さんが出て来て、私をジロリと一瞥した。

 学校のジャージを着た、ショートヘアの女の子は澄んだ鋭い瞳をしていた。



 「私はこのイケメンさんと食べて来たから大丈夫。

 お腹空いたでしょ? 早く食べなさい」

 「このお兄さん、モモ姉の彼氏さん?」

 「そうだよ、姉ちゃんね、大湊さんと結婚するんだ! あはははは」


 やはり私は桃子の婚約者にされてしまった。


 「大湊です、教会の牧師をしています。

 桃子さんとお付き合いさせていただいています」

 「すごくいい人なんだよ、大湊さんて」


 その女の子は急に明るい笑顔になった。


 「モモ姉ちゃんにも付き合っている彼氏、いたんだね?

 彼氏を家に連れて来たのなんて、初めてじゃない?」

 「そりゃあお姉ちゃんだって彼氏ぐらいいるわよ。もう19なんだから」

 「モモ姉ちゃんは美人だもんね?

 大湊さん、お姉ちゃんをよろしくね?」

 「こちらこそ、よろしくね」


 利発そうな子だと思った。

 部屋の中はキチンと片付けられ、掃除も行き届いていた。

 あまり物はなかった。

 桃子は両親の仏壇に稲荷寿司を供えると、鐘を鳴らして手を合わせた。



 お参りが終わると、桃子はインスタント珈琲を淹れてくれた。


 

 「牧師さん、何もないけどどうぞ。

 お砂糖とミルクは?」

 「ありがとう、ブラックでいいよ」


 妹は寿司をそそくさと食べ終えると、また部屋に戻って机に向かった。


 「美樹はね、いつも暇さえあればああやって勉強しているんだよ」

 「偉いね?」

 「我が家の自慢なんだ、美樹は」


 桃子はまるで母親のように目を細めた。

 私はまた、社会から見放された人を目の当たりにした。


 その時、また神の声が聞こえた。



     「神々と隣人を愛せよ」



 私は心が震えた。

 それは囁くような声だったが、厳然たる神の御言葉だった。



第6話 賛美しつつ 主の庭に入れ

 日曜日の礼拝で、私は信者さんを前に話をした。


 「では、今日は「マルコによる福音書の12章30節と31節のお話しをします。


 30節 心を尽くし、精神を尽くし、想いを尽くし、チカラを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。

 31節 隣人を自分のように愛しなさい。

 このふたつに勝る掟はない。


 イエスはそう話されたそうです。

 人間に必要不可欠な物、それは愛なのです。

 愛とは男女の愛情だけを指すのではありません。

 愛とは我々の創造主である父、神を敬うことであり、隣人への思い遣りなのです。

 みなさん、日々の生活の中で愛を感じ、愛を施しましょう。アーメン」



 礼拝が終わり、信者さんとの茶話会の中で、私は伊藤兄弟から話し掛けられた。

 伊藤兄弟は50才代の居酒屋の店主をされている人で、とても温厚な人だった。


 「牧師先生、愛って不思議ですよね?

 眼には見えないのに感じることは出来る。

 眼に見えるものだけが真実ではないのですね?」

 「そうですね? 寧ろそれは眼に見えないからこそ大切なのかもしれません。

 愛とは幸福であり、幸福もまた見ることは出来ません。

 幸福はなるものではなく、掴む物でもありません。

 感じることなのです」

 「私も愛を感じることのできる人間になりたいと思います。

 そして愛を伝えたい」

 「もちろん、私もです。

 伊藤兄弟、共に愛を感じましょう、そして愛を実践して参りましょう」


 その時私は思った。

 どうすれば桃子たち家族に愛を伝えることが出来るのだろうと。




 クリスマスに桃子の家族を教会に招待した。



 「ようこそみなさん、楽しんでいって下さいね。

 今夜は『東京ゴスペラーズ』も来ていますから」

 「えーっ! 牧師さんスゴーイ! 『ゴスペラーズ』もここに来ているの?」

 「あの『ゴスペラーズ』さんではありません、『東京ゴスペラーズ』さんたちです。

 でも、この人たちのゴスペルは『天使にラブソングを』のようなスウィングゴスペルなんです。

 桃子さんたちも必ず気に入ると思いますよ」


 お婆さんは来なかったが、桃子と美樹、そして直人もやって来た。



 「モモ姉、こんなところで『ゴスペラーズ』が歌うわけないじゃない」

 「こら美樹、こんなところなんて牧師さんたちに失礼だよ」

 「ごめんなさい」

 「いいんですよ、美樹ちゃんの言うと通りだからね?」

 「こんばんは牧師さん、直人です。

 いつも姉がお世話になっています」

 「はじめまして直人君、大湊です。

 直人君はすごく大きいですね? 身長は何センチあるんですか? とても中学生には見えませんね?」

 「178センチあります。190センチは越えたいなあ」

 「直人は2mになるんじゃない? あはははは」



 『東京ゴスペラーズ』の演奏が始まった。

 いちばん恰幅のいいリンダさんがマイクを取った。


 「みなさーん! 今日はクリスマス、聖なる夜です。

 私たちと一緒にみなさんもスウィングして下さいね!

 でははじめます。Let'go!」


 美しい彼らのハーモニーに皆が魅了された。

 それは教会で歌う讃美歌的なゴスペルではなく、全身全霊を使って歌い踊る、ダンスミュージックだった。

 自然とカラダが動いてしまう。


 「さあみなさん! シング、アンド、ダンシング!

 さあもっと笑って、楽しく! そう! 全身で神様に喜びをお伝えしましょう!」


 桃子も汗をかきながら歌って踊っていた。

 始めは恥ずかしそうだった美樹も直人も、みんなの中に溶け込んでいった。

 楽しそうな彼女たちの笑顔。

 

 私も彼らに合わせ、歌い踊った。


 笑顔は愛の象徴だと感じながら。



第7話 主よ 私を憐れみ給え

 刑務所の慰問に向かう、私の足取りは重かった。


 正月も終わり、季節は2月になっていた。

 空から雪の匂いがした。


 今日は彼の死刑が執行される日だった。


 (また、あの死刑囚と対峙するのか・・・)


 私は一体彼に何を話せばいいと言うのだろうか?

 あの男には聖書の神の言葉など通じやしない。

 どうしたら彼の犯した罪の重さを教え、悔い改めさせることが出来るだろう。

 今日がその死へ向かう当日だというのに・・・。




 めずらしく彼から話し掛けて来た。


 「牧師さん、正月はどうだった? 餅とか食べたの?」

 「はい、少しだけですが」

 「俺も食べたよ、不味かったなあ、刑務所の餅は。ふふふっつ、あーはっはっはっ!」


 教誨室に彼の笑い声が不気味に響いた。

 彼が笑うのを止めるのを待って、私は口を開いた。


 「どうですか? 自分の犯した罪と向き合うことは出来ましたか?」

 「向き合う? 何を何のために?」

 「それは正しく死ぬためです。人間として」

 「これから死刑になる人間に、正しいも正しくないもないんじゃないの?

 そんな寝ぼけたことを言っているからキリスト教は日本に普及しないんじゃないの?

 特にプロテスタントは。

 話が硬くてつまんねえんだよ。

 もしかして牧師さん? 俺を牧場の子羊だと思ってない?

 俺は悪魔だぜ」

 「人は皆、神の子なのです」

 「だから?」

 「良心に従って生きなければならないのです。神の御心によって。

 たとえあなたのような凶悪な罪を犯した者でも、神は救いの手を差し伸べ・・・」

 「ハイ、そこまでー。

 牧師さん、死刑ってどうやるか知ってる?」


 私はそれには答えなかった。


 「この教誨室の近くの前室で布を被せられて手錠をされ、そのまま歩かせられるんだ。

 執行室のカーテンが開き、絞首刑のロープが下りている。

 その下に連れて行かれ、そしてロープを首に掛けられるんだよ。

 そして目の前のボタン室で3人の刑務官がそれぞれにボタンを押す。

 すると足元の1メートル四方の床が開き、それで階下へ落下する。

 医務官が聴診器を当てる。その時はまだ、心臓は動いているそうだ。

 意識はあるんだろうな?

 三人でボタンを押すのは誰が殺したかわからなくするためだ。

 自分が殺人者だと思い悩むからな?」

 

 私は最後に言った。


 「何か言い残すことはありませんか?」

 

 すると、その若者は意外な言葉を口にした。



 「牧師さん、色々お世話になりました。地獄で悔い改めて来ます。

 今まで本当にありがとうございました」


 私は思わず、教誨室で号泣してしまった。

 私の想いはすでに、彼に伝わっていたのだった。


 私は胸のロザリオを握りしめ、主に祈りを捧げた。


 「主よ、罪深きこの若者を救いたまえ・・・。アーメン」




 刑は執行された。

 彼の死に顔は穏やかだったという。

 私はやるせない気持ちのまま、刑務所を後にした。





 今日は礼拝堂へは行かず、私は台所に隠して置いたウイスキーを取り出し、飲み始めた。

 

 「私には聖職者など無理だ・・・。

 人間を諭す? 神へ導く?

 この私が? ふざけるな、私ですら自分をどうしていいのかわからない、未熟な人間なのに・・・」


 私は泣いた。そして飲んだ。


 するとまた、神の声がハッキリと聞こえた。



 「我が子よ、お前は何も悔やむことはない。

 無力を嘆くことはないのだ。 

 ただ祈るがよい。神の御心に、弱き者たちのために」


 私は酒を飲むのを止め、泣きながら礼拝堂へ行き、祈りを捧げた。


 そして私は自分の弱さを許すことにした。



第8話 愚者の口は無知を吐き出す

 その日、桃子は山本という若い男を待っていた。

 16時の待ち合わせに、その山本は定刻通りにやって来た。

 山本と名乗るその男は、マッチングアプリの画像とは少し違っていた。

 ニューヨークヤンキースのキャップを被り、ヘッドフォンをして彼は現れた。

 胸板が薄く、薄笑いをするその表情が鼻についた。


 いつもの桃子なら、相手にしないタイプではあったが、この2日間、桃子はお茶を引いていた。

 少しでもお金を稼ごうと、桃子はその男とホテルについて行った。




 部屋に入り、桃子が料金の説明をしようとした時、突然、男から拳で殴られた。

 桃子はそのままベッドに押し倒され、服や下着をはぎ取られてしまった。


 「やめて! 何をするの! 警察に言うわよ!」

 

 男はスマホを構え、動画撮影を始めた。


 「いいねえ、その表情。最高じゃん」

 

 そして今度は下腹部を蹴られた。


 「こんなこと、して、私にはね、青龍会の・・・」


 桃子はまた殴られた。


 「青龍会がどうしたって? うひゃひゃひゃひゃ。

 俺はね、こうしないと興奮しないの。

 ほら、もっと抵抗しろ、暴れろよ、そうしないと俺は燃えないんだから。ふふふふふっ」



 桃子は顔を往復ビンタされ、携帯も取りあげられてしまった。

 男は自分のズボンからベルトを引き抜くと、それで桃子を打ち付けた。


 「あう、やめて! 痛い! お願い!」

 「ほら、もっとわめけ! ほらほら、どうだ! 痛いか? ほら、泣き叫べ! この淫売! あはははは」


 

 桃子がフロントへ助けを呼ぼうとすると、再び顔面を殴られた。

 鼻血が出た。

 鼻が折れたようだった。


 「なんだ、濡れてねえじゃねえか?

 ほら濡らしてみろよ、まだやられたいのか? イヒヒヒヒヒ」


 桃子はまた顔を殴られ、腹を回し蹴りされた。

 髪を捕まれ引き摺り倒された。


 「じゃあ、やらせてもらうかな?」

 

 男は無理やり桃子に襲い掛かって来た。


 「いやあーーーー!」


 桃子は遠のく意識の中で、大湊の名を呼んだ。


 「助け、て・・・、牧師・・・さん、・・・」 






 桃子が眼をさましたのは病院だった。

 私と直人、美樹、そして祖母、権藤たちもいた。



 「肋骨が3本、左鎖骨骨折。鼻の骨も折れていました。

 それから前歯が2本、折られています。

 おびただしい打撲痕。脳に異常は認められませんでしたが酷い状態です。

 警察には通報しましたが、全治3カ月の重傷です」

 

 その中年の医師は痛々しそうに顔をしかめた。



 包帯でぐるぐる巻きにされ、点滴をされている桃子を見て、美樹たち家族は泣いた。

 

 「よくもモモ姉をこんな酷い目に・・・」


 私は桃子の手を握った。


 「美樹ちゃんたちのことは心配しなくていいからね?

 私が面倒を看るから、モモちゃんは安心して治療に専念すればいい。わかったね?」


 桃子は痛々しい声で、


 「ごめんなさい、牧師さん・・・」


 桃子の目から涙が零れた。


 権藤は美樹に見舞いの花と、100万円の札束の入った封筒を渡すと、そのまま無言で病室を出て行った。

 




 権藤たちは古い小さな自動車修理工場にいた。

 その男は顔の判別が出来ないほど、殴りつけられていた。


 「おい、丸焼きとコンクリート詰めで海へドボン、どっちがいい?」

 「お、お願いです、た、助けて下さい!」

 「お前は都合がいい奴だなあ? ウチの娘をあんなに可愛がっておいて、自分は命乞いか? どこまでもクズ野郎だな?

 おいケン、そいつの携帯を寄越せ」

 「ヘイ」


 権藤がその携帯のフォルダーを開くと、そこに桃子がレイプされている動画が残されていた。

 

 「随分、良く撮れてんじゃねえか? 

 お前、AV監督の才能あるなあ」

 「お、お金なら払います! 勘弁して下さい!」

 「いくら払う?」

 「ひゃ、百万円」

 「安いなあ、ウチのアイドルだぜ? 看板商品をあんなにされて100万ねえ?」

 「1,000万、1,000万払います! だから・・・」

 「世の中にはな、カネでは買えない物もあるんだぜ。

 そうか、おめえは悪くねえ。

 おめえは悪くねえんだ。

 悪いのはコイツだな? コイツがついてるから女を襲いたくなる。

 これ、無い方がいいんじゃねえか?

 お前の大好きな、女にしてやろうか? なあ? いいぜ女は? 男みたいに出して終わりじゃねえからなあ」


 すると権藤の部下たちは男を押さえつけ、ズボンを脱がせると股間にオイルライターのオイルを掛けた。



 「や、やめろっーーーーーー!」

 「なんだって? 聴こえねえなあ?

 俺も最近、耳が遠くなっちまってよ、眼も暗くなると見えねえんだ」


 権藤はオイルライターでタバコに火を点けた。


 「クリスマスはもう終わったけど、この小せえキャンドルで我慢するか?

 今日は冷えるし、風邪引くといけねえからな? ほれ、温まれや」


 権藤は火のついたタバコを男の陰部に押し付けた。



 「うぎゃーーーーっ!」



 男の断末魔の叫び声と、陰毛の焦げたニオイが辺りに立ち込めた。


 権藤はそのまま、警察へと出頭した。



最終話 愛はすべてを繋ぐ帯である

 10年が過ぎた。

 権藤も模範囚として3年で刑期を終え、#職場復帰__・__#をした。

 桃子の祖母は5年前に天国へと旅立ち、直人はサッカー選手にはなれなかったが、パティシェになった。

 彼の作るプリンは評判を呼び、マスコミからの取材も多かった。


 「モモ姉の作ってくれたあのプリンには負けるけどな」


 そう笑う直人。


 美樹は司法試験に合格したが弁護士にはならず、検事になった。

 今では東京地検特捜部のエースとして活躍している。


 

 桃子が入院している時、私は桃子にプロポーズをした。

 オレンジジュースにストローを刺し、桃子にそれを飲ませている時に。


 「美味しいかい?」

 「うん、とっても」

 「退院したら、結婚しよう」

 「あはははは、笑わせないでよ、お腹痛い」

 「本気だよ、そしてお婆ちゃんも直人君も美樹ちゃんも、あの教会で一緒に暮らそう」

 「ウケる! あはははは・・・う、ううっ・・・」


 桃子は笑った。そして泣いた。


 「良かった・・・、いつも笑っていて。

 笑っているとしあわせになれるって、本当なんだね?

 あはははは・・・」

 

 私は飲み終えたストローでリングを作り、桃子の左薬指にはめた。


 「では、誓いのキスを」


 私はベッドの桃子にキスをした。




 そして、小学2年生の海渡かいとと、年長さんの沙耶が生まれた。


 3人でブランコに乗って、大きく口を開けて笑う桃子と子供たち。



 「ママー、もっと漕いでー! あはははは」

 「いいわよー、ソーレー、あはははは」

 

 私は思う。

 桃子が言った通りだと。



     楽しいから笑うのではなく、

     笑うから楽しくなるんだと。



 「パパもおいでよー! 早く早くー! あはははは」

 「ああ、今行くよー、あはははは」


 その光景に、やさしく微笑む主のお姿があった。



                『ロザリオと桃の缶詰』 完



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【完結】ロザリオと桃の缶詰(作品230625) 菊池昭仁 @landfall0810

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